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四杯目『猫のオススメ』
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この間のコーヒーとガトーショコラの組み合わせは最高だった。けれどここは紅茶がメインのお店。紅茶は詳しくない上に、これまでずっとなんとなく適当に出された物を飲んでいた。
そろそろ自分で選びたいが、選ぶも何も、わからない。
――ちょっと勉強してみようかなぁ。
紅い水面がゆらゆら揺れるのを想像しながら、通い慣れ始めた喫茶店のアイアンのドアノブを、今日も元気に押し開ける。
蝶番の軋みに続いて、
りん。りりん。
先日は破壊されて無くなっていたドアベルの音に、有紗は真っ先に目を遣った。
――あ。新しくなってる。
形はあまり変わらないものの、新品のそれは以前の物より音が少しだけ高い。
――もう壊されないといいね。
太い猫が弧を描いて宙に舞う様を思い描きながら目線を身体の正面に戻してすぐに、有紗は足を止めた。
いかにも常連客が座りそうなカウンターの端の席に、背の高いスーツ姿の男性が座っている。
有栖川茶房に通うこと数回。
初めて自分と店員以外の姿を見た。
人の気配がある。それだけで変な感じがする。店なのだから客が居て然るべきなのに、この喫茶店は常識を異質にしてしまう。
「おー、アリス。なんだよ、変な顔して」
奥の扉から出て来た宇佐木が、すっと目の前にやってきた。相変わらず気付くと傍に居る。
「お客さん居るの、初めて見た」
「あー、こいつ客じゃねぇんだ。オーナーの秘書っぽい感じの仕事してるジャック」
「ジャック……さん?」
コーヒーカップを持ったまま、カウンターの男性が身体ごと振り向いた。
軽く会釈をされ、つられるように会釈を返す。
黒髪に黒い瞳に黒スーツ。少し彫りが深いけれど、日本人に見える。
「愛称のようなものと思っていただければ」
低めの良い声は、日本語ペラペラ。淀みない。
「ジャックはジャックじゃん。何言ってるのさぁ」
カウンターでジャックの向かいにいる桂が口を尖らせた。
するとジャックは向き直り、
「俺は生粋の日本人だから。キラキラネーム世代でもないし」
眉を顰めて言う。
「えー」
対する桂は不満そうだ。
そして、やはり日本人だった。しかも生粋の。
「つーわけで、コイツは身内」
「なあんだ。残念」
「残念?」
「ここ、ホントにお客さん来るの?」
「アリスが来てるじゃん」
「私そんなに貢いでないよ」
された質問には答えず、答えになっていない答えを茶化す。
初対面でタメ口を聞かれる喫茶店だ。
まともなわけがない。
最近、その些細な異常さに慣れ始めていた。
「もー、ジャックったらここきてもコーヒーばっかり。紅茶飲んでよ、紅茶。ここ、紅茶メインのお店なんだよ?」
「美味しいから飲んでるのに」
「紅茶飲んでよー」
下唇を突き出した桂を前に、ジャックは涼しい顔をしてこれ見よがしにカップの中身をひとくち。
「ジャックは俺のコーヒーの方が好きだってさ」
「紅茶ー! アフタヌーンティー!」
「おかわりを」
「はいはーい」
「んもー! こうちゃぁぁぁ」
――楽しそう。
三人のやりとりを横目に、有紗はいつもの奥の席へと向かった。
と、そこで件のデブ猫が昼寝をしていた。
「てっさ、ここに居たんだ」
「ぶーなー」
「もうドアベル壊しちゃダメだよ?」
「ぶー」
解った、と言ったのか、知ったことか、と言ったのかは定かではない。
のろのろと動き出すと、席を譲ってくれた。
――あったかい。
てっさが居た場所はほかほかに温まっていた。おしりが温められてぬくぬくする。これが夏だったら嫌だなぁと思いつつ、有紗はメニューを広げた。
相変わらず沢山の紅茶が並んでいる。名前を見ただけではピンと来ない。
「ねえ、紅茶、何がいいと思う?」
「ぶな? ぶー……うー……」
意図が伝わったらしく、てっさはテーブルに前足をつけてメニューを覗き込んで唸り始めた。目線の先はちゃんと文字を追っているのか、右から左、上から下へと動いている。
一巡したところで、
「ぶな!」
と、右前足でメニューを叩き、こちらを見た。
「ダージリン・ファーストフラッシュ?」
「ぶな!」
ダージリンは知っているが、ファーストフラッシュとは何か。
他の物より何となく値段が高い。
「……ちょっと、高くない?」
「ぶなぁ……」
「ごめんごめん。折角選んでくれたんだもんね。ありがとね」
撫でてやると尻尾をご機嫌に揺らしている。
「すみませーん」
「決まった?」
手を挙げて声を上げると、いつの間にか宇佐木が向かいにいた。驚きは飲み込んで、
「これを、ひとつ」
「おー、奮発したなぁ。春詰みだから旬で美味しいぜ」
宇佐木はメモも取らずそのまま振り返ると、
「桂ぁ、紅茶の注文入ったぞー」
言ったときにはもう目の前から消えていた。
「アリスちゃんサイコー!」
カウンターの中で桂が文字通り小躍りしている。
もう苦笑いを返すしか出来ず、今はもう隣の席で丸くなっているてっさを撫でることにした。気持ちが良いのか、ごろごろと喉を鳴らしているのが聞こえる。
暫くてっさを構っていると、
「おまたせー」
宇佐木の声がして、とん、とソーサーに載ったティーカップが置かれた。
――?
カップの中を見て、有紗は首を傾げた。
注がれていたのは、想像していた紅い水面ではなく、薄めた緑茶のような色をしている液体。
「これ、紅茶?」
「うん、紅茶。春詰みの紅茶で、発酵がゆっくりだからそうなるとか桂が言ってた」
「へえ」
「あんまり紅茶っぽくないから好き嫌い分かれるけど、まあ、物は試しだから」
「いただきまーす」
まだ熱いので、恐る恐るひとくち啜る。
少し青みのある味で、あまり紅茶らしくはないがすっきりして飲みやすい。確かに紅茶のあのスモーキーさが好きな人は好まないかもしれない。
「どう? 口に合った?」
「何か新鮮。これはこれで美味しいね。なんだか緑茶みたい」
「緑茶……緑茶もいいよねぇ」
先程まで紅茶紅茶と騒いでいた桂がニヤリと笑って零している。
また脈絡のないことを考えているのだろう。
そう決めつけて、有紗はこの紅茶に合うケーキは何だろうと冷蔵ケースを眺めてみた。
余り変わり映えのしないこの店のラインナップから選ぶなら、やはりショートケーキだろうか。
しかし今日はそこまでお腹が空いていない。
ケーキとの組み合わせはまた今度。
そろそろ自分で選びたいが、選ぶも何も、わからない。
――ちょっと勉強してみようかなぁ。
紅い水面がゆらゆら揺れるのを想像しながら、通い慣れ始めた喫茶店のアイアンのドアノブを、今日も元気に押し開ける。
蝶番の軋みに続いて、
りん。りりん。
先日は破壊されて無くなっていたドアベルの音に、有紗は真っ先に目を遣った。
――あ。新しくなってる。
形はあまり変わらないものの、新品のそれは以前の物より音が少しだけ高い。
――もう壊されないといいね。
太い猫が弧を描いて宙に舞う様を思い描きながら目線を身体の正面に戻してすぐに、有紗は足を止めた。
いかにも常連客が座りそうなカウンターの端の席に、背の高いスーツ姿の男性が座っている。
有栖川茶房に通うこと数回。
初めて自分と店員以外の姿を見た。
人の気配がある。それだけで変な感じがする。店なのだから客が居て然るべきなのに、この喫茶店は常識を異質にしてしまう。
「おー、アリス。なんだよ、変な顔して」
奥の扉から出て来た宇佐木が、すっと目の前にやってきた。相変わらず気付くと傍に居る。
「お客さん居るの、初めて見た」
「あー、こいつ客じゃねぇんだ。オーナーの秘書っぽい感じの仕事してるジャック」
「ジャック……さん?」
コーヒーカップを持ったまま、カウンターの男性が身体ごと振り向いた。
軽く会釈をされ、つられるように会釈を返す。
黒髪に黒い瞳に黒スーツ。少し彫りが深いけれど、日本人に見える。
「愛称のようなものと思っていただければ」
低めの良い声は、日本語ペラペラ。淀みない。
「ジャックはジャックじゃん。何言ってるのさぁ」
カウンターでジャックの向かいにいる桂が口を尖らせた。
するとジャックは向き直り、
「俺は生粋の日本人だから。キラキラネーム世代でもないし」
眉を顰めて言う。
「えー」
対する桂は不満そうだ。
そして、やはり日本人だった。しかも生粋の。
「つーわけで、コイツは身内」
「なあんだ。残念」
「残念?」
「ここ、ホントにお客さん来るの?」
「アリスが来てるじゃん」
「私そんなに貢いでないよ」
された質問には答えず、答えになっていない答えを茶化す。
初対面でタメ口を聞かれる喫茶店だ。
まともなわけがない。
最近、その些細な異常さに慣れ始めていた。
「もー、ジャックったらここきてもコーヒーばっかり。紅茶飲んでよ、紅茶。ここ、紅茶メインのお店なんだよ?」
「美味しいから飲んでるのに」
「紅茶飲んでよー」
下唇を突き出した桂を前に、ジャックは涼しい顔をしてこれ見よがしにカップの中身をひとくち。
「ジャックは俺のコーヒーの方が好きだってさ」
「紅茶ー! アフタヌーンティー!」
「おかわりを」
「はいはーい」
「んもー! こうちゃぁぁぁ」
――楽しそう。
三人のやりとりを横目に、有紗はいつもの奥の席へと向かった。
と、そこで件のデブ猫が昼寝をしていた。
「てっさ、ここに居たんだ」
「ぶーなー」
「もうドアベル壊しちゃダメだよ?」
「ぶー」
解った、と言ったのか、知ったことか、と言ったのかは定かではない。
のろのろと動き出すと、席を譲ってくれた。
――あったかい。
てっさが居た場所はほかほかに温まっていた。おしりが温められてぬくぬくする。これが夏だったら嫌だなぁと思いつつ、有紗はメニューを広げた。
相変わらず沢山の紅茶が並んでいる。名前を見ただけではピンと来ない。
「ねえ、紅茶、何がいいと思う?」
「ぶな? ぶー……うー……」
意図が伝わったらしく、てっさはテーブルに前足をつけてメニューを覗き込んで唸り始めた。目線の先はちゃんと文字を追っているのか、右から左、上から下へと動いている。
一巡したところで、
「ぶな!」
と、右前足でメニューを叩き、こちらを見た。
「ダージリン・ファーストフラッシュ?」
「ぶな!」
ダージリンは知っているが、ファーストフラッシュとは何か。
他の物より何となく値段が高い。
「……ちょっと、高くない?」
「ぶなぁ……」
「ごめんごめん。折角選んでくれたんだもんね。ありがとね」
撫でてやると尻尾をご機嫌に揺らしている。
「すみませーん」
「決まった?」
手を挙げて声を上げると、いつの間にか宇佐木が向かいにいた。驚きは飲み込んで、
「これを、ひとつ」
「おー、奮発したなぁ。春詰みだから旬で美味しいぜ」
宇佐木はメモも取らずそのまま振り返ると、
「桂ぁ、紅茶の注文入ったぞー」
言ったときにはもう目の前から消えていた。
「アリスちゃんサイコー!」
カウンターの中で桂が文字通り小躍りしている。
もう苦笑いを返すしか出来ず、今はもう隣の席で丸くなっているてっさを撫でることにした。気持ちが良いのか、ごろごろと喉を鳴らしているのが聞こえる。
暫くてっさを構っていると、
「おまたせー」
宇佐木の声がして、とん、とソーサーに載ったティーカップが置かれた。
――?
カップの中を見て、有紗は首を傾げた。
注がれていたのは、想像していた紅い水面ではなく、薄めた緑茶のような色をしている液体。
「これ、紅茶?」
「うん、紅茶。春詰みの紅茶で、発酵がゆっくりだからそうなるとか桂が言ってた」
「へえ」
「あんまり紅茶っぽくないから好き嫌い分かれるけど、まあ、物は試しだから」
「いただきまーす」
まだ熱いので、恐る恐るひとくち啜る。
少し青みのある味で、あまり紅茶らしくはないがすっきりして飲みやすい。確かに紅茶のあのスモーキーさが好きな人は好まないかもしれない。
「どう? 口に合った?」
「何か新鮮。これはこれで美味しいね。なんだか緑茶みたい」
「緑茶……緑茶もいいよねぇ」
先程まで紅茶紅茶と騒いでいた桂がニヤリと笑って零している。
また脈絡のないことを考えているのだろう。
そう決めつけて、有紗はこの紅茶に合うケーキは何だろうと冷蔵ケースを眺めてみた。
余り変わり映えのしないこの店のラインナップから選ぶなら、やはりショートケーキだろうか。
しかし今日はそこまでお腹が空いていない。
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