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第一章
第二道中 此処は何処?
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【首都ミストラル】の街並みを紅達は大胆不敵に駆け抜け、街の外へ出てからも紅の疾駆は止まる事なかった──。
指示された山までは目測、およそ二里。紅の脚力を以てすれば一里程度の距離ならば五分も掛からない。
そして予測通りに山に入ってからは勢い殺さず木々の上を次々と飛び移って更に逃走を続けた──やがて最も高い木の上にて立ち止まり振り返れば、街がかなり小さく見える所にまで到達していた。
「ここまで来れば暫く追っ手は来ないでしょうね……おーい、生きてるかしらー?」
いつの間にか静かになったアベルを担いだまま揺り起こす──しかし返事は無い。
「やれやれ……おーきーろー」
ぐったりとしている彼の重さがいい加減煩わしくなり、さらに大きく揺さぶると、ようやく意識を取り戻したアベルだったが──。
「…──ッッッ!!!! うわぁぁぁぁぁぁ!!? だれかタスケテェェェーーー!!!」
地面が遥か下にある光景を真っ先に見てしまったがために再びパニックに陥ったようだ。
また喧しくなった状況に紅は辟易し「目を瞑ってなさい」と素っ気無く言い放つと有無聞かず地上へ飛び降りる。
「ぉぐぇ!?」
「ほら、いつまでも怖がってるんじゃないの。しっかりしなさい」
と、雑にアベルを放り投げた。
先の着地による衝撃も相まって受身も取れずに背中を強打したアベルは痛みに悶え、涙目になりながら彼女を見上げて睨む。
「さて、ここなら邪魔者も来ないでしょう。お話しの続きをしましょう坊や」
しかし睨まれていることなどお構い無し。それどころか、揶揄いの眼差しに加えて半笑いで問いかける始末だった。
「ぼっ──!? 僕は坊やなんて呼ばれる歳じゃない!!」
「ならば幾つ?」
「十六だよ!」
アベルが鼻息荒くして立ち上がる。
「あっは! そんなの《鬼》の私から見れば坊やどころか赤ん坊みたいなものよ」
「知らないよそんなの!! てか《オニ》って何だよっ!?」
「何って《鬼》は《鬼》よ。それ以外の何者でもないわ」
「そうじゃなくて──あぁもう!! 今日は最悪だぁッ!!」
髪を掻きむしりながら喚く彼の姿に紅は腹を抱えてさらに笑う。
「いいからほら、さっさと答えなさいな。此処はいったい何処なの?」
「………はぁぁぁぁぁぁ」
もう何を言っても無駄だ。そう観念して大きく項垂れ、その場に座り直して深呼吸を繰り返す。
「……まずは…ここは【エディンベル】っていう世界。で、さっきいた街は【首都ミストラル】といって、この地方では大きな街な──」
「待って。もっとゆっくり分かり易く話してくれないかしら?」
「えぇ…これ以上に……?」
まさかの指摘を受けアベルは頭を捻り、眉間を皺寄せながら説明内容を考える。
「ひとまず、此処は【えでぃんべる】と云う異界の地で…あとは【しゅと…みすとらる】…と云う町がさっきの場所………それで、何で私はこんな面妖な場所にいるのかしら? ついさっきまで【日の本】にいたのよ?」
「あ…えーとそれは………たぶん、僕のせい…だと思う」
「ほほぅ『僕のせい』と? それは、どういう意味なのかしら?」
アベルと向き合う形で屈み、両手で彼の柔頬を挟む。
微笑んではいるが優しさを感じない相手の表情に引き攣るアベルは振り払おうと試みるも、想像以上にがっしり掴まれている事を瞬時に察し、あっさりと抵抗を放棄した。
「つまり、坊やが私をこの世界に招いたってことよね?」
「た、たぶん──あ?いやそうなんだと思う…でもやっぱり違うかも……」
「はっきりしないわねぇ。でもその様子じゃ『はい、そうです』って言ってるようなものよね……で?」
「で?」
「どうすれば私は【日の本】に還れるの?」
「そ、それは……」
実際にどうしようもなく、言葉が詰まった。
それが殊更良くなかったようで、紅は額を皺寄せ、苛立ちの気配を露わにする。
「いやいやいや──! あ、ある!! あるけど、ここじゃ駄目なんだ!!」
「へぇ…ならば何処でなら出来る?」
「……………」
「何・処・か・し・ら?」
と、笑顔を固めたままアベルの頬を摘み、ゆっくり抓る。
「痛ッ、痛いタイタイッッ!!?」
「ほぅらほら。さっさと言いなさいな」
「──!! グッぐぐ【グルヴァリィ神殿】に行けば出来るはずだよぉぉぉ!!」
「ふーん…『はず』?」
どうしたことか。紅はさらに抓る力を強めた。
「──ッッッ!?!? 出来るきっと出来る出来ますッ!!! だからもうヤメてよォォォッ!!!」
涙目どころか最早泣き出した。
その哀れな様に紅は溜め息を漏らし「はいはい」と、あっさり手放した。
ようやく解放されたアベルは自身の痛み引き摺る頬を摩り、揉む。
「それじゃあ、急いで案内してちょうだいな。こんな面妖な世界にいつまでも居たくないわ」
「……そ、それなんだけど……」
「はっきり言いなさい」
息が一瞬止まり、涙も即座に引いた──それはまさに『肝を冷やされた』と云っても過言ではない眼光。アベルは彼女を凝視したまま息を飲み込み、怯えを殺しながらゆっくり呼吸を整える。
「そ……その神殿は、ここからさらに離れた場所にあるんだ…それこそ、船を使った長旅になっちゃう」
「そう。船を、ねぇ……ちなみに船がある場所は近くてどれくらい掛かるのかしら?」
「おそらく………んん…えーっとぉ……」
「大体でいいわよ」
と、呆れ気味に言ってきたが、冷ややかな眼差しは続いたままだ。この短時間で何度も情緒を揺さぶられ、耐えきれずお腹が痛くなったアベルは密かに腹部を摩る。
「……徒歩だと全然分からないよ。とにかく遠い場所で、浮遊魔法でも術者の魔力が保つか──」
「ちょっと待って。その『ふゆうまほう』と云うのは何なの?」
「? そのまんまの意味だよ。空を飛べるってこと」
その返答を聞いて紅は目を見開いて輝かせると、今度はアベルの両肩を掴んだ。先程のような冷ややかさは皆無。今は幼子特有の無邪気さが全面に出ている。
「それは誠か!? この世界でも空を飛ぶ事が出来るのかぁ!?」
「わわっ!? いいいきなり近づかないでよ! びっくりするじゃんか…!」
「ああ、ごめんごめん」と、紅は素直に手を放してほんの少しだけ距離を空けた。
「いやぁそうだったのね。でもまさか生身の人間が空を飛べるなんてすごいじゃない! それって自分以外にも術を施したり出来るのかしら?」
「もちろん。魔力が足りるなら出来るよ」
「なんと! もぅ、そんな便利な術があるなら最初から言いなさいな、ほら!」
と、満面の笑みを浮かべて両腕を広げた。
その唐突な仕草にアベルは頭の上にはてなを浮かべ、首を横に傾げる。
「………へ?」
「『へ?』じゃないわ。ほら、早くその術を私にかけてよ」
「いや僕は出来ないよ。出来るのは上位の魔法使いじゃないと出来ないんだ」
「………………なんですって?」
「だから、僕には出来ないの! 第一、僕が目指しているのは召喚士で魔法使いじゃないのっ!」
───しばし沈黙が続いた後……。
バシッッ!!!
「イっッッ!!?」
紅は彼の頭を軽く叩いた。
その平手に頭をもがれそうな衝撃を受けたアベルは、激痛のあまり頭を押さえながら悶絶し、無言で頭頂部を摩り続けて今度は涙を堪える。
「まったく、鬼をからかうんじゃないの! 私じゃなかったらとっくに喰われて死んでるわよ?」
「っっ──その前に頭を潰されたかと思ったよッ!!」
「なぁに大袈裟なこと言ってるのよ。そんな強く叩いてないし、軽ぅく小突いただけじゃない。はぁぁぁ……まったく、ぬか喜びだったわぁ」
「その前に『僕が出来る』なんて一言も言ってないからね!? 先にそっちが勝手に勘違いしただけじゃないか!!」
「はあぁ? いかにも坊やが出来そうなことを言うからじゃない! あーあ、こんな法螺吹き小坊主に期待した私が馬鹿だったわぁ」
「ほ…ほらふき……? 何て意味か分かんないけど、馬鹿にされたのだけは分かる!! たしかに僕は召喚士を目指してるけど、魔法がまったく使えないわけじゃないんだぞ!!」
「へぇ? それなら見せてみなさいな」
と、揶揄い笑みを浮かべて挑発する。
「いいよ! 見てろ……」
まんまと乗ってしまったアベルは両袖を捲り上げ、手短に生えている適当な樹木に向けて両手をかざし──掌に魔力を集中させる。
そんな彼の所作を紅は訝しんで見つめた。
「………何してるのさ」
「ちょっと黙ってて…これから魔法であの木を切るんだから…」
「はいはい。お手並拝見させていただくわ」
そう言って紅は腕組みをしながらその場に佇んで成り行きを見守る。
そしてアベルが呪文を詠唱し、徐々に彼の周りの大気だけが流れを変えていった。彼の掌から空気の塊が形成され可視化されていく。
久しぶりの光景に紅は少々の驚きを浮かべ、すぐに僅かな興味を抱いた。
「………風よ、切り裂け──『風刃』ッ!!」
両腕を左右へ振る──形成した空気の塊が一刃と化して勢い良く一直線に放たれた。
そして──風の刃が木の幹に直撃。
「……」
「……」
この静寂の最中、その結果を表すかのような微風が二人を撫で行く。
「……ふぅ。どうだ!!」
自慢げに笑みを浮かべて彼女に振り向く。が、紅は明らかにシラけていた。
そうなるのも仕方なし。何故なら風の刃は、単に木の表面に横一文字の傷が入っただけで終わったからである。
「………………で?」
「で?」
「それで? まさか、それで終わり?」
「………………………はい」
「思いっきり殴ってもいいかしらぁ?」
絶大な恐怖を与えてくる笑顔で拳を掲げる。
「ま、待ってぇー!! それは死んじゃうからヤメテェッ!!!」
「いっそ死んでしまいなさいこの大法螺吹きっ!! ちょっとでも興味を持った自分が恥ずかしいわ!」
「でも今度は先に『木を切る』って言ったじゃん! ウソ言ってないよ!?」
「それでもしょっぱすぎるでしょうが!! せめて切り落とすくらいの迫力を見せなさいっ!! これなら《鎌鼬》の技と然程変わりないわよ!」
「か、かま、いたち…?」
「私の仲間でそういう《妖怪》がいるの。そして彼奴らも今と同じ事が出来るって言ったの!」
「そ──!? ……や…やっぱり僕はダメダメなんだぁぁ…」
弱々しく嘆いてその場に座り込んでしまった。
突然気落ちしてしまった彼に紅は思わず立ち止まり、振り上げていた拳も静かに下ろしてしまう。
「え? ちょ、ちょっと坊や?」
「いいんだぁ…どうせ何やっても上手くいかないのが僕の人生なんだ……これまでの召喚術士試験じゃどこかしらで失敗しちゃって合格できなかったし、今回だって肝心な時に練習通りにいかなくて『召喚門』を暴走させちゃたし………」
「おーい坊やぁ。戻っておいでぇ?」
しまった、面倒臭い事になった──胸中で後悔しても既に遅く、アベルはさらに両膝を折って塞ぎ込んだ。
「それにさぁ…会場であんな事を仕出かして来年試験を受けられるどころか、このままじゃ《魔鬼》を喚んで街を騒がせた犯罪者になっちゃうよぉ……はぁぁぁぁぁぁ、これからいったいどうなっちゃうのさぁぁ…」
──完全に塞ぎ込んでしまったようだ。
もはや殴る気も失せ、故に先程まで抱いていた怒りも通り越し、今は憐憫な気持ちが芽生える。子供をあやした事のない紅はどうしたものかと頭を悩ませて思考を巡らせるも、解決策など浮かぶはずも無い。
「あー……と、とにかくそんなに落ち込まないでよ。ほら、もう殴らないし怒らないから。ね?」
声音を優しくしてみるが、アベルは涙目で唇を尖らせたまま見上げるだけ。もはやこれでは幼子だ。
「んん……え、えっと…もう泣くのはおしまいにして、これからどうするかを考えましょう? こんなとこでいじけてもそれこそ何にもならないわよ?」
「………………うん」
「いい子ね。だったら──」
と、彼の両脇に手を差し入れ、強引に立ち上がらせた。
「わぁ!?」
「しゃきっとなさいな!! その程度で挫けちゃう程、本当の坊やは弱くないでしょう?」
大胆不敵な笑みを浮かべ、真っ正直な言葉を紡いだ。
それが届いたのか、彼は泣く事を止めて呆然とした様子で紅を見つめる。
「………ほんとに、そう思う…?」
その問いに、紅は笑顔を浮かべて「ええ、もちろん!」と自信満々に言い放った。そこにお世辞など欠片も含めていない。
ほんの一瞬、本当に一瞬だけだったが、彼から何か分からない“大きな力”を感じ取れたからだ。
「このお紅。事他者を見る目は永年を生きてきた今でも廃れてはいないわ。まだまだ伸び代はある…もっと己に自信を持ちなさいな!」
訝しんでいた彼も、少しずつではあったが徐々に薄れていき、やがて「わかった」と一度だけ頷き返してくれた。
これでとりあえず一安心。と、紅は内心安堵に胸を撫で下ろし、彼を地面に立たせる。
下ろされたアベルも自分の足で立ち、涙で濡れた目元を片腕で拭う。
「………ごめん。取り乱した」
「いいわよ。私も少し度が過ぎたわ。ごめんなさい」
「……たしか名前って“コウ”だよね? その…《魔鬼》にしては優しいとこあるんだね」
「そういえば…その《でぃあぼるす》っていったい何の事? 私を見た奴等が口を揃ってそう言ってくるけど…歓迎されている様子も無し、貴方達人間の敵なのかしら?」
「それは──っ!?」
突如大気を揺るがす程の咆哮が一帯に響き渡る──そして一定感覚で地鳴りが起こり、それは徐々に大きくなってくるうえに木々を薙ぎ倒す轟音も交ざり、騒然さは一層増していった。
「なななっ?! な、何だよぉッ!?」
「何か………来るわね」
「来るって─え、えぇぇぇェェェッッ!!!?」
二人が見つめる一点──その奥の木々から垣間見える巨躯。
迫り来る“それ”も二人の姿が見えたのか、速度を上げ、再び雄叫びと共に大木の如き腕で妨げとなる樹木を豪快にへし折りながら直進して来る。
「あ、あれは…嘘だろッ!!?」
やがて間も無く対峙し、二人を堂々と見下ろしながら牙を剥を剥き出しに威嚇する巨大熊──《グレートバグベア》
ベテランの戦士や冒険者さえも恐れを抱き、初級召喚士では束になっても敵わないとされているかの魔物は、眼下の小さな獲物達を前に食欲を抑えることなどせず、口元から涎を滴らせていた。
(へぇ……面白くなってきたわねぇ…!)
この時、紅の内で燻り続けていた闘争の炎が再び勢いを取り戻しつつあった事を、アベルは知る由も無かった。
指示された山までは目測、およそ二里。紅の脚力を以てすれば一里程度の距離ならば五分も掛からない。
そして予測通りに山に入ってからは勢い殺さず木々の上を次々と飛び移って更に逃走を続けた──やがて最も高い木の上にて立ち止まり振り返れば、街がかなり小さく見える所にまで到達していた。
「ここまで来れば暫く追っ手は来ないでしょうね……おーい、生きてるかしらー?」
いつの間にか静かになったアベルを担いだまま揺り起こす──しかし返事は無い。
「やれやれ……おーきーろー」
ぐったりとしている彼の重さがいい加減煩わしくなり、さらに大きく揺さぶると、ようやく意識を取り戻したアベルだったが──。
「…──ッッッ!!!! うわぁぁぁぁぁぁ!!? だれかタスケテェェェーーー!!!」
地面が遥か下にある光景を真っ先に見てしまったがために再びパニックに陥ったようだ。
また喧しくなった状況に紅は辟易し「目を瞑ってなさい」と素っ気無く言い放つと有無聞かず地上へ飛び降りる。
「ぉぐぇ!?」
「ほら、いつまでも怖がってるんじゃないの。しっかりしなさい」
と、雑にアベルを放り投げた。
先の着地による衝撃も相まって受身も取れずに背中を強打したアベルは痛みに悶え、涙目になりながら彼女を見上げて睨む。
「さて、ここなら邪魔者も来ないでしょう。お話しの続きをしましょう坊や」
しかし睨まれていることなどお構い無し。それどころか、揶揄いの眼差しに加えて半笑いで問いかける始末だった。
「ぼっ──!? 僕は坊やなんて呼ばれる歳じゃない!!」
「ならば幾つ?」
「十六だよ!」
アベルが鼻息荒くして立ち上がる。
「あっは! そんなの《鬼》の私から見れば坊やどころか赤ん坊みたいなものよ」
「知らないよそんなの!! てか《オニ》って何だよっ!?」
「何って《鬼》は《鬼》よ。それ以外の何者でもないわ」
「そうじゃなくて──あぁもう!! 今日は最悪だぁッ!!」
髪を掻きむしりながら喚く彼の姿に紅は腹を抱えてさらに笑う。
「いいからほら、さっさと答えなさいな。此処はいったい何処なの?」
「………はぁぁぁぁぁぁ」
もう何を言っても無駄だ。そう観念して大きく項垂れ、その場に座り直して深呼吸を繰り返す。
「……まずは…ここは【エディンベル】っていう世界。で、さっきいた街は【首都ミストラル】といって、この地方では大きな街な──」
「待って。もっとゆっくり分かり易く話してくれないかしら?」
「えぇ…これ以上に……?」
まさかの指摘を受けアベルは頭を捻り、眉間を皺寄せながら説明内容を考える。
「ひとまず、此処は【えでぃんべる】と云う異界の地で…あとは【しゅと…みすとらる】…と云う町がさっきの場所………それで、何で私はこんな面妖な場所にいるのかしら? ついさっきまで【日の本】にいたのよ?」
「あ…えーとそれは………たぶん、僕のせい…だと思う」
「ほほぅ『僕のせい』と? それは、どういう意味なのかしら?」
アベルと向き合う形で屈み、両手で彼の柔頬を挟む。
微笑んではいるが優しさを感じない相手の表情に引き攣るアベルは振り払おうと試みるも、想像以上にがっしり掴まれている事を瞬時に察し、あっさりと抵抗を放棄した。
「つまり、坊やが私をこの世界に招いたってことよね?」
「た、たぶん──あ?いやそうなんだと思う…でもやっぱり違うかも……」
「はっきりしないわねぇ。でもその様子じゃ『はい、そうです』って言ってるようなものよね……で?」
「で?」
「どうすれば私は【日の本】に還れるの?」
「そ、それは……」
実際にどうしようもなく、言葉が詰まった。
それが殊更良くなかったようで、紅は額を皺寄せ、苛立ちの気配を露わにする。
「いやいやいや──! あ、ある!! あるけど、ここじゃ駄目なんだ!!」
「へぇ…ならば何処でなら出来る?」
「……………」
「何・処・か・し・ら?」
と、笑顔を固めたままアベルの頬を摘み、ゆっくり抓る。
「痛ッ、痛いタイタイッッ!!?」
「ほぅらほら。さっさと言いなさいな」
「──!! グッぐぐ【グルヴァリィ神殿】に行けば出来るはずだよぉぉぉ!!」
「ふーん…『はず』?」
どうしたことか。紅はさらに抓る力を強めた。
「──ッッッ!?!? 出来るきっと出来る出来ますッ!!! だからもうヤメてよォォォッ!!!」
涙目どころか最早泣き出した。
その哀れな様に紅は溜め息を漏らし「はいはい」と、あっさり手放した。
ようやく解放されたアベルは自身の痛み引き摺る頬を摩り、揉む。
「それじゃあ、急いで案内してちょうだいな。こんな面妖な世界にいつまでも居たくないわ」
「……そ、それなんだけど……」
「はっきり言いなさい」
息が一瞬止まり、涙も即座に引いた──それはまさに『肝を冷やされた』と云っても過言ではない眼光。アベルは彼女を凝視したまま息を飲み込み、怯えを殺しながらゆっくり呼吸を整える。
「そ……その神殿は、ここからさらに離れた場所にあるんだ…それこそ、船を使った長旅になっちゃう」
「そう。船を、ねぇ……ちなみに船がある場所は近くてどれくらい掛かるのかしら?」
「おそらく………んん…えーっとぉ……」
「大体でいいわよ」
と、呆れ気味に言ってきたが、冷ややかな眼差しは続いたままだ。この短時間で何度も情緒を揺さぶられ、耐えきれずお腹が痛くなったアベルは密かに腹部を摩る。
「……徒歩だと全然分からないよ。とにかく遠い場所で、浮遊魔法でも術者の魔力が保つか──」
「ちょっと待って。その『ふゆうまほう』と云うのは何なの?」
「? そのまんまの意味だよ。空を飛べるってこと」
その返答を聞いて紅は目を見開いて輝かせると、今度はアベルの両肩を掴んだ。先程のような冷ややかさは皆無。今は幼子特有の無邪気さが全面に出ている。
「それは誠か!? この世界でも空を飛ぶ事が出来るのかぁ!?」
「わわっ!? いいいきなり近づかないでよ! びっくりするじゃんか…!」
「ああ、ごめんごめん」と、紅は素直に手を放してほんの少しだけ距離を空けた。
「いやぁそうだったのね。でもまさか生身の人間が空を飛べるなんてすごいじゃない! それって自分以外にも術を施したり出来るのかしら?」
「もちろん。魔力が足りるなら出来るよ」
「なんと! もぅ、そんな便利な術があるなら最初から言いなさいな、ほら!」
と、満面の笑みを浮かべて両腕を広げた。
その唐突な仕草にアベルは頭の上にはてなを浮かべ、首を横に傾げる。
「………へ?」
「『へ?』じゃないわ。ほら、早くその術を私にかけてよ」
「いや僕は出来ないよ。出来るのは上位の魔法使いじゃないと出来ないんだ」
「………………なんですって?」
「だから、僕には出来ないの! 第一、僕が目指しているのは召喚士で魔法使いじゃないのっ!」
───しばし沈黙が続いた後……。
バシッッ!!!
「イっッッ!!?」
紅は彼の頭を軽く叩いた。
その平手に頭をもがれそうな衝撃を受けたアベルは、激痛のあまり頭を押さえながら悶絶し、無言で頭頂部を摩り続けて今度は涙を堪える。
「まったく、鬼をからかうんじゃないの! 私じゃなかったらとっくに喰われて死んでるわよ?」
「っっ──その前に頭を潰されたかと思ったよッ!!」
「なぁに大袈裟なこと言ってるのよ。そんな強く叩いてないし、軽ぅく小突いただけじゃない。はぁぁぁ……まったく、ぬか喜びだったわぁ」
「その前に『僕が出来る』なんて一言も言ってないからね!? 先にそっちが勝手に勘違いしただけじゃないか!!」
「はあぁ? いかにも坊やが出来そうなことを言うからじゃない! あーあ、こんな法螺吹き小坊主に期待した私が馬鹿だったわぁ」
「ほ…ほらふき……? 何て意味か分かんないけど、馬鹿にされたのだけは分かる!! たしかに僕は召喚士を目指してるけど、魔法がまったく使えないわけじゃないんだぞ!!」
「へぇ? それなら見せてみなさいな」
と、揶揄い笑みを浮かべて挑発する。
「いいよ! 見てろ……」
まんまと乗ってしまったアベルは両袖を捲り上げ、手短に生えている適当な樹木に向けて両手をかざし──掌に魔力を集中させる。
そんな彼の所作を紅は訝しんで見つめた。
「………何してるのさ」
「ちょっと黙ってて…これから魔法であの木を切るんだから…」
「はいはい。お手並拝見させていただくわ」
そう言って紅は腕組みをしながらその場に佇んで成り行きを見守る。
そしてアベルが呪文を詠唱し、徐々に彼の周りの大気だけが流れを変えていった。彼の掌から空気の塊が形成され可視化されていく。
久しぶりの光景に紅は少々の驚きを浮かべ、すぐに僅かな興味を抱いた。
「………風よ、切り裂け──『風刃』ッ!!」
両腕を左右へ振る──形成した空気の塊が一刃と化して勢い良く一直線に放たれた。
そして──風の刃が木の幹に直撃。
「……」
「……」
この静寂の最中、その結果を表すかのような微風が二人を撫で行く。
「……ふぅ。どうだ!!」
自慢げに笑みを浮かべて彼女に振り向く。が、紅は明らかにシラけていた。
そうなるのも仕方なし。何故なら風の刃は、単に木の表面に横一文字の傷が入っただけで終わったからである。
「………………で?」
「で?」
「それで? まさか、それで終わり?」
「………………………はい」
「思いっきり殴ってもいいかしらぁ?」
絶大な恐怖を与えてくる笑顔で拳を掲げる。
「ま、待ってぇー!! それは死んじゃうからヤメテェッ!!!」
「いっそ死んでしまいなさいこの大法螺吹きっ!! ちょっとでも興味を持った自分が恥ずかしいわ!」
「でも今度は先に『木を切る』って言ったじゃん! ウソ言ってないよ!?」
「それでもしょっぱすぎるでしょうが!! せめて切り落とすくらいの迫力を見せなさいっ!! これなら《鎌鼬》の技と然程変わりないわよ!」
「か、かま、いたち…?」
「私の仲間でそういう《妖怪》がいるの。そして彼奴らも今と同じ事が出来るって言ったの!」
「そ──!? ……や…やっぱり僕はダメダメなんだぁぁ…」
弱々しく嘆いてその場に座り込んでしまった。
突然気落ちしてしまった彼に紅は思わず立ち止まり、振り上げていた拳も静かに下ろしてしまう。
「え? ちょ、ちょっと坊や?」
「いいんだぁ…どうせ何やっても上手くいかないのが僕の人生なんだ……これまでの召喚術士試験じゃどこかしらで失敗しちゃって合格できなかったし、今回だって肝心な時に練習通りにいかなくて『召喚門』を暴走させちゃたし………」
「おーい坊やぁ。戻っておいでぇ?」
しまった、面倒臭い事になった──胸中で後悔しても既に遅く、アベルはさらに両膝を折って塞ぎ込んだ。
「それにさぁ…会場であんな事を仕出かして来年試験を受けられるどころか、このままじゃ《魔鬼》を喚んで街を騒がせた犯罪者になっちゃうよぉ……はぁぁぁぁぁぁ、これからいったいどうなっちゃうのさぁぁ…」
──完全に塞ぎ込んでしまったようだ。
もはや殴る気も失せ、故に先程まで抱いていた怒りも通り越し、今は憐憫な気持ちが芽生える。子供をあやした事のない紅はどうしたものかと頭を悩ませて思考を巡らせるも、解決策など浮かぶはずも無い。
「あー……と、とにかくそんなに落ち込まないでよ。ほら、もう殴らないし怒らないから。ね?」
声音を優しくしてみるが、アベルは涙目で唇を尖らせたまま見上げるだけ。もはやこれでは幼子だ。
「んん……え、えっと…もう泣くのはおしまいにして、これからどうするかを考えましょう? こんなとこでいじけてもそれこそ何にもならないわよ?」
「………………うん」
「いい子ね。だったら──」
と、彼の両脇に手を差し入れ、強引に立ち上がらせた。
「わぁ!?」
「しゃきっとなさいな!! その程度で挫けちゃう程、本当の坊やは弱くないでしょう?」
大胆不敵な笑みを浮かべ、真っ正直な言葉を紡いだ。
それが届いたのか、彼は泣く事を止めて呆然とした様子で紅を見つめる。
「………ほんとに、そう思う…?」
その問いに、紅は笑顔を浮かべて「ええ、もちろん!」と自信満々に言い放った。そこにお世辞など欠片も含めていない。
ほんの一瞬、本当に一瞬だけだったが、彼から何か分からない“大きな力”を感じ取れたからだ。
「このお紅。事他者を見る目は永年を生きてきた今でも廃れてはいないわ。まだまだ伸び代はある…もっと己に自信を持ちなさいな!」
訝しんでいた彼も、少しずつではあったが徐々に薄れていき、やがて「わかった」と一度だけ頷き返してくれた。
これでとりあえず一安心。と、紅は内心安堵に胸を撫で下ろし、彼を地面に立たせる。
下ろされたアベルも自分の足で立ち、涙で濡れた目元を片腕で拭う。
「………ごめん。取り乱した」
「いいわよ。私も少し度が過ぎたわ。ごめんなさい」
「……たしか名前って“コウ”だよね? その…《魔鬼》にしては優しいとこあるんだね」
「そういえば…その《でぃあぼるす》っていったい何の事? 私を見た奴等が口を揃ってそう言ってくるけど…歓迎されている様子も無し、貴方達人間の敵なのかしら?」
「それは──っ!?」
突如大気を揺るがす程の咆哮が一帯に響き渡る──そして一定感覚で地鳴りが起こり、それは徐々に大きくなってくるうえに木々を薙ぎ倒す轟音も交ざり、騒然さは一層増していった。
「なななっ?! な、何だよぉッ!?」
「何か………来るわね」
「来るって─え、えぇぇぇェェェッッ!!!?」
二人が見つめる一点──その奥の木々から垣間見える巨躯。
迫り来る“それ”も二人の姿が見えたのか、速度を上げ、再び雄叫びと共に大木の如き腕で妨げとなる樹木を豪快にへし折りながら直進して来る。
「あ、あれは…嘘だろッ!!?」
やがて間も無く対峙し、二人を堂々と見下ろしながら牙を剥を剥き出しに威嚇する巨大熊──《グレートバグベア》
ベテランの戦士や冒険者さえも恐れを抱き、初級召喚士では束になっても敵わないとされているかの魔物は、眼下の小さな獲物達を前に食欲を抑えることなどせず、口元から涎を滴らせていた。
(へぇ……面白くなってきたわねぇ…!)
この時、紅の内で燻り続けていた闘争の炎が再び勢いを取り戻しつつあった事を、アベルは知る由も無かった。
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