絶望ダンデリオン

小林ていじ

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第一章 闇に蠢くものたち

タイ料理

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 等間隔で規則正しく並ぶ外灯の光を浴びて艶を放つアスファルトの上を流線型の黒い物体が風を切って走っている。健吾と洋平が二人乗りするバイクである。全体的に丸みを帯びたフォルム、左右に触覚のように突き出したバックミラー、下部からわずかに覗くマフラーなどがどことなく巨大な昆虫の姿を想起させた。

 有島南側の海岸沿いの道路を走っていた。やがて有島一の繁華街である新加美町へと差し掛かり、道路の右側に光の絨毯が遥か遠くのほうまで広がる。それとは対照的に、道路の左側には墨で塗り潰したかのような真っ暗な海が広がり、この世の果てを思わせるような不思議な光景を形成していた。

 バイクを運転する健吾がハンドルを右に切って光の渦の中へと突入した。道路の両側にはレストラン、バー、ショップ……などが延々と軒を連ねるようになり、モザイク石畳の歩道の上をさまざまな人種の人々が行き交う。

 十字路の赤信号で止まったとき、頭上を巨大な猫がふわふわと雲のように飛んでいった。現在上映中の映画作品の主人公の猫で、その宣伝のためのホログラムである。猫はビルの壁にぶつかるとしゃぼん玉が弾けるように一瞬にして消えた。

 青信号で発進してしばらく走り、一軒のタイ料理レストランの前の駐車場にバイクを止めた。二人はヘルメットを脱ぎ、それを手にもったまま店に入った。洋平はエレキギターのケースを背負っていた。

「いらっしゃいませ」

 満席だったが、タイミングよくテーブル席に着いていた一組の客が腰を上げたのでそこに座ることができた。

 洋平は席に着くとメニューを開くよりも先にギターケースを開いた。そしてエレキギターをテーブルと自分の体の間に挟むようにして構える。黒のストラトキャスタータイプ。右手にはギターピックを持った。

 店内を見まわした。波型トタン壁には赤、白、青の三色ボーダーのタイの国旗が掲げられ、天井ではミラーボールが回転しながらキラキラと光を放っている。洋平たちのいる席から対角線上に沙耶の姿があった。

 服装は白の半袖シャツに赤紫の前掛けエプロン。薄いブラウンに染めたセミロングの髪の毛をバイト中だけポニーテールにしている。客から注文をとっているところだった。洋平が大きく手を振ると、沙耶はちらと顔を向けて小さくうなずいた。

「聴いてくれ、俺たちの新曲、リフレイン」

 彼女がやってくると洋平は開口一番そう言い、ギターの弦をピックで弾いた。アンプに繋いでいないので掠れたような音が鳴る。健吾は割り箸をドラムのスティックのように構え、テーブルの淵を叩いてリズムを刻んだ。

「ちょっと待って。ここでやるの?」
「すぐに聴きたいだろ?」
「ダメだよ。今日はすごく忙しいんだから。アルンも急にいなくなっちゃったし」
「アルン?」

 洋平もその名前は知っていた。沙耶と同じくこの店でバイトをしているタイ人の若い男である。日本語はカタコトで日本人客との意思の疎通がままならないこともあったようだが、いつもにこにこと笑顔を絶やさない愛嬌の良さでそれをカバーしていた。

「お店になんの連絡もなしにいなくなっちゃったの。そんな子じゃなかったんだけどな」
「タイが恋しくなって帰ったんじゃねえの?」
「あ、そうだ。アルンの代わりに洋平と健吾がここで働けばいいよ」
「やだね」
「なんでよ?」
「いっしょにバンドやってバイトまでいっしょにってか? そこまでべったりくっついたら馴れ合いになるだろ」
「馴れ合ってなにが悪いの? 家族みたいにべったり馴れ合おうよ」
「ダメだ。馴れ合いは衰退を生む。そうだろ、健吾?」

 洋平は健吾に話を振るが、健吾は苦笑いで肩をすくめるだけだった。

「とにかく、俺たちダンデリオンの新曲は次の練習のときに……」
「ちょっと待て。おまえ今なんて言った?」
「次の練習のときに」
「その前」
「ダンデリオン?」
「なんで俺たちのバンド名がダンデリオンになってるんだよ。勝手に決めるなよ」
「もういいだろ、ダンデリオンで」

 そこへ沙耶が口を挟む。

「じゃあ、多数決で決めようよ。ダンデリオンがいい人」

 健吾と沙耶の二人が手をあげた。

「はい、決まり」
「ざけんな!」
「ねえ、健吾。ダンデリオンとしていっしょに頑張っていこうね」

 沙耶はそう言って健吾の左腕に自分の両腕をまわす。すると、健吾は質実剛健そうな太い眉毛をピクリと動かし、まるで一度も女と付き合ったことのない男子校の生徒のようにソワソワと照れるような仕草を見せた。

 チン。

 店の奥のキッチンカウンターでベルが鳴らされた。

「もう仕事に戻らないと」
「待てよ。俺たちの注文をまだ……」
「どうせいつもと同じでしょ?」

 沙耶は二人に背を向けてキッチンカウンターのほうへ小走りした。

 そしてしばらくしてテーブルに運ばれてきたのは二皿のガパオライスだった。ご飯の上にバジルで炒めた豚の挽き肉と目玉焼きが乗せられている。スプーンの先で目玉焼きを突くと黄身がとろりと溶け出して豚肉の上に広がっていった。

 沙耶は店内をパタパタと慌しく駆けまわっていた。ふと健吾と目が合うと、にこりと笑みを向ける。が、その向かいにいる洋平に対してはべっと小さく舌を出した。

「すいませーん」

 洋平は別の店員を呼んでビールの大瓶を注文した。

 店を出たときには洋平はかなり酔っていた。健吾はバイクを運転しなくてならないので一滴も飲んでいない。来たときと同じように健吾がバイクのハンドルを握り、洋平がその後ろのタンデムシートに跨った

 酔いで火照った頬に吹き付ける夜風がたまらなく心地よかった。新加美町の繁華な通りを抜けて海岸沿いの道路に出ようとしたときだった。前方の暗がりの中で誘導棒の赤い光が左右に揺れていた。道路中央には三角コーンが並び、その中にパトカーが止められている。健吾は警官の前でバイクを止めた。

「これに息を吹きかけて」

 健吾は差し出されたスティック状のアルコールチェッカーにふっと息を吹きかける。

 洋平は警官の隣に立つ男に目を向けた。全身黒ずくめのパワードスーツを装着しており、腰のホルスターに拳銃が収められている。フルフェイスのヘルメットのようなマスクを装着しており、そこから伸びるコードは背中の器具に繋がっているようだった。

 有島のマフィア掃討を目的として結成された警察の特殊治安部隊である。任務遂行のためには手段を選ばず、覚醒剤の取り引きをしていた外国人マフィアをその場で射殺したなどの噂もあるが、真偽のほどは定かではない。

 直立した姿勢のまま少しも微動だにしないのが不気味だった。マスクの黒いガラスの向こう側にぼんやりと二つの目が見えるが、それも瞬きすらしていないように見える。

 ――こいつ本当に生きてるのか……?

 洋平は試しにマスクのガラスの手前で中指を立ててみた。その瞬間、ガラスの向こう側で二つの黒目がギロリと動いて彼のほうに向けられた。

「うおッ!」

 総毛立って思わず健吾の背中に強く抱きついた。それとほぼ同時にバイクは発進した。

「洋平。どうした?」
「怖……」
「なにが?」
「あいつ、すげー不気味だよ」
「特殊治安部隊か。たしかに不気味だけど、あいつらの目的はこの島のマフィアやヤクザの取り締まりだ。俺たち善良な一般市民が恐れる必要はまったくないよ」
「そうだけど……」

 洋平はそっと後ろを振り返った。特殊治安部隊の姿はもう見えなくなっていた。

 海岸沿いの道路を来たときとは逆に左手に光の絨毯を見ながら進んでいった。新加美町から離れるにつれて交通量は減っていき、クルマの往来が途絶えたわずかな間隙に滑り込むようにして波の音が控えめに響いた。
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