絶望ダンデリオン

小林ていじ

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第一章 闇に蠢くものたち

悦子の取材

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 波の音が静かに響いていた。

 太平洋をすぐ目の前に臨むシーフードレストラン。人工の砂浜の上に設けられたオープンテラスの席に黒澤悦子はひとりで着いていた。鈍色の海の上で夜の気配を含んだ空の水色と燃えるようなオレンジが淡いグラデーションを描いている。

 ホットラテを半分ほど飲んだところでその男は姿を現した。

「黒澤さんですか?」
「上島悠太君?」
「はい」
「はじめまして。ライターの黒澤悦子です」

 悦子は椅子から立ち上がって名刺を手渡した。そして上島と向かい合わせに座る。彼はよれよれのネルシャツを着ており、頭には白いタオルを巻いている。口元にはうっすらと無精ひげを生やし、目は赤く充血していた。

「今日は忙しい中どうもありがとう」
「いや、いいですよ。別に忙しくないんで」
「今日は仕事は休み?」
「仕事っていうか、まあ、アーティスト活動はしてますけど……」

 上島はテーブルの上のメニューに手を伸ばして訊いた。

「なんか飲み物頼んでいいですか?」
「ええ、もちろん」
「食べ物もいいですか? 夕飯まだなんでめっちゃ腹減ってるんですよ」
「……どうぞ」

 彼はメニューを一ページずつゆっくりと捲っていく。

 太陽は水平線の向こう側に完全に沈むと、夜の色に染まる海を背景にしてヨーロピアンテイストの外灯が煌々と光を放つ。思いがけずロマンティックに雰囲気に包まれる。悦子はそれとは不釣合いな目の前の野暮ったい男を見てふうっと小さくため息をついた。

「すいませーん。注文いいですか?」

 上島は手をあげて店員を呼び、赤ワインのグラスとズワイ蟹の炒飯を注文した。

「インタビューを始めてもいい?」
「ええ、どうぞ。なんでも訊いてください」

 悦子はテーブルの上に携帯電話を置いて録音を開始した。

「年齢はいくつ?」
「二十六です」
「この有島に来たのはいつ?」
「二年くらい前かな」
「その前はどこでなにをやっていたの?」
「東京本土でふつうにサラリーマンしてましたよ」
「そこはどうして辞めた?」
「上司があまりにもアホなんでムカついてしまってね。もともと俺自身も組織で働くのには向いてなかったんですよ」
「で、会社を辞めたあとはすぐに有島へ?」
「そうですね」
「どうして有島に来ようと思ったの?」
「すべての夢が叶う島というこの島のキャッチフレーズに惹かれたんですよ。俺にも叶えたい夢があるんで」

 ――すべての夢が叶う島……。

 東京都は二十四番目の区としてこの島を作ると、そんな甘い謳い文句で多くの若者を誘致しようとした。しかし、その後、日本人の若者だけでなく、マフィアなどの不良外国人も大量に流入し、戦後史上の日本でもっとも治安の悪いエリアと化してしまった。国際的なエリアとして活性化させることを目指し、政府は有島に限ってすべての外国人に対してビザの規制を緩くしていたのだが、それが裏目に出たのである。

 赤ワインのグラスがテーブルに運ばれてきた。上島はそれをクイッと一口飲む。

「上島君の叶えたい夢というのは?」
「アーティストとして売れることです」
「なんのアーティスト?」
「作品をもってきてるんでそれを見てもらえますか。百聞は一見にしかずなんで」

 上島はそう言ってテーブルの上に三個の石を並べた。そこらの道端に転がっていそうななんの変哲もない石だが、それぞれの表面に「愛」、「夢」、「真実」と黒い字で書かれている。

「どんな石にもそれぞれ固有の心があります。人間と同じようにね。俺は石に手をかざすだけでその心を読み取ることができます。で、その伝わってきた思いのようなものを言葉にしてその表面に書いてやってるんです」
「それがアート?」
「そう、ストーン・アート」

 悦子は「愛」と書かれた石を手にとってじっと眺めた。

 ――ゴミね……。

 心の中でそう思った。もちろん口に出しては言わなかった。

 上島はズワイ蟹の炒飯が運ばれてくるとそれをガツガツと頬張りながら講釈を垂れた。

「俺がストーン・アートに目覚めたのは日本古来の宗教である神道がきっかけです。神道では森羅万象すべてのものに八百万の神が宿ると考えた。もちろんそこいらに転がっている石とて例外ではない。石はどうでもいい存在の象徴として使われがちだけど……」

 悦子はそれをうわの空で聞きながら今度は「真実」と書かれた石を手にとった。三個の中でいちばん平たい形をしている。平たい面を上にして海に投げたらポーン、ポーンとよく跳ねそうだなと思った。

「……というわけなんです」

 上島の話が終わった。

「なるほどね。で、上島君は毎日どんな生活を送ってるの? ただ石に字を書いてるだけ? 生活費はどうしてるの?」
「このストーン・アートをネットで販売してます」
「一個いくら?」
「石にもよりますけど三千円くらい」
「嘘でしょ! 誰がこんなものを三千円も出して買うのよ?」
「俺の作品にはそれだけの価値があります。三千円でも安いくらいです」
「今までに何個売れた?」
「……二個」
「誰が買ったの?」
「俺の……両親」
「でしょうね」

 悦子はふっと鼻で笑った。上島はムッとした表情を浮かべる。とりあえず謝っておくことにした。

「気を悪くしたらごめんね。まあ、芸術ってなかなか人には理解されにくいものだからね」
「そう、そのとおり。優れた芸術ほどなかなか理解されないんです。ゴッホの絵だって世間的に評価されるようになったのは本人が死んでからなんですよ」

 有島は外国人マフィアの跋扈する治安の悪いエリアと化しながらそれでもいまだに多くの日本人の若者を引き寄せ続けていた。「類は友を呼ぶ」というが、上島のようにこの島にやってくる日本人の若者も本質的には外国人マフィアと同じ人間のクズなのではないか……。そのあたりをじっくりと探って記事にしようと思っていた。上島にはもう少しだけ話を聞いておきたかった。ここで気を悪くしてインタビューを中断されては困るのである。

「でも、今までに二個しか売れてないんじゃそれで生計を立てていくことはできないでしょ。どうしてるの?」
「……親に仕送りしてもらってます」
「いくら?」
「毎月三十万円」
「そう。なかなかの額ね」

 その後は上島の生い立ちや家族との関係などについて訊いた。最後にこう質問した。

「それとね、最初からちょっと気になっていたんだけど、上島君、もしかしてマリファナをやってない?」

 彼はギクリとした顔をする。図星だったようだ。

「やってないですよ。どうしてそんなことを訊くんですか」
「目が赤く充血してる。マリファナを吸うとそうなることが多いからもしかしてと思って」
「ただのドライアイですよ」
「お願いだから正直に答えて。絶対に警察に密告したりなんてしないし、記事にも上島君の名前は出さないから」

 上島はふうっとため息をついて観念したかのように言った。

「アーティストはマリファナを吸うことでインスピレーションを得ることもあるんです」
「それはつまり上島君もやっているということね?」

 彼はそれを無言で肯定した。

「どこで入手してるの」
「それは……言えない。言ったら殺される」
「マリファナ以外のものも手に入るの? 覚醒剤とか」
「だから言えませんって」
「わかったわ。インタビューはこれで終わり。どうもありがとう」

 悦子は携帯電話の録音を止めた。

「それと最後にひとつお願いがあるの。上島君の他にもいろんな人にインタビューをしたいんだけど、誰か紹介してもらえない?」
「どんな人を?」
「日本人で二十代くらいでこの有島でなにか面白いことをやっている人」
「俺の知り合いでバイトしながらロックバンドをやっている奴がいますけど」
「お、いいね」
「連絡してみましょうか」
「お願い」

 上島はジーンズのポケットから携帯電話を取り出した。

 悦子は期待に胸が膨らんだ。バイトしながらバンド活動。それを聞くだけで人間のクズの匂いがプンプンと漂ってくる。今回の取材においては格好の取材対象者となるだろう。

 上島は携帯電話を操作する。が、少しの間を置いて聞こえてきたのは通話中の音だった。

「ダメだ。たぶん着信拒否にされてるんだ。俺、あいつに嫌われてるからな」
「それなら私の携帯からかけてみるから番号を教えて」
「名前は坂下健吾っていって、番号は……」

 悦子は自分の携帯電話から上島のいう番号を入力していった。
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