迷宮のハック&スラッシュ

雨宮タビト

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第二章 地下迷宮のオルクス

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 石蝿ストーンフライーーーーその、小さいけれど恐ろしい存在が観測されたのは、地下十三階のある回廊でのことだった。後に「彫像回廊」と呼ばれるその回廊に、その昆虫は出現し、多くのハンターの命を奪ったのだ。
 元来、迷宮内にはさまざまな昆虫が存在する。昆虫は他の獣などとと違い、迷宮への侵入は容易である。それゆえ迷宮内で魔力の影響を受け、世代交代を重ねる中で大型化したり凶暴化したりし、ハンターの前に立ち塞がってきた。
 ストーンフライは低層階で見られる中型の肉食蝿、鬼蝿デーモンフライと呼ばれるものの亜種と言われている。鬼蝿は厄介だが、魔導士の火球ファイアボール一発で大半を撃ち落とすことができるし、噛まれたら痛くはあるが武装したハンターにとって命の危険があるものではない。
 無論、傷を受けて動けないハンターにとっては致命的だ。大半のハンターにとって、というのはおそらく最悪の死に様である。
 しかし、ストーンフライはもっと最悪の死をもたらす。
 ストーンフライは生き物を捕食するのだ。
 なぜ鬼蝿が石化の呪文効果をその身に得たのかはほぼわかっていない。だが、はっきりしているのは、この蠅は「石化した生物の内側から侵入し、石化しきってない内臓を食べる」ということである。
 石化の解呪はそれほど難しい術式ではないものの、よほどの治療士でなければ複数の術師による儀式を必要とするため容易ではなく、迷宮内で石化されてしまえば回収隊に頼るしかない。
 十三階層より下で石化して回収してもらえるのは、余程の幸運がなければ無理だ。また急速に石化されてバランスを崩して倒れ、体の一部を欠損してしまえば、決して蘇生しない。
 ミルコにとってその名は、忌まわしい記憶を呼び起こすもの以外の何者でもなかった。
 ミルコは思わず全てを投げ出し、回廊の隅でうずくまりたい衝動に駆られた。
 あの時と同じだ。
「ミルコ!」ハックが叫んだ。「頭下げろ!」
 ミルコは思わず頭を下げた。
 その頭上すれすれを火球が飛び、ストーンフライの群れを直撃した。メイリィだ。
「下がって!」メイリィが叫んだ。「もう一発いくで!」
 ミルコは我にかえった。
「だめです!」

 今度は間違わない。
 私はできる。
 考えろ、考えろミルコ。私なら、できる。

「なんでや?!」メイリィが叫んだ。
「ストーンフライは衝撃に強いんです。火や爆発魔法は撃ち落とすことはできても、鬼蠅のように殺すことはできません。むしろ、呪文であちこちに散らばったら、思わぬところから攻撃されて危険です」
 さっきの呪文で地面に落ちた石蝿が、また地面から飛び上がるのが見える。
「ほなどないするねん」メイリィが言った。
「私が戦鍛治ウォーロックの術式を使います」
「え?」メイリィが驚いて聞き返した。「あんた治療士違うん?」
「説明は後です」ミルコは言った。「メイリィさん、酸雲アシッドクラウドの呪文は使えますか?」
「地味なやつな。まあ、使えるけど」
「お願いします。それで、足止めができます」
「了解!」
 メイリィの杖から、球が虫の群れに飛んだ。球は散華し、毒の雲となって展開する。
 何匹かの石蝿が落ち、虫たちは動きを止めた。
 吸い込むと酸が喉を焼く、相手を足止めするための魔法だが、小型の獣などには有効だ。
「すぐ効果なくなるで!」
「大丈夫です」ミルコは懐から石の粉を取り出した。
 その石粉を握ると、片手で印を結ぶ。
 戦鍛治にとっては簡単な呪文だ。
 虫の群れに向けて呪文を放つ。

加重インクリース・ウェイト

 ストーンフライは中空でもがいたかと思うと、次々と地面に落ちていく。
 まるで蚊取線香で落ちる蚊のように、地面でもがいている。
「え」メイリィが驚いた。
「どないやったん」
「簡単な魔法です。いつも使う魔法の、反転術式です。私たちは金属を扱うので、軽くしないと運べません。物の重さを調節する魔法は、戦鍛治なら基本です」
 ミルコは地面で蠢くストーンフライに近寄ると、メイスで一匹を叩き潰した。
「ストーンフライの胃の中には犠牲者の破片が入っています。消化に時間がかかるので、大概のストーンフライの腹の中にはこの」握っていた石の粉を見せる。「石が入っているんです」
「そいつを重くしたってわけか」ハックが感心したように言った。
「この魔法は接触していないと効果はないのですが、同じ種類のものならばある程度同時に重くできるんです」
「すげぇな、戦闘中にそれ使えば、相手足止めできるじゃねぇか」ハックが言った。
「敵の武器や防具の材質がわかっていれば、それに触れて呪文を唱えることで重くすることもできるますよ。まあ、武器を重くすると大概威力も上がってしまうし、材質がほとんど同じでないと効果がないので、戦場では使えないんですけどね」
「でも、腹の中のものが急に重くなれば、虫は」
「落ちます」
 飛びあがろうとしたストーンフライをミルコは叩き潰した。

「こうなるとまあ、ただの虫だな」
 ハックとスラッシュがブーツの底で落ちたストーンフライを次々と踏み潰していく。
「オルクスには逃げられてしもうたけどな」
 メイリィがごちた。「あーあ、あいつから情報聞けたら仕事終わって報奨金がっぽりやと思うたんやけどなあ」
「仕方ないですよ」フーガが慰める。
「このタイミングで特異点シンギュラポイントにあっちゃうなんて」
「そう」ミルコが言った。「タイミング。それ」
 ミルコはストーンフライを指さした。
「これどこから来ましたっけ」
「奥…だな」ハックが答えた。
「もしこれが特異点から来たものなら、私たちが来るまでそこに留まっていたはずです」
「そうなのか」
「特異点というのは侵入者に対して発動するからです」
 特異点のことなら私詳しいんです、とミルコは胸を張る。
「ということは」
「あのオルクスを助けに来たのではないですかね」
「おいおい」ハックが笑った。「犬や馬ならわかるけど、虫だぞ」
「そうですね」ミルコは考え込んだ。
「おい」スラッシュが低くつぶやいた。「なんか来るぞ」
 また虫の羽音が聞こえる。
「ちょっと待って!何?」メイリィが叫んだ。
 さっきのような小さい羽虫の羽音ではない。
 重低音の響きが、遠くにいてもはっきりと感じられた。
 羽音は大きくなり、迷宮内に響くほどの大きさになった。
「嘘だ」フーガがうめいた。
「この階層で…死甲虫デスビートル?」
 それは、夏に木の汁を吸っている甲虫に似ていた。
 その大きさが馬ほどあることを除けば。
「顎に気をつけてください!」
 ミルコが叫んだのと、甲虫の顎が伸びるのとが同時だった。
 甲虫の顎が鞭のようにミルコを狙って伸びた。
 ミルコは地面に転がって避ける。
 スラッシュが刀を抜いて顎を切りつける。
 金属音がして弾かれた。
「ちっ!」ハックが舌打ちした。「硬ぇな」
「斬れぬか」スラッシュが意外そうな顔をした。
「全身が金属に近い物質でできています。並大抵のものじゃ斬れないです」
「どないしたらええの?」メイリィが叫んだ。
「電撃が効きます。持ってますか?」
「初歩的な奴ならな」メイリィが言った。
「でもウチの電撃やったら一発で倒されへんで?」
 ミルコは背嚢の底から斧の刃を取り出した。
 前にインプから奪ったものだ。
「そんなもんどないするん?」
「合図をしたら電撃を放ってください」
 ミルコは斧の刃を甲虫に向かって投げた。
「今です!」
電撃ライトニングボルト!」
鉄の壁アイアンウォール!」
 斧の刃がみるみる変形すると金属の壁になる。
 そこに電撃が命中し、弾けた。
 即席の雷の壁ライトニングウォールだ。
 第二撃を打とうとしていたビートルが、壁に激突した。
 増幅した電撃はビートルの体を貫く。
 ビートルが地面に落ちた。
「今です!」
 もがくビートルの腹に、スラッシュの刀の一閃が放たれた。
 体液を撒き散らしてビートルの腹が裂けた。
 ビートルは体を震わせ、動かなくなる。
「すごい」ミルコが言った。
 スラッシュの剣戟は、ビートルの腹の蛇腹部分、関節と関節の継ぎ目を過たず薙いでいた。
「士電流抜刀術」スラッシュがつぶやく。
殲空斬せんくうざん
「一体いくつ技があるんですか」
「士電流は三十六の技がある。全て覚えて免許皆伝だ」
 メイリィがキタン語で何かをつぶやいた。
「なんだ今の」ハックが聞き咎めた。
「いやいや」メイリィが手を振る。「あんましすごいんで思わず故郷くにの言葉が出てしもうたわ。堪忍な」
「ストーンフライ、デスビートル」ミルコが言った。
「これで間違いねぇな」ハックは言った。
「なんでか知らねぇが、低階層が昆虫王国になってやがる」
「調査するには前衛が足りませんね」ミルコは言った。
「戻って立て直しましょう」

 
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