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いぬこいし編
奇也、な現実。
しおりを挟むうーむと未だ唸るアオイ。
一人で考えたってどうしようもない。
あまり呼びたくはないんだけどなという気持とは裏腹に、近くの野花に向かってその名を呼んだ。
「フローラ。フローラ!」
するとその野花はキラキラと光輝き、愛の象徴である美しい一輪の薔薇へと姿を変えた。
眩しい薔薇色と、甘い香りが周囲に立ち込める。
「は~~い! その声はアオイね! アオイから呼んでくれるなんて嬉しいわっ!」
そう言って出てくるなり抱き締め、頬擦りする妖精フローラ。
アオイの瞳を覗き込んで、いつもの事だが惚れ惚れしながら「はぁ……」と溜息をひとつ。
そしてこの後に続く言葉もいつもの事だ。
「アオイの瞳は本当に何度見ても綺麗ねぇ。向日葵の様に瞳も心も真っ直ぐで美しいのだから、世界中の醜い人間達は皆アオイの垢でも煎じて飲めば良いのよ!」
「はいはい、全く。それしか言わないんだから」
アオイが生まれたとき、その瞳を覗き込んだフローラは、鶯色の瞳の中に見える色の混ざりを、「まるで向日葵が咲いてるみたいだわ!」と呟いた。
そう。
〈ヒューガ・アオイ〉と言う名はフローラが名付けたと言っても過言ではない。
そもそも〈ヒューガ〉は苗字ではなく名前の一部で、苗字を言うと途端に身元がバレてしまうので使わないようにしている。
そう兄と決めたのだ。
フローラは自分が名付け親ということもあってなのか、異常なまでにアオイの事が好き過ぎる故、本人からは少々ウザがられる事もしばしば。
(だって会う度にデレデレされたらたまったもんじゃないもの!)とまぁ人の振り見て我が振り直せとはこの事なのだが。
「実はお願いがあってね、」
「なぁに!? アオイのお願いなら私頑張っちゃうわ!」
フローラの言葉を聞き、誠に使える妖精だななんてニヤリ悪い顔をするアオイ。
「あのね。もう一度、怜に呪いをかけてもらいたいの」
「…………………え? なんですって?」
「だから。呪いをかけてほしいの。但し、人と獣の姿を自由に変えられる呪いをね」
「んーーー…………、んーー……? え? もう一回言って??」
「だーかーらー、犬の怜が好きなの! だから呪いをかけてほしいの!!」
「んん?」
フローラは暫し考えた後で、「ぶふっ!」と吹き出した。
可笑しくて可笑しくてもう笑いが止まらない。
それもそうだ。
(だってあの男、その見た目に惑わされずに~~だなんて呪いをかけてやったけど、そもそも獣の見た目を愛されただなんて! そんな可笑しな話が他にある……!?)
けらけらと謎の粉を撒き散らしながら笑い転げるフローラに、「ちょっと! 何が可笑しいのよ!」と拳を握りしめて応戦するアオイ。
「私の事をちゃんと考えてくれるし優しいし、一緒に居てすごく楽しいし幸せだし、私は怜の事が大好きよ!?」
「え"……!!」
「あの! 大きくて! もふもふな毛と! 犬臭さ! ……まぁ人間の姿でも面影はあるけど……? でもやっぱり、もふもふが忘れられなくって……」
結局はただの犬好きじゃないかと言いたいところだが、真っ直ぐに好きだと言うアオイは可愛いし、あの男に対しては何だか悔しいし、そもそもあの男をまた獣の姿にしたとしても怜と云う人物は怜なワケで。
しかしフローラが獣の姿に、しかもよりによって恐ろしい山犬に変えたのが、たまたまアオイに好かれてしまったのは事実である。
「わたしの、御願いなんだけど、無理なの……?」
わざと可愛く御願いしてくるアオイに興奮して、べろべろと舐めてやりたい衝動に駆られるフローラ。
こんなことなら猫科にしとけば良かったと悔やむが、それだと隣国と被ってしまうし、やはり土地柄的にも犬だろう。
しかしそのせいで可愛いアオイがあんな男に狂ってしまった。
よりによって呪い増し増しでかけたあの男に。
(この私でさえ息を飲むほど美しい男のクセして中身はサイテーなのよ!? 取っ替え引っ替え色んな女と遊んで! 何なの!? 私の可愛いくて純情なアオイと全然釣り合わないんですけど!)
「べ、別の大きい犬を探してくるのはどうかしら……?」
そう代替案を提案してみるも、彼の代わりなんて居ないとごもっともな意見を頂く。
いくら犬の姿に惚れようと怜は人間なのだ。
呪いで犬に変身しようがどうしようが、人間の姿ではお似合いのカップルである。
「フローラが犬に変えたせいで私はこんな思いをしているのよ……?」
「ぐぬぅ……っ。もうっ! 分かったわ! 力になりましょう……!」
「フローラならそう言ってくれると思った!」
(どうせあの男だって人に戻ればまた同じ過ちを犯すわ! いつだって人間はそうだもの!)
長い歴史の中で短い命の人間は何度も同じ過ちを繰り返す。
一度蜜を味わった人間はまたその味が恋しくなる愚かな生き物だ。
目の前にいる愛しいアオイもまた、一度味わってしまったが為に恋しくなった。
そうさせてしまったのは己だから、責任は取らねばならぬ。
けれど誰にだって得意不得意があるってもんだ。
「でも私はそんな呪いかけられないのよ」
「えぇ!?」
「私は姿を変えることは出来るけど、自由に変身出来るってのは……。そもそも姿を変えてられるのも期間限定、満100年まで。まぁアイツは愛されなくても100年経てば元の姿に戻ったのよね」
「え、えぇえええーーーー!!?」
「とりわけ想いの強い百日紅の力を借りればそれぐらいは簡単よ!」
「百日紅……、あ、そう言えばお父様から頂いた大事な木だと言ってたっけ……」
「因みに百日紅の花言葉は、あなたを信じて待つ。元々百日紅は、愛する人と100日後の再会を約束したけれどその日を目前にして亡くなり、その想いが百日紅として100日咲く木になったと言われているの」
フフンと自慢気に説明するフローラは、何処か夏の庭のチワワに似ている。
思えばあんな角刈りの大男を抱っこしていただなんて申し訳ない。
そりゃあ下ろせと言われるわけだ。
「あの木にはとても優しい瞳を向けていたのにね……。そもそもあの呪いは今まで二・三度かけてきたけど時間掛かりすぎなのよ。自業自得だわ」
「そんなぁ……! 今まで怜達がどんな気持ちで……!」
「ア、アオイは知らないかもしれないけどっ! あの男は本当に最低な男で、慈悲もなければ誰かを愛することも出来ない人間だったのよ……!?」
慌てて取り繕うのは、勿論己の保身の為である。
アオイが大好きだから嫌われたくないのだ。
「人を愛する美しさを理解してほしいのは分かるわ。でもねフローラ、人間にとっての100年ってすごく長いの。自分の寿命より長いことが殆どで、彼らは100年の間で友達家族が先に死んでいくのを黙って見ているしかなかった。それに私だって3年前にラモーナを出たから三歳も歳をとったのよ……?」
そりゃ3年経てばその分歳をとるに決まっているだろうと思うが、ラモーナでは時間の流れが違うので当たり前ではないのだ。
「そんな……! アオイがもう十九歳だなんて! 死んじゃ嫌よ……! そうね……人間はこの世界に多く蔓延っているけれど、命は儚いのよね」
「悪戯を止めろとは言わない。でもせめて、あの呪いをかけるなら10年迄にしてあげて」
「分かったわ! アオイがそう言うなら今度から満10年にするわ……!」
そんな会話で決まってしまうのだから、かけられる方は堪ったものではない。が、提案したのがアオイなのだからまだマシだろう。
「えぇっと……それで呪いの話よね。水属性の妖精なら変身出来る呪いをかけれるかも」
「水属性?」
「そうよ」
水とは常に姿を変えるもの。
雨や川、大きな海や小さな水溜り、時には水蒸気。
フローラ然り植物の妖精は、その場で美しく咲き誇りそして長く生きる。
因みにフローラは上級妖精であるから、あれ程の呪いが出来るのだが、但し凄く疲れるらしい。
「そのレベルの呪いだと間違いなく上級妖精じゃないと無理ね。人の出入りが多い海の方なら居るんじゃないかしら?」
「世界樹の麓の泉……、そこの妖精は力強そうだけど頼めない?」
「何言ってるの! あんな高貴な方々に頼むなんて……!」
「え? 無理?」
こてん、と可愛く首を傾げてみても、今回ばかりは駄目らしい。
「いやいやいや……! ムリムリムリ……!」とフローラは頭を振ってその度に薔薇の花弁が中を舞っている。
それを見るのがアオイは好きなのだ。
「世界樹に棲んでいる妖精は気軽に悪戯するような下品じゃないの! いくらアオイのお願いでも私からは頼めないわっ!!」
「へー。フローラでもそんな事あるのね」
「当たり前よ! アオイは母親の影響で少し感覚がおかしいのッ!!」
「あははー……。それはあるかも……」
「アオイの母親が気軽に話してる御話は私からすれば雲の上の話なんだから! 人間で言うとこの平民が王族の戯れを聞いてるみたいな感じよ!?」
「いやぁ、十分承知してるつもりなんだけどねぇ……」
実を言うとアオイの母親は、四大精霊の風を司るシルフィードなのだ。
母親自体は貴い存在なのだが、何故精霊である母が人間である父を選んだのかは、子供のアオイにも謎である。
(お父様は本当に馬鹿が付くほどお人好しで、好い人オーラも出まくりで、そのせいか悔しいけどめちゃくちゃ動物にも好かれるのよね……)
まぁその人の好さのどっちつかずなせいで、アオイ達兄妹は家に帰れないのだが。
「で? 何処の海なら出会えるの?」
「結構近くてね、この森を抜けた先は海でしょう? その浜辺周辺に、私には負けるけど、美しい女性の姿をした妖精が棲んでいるの。その妖精が確か上級妖精だった筈よ。私には負けるけど」
「うん、別にそこ強調しなくて良いからね。海の事ならお兄ちゃんに聞けば何か知ってるかな……」
「あぁ。今やすっかり海の男よね。なんでもその妖精は美しい女性の姿をしているものですから人間の男から求婚が絶えないと噂で聞いたわ。ホント笑っちゃうわよね。そもそも妖精が人間の男となんて結婚する筈ないじゃないの! どれだけ物好きなのよ!」
「えぇ? それお母様の前でも言える?」
「あッ! お願いッ……! 今のは無かったことにッ!」
「ん~~~、これからも私の御願い聞いてくれるなら今回も、黙ってあげても良いけどぉー」
「聞くわ! 勿論よ……!」
そんなこんなで私欲の為に情報を得たアオイは経緯を手紙に綴り、兄へと送った。
そして後は怜にどう説明するかだ。
私の為に犬になって下さいと正直に言う方がやはり誠実で良いだろうかと考えているアオイだが、一歩間違えば女王様だと言うことには気付きはしない。
───しかしそんな昼下がり。
人喰い山犬が最近姿を見せないこと気付いた紅華国のとある賊。
国境沿いに拠点を構え、薬の不法栽培と人身売買で金を得ていたが、山犬が居ないのを良いことに国境を越え何か盗めるものはないかと狼森家の様子を伺った下っぱが居た。
そして不遇にも外でのティータイムを楽しんでいたアオイを見つけてしまったのだ。
「ハッ! 上物が一人で居やがる。けどアリスとかいう嬢ちゃんじゃねぇようだが、見たことねぇ顔だな……。黒髪のメイドもいいがあの女は高く売れるぜ。へへっ、早いとこお頭に報告しねーとな」
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