8 / 69
第一章 闇に蠢くものたち
トイレ
しおりを挟む
小堀はイタリアンレストランのトイレの狭い個室にいた。壁に備え付けられたトイレットペーパーを引いた。カランと音を立ててほんの数センチの切れ端が出てくるだけだった。
「クソッ!」
便座にはウォシュレット機能も付いていたのだが、できればその使用は避けたかった。切れ痔に勢いよく噴射されて悪化させてしまったことがあり、小さなトラウマになっていた。しかし、他に選択肢はなく、仕方なく「おしり」のボタンを押した。穴に向かって噴射される水の感触に身をよじった。
近藤組の構成員である吉野のことを考えた。彼には中国マフィアのボスである張暁明の暗殺を依頼していたのだが、数日前からまったく連絡がとれなくなっていた。
怖気づいたのかもしれない。しかし、小堀にとってはそのほうが好都合だった。薄汚い野良犬に噛みつかれた。彼に起こったのはただそれだけのことである。少し冷静になって考えてみればそう腹を立てるほどのことではないし、そのたった一匹の野良犬の駆除のために一億円も払うなどあまりにも馬鹿げている。
――とにかく、この有島にはもう二度と近づかないようにすればいい……。
ウォシュレットで濡れた尻に生温かい風が吹き付けられた。ふうっと大きく息を吐いた。
コン、コン。
ドアがノックされた。小堀はノックを返した。しかし、またすぐにノックされる。
「入ってるよ」
少し苛立ってそう言うと、少しの間を置いて声が返ってきた。
「……小堀だな?」
聞き覚えのある男の声だった。
――まさか……。
魔物の冷たい手に心臓をぎゅっと掴まれるかのような恐怖を覚えた。次の瞬間、爆発するような凄まじい音とともに木製のドアが蹴破られた。ドアは小堀の頭をガツンと叩き、それから個室の外に放り投げられる。
その後ろからひとりの男が姿を見せた。顔の半分近くを包帯で覆われてはいるが、張暁明であることは明らかだった。便座に座っている小堀を見下ろして言う。
「よう、小堀。会いたかったぜ」
「な、なんでここに……?」
「おまえに訊きたいことがあるんだ。実はちょっと前に近藤組の若い衆二人に襲撃を受けてね。その件についてなにか知っていることはないか?」
「し、知らない! 私がヤクザと関わりなどあるわけないだろう!」
「へえ、そうかい」
暁明はジャケットの内ポケットから携帯電話を取り出した。
「あいつらを殺す前に面白い証言が聞けてな」
音声レコーダーが再生された。
「誰に依頼された?」
暁明の声。それに応じたのは吉野の声である。
「小堀敬三という男です。小堀にあんたを殺してくれって依頼されたんです」
かなり痛めつけられているのか弱々しい声ではあるが、はっきりと小堀の名前を口にしていた。暁明はその部分を何度もリピートさせた。小堀敬三という男です。小堀敬三という男です。小堀敬三という男です……。
暁明は再生を止めて訊いた。
「で、おまえはこれに対してどう弁明する?」
小堀は泣き出したくなった。なにも言い逃れの言葉が思いつかなかった。それでも最後の悪あがきとばかりにこう口にした。
「ほんの冗談のつもりだったんだ。それなのにまさか本当に実行するなんて……」
小堀の顔面が弾け飛んだ。鉄球が直撃したかのような衝撃。舌の上にドロッと生温かく、鉄のような味の液体が広がる。口元を手で押さえて咳き込むと、その掌に赤い血が付着する。
「冗談のつもりだっただと、コラ? そのせいで俺の大切な部下がひとり死んでるんだ。わかってんのか?」
暁明は右の拳をぎゅっと握り締めた。小堀は頭を下げて懇願した。
「命だけは助けてください! お金ならいくらでも払いますから!」
「ダメだね」
暁明は小堀の顔面をもう一発殴った。それから彼の薄い頭髪を掴んで立たせ、便座を上げてから便器の中に顔を突っ込ませる。
「もがが、もが……」
小堀の口の中に水といっしょに彼自身の汚物が侵入する。必死に抵抗するとわずかに顔が水から浮いた。そこでまた懇願した。
「お願いします! 二億でも三億でも払いますから!」
「最期の言葉はそれでいいのか?」
また便器の中に顔を押し込まれた。後頭部に硬い感触を感じた。革靴で踏みつけられているようである。カチャリと冷たい音がした。
――拳銃……?
それが後頭部に押し当てられるのを感じた。小堀は必死にもがいた。が、今度は少しも顔を上げることができなかった。
ズダン!
弾丸が発射された。それは小堀の脳を貫通し、便器を破壊した。タイルの床に広がる水の中に赤い色が滲んでいった。
「クソッ!」
便座にはウォシュレット機能も付いていたのだが、できればその使用は避けたかった。切れ痔に勢いよく噴射されて悪化させてしまったことがあり、小さなトラウマになっていた。しかし、他に選択肢はなく、仕方なく「おしり」のボタンを押した。穴に向かって噴射される水の感触に身をよじった。
近藤組の構成員である吉野のことを考えた。彼には中国マフィアのボスである張暁明の暗殺を依頼していたのだが、数日前からまったく連絡がとれなくなっていた。
怖気づいたのかもしれない。しかし、小堀にとってはそのほうが好都合だった。薄汚い野良犬に噛みつかれた。彼に起こったのはただそれだけのことである。少し冷静になって考えてみればそう腹を立てるほどのことではないし、そのたった一匹の野良犬の駆除のために一億円も払うなどあまりにも馬鹿げている。
――とにかく、この有島にはもう二度と近づかないようにすればいい……。
ウォシュレットで濡れた尻に生温かい風が吹き付けられた。ふうっと大きく息を吐いた。
コン、コン。
ドアがノックされた。小堀はノックを返した。しかし、またすぐにノックされる。
「入ってるよ」
少し苛立ってそう言うと、少しの間を置いて声が返ってきた。
「……小堀だな?」
聞き覚えのある男の声だった。
――まさか……。
魔物の冷たい手に心臓をぎゅっと掴まれるかのような恐怖を覚えた。次の瞬間、爆発するような凄まじい音とともに木製のドアが蹴破られた。ドアは小堀の頭をガツンと叩き、それから個室の外に放り投げられる。
その後ろからひとりの男が姿を見せた。顔の半分近くを包帯で覆われてはいるが、張暁明であることは明らかだった。便座に座っている小堀を見下ろして言う。
「よう、小堀。会いたかったぜ」
「な、なんでここに……?」
「おまえに訊きたいことがあるんだ。実はちょっと前に近藤組の若い衆二人に襲撃を受けてね。その件についてなにか知っていることはないか?」
「し、知らない! 私がヤクザと関わりなどあるわけないだろう!」
「へえ、そうかい」
暁明はジャケットの内ポケットから携帯電話を取り出した。
「あいつらを殺す前に面白い証言が聞けてな」
音声レコーダーが再生された。
「誰に依頼された?」
暁明の声。それに応じたのは吉野の声である。
「小堀敬三という男です。小堀にあんたを殺してくれって依頼されたんです」
かなり痛めつけられているのか弱々しい声ではあるが、はっきりと小堀の名前を口にしていた。暁明はその部分を何度もリピートさせた。小堀敬三という男です。小堀敬三という男です。小堀敬三という男です……。
暁明は再生を止めて訊いた。
「で、おまえはこれに対してどう弁明する?」
小堀は泣き出したくなった。なにも言い逃れの言葉が思いつかなかった。それでも最後の悪あがきとばかりにこう口にした。
「ほんの冗談のつもりだったんだ。それなのにまさか本当に実行するなんて……」
小堀の顔面が弾け飛んだ。鉄球が直撃したかのような衝撃。舌の上にドロッと生温かく、鉄のような味の液体が広がる。口元を手で押さえて咳き込むと、その掌に赤い血が付着する。
「冗談のつもりだっただと、コラ? そのせいで俺の大切な部下がひとり死んでるんだ。わかってんのか?」
暁明は右の拳をぎゅっと握り締めた。小堀は頭を下げて懇願した。
「命だけは助けてください! お金ならいくらでも払いますから!」
「ダメだね」
暁明は小堀の顔面をもう一発殴った。それから彼の薄い頭髪を掴んで立たせ、便座を上げてから便器の中に顔を突っ込ませる。
「もがが、もが……」
小堀の口の中に水といっしょに彼自身の汚物が侵入する。必死に抵抗するとわずかに顔が水から浮いた。そこでまた懇願した。
「お願いします! 二億でも三億でも払いますから!」
「最期の言葉はそれでいいのか?」
また便器の中に顔を押し込まれた。後頭部に硬い感触を感じた。革靴で踏みつけられているようである。カチャリと冷たい音がした。
――拳銃……?
それが後頭部に押し当てられるのを感じた。小堀は必死にもがいた。が、今度は少しも顔を上げることができなかった。
ズダン!
弾丸が発射された。それは小堀の脳を貫通し、便器を破壊した。タイルの床に広がる水の中に赤い色が滲んでいった。
0
あなたにおすすめの小説
サイレント・サブマリン ―虚構の海―
来栖とむ
SF
彼女が追った真実は、国家が仕組んだ最大の嘘だった。
科学技術雑誌の記者・前田香里奈は、謎の科学者失踪事件を追っていた。
電磁推進システムの研究者・水嶋総。彼の技術は、完全無音で航行できる革命的な潜水艦を可能にする。
小与島の秘密施設、広島の地下工事、呉の巨大な格納庫—— 断片的な情報を繋ぎ合わせ、前田は確信する。
「日本政府は、秘密裏に新型潜水艦を開発している」
しかし、その真実を暴こうとする前田に、次々と圧力がかかる。
謎の男・安藤。突然現れた協力者・森川。 彼らは敵か、味方か——
そして8月の夜、前田は目撃する。 海に下ろされる巨大な「何か」を。
記者が追った真実は、国家が仕組んだ壮大な虚構だった。 疑念こそが武器となり、嘘が現実を変える——
これは、情報戦の時代に問う、現代SF政治サスペンス。
【全17話完結】
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
春の雨はあたたかいー家出JKがオッサンの嫁になって女子大生になるまでのお話
登夢
恋愛
春の雨の夜に出会った訳あり家出JKと真面目な独身サラリーマンの1年間の同居生活を綴ったラブストーリーです。私は家出JKで春の雨の日の夜に駅前にいたところオッサンに拾われて家に連れ帰ってもらった。家出の訳を聞いたオッサンは、自分と同じに境遇に同情して私を同居させてくれた。同居の代わりに私は家事を引き受けることにしたが、真面目なオッサンは私を抱こうとしなかった。18歳になったときオッサンにプロポーズされる。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
むっつり金持ち高校生、巨乳美少女たちに囲まれて学園ハーレム
ピコサイクス
青春
顔は普通、性格も地味。
けれど実は金持ちな高校一年生――俺、朝倉健斗。
学校では埋もれキャラのはずなのに、なぜか周りは巨乳美女ばかり!?
大学生の家庭教師、年上メイド、同級生ギャルに清楚系美少女……。
真面目な御曹司を演じつつ、内心はむっつりスケベ。
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
【アラウコの叫び 】第3巻/16世紀の南米史
ヘロヘロデス
歴史・時代
【毎週月曜07:20投稿】
3巻からは戦争編になります。
戦物語に関心のある方は、ここから読み始めるのも良いかもしれません。
※1、2巻は序章的な物語、伝承、風土や生活等事を扱っています。
1500年以降から300年に渡り繰り広げられた「アラウコ戦争」を題材にした物語です。
マプチェ族とスペイン勢力との激突だけでなく、
スペイン勢力内部での覇権争い、
そしてインカ帝国と複雑に様々な勢力が絡み合っていきます。
※ 現地の友人からの情報や様々な文献を元に史実に基づいて描かれている部分もあれば、
フィクションも混在しています。
動画制作などを視野に入れてる為、脚本として使いやすい様に、基本は会話形式で書いています。
HPでは人物紹介や年表等、最新話を先行公開しています。
公式HP:アラウコの叫び
youtubeチャンネル名:ヘロヘロデス
insta:herohero_agency
tiktok:herohero_agency
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる