大人になる約束

三木

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 大小様々な紙片を選り分けて、それぞれの処遇が決まって片付く頃には小腹が空く程度の時間が経っていた。
「はあ……疲れた……」
 テーブルの端に頭を置いて、良は力なく長い息を吐いた。髪が触れそうだった紅茶のカップを避けてやってから、裕司は良の頭を撫でる。
「お疲れさん」
 良は撫でる手には逆らわずに、目だけを裕司に向けてきた。
「あんたは疲れてなさそうだね……」
「ん? うん、そうだな。わりと楽しかったしな」
「俺が疲れるのヤだとか言ってたくせに……」
 指摘されると気まずかったが、裕司は苦笑するにとどめた。良も本心から責める気はあるまい。黒い瞳は静かで、ほんのりと光を灯していた。
「……お前がもっと嫌な顔するんじゃねえかと思ったんだよ」
「俺が? ……すごい嫌な顔してたつもりなんだけど」
 唇を曲げてみせた良に裕司は笑う。こんなふうに遠慮のない言葉ですぐに返してくれるときは、彼の心はさほど沈んではいないと知っていた。
「お前が落ち込んで思い詰めたりするようなことは、できるなら少ない方がいいだろ」
「……」
「昔のことを思い出すのはしんどいんじゃないかって、心配してたんだ、正直」
 良は裕司を見上げ、幾度か瞬きをして、身体を起こした。
「……心配性だね」
 短く呟かれて、裕司は笑う。それは何ひとつ否定できなかった。
 良のこととなると何もかもが不安になる瞬間があって、それは大抵杞憂で済むとわかっていても、無視することが難しかった。気が付けば耳元で不安を囁き続けるものが、裕司の中に棲んでいる。
「学校のこととか……家の外のことは別に嫌じゃないよ。ずっと昔の……幼稚園とか小学校低学年ぐらいの頃のことはけっこう忘れちゃってるし、覚えてても他人のことみたいだったりするし……。……俺が家で母さんとか、……母さんの相手の人とどんなふうだったか、あんた訊かないから……。何だろ……訊かれたら答えなきゃって思うし、でも、説明できるほど思い出すのはあんまりしたくないかな……」
「……うん」
「あと、昨日、ちゃんと帰ってこれたから、それでけっこう安心したかも……。……うん、あっちの家に戻らないでいいんだって思ったら、わりと平気になった気がする」
 そうか、と裕司は呟いて、良がカップを口に運ぶのを眺めた。
 良の不安は、やはりまだこの家を出ることだったのだと思うと、もっと汲んでやれたらと悔いる気持ちが湧いた。けれど、それはもう過ぎたことだ。
「あんたにこんなに頼っていいのかなって思うけど、でも、他にもっといい方法とか思い付かないから……」
 首を傾げた良に少し笑って、裕司は良の脚を軽く叩いた。
「俺はお前が頼ってくれなかったら困るよ」
「ほら、すぐそういうこと言うじゃん」
「何だよ、だめか?」
「あんたの世話になるの悪いなって思うけど、俺が出てくって言ったらあんたこの世の終わりみたいな顔しそう」
「……よくわかってんじゃねえか」
 気持ちや考えを伝えたいと常々思ってはいるものの、こんなふうに読まれるのはそれはそれで恥ずかしかった。
「それがわかってるなら、実家に戻る心配なんかしなくてよかったんじゃないか?」
 これくらいは訊いてもいいだろうと思って言うと、良は渋い顔をして視線を落とした。
「……あんたがそうでも、俺の母親とかはそうじゃないかもしれないじゃん……」
 言葉そのものよりその声や表情で、良の懸念が伝わってきた。彼には、彼の力の及ばないものに連れ戻されるという、予感めいた恐怖があったのだろう。
 明らかに良を庇護する気のない彼の『家族』が彼を連れ戻そうとすることを、裕司はあまり想像できなかったが、良の中ではありえないことではなかったのだ。良にとってそれは恐ろしい想像だっただろうに、一人で抱えていたのだと思うと、自分もまだ大して頼られてはいないと感じたし、彼もまだ頼り方を知らないのだと思われた。
「……今はぴんと来ないかもしれないけど、住む場所とか、生活の仕方とか、そんなのは誰に何を言われても、お前が決めていいんだからな」
「……あんたが泣いても?」
 裕司は失笑する。良の真っ直ぐな問いかけには、無垢さと聡明さが入り混じっていて、そういう彼が裕司はとても好きだった。
「そうだよ。だってお前の人生だぞ? 小さい子どもならともかく、成人したら他人にそういうことを決める権利はないって学校でも習ったろうが」
「うん……」
 素直に頷いた彼に、裕司は嬉しいような切ないような複雑な気持ちにさせられた。彼に教養を感じていたのは気のせいではなかったのだと思ったし、それは彼の環境が優れていたからではなく彼自身が世界に真摯だった証左なのだとわかってしまった。
 決して口には出せないと思いながら、時間が戻ればいいのに、と裕司は考える。彼がまだ学校という社会から切り離される前に戻れたなら、何としてでも彼の立場を守ったのに。
「……俺が自分であんたと暮らすって決めて、母さんもそれでいいって言ったんだから、今は何にも問題ないよね?」
 確かめるような良の言葉に、裕司は微笑みながら頷いた。

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