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いぬまみれ編

夏と冬の御庭

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 器用に口に咥え、「お待たせ致しました!」と元気良く日傘を持ってきたアン。


「申し訳ありません、私では身長が届かないので……」
「何を言ってるの! これくらい自分で持つわよ! さっ、アンも影に入って!」
「アオイ様はお優しい方ですね! 有難う御座います!」


 扉を開ければ、ムシムシと肌に張り付く嫌な暑さ。
 ダブルコートの犬にはこの暑さは辛いだろう。
 アンもこれでもかと舌を限界まで出している。
 何とも不可思議な感覚だと試しに腕だけ邸の中へ突っ込んでみれば、やはり冷たい空気がピリリと肌を刺す。

 何故なのかと問うアオイに、「実は……」と、アンは神妙な面持ちで話し始めた。
 思わずゴクリと生唾を飲む。


「実は、この邸には呪いがかけられているのです」
「の、呪い?」
「はい……」


 またまたご冗談をとそう思ったが、どうやら本当らしい。
 伏せる瞳が、どこか諦めを感じさせた。


「どんな、呪いなの……?」
「私達はこの邸を囲む結界から外に出られないのです」
「けっかい……?」
「アオイ様はここに来られるときに、膜のようなものは御座いませんでしたか?」
「ああ、確かに。あったわ」
「それが結界です。外からは自由に出入り出来るのですが、私達はあの結界から、外には出れないのです」
「それはまた、どうしてなの?」
「心が醜かったのです」
「え?」
「それ以上は申し上げられません。ですが結界の揺れを感じた私達は様子を見に行きましたところ、アオイ様と出会ったのです」


 アオイは折り曲げた人差し指を唇に当てる。
 先程の本邸には住んでないというのは結界のせいなのだろうか。


「そしてこの庭。とても暑いでしょう? 夏のように」
「えぇ」
「まさに夏なのです。この庭は」
「 ? 」
「邸から反対の裏庭は、凍えるような寒さ」
「どういう……?」


 確かに身に染みて感じてはいるのだが、アオイはサッパリその意味が理解できない。
 何故なら、妖精も然程居らず、魔法を生活の一部として使う国では無いと見て分かるからだ。


「これも呪いなのです。厳しい季節しかない、夏と冬しかないのです。この邸には」
「そんな事が……?」
「はい……」


 この邸は見たことも聞いたことないことばかり。
 呪いはさて置き、結界などはよく聞く話だ。
 だが、人間が結界を張るには勿論魔法が使えなければならない。
 魔法とは、精霊や妖精のエネルギー、目には見えない自然に溢れるものを操作して使う。
 ある程度の加護が無ければ使えない。
 それなのに何故?
 呪いをかけられた、と言うことは、何処かの誰かがかけたということだ。
 こんな妖精も然程居ない国でこれ程の結界を張れる人物が存在しているのだろうか。
 そうならば何の為に呪いをかけたのか。
 人を呪わば穴二つで、己の代償も払っただろうに。
 そもそも上級の妖精を使役するぐらいでなければ難しいだろう。
 もしくは妖精自身が呪いをかけたかだが、力のある妖精自体見当たらない。


「裏庭は雪も積もっておりますし椿も咲いております。こちらの庭は向日葵が咲いていましたでしょう?」
「えぇ、確かにそうね……」


 へっへと身体に籠もった熱を口から放出しているアン。
 地面はより暑いだろうに。
 邸の案内とはいえ、こんな真夏の庭に連れてこさせて申し訳無い。
 早く終わらせて水でも飲んでもらわなければ。
 だがこの暑さにも既に慣れてしまっているアンは、別の事を考えていた。


「あぁ、それに加え大変なのがもう一つ……、」
「もうひとつ……?」

「換毛期です」
「かんもうき」

「えぇ」
「かんもうき……」
「あっちへ行ったりこっちへ行ったりするので毎日です」
「毎日……」
「もう毎日換毛期なのです」
「そりゃあ……、大変ね……」
「旦那様なんてお身体が大きくていらっしゃいますから、もう大変で大変で」


 自身には体験出来ない事だし言えた立場ではないが、換毛期より大変なことがある気がする。
(いや大変なんだけどね換毛期も……! 毛のある動物には重要な事よね……!)


「それもこれもあのっ! フローラとか言う妖精のせいなのです!」
「ふ、フローラっ……!?」
「……御存知なのですか?」
「い!いや! トンデモないッ! 初めて聞きました! えぇ全く!」
「そう、ですか」


 誤魔化すアオイに疑いの心を持つが、お客様をそんな目で見てはいけないと思いそれ以上突っ込むのを止めた。
 お察しの通りアオイとそのフローラと言う名の妖精は、昔からの知り合いだった。
 気付いたときにはもう側に居て色々な花を教えてもらった、美しいものが大好きな妖精である。
(まさかこの結界を張ったのフローラ……? あの妖精は美しいを見ると直ぐ悪戯するから…………うん? 怜達は人じゃないか……あれ?)


「あぁあの妖精の甘ったるい匂いったらもう! 思い出しただけで!! 鼻について離れねぇんですよクソったれが!」


(まぁ何にせよあれだけ美しい犬なんだもの。フローラだって嫉妬しちゃうわよね)
 黒いオーラを醸し出しながらぶつぶつと強烈な言葉を呟くアンには気付かず、うんうんと都合の良いように解釈するアオイだった。
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