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いぬまみれ編

社交戦争、開幕。

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「うっわぁ……どうしよう、人がいっぱいいらっしゃる……皆犬だったら良いのに……」
「何を仰っいますかアオイ様!」

 ヒィと小さく叫ぶ声は直様掻き消される。
 そう、今日はアオイの初めての夜会なのだ。
 何かを祝う祭りや、お誕生日等とは全く違う、人の欲が渦巻くパーティーである。

「(嗚呼、胃が痛い……。ストレス、でしょうか……)」
「少々コルセットがキツいかもしれませんが、我慢して下さいね」
「(あ、コルセットですか……。あれ、何だか目眩が……)」
「久し振りの夜会ですから、ここぞとばかりに気合いを入れて飾りつけをしております。ライトが眩しいかもしれないですね」
「(ラ、ライト……)」
「言っておきますが声に出てますからね」
「えッ!? 出てた!?」
「諦めてホラ、行きますよっ!」
「ぐぬぅ……」

 コルセットで強制的に良くなる背筋。首元までボタンで留まった繊細なレース。身振りも制限される腕にぴたりと沿うレースの袖。
 ウエストから幾重にも重なったシルクシフォンは美しいドレープを作り、少し動くだけでも上品に見える。加えて頭にちょこんと乗るトーク帽で、頭の動きも自然とゆったりとなる。

 怜がこの日に為にとアオイの瞳に合わせた鶯色のドレスを用意してくれ、ナウザーは自分の仕事の時間を割いてまで、アオイに勉強を教えた。
 ステラもアンもシェーンも一生懸命ドレスアップしてくれた。
 コニーだって、こうして付き添っている。
(うん、諦めるしかないな……)

 そう受け入れたアオイは、あまり目立たぬようにとコソコソ本邸に忍び込もうとする。
 すると、「もうアオイ様ったら! もっと堂々と!」なんて小声でコニーに叱られた。
 堂々としていたら誰かが挨拶でもしてくるだろう。そしたら無理にでも話さないといけないではないか。
(それじゃあ勉強にならないのは分かってるのだけど……。アリス様だって自分の経験を重ねる為にこうして夜会を開いたのだから、私もしっかりしなくちゃね。むしろお手本になるべきだわ)

 アオイは外の空気を肺に溜め、覚悟を決めた。
 胸を張り、煌々と眩しい光の中へ。


──「何方かしら」
──「さぁ、どちらのご令嬢か……」
──「見たこと御座いませんわねぇ……」
──「君は知っているか?」
──「いや、見たこと無いなぁ」

(あれ、皆様方……、気付くのがお早いようで……)
 正直、これだけ人が居るのだから自分一人が入ってきたところで誰も気にしないだろうと思っていた。
 ヒソヒソ会話していても、視線はピリピリ痛い。
 痛みに耐えていると人混みをするりするりと抜けて何者かが近付いてくる。

「っアオイ様……!」
「あ! アリス様」

 近付いてきた人物はアリスだった。露草色のドレスがよく似合っている。

「やっと来てくださいましたっ……! お父様ったら話に夢中でわたし一人で不安で不安で……。自宅でパーティーを開くこと自体生まれて初めてなものですから……」
「ごめんなさい。少し準備に手間取ってしまったの……。ホスト側となると大変でしょう?」

 自宅でのパーティーは15年振り、アリスは十四歳だから生まれる前と言うことになる。
 恐らくその時の夜会は、アリスの母がご懐妊した事を祝うものだったのだろう。

「え、ええ……。元々人見知りですし、お友達だって多くない、ましてや今日の主役は私で……、しっかりせねばと思うと……はぁ……」

 眉を歪まし腹を押さえるアリスを見ると、傍に寄り添い支えてあげたくなる。けれどそんな事をすると周りが心配してしまうだろう。
 始まったばかりの夜会でアリスも周りに心配は掛けたくないだろうし、心苦しいが励ましの言葉だけ贈ることにする。
 それにアリスには心強い味方が付いているではないか。

「大丈夫ですよ! 気を楽にして、呼吸を整えて。それに、ホラ、栗鼠だって付いてる。ねー?」

 アリスを見守る様にちょこんと横にお座りした栗鼠。
 同じく目線を合わせて、そうよねと問い掛けると栗鼠は笑ってアリスを見上げた。

「ふふっ、ありがとう栗鼠」
──「アリス! 久し振りね!」
──「だいぶ元気になったみたいね! 良かったわ……!」
「クレア! 桜子! 久し振りね!」

 アリスに声を掛けたのは、プラチナの髪にゴールドの煌々したドレスの娘と、黒髪にふりふりしたピンクのドレス着た娘。
 どうやらアリスの友達らしく、可愛らしい花のように戯れている。
 再会の挨拶が済むと友二人は揃ってアオイに注目し、「それで一体この美しい御方は何方なの!?」と声を合わせる。
 美しいなんて言い過ぎだとアオイが謙遜し、アリスが「此方の御方はね、」と嘘の出自を述べようとしたその時──、「やぁ」と背後で男性が声を掛けた。

 その男性を見たアリスの友達はきゃあと顔を赤らめるので、アオイも振り返るが目線が合わず、背が高い。
 被る、というより、トーク帽を乗せたアオイは、上品に目線だけ上げた。つまり上目遣いと言うやつである。

「っ……アリス嬢、お招き頂き有難う。体調の方は如何かな?」
「ハモンド侯爵様! こ、此方こそご参加頂き光栄です。この子、栗鼠が私に元気を与えてくれるのでとても良いですよ。その分お父様は悪そうですけれど」
「ふふ、気軽にルイと呼んでくれて構わないよ。クリス卿の犬嫌いは有名だから素直に良かったとは言えないか。ところで、私にも此方のお嬢様を紹介して頂けないかな?」
「あ、は、はい……!」

 ルイ·ハモンド侯爵と呼ばれた人物は爽やかに微笑む。
 茶髪の髪はさらさらで清潔で良い匂い、それに端正なお顔立ちはさぞ女性にモテるだろう。

「此方はオーランド王国、男爵家ご令嬢のヒューガ·アオイ様です」
「初めまして、アオイと申します」
「オーランド……? また随分と遠い所から……何故この国に?」
「ええ……私も幼少の頃、病気で学園に通えず自宅に籠もっては愛犬に癒されておりました。その後、病気は完治致しましたが、なにせ世間知らずなもので。愛犬の死をキッカケに、学園に通えなかった反動か世界を見て周っているのです。そんな時……」

 「山犬の話を聞いたのですよね?」とアリスは上手に合いの手を入れる。
 だから暫く此処で滞在しているんだと最後まで言えたら、思わずホッとしてアオイとアリスは瞳を交差し微笑んだ。

 アオイは瞳の動きで嘘が判ってしまうのを恐れ、コニーや栗鼠を撫でながら己の“ストーリー”を語っていたが、如何にも犬好きだという姿が逆に良い印象を与える。
 そしてハモンド侯爵は、見た目によらず大胆なアオイに、興味をそそられてしまったのだ。

「もう少し話を聞きたいな。彼女をお借りしても?」
「え」

 ハモンド侯爵の言葉に、素直すぎるほど不安に駆られるアリス。己の不安なのか、それともアオイを心配してなのか。
 どちらにせよ、アリスは友と久々に再会したのだ、歳上の自分が気を使わせてはいけない、邪魔してはいけない。その為にコニーも付いてきた。

 自分にはコニーが居るから大丈夫だよと目配せし、コニーもお任せ下さいとウィンク。
 それに気付いたアリスは分からぬ程度にコクンと頷く。

「ええ侯爵様、私は構いません。アリス様はお友達との再会をお祝いなさって!」
「は、はい!」
「じゃあ何か取ってくるよ、少しの間待っていてね?」
「はい、お待ちしております」

 人混みに消えていくハモンド侯爵の背中を見つめ、ふぅと心の中で一息つくアオイだった。
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