絶望ダンデリオン

小林ていじ

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第一章 闇に蠢くものたち

バナナチーズケーキ

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 その日のレンタルスタジオでのバンド練習を終えると、洋平はギターケースを背負って健吾に言った。

「よし、帰ろうぜ」

 健吾はいつも洋平をバイクで自宅アパートまで送っていた。が、その日はこう返した。

「ごめん。ひとりで帰ってくれ。今日はこの後ちょっと用事があるんだ」
「なんだよ。それじゃあ……」

 洋平は沙耶のほうを向いて言った。

「おまえ地下鉄だよな。いっしょに帰ろう」
「ごめん。私も用事」
「はあ?」

 健吾は二人を残して先にスタジオを出た。

 地下駐車場に下り、フルフェイスのヘルメットを被ってバイクに跨る。向かった先は新加美町にある一軒の喫茶店。雑居ビルの二階にあった。

「いらっしゃいませ。一名様ですか?」
「あとからもうひとり来ます」

 通されたのは窓際のテーブル席。目の前に新加美町の繁華な通りを見下ろすことができた。通りを挟んだ向かい側に一軒のブティックがあり、ショーウィンドウの中でライトアップされたマネキンはフリル袖ブラウスなどの夏服を着用している。

「お待たせ」

 健吾が店に到着してから約三十分後に沙耶が姿を見せた。ベースギターのケースを空いている椅子に置いて健吾と向かい合わせに座った。

「地下鉄?」
「そう。洋平を撒くのが大変だったよ。方向も同じだし。話ってなに?」
「別にそんなたいした話ではないんだけど……」
「待って。なにか注文した?」
「いや、まだ」
「この店はバナナチーズケーキが美味しいんだよね。けっこうボリュームあるから二人でシェアしない?」
「ああ、いいよ」

 健吾がそう答えると、沙耶は目を細めて蕩けるような笑みを浮かべる。健吾はそれを直視することができずに顔を背けた。

 沙耶が店員に注文を伝えてから健吾は話を切り出した。

「取材の申し込みを受けたんだ」
「なんの?」
「有島で夢を追いかける若者を取材して記事にしているらしい」
「私たちのバンドが取材を受けるの?」
「ああ。でも、取材したいのはひとりだけだって。で、そういうことなら俺や洋平よりも沙耶がいちばん良いいいだろうと思って」
「え、私?」
「沙耶は俺たちのバンドの顔みたいなものだから」
「うーん……」
「これは俺たちの存在を世間に知らしめるチャンスだ」
「わかった。やってみるよ。でも、どうして洋平には秘密なの?」
「あいつが知ったら絶対に出たがるだろ」
「洋平でもいいと思うけどな。私よりずっとうまく喋れるだろうし」
「ダメだよ。ヴィジュアル的にもここは沙耶が適任だ。それにあいつ、バンド名を訊かれたらなんてなんて答えると思う?」
「……ヨーヘーズ?」
「そう。俺たちのバンド名をダンデリオンじゃなくてヨーヘーズにされちまう」

 二人は顔を見合わせてクスッと笑った。

 テーブルに紅茶とバナナチーズケーキが運ばれてきた。ケーキの上に輪切りのバナナが隙間なく並べられている。二人をそれをいっしょに食べた。

「どう?」
「意外と美味いかも」
「そうでしょ」

 沙耶といるときはいつも洋平も傍にいた。彼女とこんな風に二人きりで食事をするのははじめてのことだった。ケーキを食べ終えたらこの貴重な時間が終わってしまうような気がして健吾はゆっくりとフォークを動かした。

 最後にバナナが一切れ皿に残された。健吾はそれを食べるのを躊躇った。その前に言わなくてはならない気がした。

「あ、あのさ……」
「なに?」

 しかし、言えなかった。代わりに別のことを口にした。

「取材はいつが都合がいい?」
「来週だったら午前中ならいつでも大丈夫」
「わかった。そう伝えておくよ」
「取材するのはどんな人?」
「黒澤悦子さんていう女性のライター。俺もまだ直接は会ったことない」

 沙耶は最後のバナナをフォークで刺して口に運んだ。健吾の頭の中でタイムアップの笛が鳴らされる。ふうっと小さくため息をついた。

「じゃ、行こうか」

 会計を済ませて店を出る。雑居ビルの階段を下りて外に出た。駐車場に止めてあった自分のバイクの前に立った。

「じゃあね」

 沙耶は笑顔で手を振って健吾に背を向ける。健吾は唇を噛み締めて天を仰いだ。外灯に照らされる街路樹の葉が夜空を背景にしてあまりにも鮮やかな緑を放っていた。
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