22 / 87
いぬまみれ編
恋は一瞬で落ちるもの
しおりを挟む皆が雑談と言う名の戦争に勤しんでいる中、ハモンド侯爵を独りポツンと待つアオイ。
皆の雑談にはちらほらと自身の話題もあがっているようだ。
伺うような視線が、なんだか擽ったい。
気になるのなら素直に話し掛けてくれれば良いのだが。
そしてやはりハモンド侯爵は女性に人気のようで、侯爵が動く度に、きゃあきゃあと黄色い声がホールに響いている。
ドレスの壁に押され、一人ひとり丁寧にあしらっているハモンド侯爵を眺めながら、これは長丁場になりそうだと気を引き締めた。
気が付けば隣に一人の男性。
「やぁ、初めまして。ヒューガ·アオイ様、と申しましたかな?」
「あ、はい。初めまして」
にこり、と取り敢えず微笑んだ。
禿げた頭にだらしなく出た腹、自身から滲み出た脂で顔を照からしており、厭らしいアクセサリーがギラギラと指に飾られているその男。
見覚えのある顔に誰だっけと冷や汗を流しながら必死に思い出すアオイ。
ナウザーが小煩く言っていたのだ。気を付けろ、と。
(えっと、名前は確か……)
「私は男爵家当主の、山田 清治郎と申します 」
「よろしくお願い致します」
(そうそう。そんな名前だったっけ?)
この齢五十の男。
自分の領地の若い娘に、あれやこれやと如何わしいことをしているらしい。
しかも処女好きで、貧しい家などから娘を連れてきては金を握らせる。他言無用は勿論、処女好きだから一度きり、貧しい家は金が入るしこれで済むならと、わざわざ公にする人も居ない。だから貴族社会では知らぬ者が殆どだとか。
結婚はしておらず、好みの貴族令嬢がいればあわよくば、なんて考えらしい。
(ナウザーはよく鼻の効く犬ですから? なんでもお見通しよ! ナウザー恐いんだから!)
しかし、本当に寒気がする男だ。
金の為であっても、好きでもないこんな男が初めてだなんて、犠牲になった少女達は心に傷を負っただろう。
だがこんな男でも高級な松茸が採れる生まれた場所のせいで、そこそこ金は持っているのだ。
早く何処かに行ってくれと思っているとは露知らず、男爵は下心満載の目付きで、なぶるように、アオイの身体を上から下まで視線を這わす。
アオイに張り付いていた笑顔も、少しだけ歪んでしまった。
「アオイ嬢はオーランド出身なんだって?」
「えぇ……」
「随分遠いところからねぇ?」
「え、まぁ……」
一見普通の会話だが、男爵の眼はアオイの身体しか見ていない。コルセットで強調された胸とお尻に、舌なめずりさえしている。
気持ちの悪い笑顔にアオイの笑顔はどんどん失われていく。
「オーランドは美形揃いの国だと聞いたが本当のようだな」
「……ありがとうございます」
「身体も綺麗なラインだねぇ。折角の美しい身体なんだからもっと出さないと勿体ないよ?」
「いえ、それほどでもありませんから」
「謙遜しなくたって良いんだよ! 見れば分かるんだから」
「ええ……?」
「若いうちが華なんだよ~?」
「ほうら、この腰からお尻のラインなんて……」と身体を撫で回すかの如く、空を這う手。
ついに視線だけでは満足出来ず、手まで出してやがったかとアオイは身を構えた。
これに慣れた御令嬢方はあしらうのも慣れているのだろうか、なんて思いながら「はあ」と適当に相槌を打っていると、ハモンド侯爵が此方に戻ってきているのが見えた。
アオイが、この〈もう名前すら覚えるほどでもない男爵〉に捕まっていると気付いたようで、丁寧に対応していた御令嬢をあくまで優しく押し退け、駆け足してくれている。
まるで騎士のような方だ。
「もし宜しければ今度家にも、」
「やぁ、お待たせ」
「あ、あぁ、ハモンド侯爵様……」
「私が先約を入れているんだ。悪いね」
「……い、いやいや、これは失礼。っ……ではまた、」
「ええ。また」
あぁ良かったと最後にニコリと微笑むと、いそいそとまた別の令嬢を探しに行く男爵。懲りない男である。
言葉の続きを聞かなくて済んだのは幸いだった。
これまで何度ほかの令嬢を家に誘ったのだろうか。
考えるだけでも身震いする。
「少し、夜風にでもあたりに行こうか」
侯爵に言われるがままバルコニーに付いていくアオイ。
助けてもらったのだから御礼はしなければ。
「有難うございます、先程は助かりました」
「いや、良いんだよ。気にしないで。あの男爵は少々、女性を下に見ているから……、君も気を付けてね。って、一人にしてしまったのは私か、申し訳ない」
「いえ! そんな、謝ることでは」
こんな人だから女性にモテるわけねと納得した。
己の行動を反省出来る人は滅多に居ない。
「さ、お腹も空ているだろうと思って食事も少し取ってきたよ。お酒は何が好みか分からなかったから、ロゼを持ってきたんだ。君に似合いそうだなって」
「有難う御座います! ロゼ、好きですよ。似合いますか?」
美しいグラスに注がれた、透き通る鴇色のお酒。アオイはグラスを持ってにこりと笑って見せた。
濃い蜂蜜色のアオイの髪がロゼに透けて、まるで本当に蜂蜜を垂らしているようだ。
すると何故かハモンド侯爵は片手で顔を覆い、目線を外してしまう。首を傾げ「似合いませんでしたか……?」と問うと、侯爵は困ったように笑う。
「いや……、あまりにも君が魅力的だったから」
「えっ、またそんな。ご冗談を!」
「いいや、冗談じゃないよ。さ、食べて! 君の話をもっと聞きたいな、犬好きなんだって?」
「ええ! 犬は本当に可愛いの!」
────────────
───────
───
「うわーん……ルイ様とアオイ様……、とってもお似合いね……」
「ねー、仕方無いね……。アオイ様、美しいもの。敵いっこないわ」
「まぁ、あそこまでお似合いだと戦う気にもなれないってものよ! きっとこのまま婚約ね」
「ね、」
「うーーん、それは、どうかなぁ……」
バルコニーをそっと眺めるアリスとその友達。
苦笑いを浮かべるアリスに、「なんでよ!」「シッ、聞こえちゃうっ!」と二人。
「もしかしてアオイ様には既に婚約者が!?」
「いや、それはないと思うけど……」
「じゃあなんでよ! 距離!? 国と国との距離!?」
「いや、」
「ちっがうわよ桜子ッ! アオイ様はあれだけ美しいのよ!? 他にも引く手数多よ! そうなんでしょ!?」
「それはそうかもしれないけど、」
「ホラね!?」
「でもあんなに良い雰囲気なのに!?」
「も、もうっ、二人ともっ! 聞こえちゃうからっ……!」
アリスはぐいぐいと友二人の背中を押し、その場から離れた。
もふもふでイケメンな怜が居るんだから! と言葉にしたい気持ちは必死に押し殺して。
ハモンド侯爵と談笑する姿を眺め、アリスは「はぁ」と溜息。
(あんなんじゃない。アオイ様が、怜様と居るときは、もっと、心の底から笑ってて、……変態的というか……うん)
きっと、呪いを解くのは、彼女だ。
──狼森家が代々受け継いできた秘密。
〈別邸で暮らしている犬達は人間である〉
美しく完璧過ぎた男は、妖精の悪戯の標的になってしまった、そして現在も呪いの真っ最中。
妖精国がすぐ隣の土地では、妖精の悪戯というのは珍しくない。だから邸の季節がおかしくても、もう今更誰も、不思議には思わない。
だが今やお伽噺で、人が生きる教訓のようになってしまった『心が醜く恐ろしい獣にされてしまった』と言う話。
「山犬を見た」「山犬とお婆ちゃんが見合をさせられた」「人を食らう獣」「息子が殺された」
時と共に、話には尾ひれがつき、今や〈人食い山犬〉だ。
怜達は結界の外には出れないので、チラホラ事実も混ざってはいるが、信じてくれる人の方が少なく実際に見たと言う人物も居なくなった。
しかし、山犬の怜無くしてはこの国境を守れない。
元々強かったらしいが、獣の姿だとより強さは増す。それほど迄に怜は重要な人、いや、獣なのだ。
父であるクリスもそれについては十分に理解している。
怜が居なければ年々勢力を増してきている紅華国の賊から国境を護れない。だから怜の事だって、アレでも必死に守っているつもりなのだ。
ただクリスは犬嫌いなだけ。だからといってアリスは、栗鼠を捨てた事を許してなどいない。
呪いが解ければ良い。
アリスを含め、本邸の皆も内心そう思っている。
(まぁアオイ様がどう思うかは、分からないけれど……)
だが、呪いが解けたら?
国境は?
戦争は?
そんな考えがアリスでもふと、過ってしまう。
何にせよ、皆が幸せになれればそれで良い。
(そう言えば……もうすぐ100年。100年経ってしまうとどうなるんだっけ? 今度お父様に確認してみよう……)
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
置き去りにされた転生シンママはご落胤を秘かに育てるも、モトサヤはご容赦のほどを
青の雀
恋愛
シンママから玉の輿婚へ
学生時代から付き合っていた王太子のレオンハルト・バルセロナ殿下に、ある日突然、旅先で置き去りにされてしまう。
お忍び旅行で来ていたので、誰も二人の居場所を知らなく、両親のどちらかが亡くなった時にしか発動しないはずの「血の呪縛」魔法を使われた。
お腹には、殿下との子供を宿しているというのに、政略結婚をするため、バレンシア・セレナーデ公爵令嬢が邪魔になったという理由だけで、あっけなく捨てられてしまったのだ。
レオンハルトは当初、バレンシアを置き去りにする意図はなく、すぐに戻ってくるつもりでいた。
でも、王都に戻ったレオンハルトは、そのまま結婚式を挙げさせられることになる。
お相手は隣国の王女アレキサンドラ。
アレキサンドラとレオンハルトは、形式の上だけの夫婦となるが、レオンハルトには心の妻であるバレンシアがいるので、指1本アレキサンドラに触れることはない。
バレンシアガ置き去りにされて、2年が経った頃、白い結婚に不満をあらわにしたアレキサンドラは、ついに、バレンシアとその王子の存在に気付き、ご落胤である王子を手に入れようと画策するが、どれも失敗に終わってしまう。
バレンシアは、前世、京都の餅菓子屋の一人娘として、シンママをしながら子供を育てた経験があり、今世もパティシエとしての腕を生かし、パンに製菓を売り歩く行商になり、王子を育てていく。
せっかくなので、家庭でできる餅菓子レシピを載せることにしました
王女の中身は元自衛官だったので、継母に追放されたけど思い通りになりません
きぬがやあきら
恋愛
「妻はお妃様一人とお約束されたそうですが、今でもまだ同じことが言えますか?」
「正直なところ、不安を感じている」
久方ぶりに招かれた故郷、セレンティア城の月光満ちる庭園で、アシュレイは信じ難い光景を目撃するーー
激闘の末、王座に就いたアルダシールと結ばれた、元セレンティア王国の王女アシュレイ。
アラウァリア国では、新政権を勝ち取ったアシュレイを国母と崇めてくれる国民も多い。だが、結婚から2年、未だ後継ぎに恵まれないアルダシールに側室を推す声も上がり始める。そんな頃、弟シュナイゼルから結婚式の招待が舞い込んだ。
第2幕、連載開始しました!
お気に入り登録してくださった皆様、ありがとうございます! 心より御礼申し上げます。
以下、1章のあらすじです。
アシュレイは前世の記憶を持つ、セレンティア王国の皇女だった。後ろ盾もなく、継母である王妃に体よく追い出されてしまう。
表向きは外交の駒として、アラウァリア王国へ嫁ぐ形だが、国王は御年50歳で既に18人もの妃を持っている。
常に不遇の扱いを受けて、我慢の限界だったアシュレイは、大胆な計画を企てた。
それは輿入れの道中を、自ら雇った盗賊に襲撃させるもの。
サバイバルの知識もあるし、宝飾品を処分して生き抜けば、残りの人生を自由に謳歌できると踏んでいた。
しかし、輿入れ当日アシュレイを攫い出したのは、アラウァリアの第一王子・アルダシール。
盗賊団と共謀し、晴れて自由の身を望んでいたのに、アルダシールはアシュレイを手放してはくれず……。
アシュレイは自由と幸福を手に入れられるのか?
追放された味見係、【神の舌】で冷徹皇帝と聖獣の胃袋を掴んで溺愛される
水凪しおん
BL
「無能」と罵られ、故郷の王宮を追放された「味見係」のリオ。
行き場を失った彼を拾ったのは、氷のような美貌を持つ隣国の冷徹皇帝アレスだった。
「聖獣に何か食わせろ」という無理難題に対し、リオが作ったのは素朴な野菜スープ。しかしその料理には、食べた者を癒やす伝説のスキル【神の舌】の力が宿っていた!
聖獣を元気にし、皇帝の凍てついた心をも溶かしていくリオ。
「君は俺の宝だ」
冷酷だと思われていた皇帝からの、不器用で真っ直ぐな溺愛。
これは、捨てられた料理人が温かいご飯で居場所を作り、最高にハッピーになる物語。
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
敗戦国の姫は、敵国将軍に掠奪される
clayclay
恋愛
架空の国アルバ国は、ブリタニア国に侵略され、国は壊滅状態となる。
状況を打破するため、アルバ国王は娘のソフィアに、ブリタニア国使者への「接待」を命じたが……。
月華後宮伝
織部ソマリ
キャラ文芸
★10/30よりコミカライズが始まりました!どうぞよろしくお願いします!
◆神託により後宮に入ることになった『跳ねっ返りの薬草姫』と呼ばれている凛花。冷徹で女嫌いとの噂がある皇帝・紫曄の妃となるのは気が進まないが、ある目的のために月華宮へ行くと心に決めていた。凛花の秘めた目的とは、皇帝の寵を得ることではなく『虎に変化してしまう』という特殊すぎる体質の秘密を解き明かすこと! だが後宮入り早々、凛花は紫曄に秘密を知られてしまう。しかし同じく秘密を抱えている紫曄は、凛花に「抱き枕になれ」と予想外なことを言い出して――?
◆第14回恋愛小説大賞【中華後宮ラブ賞】受賞。ありがとうございます!
◆旧題:月華宮の虎猫の妃は眠れぬ皇帝の膝の上 ~不本意ながらモフモフ抱き枕を拝命いたします~
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる