有栖川茶房

タカツキユウト

文字の大きさ
28 / 59

二十七杯目『アリス』

しおりを挟む
「よしっ」
 白シャツにカフェエプロンという出で立ちの宇佐見が、テーブルを拭き終わり満足して振り返ると、仏頂面の弥生がいた。
 愛想のかけらもない無愛想そのものの表情。そんなものを向けられて気分がいいわけもなく、宇佐見も口をへの字に曲げた。
「何なのさ、その不細工な顔」
「別に……」
「手伝いに来てあげたんだから、もっと感謝してくれてもいいと思うんだけど」
「半年ぶりにふらっと現れても、おまえの仕事なんて無ぇから。大体、桂と二人でいつも回せてるし。それより、何しに来たんだよ」
「何しにって、手伝いに来たに決まってるじゃないか」
「なんか魂胆があるんだろ。アリスのこと、おまえ、嫌いだもんな」
「〝アリス〟が嫌いなんじゃなくて、この世界が嫌いなんだ」
「あー、そうかよ。かっこつけたようなこと言いやがって」
 弥生が懸念しているような魂胆はない。
 呼び出されて訪れたとき、半ば放心して帰ってしまったことに後味の悪さを感じて出直した、というのが正直な理由だ。
 そのことを疑念たっぷりの弥生に話したところで通じそうにない。
 故に、手伝いと称して店内を掃除している。
 いつもの癖で左手に巻いた時計を見た。そろそろ午後三時。
 まずはテーブル席を綺麗にしたので、次はカウンターへと向かう。
「そう言えば弥生。随分と有紗にご執心だって聞いたけど、ホントのとこどうなの?」
「だっ、誰から聞いたんだよ」
「笑太」
「あのお喋りデブ猫……!」
「その癖、折角誘われたのに断ったっていうじゃないか。君も彼女を〝アリス〟としてしか見てないわけ?」
「そんなこと言われても……」
「沸いたウサギは自分の気持ちもよくわかんないわけ?」
「うるせぇ、毛玉。おまえに俺のこととやかく言われたくねぇよ」
 この会話を、宇佐見は不思議な気持ちで交わしていた。
 淀みないやりとり。脈絡の合う内容。他の人との会話ならばこれが正常なのだが、
「今回の君、おかしくない?」
 宇佐見はテーブルを拭く手を止めて、弥生の顔を覗き込むようにして見た。
 見られた方は訝しい顔をして、
「何がおかしいって言うんだよ」
「おかしくなってないのがおかしいんだよ。だって僕、君とこんなに会話続いたことないんだけど」
「そうだったか?」
 本当に覚えていない様子の弥生を見て、宇佐見は僅かに寂しさを覚えた。
「本当にあの〝アリス〟以来、殆ど忘れちゃうんだね」
「そんなこと言われても、覚えてねぇんだもん。おまえがそう言うなら、そうなんだろうよ」
 恋に敗れたあのときから、弥生は覚えていることをやめた。覚えているのが辛すぎるから、と、話が閉じるたびに彼の頭は殆どリセットされてしまう。そうなることを、彼自身が望んだ結果だ。
 過去を共有できなくなって、宇佐見は話が始まる度にもの悲しさを覚え、店主と同様におかしい弥生を遠巻きに見ているようになった。
 それが今回は会話が続く。
 目線も合う。
 話の展開の所為なのか、それとも、弥生の気持ちが再び本気だからなのか。
 ――そんなの僕にはわかんないけどさ。
 願わくばもう狂わないで欲しい。
 それが正直な気持ちだった。

 りん。りりん。

 ドアベルが鳴って入ってきたのは、忠臣と環だった。
「珍しい組み合わせで来たじゃん」
 と、弥生。
「たまたまそこで会ったんだ。忠臣が休憩すると言うから、俺もそうしようかと」
 返答したのは環。
「真白が居るなんて珍しいな」
「ちょっと色々あってね」
「そうか」
 そう言いながら、忠臣がいつもの席に座るのを見てから、環は周囲を見て、
「アリスの指定席はあるのか」
「今おまえが鞄置いてるとこだよ」
「そうか」
 何故か有紗の指定席を避け、その隣のカウンター席についた。
「なんでそんなこと気にするんだよ」
「なんとなく、彼女が来そうな気がして」
「ふうん」
 半信半疑の弥生は、腑に落ちない顔をしつつもそれ以上の詮索をしなかった。
 代わりに、
「お二人さん、何飲んでいく?」
「俺はコーヒー」
 と、忠臣が言えば、
「俺も今日はコーヒーを貰おうか」
 と、環も続いた。
 それをよしとしなかったのは桂で、いつも以上にくねくねしながら、
「ちょっとぉ。お茶会なんだから紅茶飲んでよ、紅茶!」
「この店はコーヒーも出すんだろう? それなら頼んで何が悪い」
「環くんはいっつも紅茶頼んでくれるじゃない」
「悪いな桂。今日の気分はコーヒーなんだ」
「ひどいや、もうっ」
 ふてくされた桂は、キッチンの入り口近くまで引っ込んでしまった。不満そうに下唇を突き出したまま、やはりゆらゆらとしている。
 布巾を持ったまま、宇佐見は一度腕時計を見て、カウンターの一番奥の席に座った。
「なあ、環」
「なんだ?」
「結局この間の集まりって何だったわけ。俺、来てすぐ帰っちゃったから〝アリス〟が現れた、ってことしか知らないんだけど」
「俺が、違和感を感じただけだ。外で関わったり、こちら側へ入り込もうとしたり、逆に連れ出そうとするような〝アリス〟は、その姿として正しいのか、とな」
「変わった〝アリス〟だね。今までそんな〝アリス〟、居なかったよ」
「やはりそうか……」
 確かめたところで何が起きるわけではないことを、環は知っているようだった。もやもやとする心の中を、少しでもすっきりさせたくてあの時自分たちを集めたのだとしたら、少し悪いことをした。
 ただ、あのとき宇佐見も自分の努力が無に帰した事を知って、動転していた。
 ――トランプでさえ、何かしたいって思うのかな……。
 出されたお冷やの入ったコップの水滴を弄っている環の横顔を見て、自分たちの無力さを改めて思う。
「何も不思議じゃないよぉ?」
 店の奥から脳天気な声が聞こえた来た。桂は笑みを浮かべたまま、やはり身体を揺らしている。
「〝アリス〟っていうのは闖入者だよ? 突然やってきて場を荒らすのが〝アリス〟なんだから、何も気にすることなんてないよ」
 桂の発言は、時にこの閉ざされた空間を俯瞰してみているように聞こえる。当事者からやや離れた場所に構えているような物言いが、引っかかる。
「桂。おまえ、僕たち以上に何か知ってるだろ? 一体何知ってるんだよ」
「さぁ。僕は何も知らないよう」
 いつもの口調。いつもの物言い。そこから判断することは難しい。
 桂は、いつも通りでないことも受け入れている、若しくは楽しんでいるようだ。周りとは違った反応を見せる桂にこそ、宇佐見は違和感を感じていた。
 環と忠臣の前に、弥生がコーヒーカップを置いた。
 香ばしい香りがふわりと立って、小腹が空き始めた腹にじわりと染みる。

 りん。りりん。

 店の扉が開いて入ってきたのは有紗。彼女は一歩目でまず、はっと息を呑んだ。

   *

「環さん! 先日はご馳走して頂いてありがとうございました!」
「いいんだ。気にしなくていい」
「あ、あと、宇佐見さん、ですよね。ご挨拶もろくに出来なくて済みません」
「えっと、いや、いいんだよ。僕が勝手に帰っちゃっただけだから」
 勢いをつけすぎたのか、立て続けに頭を下げながら礼や謝罪を口にしたら、少しだけ眩暈がした。
 数日間、もやもやしていた気持ちが漸く晴れた。
 もう一歩中に入ると、いつもの指定席が不自然に空けられているのが目に入った。
 ――もしかして、空けて置いてくれたの?
 思い過ごしの可能性も考えつつ、
「ここ、いいですか?」
「どうぞ」
 手の平を見せて環が席を促した。
 促されるままに席に着くと、宇佐木がお冷やを出すよりも早く宇佐見がメニューを持ってやってきた。
 開いたメニューを差し出し、
「今日はケーキ屋からミルクレープ入ってるよ」
「ホントに? じゃあ、それにしようかな。飲み物は今日はコーヒーで」
 両脇からコーヒーのいい香りがしていて、口がコーヒーを欲していた。
「アリスちゃんまでコーヒー……。紅茶にしてよう」
「お客が飲みたいって言ってるんだから黙ってなよ。有紗も、桂に振り回されることないからね」
「はい……」
 返答しながら、あることが気になった。
 桂と宇佐見の違い。笑太がこの店にいたときも思ったことだった。
「宇佐見さんは私のこと、有紗って呼んでくれるんですね」
「ん? だって、自分でそう名乗ったでしょ? それなら、有紗は有紗じゃない?」
 アリスはアリス、という桂とは、ある意味対照的だ。
 笑太曰く、ちゃんと呼ばない彼らは、何を思って自分のことを〝アリス〟と呼ぶのだろう。
 半年以上気になっていながらも、確かめることをしていなかった。
 アリスと呼ばれるようになったのは、桂が発端だ。彼からどんどんその名が広がっていって、皆、アリスという名であると確信しているかのようにその名で呼んでくる。ちゃんと名乗っていても時にアリスという名が先に走っていることさえあった。
 ――これってやっぱり、変、だよね。
 随分と遅れてやってきた強い疑問に、有紗は耐えかね、口を開いた。
「桂さん……。どうして私のこと、いつまで経っても有紗って呼んでくれないんですか?」
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

さようなら婚約者

あんど もあ
ファンタジー
アンジュは、五年間虐げられた婚約者から婚約破棄を告げられる。翌日、カバン一つを持って五年住んだ婚約者の家を去るアンジュ。一方、婚約者は…。

完結 辺境伯様に嫁いで半年、完全に忘れられているようです   

ヴァンドール
恋愛
実家でも忘れられた存在で 嫁いだ辺境伯様にも離れに追いやられ、それすら 忘れ去られて早、半年が過ぎました。

公爵令嬢は結婚式当日に死んだ

白雲八鈴
恋愛
 今日はとある公爵令嬢の結婚式だ。幸せいっぱいの公爵令嬢の前に婚約者のレイモンドが現れる。 「今日の結婚式は俺と番であるナタリーの結婚式に変更だ!そのドレスをナタリーに渡せ!」  突然のことに公爵令嬢は何を言われたのか理解できなかった。いや、したくなかった。 婚約者のレイモンドは番という運命に出逢ってしまったという。  そして、真っ白な花嫁衣装を脱がされ、そのドレスは番だという女性に着させられる。周りの者達はめでたいと大喜びだ。  その場所に居ることが出来ず公爵令嬢は外に飛び出し……  生まれ変わった令嬢は復讐を誓ったのだった。  婚約者とその番という女性に 『一発ぐらい思いっきり殴ってもいいですわね?』 そして、つがいという者に囚われた者の存在が現れる。 *タグ注意 *不快であれば閉じてください。

初夜に暴言を吐いた夫は後悔し続ける──10年後の償い【完結】

星森 永羽(ほしもりとわ)
恋愛
王命により、辺境伯ロキアのもとへ嫁いだのは、金髪翠眼の美しき公爵令嬢スフィア。 だが、初夜に彼が告げたのは、愛も権限も与えないという冷酷な宣言だった。噂に踊らされ、彼女を「穢れた花嫁」と罵ったロキア。 しかし、わずか一日でスフィアは姿を消し、教会から届いたのは婚姻無効と慰謝料請求の書状──。 王と公爵の怒りを買ったロキアは、爵位も領地も名誉も奪われ、ただの補佐官として生きることに。 そして十年後、運命のいたずらか、彼は被災地で再びスフィアと出会う。 地位も捨て、娘を抱えて生きる彼女の姿に、ロキアの胸に去来するのは、悔恨と赦しを乞う想い──。 ⚠️本作はAIの生成した文章を一部に使用しています。

裏切りの代償

中岡 始
キャラ文芸
かつて夫と共に立ち上げたベンチャー企業「ネクサスラボ」。奏は結婚を機に経営の第一線を退き、専業主婦として家庭を支えてきた。しかし、平穏だった生活は夫・尚紀の裏切りによって一変する。彼の部下であり不倫相手の優美が、会社を混乱に陥れつつあったのだ。 尚紀の冷たい態度と優美の挑発に苦しむ中、奏は再び経営者としての力を取り戻す決意をする。裏切りの証拠を集め、かつての仲間や信頼できる協力者たちと連携しながら、会社を立て直すための計画を進める奏。だが、それは尚紀と優美の野望を徹底的に打ち砕く覚悟でもあった。 取締役会での対決、揺れる社内外の信頼、そして壊れた夫婦の絆の果てに待つのは――。 自分の誇りと未来を取り戻すため、すべてを賭けて挑む奏の闘い。復讐の果てに見える新たな希望と、繊細な人間ドラマが交錯する物語がここに。

つまらない妃と呼ばれた日

柴田はつみ
恋愛
公爵令嬢リーシャは政略結婚で王妃に迎えられる。だが国王レオニスの隣には、幼馴染のセレスが“当然”のように立っていた。祝宴の夜、リーシャは国王が「つまらない妃だ」と語る声を聞いてしまい、心を閉ざす。 舞踏会で差し出された手を取らず、王弟アドリアンの助けで踊ったことで、噂は一気に燃え上がる――「王妃は王弟と」「国王の本命は幼馴染」と。 さらに宰相は儀礼と世論を操り、王妃を孤立させる策略を進める。監視の影、届かない贈り物、すり替えられた言葉、そして“白薔薇の香”が事件現場に残る冤罪の罠。 リーシャは微笑を鎧に「今日から、王の隣に立たない」と決めるが、距離を取るほど誤解は確定し、王宮は二人を引き裂いていく。 ――つまらない妃とは、いったい誰が作ったのか。真実が露わになった時、失われた“隣”は戻るのか。

三年の想いは小瓶の中に

月山 歩
恋愛
結婚三周年の記念日だと、邸の者達がお膳立てしてくれた二人だけのお祝いなのに、その中心で一人夫が帰らない現実を受け入れる。もう彼を諦める潮時かもしれない。だったらこれからは自分の人生を大切にしよう。アレシアは離縁も覚悟し、邸を出る。 ※こちらの作品は契約上、内容の変更は不可であることを、ご理解ください。

夫と息子に邪険にされたので王太子妃の座を譲ります~死に戻ってから溺愛されても今更遅い

青の雀
恋愛
夫婦喧嘩の末に置き去りにされた妻は、旦那が若い愛人とイチャついている間に盗賊に襲われ、命を落とした。 神様の温情により、10日間だけこの世に戻った妻と護衛の騎士は、その10日間の間に心残りを処分する。それは、娘の行く末と……もし、来世があるならば、今度は政略といえども夫以外の人の妻になるということ。 もう二度と夫と出会いたくない彼女は、彼女を蔑ろにしてきた息子とも縁を切ることを決意する。 生まれかわった妻は、新しい人生を強く生きることを決意。 過去世と同じ轍を踏みたくない……

処理中です...