絶望ダンデリオン

小林ていじ

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第一章 闇に蠢くものたち

倉庫

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 暁明はスーツ姿のまま芝生に寝転んで青空を眺めていた。馬の尾のように薄くたなびく雲が少しずつ形を変えていく。芝生の上ではモンシロチョウがつがいで飛びまわり、遠くのほうからは子供たちの遊ぶ声が聞こえてくる。

 うとうとと眠気に襲われるがままに目を閉じた。そのとき、携帯電話が鳴った。部下の栄仁からだった。

「ボス。すぐにカジノまで来てもらえませんか」
「どうした?」
「うちのディーラーがコロンビア人と組んでイカサマをやってたんです」
「そんなのおまえらで処理しろよ」
「しかし、ここはボスに示しをつけていただかないと……」

 暁明はふうっとため息をつく。

「待ってろ」

 有島の中心部に細長く伸びる中央公園。その前を走る大通りでタクシーを拾った。しばらく走り、会員制ホテルという看板が掲げられたビルの前に到着した。

「ボス。お疲れ様です」

 フロントにいた黒服の男が挨拶する。暁明はそれに会釈だけで挨拶を返す。フロント横のガラス戸が開かれた。そこへ入り、赤絨毯の敷かれた通路を歩く。突き当たりの右側の壁に設けられた両開きの分厚いドアを開いた。

 そこから喧騒が溢れ出す。ブラックジャック、バカラ、ルーレットなどの台が所狭しと並んでいた。バカラの台にかじりつく小太りの男は口にタバコをくわえており、そこから立ち昇る煙はシャンデリアの光を纏って妖艶な色に染まっている。ディーラーが一枚の札をめくると、中国語で罵声と歓声が同時にあがった。

 暁明はその横を通り抜けて奥の事務室に入った。

「お疲れ様です」

 栄仁と別の構成員である泰然が挨拶する。壁際には二人の男が床に座っていた。血まみれで手を後ろで縛られている。ひとりは構成員でありディーラーの中国人、もうひとりは南米系の顔立ちで青のジャケットを羽織っている。電話で話していたコロンビア人だろう。

「こいつら二人です」

 コロンビア人は端整な甘いマスクをしていたのかもしれないが、両目が塞がるほど顔面を腫らしており、その原型をほとんど留めていなかった。

「おまえ、どこかの組織の人間か?」

 暁明は腰を屈めてコロンビア人と同じ視線の高さになって中国語で訊いた。が、コロンビア人は顔をうつむけたままなにも答えなかった。栄仁が言った。

「そいつは中国語を話せません」

 暁明は次に中国人ディーラーのほうに顔を向けた。黒のベストの内側に白のワイシャツを着ているが、その大部分が血で赤く染まっている。

「このコロンビア人はなんだ? どこから連れてきた?」
「知らねえ」
「知らねえってことはねえだろ」
「うるせえな。殺すんだったらさっさと殺せや!」

 ディーラーは暁明を睨みつけて言う。決して誰にも媚びることのない野犬の目。それが暁明をゾクゾクと興奮させる。

「おまえ、たしか雲南省の出身だったよな?」

 暁明には百人を超える部下がいた。ディーラーの名前を思い出すことはできなかったが、その出身地だけは覚えていた。

 椅子に腰かけて人差し指と中指を立てると栄仁がそこへタバコを挟む。口にくわえるとジッポーのライターで火をつける。暁明は煙を吐き出しながら訊いた。

「両親は元気か? たまには帰ってるのか?」
「あ?」
「ボス……」

 栄仁がなにか言いかけるが、暁明はそれを遮るようにして言う。

「ま、いいや。とにかく、こんなことをした以上おまえは破門だ。故郷へ帰れ」

 そしてタバコを口にくわえたまま椅子から腰を上げた。泰然に訊いた。

「おまえ、今暇か?」
「……え、ええ」
「ちょっとクルマを出してくれ」

 暁明がドアに向かうと、泰然がそのあとに続いた。栄仁がそれを引き止めて言った。

「待ってください。これで終わりですか?」
「これ以上なにがある?」
「ここできっちりけじめをつけておかないと組織全体が舐められます」
「あれだけ痛めつけたらもう十分だろ」

 暁明は泰然を従えて事務室を出た。

 地下駐車場に止めてあった黒塗りのセダンに乗り込んだ。暁明が助手席に座り、泰然がハンドルを握る。

「どちらまで?」
「中華街まで。杏仁豆腐の美味い店を見つけたんだ」
「……どういうことです?」
「男ひとりで杏仁豆腐はサマにならんだろ」
「私に付き合えと?」
「嫌か?」
「……なんであろうと、私はただボスの命令に従うだけです」

 クルマが発進した。しばらく走り、中華街近くの交差点の赤信号で止まった。暁明はすでに気付いていた。が、それを先に口にしたのは泰然のほうだった。

「つけられていますね」
「そうだな」
「どうします?」
「とりあえず港のほうに走らせろ」
「わかりました」

 信号が青に変わると、左折して港の方向に向かった。白のセダンがそのあとにピタリとつけてきた。

 暁明はバックミラーを見た。運転しているのは日本人らしきソフトモヒカンの男。助手席に座る男は金髪で頭にバンダナを巻いていた。

「何者でしょうか?」
「さあな」

 ヤクザ組織の人間だろうか。しかし、それにしては雰囲気が妙に軽々しく、浮ついているように感じられた。

 市街地を離れて閑散とした雰囲気の有島の港に到着した。赤レンガ倉庫が整然と並ぶ敷地内を海に向かって突き進んだ。赤と白の二色にペイントされたキリンの首のようなクレーンが水平線の上に顔をのぞかせている。

「スピードをあげろ」
「はい」

 泰然がアクセルを踏み込む。あとを追うクルマとの距離が開くが、彼らもすぐにスピードをあげてくる。打ち寄せる波の音に二台のクルマのエンジン音が重なる。暁明はジャケットの内側から拳銃を取り出し、ガチャリとスライドを引いて人差し指を引き金にかけた。

 倉庫の形成する通りが十字路になった。そこで叫んだ。

「右に曲がれ!」

 泰然がハンドルを右に切った。タイヤはギュルギュルと唸りをあげてコンクリートの地面に黒い爪痕を残す。ドリフト気味に右に曲がった。

 ズダン!

 銃声が響いた。フロントガラスに蜘蛛の巣のようなひびが走り、そこへ血飛沫が飛んだ。泰然が頭を撃ち抜かれていた。

 運転手を失ったクルマは倉庫に向かって暴走する。壁に激突する前に暁明は助手席のドアを開いて外へ飛び降りた。地面をゴロゴロと転がった。凄まじい衝撃音を立ててクルマがレンガの壁に突っ込む。

 倉庫の扉は開かれていた。とりあえずその中に隠れることにした。窓から外の光が差し込んではいるがかなり薄暗い。荷物の置かれていない骨組みだけのパレットラックが天井高くまで積み上がり、それが奥のほうまで並んでいる。

 入り口横の壁をクルマが突き破り、地面にはレンガの破片が散らばっていた。運転席には頭から血を流してハンドルに突っ伏す泰然の姿があった。

 ――泰然……。

 暁明は唇を噛み締める。しかし、憐憫の情に浸っている暇などなかった。今はこの場をどう切り抜けるかを考えなくてはならない。

 クルマの陰に腰を屈めた。彼らは死体を確認するためにここに近づいてくるだろう。それとも遠くから銃を乱射してくるだろうか。そのときは……。

 近くでクルマの止まる音が聞こえた。そしてドアの開く音。近づいてくる足音。暁明は拳銃を構えた。頭であれこれ考えるよりも直感で戦うしかなさそうだった。

「それ使ったことあるのか?」
「はじめてだ」

 彼らの会話が聞こえた。それに続いてカランカランと金属片が床に転がるような音。クルマの下から覗いて背筋が凍りついた。

 ――まずい!

 手榴弾だった。咄嗟に後ろに飛んだ。轟音とともに破裂した。爆風で背中から壁に叩きつけられた。内臓が潰れるかのような衝撃。意識が飛んだ。

 コンクリートの床から鼓膜へと直に伝わってくる足音で意識を取り戻した。咳き込みながら顔をあげると、クルマに乗っていた二人の男が目の前に立っていた。二人ともパーカーにジーンズというごくふつうの若者らしい服装をしている。

「張暁明だな?」

 ソフトモヒカンの男が訊いた。金髪の男は床に転がっていた暁明の拳銃を遠くに蹴り飛ばした。

「誰だ、おまえら?」
「おまえら悪党を成敗するためにやってきた正義の味方だ」

 ソフトモヒカンはそう言ってゲタゲタと笑う。暁明を挑発するかのような下卑た笑いだった。ふいに笑うのをやめ、真顔になって言った。

「おまえ日本語わかんねえのか? 俺は今面白いことを言ったんだからちょっとは笑えよ。俺がスベッたみたいになってんだろ」

 まだ床に這いつくばったままの暁明の脇腹に蹴りが入れられた。体がくの字に折れた。

 立ち上がってソフトモヒカンに殴りかかろうとした。そのとき、銃声と風圧が暁明の頬を掠めた。金髪の男が発砲していた。鼓膜がビリビリと震動した。

「ダメ、ダメ。おまえは俺に一方的に殴られるだけ。それがこの試合のルールだ。少しでも抵抗したらズドンだからな」
「ほう……」

 暁明は苦笑いをする。

「おい」

 ソフトモヒカンは金髪に目配せした。金髪は左手首に巻かれた携帯電話を操作し、その画面を暁明のほうに向ける。動画撮影を始めたようである。

 ソフトモヒカンはボクシングの構えをとり、暁明にストレートパンチを見舞う。暁明はそれをまともに顔面に受けた。サンドバッグ状態で一方的に殴られ続けた。
しばらくしてソフトモヒカンは攻撃の手を休めて言った。

「拳が痛くなってきちまったよ」

 そして壁際に転がっていた鉄パイプを拾い上げる。体を少しふらつかせている暁明の脳天にそれを振り下ろした。

 ガツン!

 暁明の脳内で火花が散った。膝から床に崩れ落ちた。ソフトモヒカンに髪の毛を掴まれ、強引に顔を上げさせられた。

「まだくたばるんじゃねえぞ。お楽しみはこれからだ。ヤクザの恐ろしさをたっぷりと教えてやるからよ」
「……やっぱりそうか。近藤組か?」
「調子に乗りすぎなんだよ、おまえら。有島は日本の領土だ。おまえら中国人がでかい顔してんじゃねえよ」

 ソフトモヒカンは暁明の髪の毛から手を離すとまた鉄パイプで殴りかかる。鉄パイプが暁明の体にめり込む。

 暁明はその攻撃を受けながら金髪に目をやった。ソフトモヒカンの斜め後ろに立ち、右手に拳銃を構え、左手首に巻かれた携帯電話で撮影している。

 こめかみを鉄パイプで殴られた。派手にすっ飛びながらまた意識が飛びそうになるのを堪える。床を転がり、顔を上げた。暁明、ソフトモヒカン、金髪の三人が一直線上に並んでいた。 

 ソフトモヒカンがニカッと歯をむき出して鉄パイプを振り下ろした。

 ――今だ!

 暁明は立ち上がって前に一歩踏み出し、ソフトモヒカンが鉄パイプをもつ手を左手で払いのける。右の拳で顎にフックを見舞った。膝が崩れた。

 暁明は相手の右腕を背中にひねり、同時に首を絞めて羽交い絞めにした。鉄パイプがカランと床に転がる。

「撃て! なにやってんだ! 早くこいつを撃てよ!」

 ソフトモヒカンが金髪に怒鳴る。

「いや、でも……」

 金髪は躊躇う。暁明はソフトモヒカンを盾にしていた。彼もいっしょに殺す覚悟がなければ引き金を引くことはできないだろう。

 右腕をひねる力を強くすると悲痛な叫び声があがる。金髪に恐れの表情が滲んだ。暁明はその一瞬を見逃さなかった。

 ソフトモヒカンの体を離すと、金髪の死角となる位置から銃身を掴んだ。そして自分の体全体を使って相手の腕をひねる。拳銃が金髪の手から離れて床に落ちた。それを拾い上げ、両手でかまえて発砲した。

 ダン! ダン! ダン!

 頭に一発、胸に二発。金髪は絶命して床に倒れた。

 次にソフトモヒカンに銃口を向けた。ソフトモヒカンは右肘を左手で押さえ、死を覚悟したかのような絶望の表情を浮かべる。暁明は拳銃を投げ捨てて言った。

「俺はこんな道具を使うよりも素手の拳で殴りあうほうが好きでね。おまえもだろ?」

 ソフトモヒカンはふっと笑った。そして右の拳を振り上げた。カウンターパンチが炸裂した。顔面が弾け飛んだ。

 暁明は後退した相手を追い、腹に前蹴りを見舞う。体が折れたところへ顔面にもう一発強烈なパンチを放った。壁際まで体が転がっていった。

 ソフトモヒカンの髪の毛を掴んで顔をあげさせた。鼻血で顔の下半分が赤く染まっていた。

「どうした? ヤクザの恐ろしさをたっぷりと教えてくれるんじゃなかったのか」
「あ、あ……」

 彼はかろうじて声を絞り出すだけだった。

 顔面を壁に叩きつけた。グシャリ。肉の潰れる音。何度も繰り返した。グシャ、グシャ、グシャ……。手を休めて言った。

「ほら、早く教えてくれよ。なあ、早く」
「か、勘弁してください……」
「今更それはないだろ」
「違うんです」
「なにが違うんだよ」
「俺たちは頼まれてやっただけなんです」
「おまえたちの親分の命令じゃないのか?」
「違うんです」

 暁明はジャケットの内ポケットから携帯電話を取り出した。そしてそれで録音を開始してから訊いた。

「誰に依頼された?」
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