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三杯目『ウサギのアート』
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先日は飲み慣れない紅茶におろおろしている間に時間が経ってしまった。
祁門と言っていたそれは、スモーキーな香りが特徴で、市販のティーバッグで飲む程度の有紗には、なかなか腑に落ちるものではなかった。
たまの冒険は悪くない。
けれど、頼んでもいないのにすっとそれが差し出されても困る。正直困った。
「特級くらいになるとあまーい香りがするんだよー」
と桂は笑んでいたが、そういう問題でもない。
――そういえば、ケーキも食べそびれちゃったんだよなぁ。
訪れたのは今回で三回目。まだきちんとメニューを見たことがない。
今日こそは惑わされることなく、押し切られることもなく、メニューを見て注文しよう。
そう心に決めてアンティークの扉を押した。
「おー、いらっしゃーい」
「こんにちはー」
迎えてくれたのは宇佐木だ。
何となくいつもと違う気がして、ふと閉めた扉を見ると、この前まであった物がない。
「あれ? ベル、どうしたの?」
「ああ。てっさが飛びついて壊しちゃったんだよ。あのデブ、よくそこまで飛べるよな」
「すごいね……」
一つも感心していないのに「へー」と言いながら、有紗はいつもの奥の席に着いた。
早速手に取ったのは、今日の目的であるメニュー。
小さい見開きだけのメニューは、やはりアンティーク風で可愛らしい。
余白をたっぷり取り、クラシックなフォントで書かれたメニューは、やはり紅茶と数種類のケーキで占められている。
ケーキはいつぞやのミルフィーユ、モンブラン、ショートケーキ、チョコレートケーキに続いて日替わりケーキが一つあるらしい。
そして最後に、Coffeeの文字が。
「今日はどうする?」
「ひゃ……」
いつの間にか宇佐木が前に立っていた。
せめて足音とか気配とか事前に察知できる要素が欲しい。
「どうした?」
「えっと、あの、ここ、コーヒーってあるんだね」
「まあ、ブレンドだけだけどな。基本が紅茶だから種類無いんだよ」
「あと、今日の日替わりケーキってなに?」
「ガトーショコラ」
「じゃあ、コーヒーとそれお願いします」
「りょーかーい」
気付くともう居ない。
さて。待ち時間は何をしていよう。本を読むも良し。再びメニューに戻るも良し。
――カウンター近くってちゃんと見たこと無いなぁ。
有紗は早速席を立ち、入り口近くにあるカウンターへと向かった。
年季の入った木製のカウンターの前には高めの椅子がある。カウンターの入り口側にはレジ、逆側にはショーケースがある。
ガラスのショーケースを覗き込むと、数と種類は少ないもののどれも美味しそうなケーキが並んでいた。
「んー? どしたー?」
「ケーキ、みんな可愛いね。これって誰が作ってるの?」
「俺」
「えー、宇佐木くんが作ってるの? すごーい」
「でも、モンブランとショートケーキはこーんな顔の強面パティシエに委託してんだ。結構手間かかるからさ」
宇佐木が顔真似をしてみせるが、それほど恐くは見えない。
「強面、なんだ……。まあ、パティシエさんなら表に出ないから大丈夫だね」
「がっつりレジ打ってるけど」
「接客もしてるんだ……」
「しかも子ども好きでさ。んで、泣かれちゃうの」
「かわいそう……」
こぽこぽと音がして、コーヒーの良い香りがしてきた。
宇佐木が慣れた手つきでドリップしている。
ブレンドしかないと言っていたが、ブレンドで充分。ドリップコーヒーはやはりインスタントとは比較にならない良さがある。自宅でドリップなどしないので、たまに飲むと本当に美味しいと感じる。しかも、今日は目の前で入れて貰ったコーヒーだ。さぞ美味しいに違いない。
「アリスさあ、食いたいケーキとか、こんなの欲しいとか、そういうのある?」
「突然どうしたの?」
「いや、一応、季節の新作! とか、新しいメニュー! とかやらなきゃいけなくってさ。でも俺、製菓学校通ってたわけじゃないから、あんまりそういうの得意じゃなくて。うちのオーナーは旨けりゃ何でもいいひとなんだけど、流石にそういうわけにもいかないじゃん?」
「オーナーって、桂さん?」
「あれは雇われ店主」
「あ。そうなんだ」
「まあ、急いでる訳じゃないからさ。何か要望あったら言ってよ」
「わかった。考えとくね」
会話の区切りと同時に、ドリップが終わった。
ドリッパーを外し、カップに注ぐも、宇佐木は何か思案している。
「なあ。フォームミルク乗っけていいか? カフェオレみたいになっちゃうけど、ラテアート描いてやるから」
「いいよ。見たい見たい」
「じゃあ、持っていってやるから、お楽しみに」
「はーい」
ラテアートが施された飲み物は未だ飲んだことがない。
ウキウキしながら席に戻ると、程なくしてケーキとコーヒーがやってきた。
皿に載っているガトーショコラは想像通りの物。コーヒーはというと、
「わあ! うさぎさんだ! 可愛い!」
「へへへ」
ロップイヤーのうさぎの顔が描かれていた。円らな瞳に今にもすんすんいいそうなふぐふぐが何とも言えない。
「折角出来るようになったのにここでカフェラテ頼むお客さん居なくてさ。悪いな、付き合わせちゃって」
「ううん。すっごく可愛い。飲むの勿体ないよう」
「まあまあ、そう言わず」
うさぎの顔がゆらゆらしている。
飲んで。
そんな幻聴に促されてひとくち。
「ふあー。美味しいー」
「へへへ」
「そういえば、桂さんは?」
「休憩ついでにてっさとイトーくんに餌やって来るって言って二階上がってった」
「イトーくん?」
「イトーくん」
「誰?」
「ハムスター」
「なんでイトーくん?」
「ハムだから」
「それって……」
やっぱりネーミングセンスは七十点だ。いや、赤点ギリギリかもしれない。
形が崩れてしまったラテアートを掻き消すように飲み進める。その間にガトーショコラもひとくち。しっかり重みがあるのにくどくない。ゆっくり食べたいのに、ついつい手が動いてしまう。
いつの間にか宇佐木が居ない。いつまでも眺めていないだろうから当然と言えば当然ではあるが。
「ぶ。ぶ。ぶ」
歩みに合わせて何か言いながらてっさが一階に下りてきた。
辺りを見渡している猫を眺めていると、
「ぶなー!」
目が合った。
くるりと向きを変えてこちらに来ようとした第一歩目で、
「ぶぎゃ」
「アリスはまだ食ってんだ。大人しくしてろ」
いつやってきたのか宇佐木に尻尾を掴まれた。
「宇佐木くん。尻尾は、ちょっと……」
「ぶぎゃー! ぶなー!」
「こうでもしないとおまえ、止まんねぇだろ!」
「ぶびゃ! ぶぎゃー!」
聞いたことのない声を上げててっさが暴れている。爪を出して宇佐木に襲いかかろうとしているが、今度はその前足を掴まれて更に身動きが取れなくなっている。それに対して更なる憤怒の声を上げるという悪循環だ。
「ちょっとー。うるさいよー。そういうのは外でやって、外で。んもー。あ、アリスちゃん、いらっしゃい。ごめんね、うるさくって」
「私は、別に構わないんだけど……」
戻ってきた店主の言葉も聞かず、特に猫の方がムキになって騒いでいる。
まだ食べている最中なので膝に乗られるのは困るから、助かったと言えば助かった。が、流石に尻尾を掴まれてはてっさがかわいそうだ。
桂はそれ以上何も言わずに、平然とカウンターへと入っていく。
――……一応、私、お客さんなんだけどな……。
今日の有栖川茶房も静かなまま帰してはくれなかった。
祁門と言っていたそれは、スモーキーな香りが特徴で、市販のティーバッグで飲む程度の有紗には、なかなか腑に落ちるものではなかった。
たまの冒険は悪くない。
けれど、頼んでもいないのにすっとそれが差し出されても困る。正直困った。
「特級くらいになるとあまーい香りがするんだよー」
と桂は笑んでいたが、そういう問題でもない。
――そういえば、ケーキも食べそびれちゃったんだよなぁ。
訪れたのは今回で三回目。まだきちんとメニューを見たことがない。
今日こそは惑わされることなく、押し切られることもなく、メニューを見て注文しよう。
そう心に決めてアンティークの扉を押した。
「おー、いらっしゃーい」
「こんにちはー」
迎えてくれたのは宇佐木だ。
何となくいつもと違う気がして、ふと閉めた扉を見ると、この前まであった物がない。
「あれ? ベル、どうしたの?」
「ああ。てっさが飛びついて壊しちゃったんだよ。あのデブ、よくそこまで飛べるよな」
「すごいね……」
一つも感心していないのに「へー」と言いながら、有紗はいつもの奥の席に着いた。
早速手に取ったのは、今日の目的であるメニュー。
小さい見開きだけのメニューは、やはりアンティーク風で可愛らしい。
余白をたっぷり取り、クラシックなフォントで書かれたメニューは、やはり紅茶と数種類のケーキで占められている。
ケーキはいつぞやのミルフィーユ、モンブラン、ショートケーキ、チョコレートケーキに続いて日替わりケーキが一つあるらしい。
そして最後に、Coffeeの文字が。
「今日はどうする?」
「ひゃ……」
いつの間にか宇佐木が前に立っていた。
せめて足音とか気配とか事前に察知できる要素が欲しい。
「どうした?」
「えっと、あの、ここ、コーヒーってあるんだね」
「まあ、ブレンドだけだけどな。基本が紅茶だから種類無いんだよ」
「あと、今日の日替わりケーキってなに?」
「ガトーショコラ」
「じゃあ、コーヒーとそれお願いします」
「りょーかーい」
気付くともう居ない。
さて。待ち時間は何をしていよう。本を読むも良し。再びメニューに戻るも良し。
――カウンター近くってちゃんと見たこと無いなぁ。
有紗は早速席を立ち、入り口近くにあるカウンターへと向かった。
年季の入った木製のカウンターの前には高めの椅子がある。カウンターの入り口側にはレジ、逆側にはショーケースがある。
ガラスのショーケースを覗き込むと、数と種類は少ないもののどれも美味しそうなケーキが並んでいた。
「んー? どしたー?」
「ケーキ、みんな可愛いね。これって誰が作ってるの?」
「俺」
「えー、宇佐木くんが作ってるの? すごーい」
「でも、モンブランとショートケーキはこーんな顔の強面パティシエに委託してんだ。結構手間かかるからさ」
宇佐木が顔真似をしてみせるが、それほど恐くは見えない。
「強面、なんだ……。まあ、パティシエさんなら表に出ないから大丈夫だね」
「がっつりレジ打ってるけど」
「接客もしてるんだ……」
「しかも子ども好きでさ。んで、泣かれちゃうの」
「かわいそう……」
こぽこぽと音がして、コーヒーの良い香りがしてきた。
宇佐木が慣れた手つきでドリップしている。
ブレンドしかないと言っていたが、ブレンドで充分。ドリップコーヒーはやはりインスタントとは比較にならない良さがある。自宅でドリップなどしないので、たまに飲むと本当に美味しいと感じる。しかも、今日は目の前で入れて貰ったコーヒーだ。さぞ美味しいに違いない。
「アリスさあ、食いたいケーキとか、こんなの欲しいとか、そういうのある?」
「突然どうしたの?」
「いや、一応、季節の新作! とか、新しいメニュー! とかやらなきゃいけなくってさ。でも俺、製菓学校通ってたわけじゃないから、あんまりそういうの得意じゃなくて。うちのオーナーは旨けりゃ何でもいいひとなんだけど、流石にそういうわけにもいかないじゃん?」
「オーナーって、桂さん?」
「あれは雇われ店主」
「あ。そうなんだ」
「まあ、急いでる訳じゃないからさ。何か要望あったら言ってよ」
「わかった。考えとくね」
会話の区切りと同時に、ドリップが終わった。
ドリッパーを外し、カップに注ぐも、宇佐木は何か思案している。
「なあ。フォームミルク乗っけていいか? カフェオレみたいになっちゃうけど、ラテアート描いてやるから」
「いいよ。見たい見たい」
「じゃあ、持っていってやるから、お楽しみに」
「はーい」
ラテアートが施された飲み物は未だ飲んだことがない。
ウキウキしながら席に戻ると、程なくしてケーキとコーヒーがやってきた。
皿に載っているガトーショコラは想像通りの物。コーヒーはというと、
「わあ! うさぎさんだ! 可愛い!」
「へへへ」
ロップイヤーのうさぎの顔が描かれていた。円らな瞳に今にもすんすんいいそうなふぐふぐが何とも言えない。
「折角出来るようになったのにここでカフェラテ頼むお客さん居なくてさ。悪いな、付き合わせちゃって」
「ううん。すっごく可愛い。飲むの勿体ないよう」
「まあまあ、そう言わず」
うさぎの顔がゆらゆらしている。
飲んで。
そんな幻聴に促されてひとくち。
「ふあー。美味しいー」
「へへへ」
「そういえば、桂さんは?」
「休憩ついでにてっさとイトーくんに餌やって来るって言って二階上がってった」
「イトーくん?」
「イトーくん」
「誰?」
「ハムスター」
「なんでイトーくん?」
「ハムだから」
「それって……」
やっぱりネーミングセンスは七十点だ。いや、赤点ギリギリかもしれない。
形が崩れてしまったラテアートを掻き消すように飲み進める。その間にガトーショコラもひとくち。しっかり重みがあるのにくどくない。ゆっくり食べたいのに、ついつい手が動いてしまう。
いつの間にか宇佐木が居ない。いつまでも眺めていないだろうから当然と言えば当然ではあるが。
「ぶ。ぶ。ぶ」
歩みに合わせて何か言いながらてっさが一階に下りてきた。
辺りを見渡している猫を眺めていると、
「ぶなー!」
目が合った。
くるりと向きを変えてこちらに来ようとした第一歩目で、
「ぶぎゃ」
「アリスはまだ食ってんだ。大人しくしてろ」
いつやってきたのか宇佐木に尻尾を掴まれた。
「宇佐木くん。尻尾は、ちょっと……」
「ぶぎゃー! ぶなー!」
「こうでもしないとおまえ、止まんねぇだろ!」
「ぶびゃ! ぶぎゃー!」
聞いたことのない声を上げててっさが暴れている。爪を出して宇佐木に襲いかかろうとしているが、今度はその前足を掴まれて更に身動きが取れなくなっている。それに対して更なる憤怒の声を上げるという悪循環だ。
「ちょっとー。うるさいよー。そういうのは外でやって、外で。んもー。あ、アリスちゃん、いらっしゃい。ごめんね、うるさくって」
「私は、別に構わないんだけど……」
戻ってきた店主の言葉も聞かず、特に猫の方がムキになって騒いでいる。
まだ食べている最中なので膝に乗られるのは困るから、助かったと言えば助かった。が、流石に尻尾を掴まれてはてっさがかわいそうだ。
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