有栖川茶房

タカツキユウト

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二十七杯目『アリス』

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「よしっ」
 白シャツにカフェエプロンという出で立ちの宇佐見が、テーブルを拭き終わり満足して振り返ると、仏頂面の弥生がいた。
 愛想のかけらもない無愛想そのものの表情。そんなものを向けられて気分がいいわけもなく、宇佐見も口をへの字に曲げた。
「何なのさ、その不細工な顔」
「別に……」
「手伝いに来てあげたんだから、もっと感謝してくれてもいいと思うんだけど」
「半年ぶりにふらっと現れても、おまえの仕事なんて無ぇから。大体、桂と二人でいつも回せてるし。それより、何しに来たんだよ」
「何しにって、手伝いに来たに決まってるじゃないか」
「なんか魂胆があるんだろ。アリスのこと、おまえ、嫌いだもんな」
「〝アリス〟が嫌いなんじゃなくて、この世界が嫌いなんだ」
「あー、そうかよ。かっこつけたようなこと言いやがって」
 弥生が懸念しているような魂胆はない。
 呼び出されて訪れたとき、半ば放心して帰ってしまったことに後味の悪さを感じて出直した、というのが正直な理由だ。
 そのことを疑念たっぷりの弥生に話したところで通じそうにない。
 故に、手伝いと称して店内を掃除している。
 いつもの癖で左手に巻いた時計を見た。そろそろ午後三時。
 まずはテーブル席を綺麗にしたので、次はカウンターへと向かう。
「そう言えば弥生。随分と有紗にご執心だって聞いたけど、ホントのとこどうなの?」
「だっ、誰から聞いたんだよ」
「笑太」
「あのお喋りデブ猫……!」
「その癖、折角誘われたのに断ったっていうじゃないか。君も彼女を〝アリス〟としてしか見てないわけ?」
「そんなこと言われても……」
「沸いたウサギは自分の気持ちもよくわかんないわけ?」
「うるせぇ、毛玉。おまえに俺のこととやかく言われたくねぇよ」
 この会話を、宇佐見は不思議な気持ちで交わしていた。
 淀みないやりとり。脈絡の合う内容。他の人との会話ならばこれが正常なのだが、
「今回の君、おかしくない?」
 宇佐見はテーブルを拭く手を止めて、弥生の顔を覗き込むようにして見た。
 見られた方は訝しい顔をして、
「何がおかしいって言うんだよ」
「おかしくなってないのがおかしいんだよ。だって僕、君とこんなに会話続いたことないんだけど」
「そうだったか?」
 本当に覚えていない様子の弥生を見て、宇佐見は僅かに寂しさを覚えた。
「本当にあの〝アリス〟以来、殆ど忘れちゃうんだね」
「そんなこと言われても、覚えてねぇんだもん。おまえがそう言うなら、そうなんだろうよ」
 恋に敗れたあのときから、弥生は覚えていることをやめた。覚えているのが辛すぎるから、と、話が閉じるたびに彼の頭は殆どリセットされてしまう。そうなることを、彼自身が望んだ結果だ。
 過去を共有できなくなって、宇佐見は話が始まる度にもの悲しさを覚え、店主と同様におかしい弥生を遠巻きに見ているようになった。
 それが今回は会話が続く。
 目線も合う。
 話の展開の所為なのか、それとも、弥生の気持ちが再び本気だからなのか。
 ――そんなの僕にはわかんないけどさ。
 願わくばもう狂わないで欲しい。
 それが正直な気持ちだった。

 りん。りりん。

 ドアベルが鳴って入ってきたのは、忠臣と環だった。
「珍しい組み合わせで来たじゃん」
 と、弥生。
「たまたまそこで会ったんだ。忠臣が休憩すると言うから、俺もそうしようかと」
 返答したのは環。
「真白が居るなんて珍しいな」
「ちょっと色々あってね」
「そうか」
 そう言いながら、忠臣がいつもの席に座るのを見てから、環は周囲を見て、
「アリスの指定席はあるのか」
「今おまえが鞄置いてるとこだよ」
「そうか」
 何故か有紗の指定席を避け、その隣のカウンター席についた。
「なんでそんなこと気にするんだよ」
「なんとなく、彼女が来そうな気がして」
「ふうん」
 半信半疑の弥生は、腑に落ちない顔をしつつもそれ以上の詮索をしなかった。
 代わりに、
「お二人さん、何飲んでいく?」
「俺はコーヒー」
 と、忠臣が言えば、
「俺も今日はコーヒーを貰おうか」
 と、環も続いた。
 それをよしとしなかったのは桂で、いつも以上にくねくねしながら、
「ちょっとぉ。お茶会なんだから紅茶飲んでよ、紅茶!」
「この店はコーヒーも出すんだろう? それなら頼んで何が悪い」
「環くんはいっつも紅茶頼んでくれるじゃない」
「悪いな桂。今日の気分はコーヒーなんだ」
「ひどいや、もうっ」
 ふてくされた桂は、キッチンの入り口近くまで引っ込んでしまった。不満そうに下唇を突き出したまま、やはりゆらゆらとしている。
 布巾を持ったまま、宇佐見は一度腕時計を見て、カウンターの一番奥の席に座った。
「なあ、環」
「なんだ?」
「結局この間の集まりって何だったわけ。俺、来てすぐ帰っちゃったから〝アリス〟が現れた、ってことしか知らないんだけど」
「俺が、違和感を感じただけだ。外で関わったり、こちら側へ入り込もうとしたり、逆に連れ出そうとするような〝アリス〟は、その姿として正しいのか、とな」
「変わった〝アリス〟だね。今までそんな〝アリス〟、居なかったよ」
「やはりそうか……」
 確かめたところで何が起きるわけではないことを、環は知っているようだった。もやもやとする心の中を、少しでもすっきりさせたくてあの時自分たちを集めたのだとしたら、少し悪いことをした。
 ただ、あのとき宇佐見も自分の努力が無に帰した事を知って、動転していた。
 ――トランプでさえ、何かしたいって思うのかな……。
 出されたお冷やの入ったコップの水滴を弄っている環の横顔を見て、自分たちの無力さを改めて思う。
「何も不思議じゃないよぉ?」
 店の奥から脳天気な声が聞こえた来た。桂は笑みを浮かべたまま、やはり身体を揺らしている。
「〝アリス〟っていうのは闖入者だよ? 突然やってきて場を荒らすのが〝アリス〟なんだから、何も気にすることなんてないよ」
 桂の発言は、時にこの閉ざされた空間を俯瞰してみているように聞こえる。当事者からやや離れた場所に構えているような物言いが、引っかかる。
「桂。おまえ、僕たち以上に何か知ってるだろ? 一体何知ってるんだよ」
「さぁ。僕は何も知らないよう」
 いつもの口調。いつもの物言い。そこから判断することは難しい。
 桂は、いつも通りでないことも受け入れている、若しくは楽しんでいるようだ。周りとは違った反応を見せる桂にこそ、宇佐見は違和感を感じていた。
 環と忠臣の前に、弥生がコーヒーカップを置いた。
 香ばしい香りがふわりと立って、小腹が空き始めた腹にじわりと染みる。

 りん。りりん。

 店の扉が開いて入ってきたのは有紗。彼女は一歩目でまず、はっと息を呑んだ。

   *

「環さん! 先日はご馳走して頂いてありがとうございました!」
「いいんだ。気にしなくていい」
「あ、あと、宇佐見さん、ですよね。ご挨拶もろくに出来なくて済みません」
「えっと、いや、いいんだよ。僕が勝手に帰っちゃっただけだから」
 勢いをつけすぎたのか、立て続けに頭を下げながら礼や謝罪を口にしたら、少しだけ眩暈がした。
 数日間、もやもやしていた気持ちが漸く晴れた。
 もう一歩中に入ると、いつもの指定席が不自然に空けられているのが目に入った。
 ――もしかして、空けて置いてくれたの?
 思い過ごしの可能性も考えつつ、
「ここ、いいですか?」
「どうぞ」
 手の平を見せて環が席を促した。
 促されるままに席に着くと、宇佐木がお冷やを出すよりも早く宇佐見がメニューを持ってやってきた。
 開いたメニューを差し出し、
「今日はケーキ屋からミルクレープ入ってるよ」
「ホントに? じゃあ、それにしようかな。飲み物は今日はコーヒーで」
 両脇からコーヒーのいい香りがしていて、口がコーヒーを欲していた。
「アリスちゃんまでコーヒー……。紅茶にしてよう」
「お客が飲みたいって言ってるんだから黙ってなよ。有紗も、桂に振り回されることないからね」
「はい……」
 返答しながら、あることが気になった。
 桂と宇佐見の違い。笑太がこの店にいたときも思ったことだった。
「宇佐見さんは私のこと、有紗って呼んでくれるんですね」
「ん? だって、自分でそう名乗ったでしょ? それなら、有紗は有紗じゃない?」
 アリスはアリス、という桂とは、ある意味対照的だ。
 笑太曰く、ちゃんと呼ばない彼らは、何を思って自分のことを〝アリス〟と呼ぶのだろう。
 半年以上気になっていながらも、確かめることをしていなかった。
 アリスと呼ばれるようになったのは、桂が発端だ。彼からどんどんその名が広がっていって、皆、アリスという名であると確信しているかのようにその名で呼んでくる。ちゃんと名乗っていても時にアリスという名が先に走っていることさえあった。
 ――これってやっぱり、変、だよね。
 随分と遅れてやってきた強い疑問に、有紗は耐えかね、口を開いた。
「桂さん……。どうして私のこと、いつまで経っても有紗って呼んでくれないんですか?」
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