絶望ダンデリオン

小林ていじ

文字の大きさ
11 / 69
第一章 闇に蠢くものたち

タイマフィア

しおりを挟む
 ラットが口にくわえているタバコの先端が赤く灯った。目の前でしとしとと降り続ける雨に向かって白い煙を吐き出す。

 相棒のボンもタバコを口にくわえた。使い捨てライターで火をつけようとするが、雨の湿気を含んだ風に吹き消されてうまくつけることができない。ラットの吸いさしを借りてそれで自分のタバコに火をつけた。

 有島の港にほど近い閑静な通り。二人はそこに建つ雑居ビルの軒下で雨宿りをしていた。ときおりクルマが水溜りをぴしゃりと撥ねながら目の前を通り過ぎていく。

「俺はタイに帰ることにしたよ」

 ボンがタバコの煙を吐き出しながら言った。

「どうして?」
「有島はもう中国マフィアの連中のものだ。俺たちにはどうすることもできない」
「タイに帰ってどうする?」
「こんな稼業からは足を洗ってまともな仕事に就くよ。たとえば、タクシーの運転手とか。俺の帰りを待っている女もいることだしな」
「初耳だな」
「写真見るか?」

 ボンは短くなったタバコをコンクリートの地面に落とし、革靴の底でもみ消してから水色のワイシャツのポケットから携帯電話を取り出した。それを操作して女の上半身のホログラムを空間に映し出した。

「これがおまえの女か?」
「そう。名前はアンだ。バンコクにいる」

 化粧が濃く、ピンクのキャミソールを着ており、水商売の雰囲気を漂わせている。とはいえ、猪のような野暮ったい顔のボンとは不釣合いなほどの美人だった。

「連絡は取っているのか?」
「いや、もう一年以上は……」
「バカだな。それでどうしておまえの帰りを待っているなんて言える? もう他に男がいるに決まってるだろ」
「もしそうだとしても、直接会って話せばきっとまた俺のところに戻ってきてくれるさ」
「他に女を探せ。有島にもいい女はたくさんいる」
「俺に合う女はアンしかいないんだよ」

 ボンはそう言ってホログラムのアンと唇を重ね合わせる。その滑稽な姿にラットは失笑を禁じえなかった。

 ラットの携帯電話が鳴った。顧客からのメッセージが届いていた。

「さてと、仕事だ」

 ボンからタバコの箱を受け取ってスラックスのポケットにしまった。箱に入っているのはタバコではなく、小さなビニール袋に包まれた覚醒剤である。

 かつて彼らタイマフィアはこの有島で売春婦の斡旋からまともな飲食店の経営まで幅広いシノギをもっていた。しかし、その後、中国マフィアに次々と縄張りを切り取られていき、今では大麻や覚醒剤の取引のみで糊口を凌いでいる状態だった。

 ラットは軒下から雨の中に手を出した。かなり小降りになってきている。傘をもっていなかったが、必要はなさそうだった。

 ボンが背後から訊いた。

「おまえはこれからどうするつもりだ?」
「有島に残るよ。タイに帰ったところで俺にはなにもないからな」

 ラットは雨の中に飛び出した。雨に濡れたアスファルトの上を小走りする。やがて前方に一軒のコンビニが見えてきた。その前に黒い傘を差したサラリーマン風の男が立っていた。

 彼とすれ違いざまにタバコの箱を素早く交換した。ラットの受け取った箱には覚醒剤の代金が入っている。これで任務完了。そのまま通り過ぎようとした。そのときだった。

「動くな!」

 全身に黒のパワードスーツを装着した男が二人にマグナムの銃口を向けていた。警察の特殊治安部隊である。

 ――バカな……!

 ラットは戦慄した。建物の陰や路上駐車されたクルマの中など周囲にはそれなりに注意を払っていたつもりだった。いったいどこに身を潜めていたというのか。

 隊員はまずサラリーマンのほうに銃口を向けて言った。

「今おまえが受け取ったものを渡せ」

 サラリーマンはおとなしくそれに従う。隊員は空いているほうの手でそれを受け取った。

「よし。おまえはいい。行け」

 隊員がそう言って顎をしゃくるとサラリーマンは足早にその場を立ち去った。次にラットのほうに銃口を向けた。

「両手を頭の後ろで組め」
「いや、ちょっと待ってくれよ。俺たちは別になにも……」

 ラットは両手をあげる動作をわざとゆっくりと行った。できるだけ時間を稼ぎたかった。隊員の背後から拳銃をもったボンが忍び足で近づいてきていた。

 ――もう少し。あともう少し……。

 フルフェイスのヘルメットのようなマスクに覆われて隊員の表情はわからなかったが、ボンの接近には少しも気付いていないようだった。

「さっさとやれ!」
「わかったよ。そう怒鳴らないでくれ」

 ラットは頭の後ろで両手を組んだ。それとほぼ同時だった。

「そこまでだ。銃を捨てろ」

 ボンが隊員のうなじのあたりに銃口を突きつけて言った。その部分は装甲ではなく薄い布地のみで覆われていた。

「捨てるのはおまえのほうだ。殺すぞ」
「なんだと? おまえ自分の置かれてる状況がわかってるのか?」

 ボンは銃口をグイッと強く押し付けた。次の瞬間だった。

 隊員はラットのほうに向けていたマグナムを自分の肩の上でクルリと反転させ、なんの躊躇いもなく引き金を引いた。

 ダン!

 すべての雨音を吹き飛ばして響き渡る銃声。ボンの頭部がスイカのように弾け飛んだ。ラットは恐怖で悲鳴にならない悲鳴をあげた。

 そこからは無我夢中だった。

 横を通りかかった軽トラックの荷台に飛び乗った。荷台の上をゴロゴロと転がり、止まったところで身を伏せる。

 ダン!

 また響き渡る銃声。タイヤを撃たれたらしく、軽トラックはコントロールを失って大きく蛇行する。街路樹に激突し、その衝撃でラットの体は路面に放り出された。

 すぐに起き上がって走った。心臓は破裂してしまいそうなほど早く鼓動し、脚の筋肉の疲れは限界に達していた。が、それでも全力で走り続けた。逃げなければ殺される。そんな生物としての原始的な本能に衝き動かされていた。

 レストランの看板、通行人の差す赤い傘、水溜りに浮かぶゴミ袋……。それらの映像が彼の視界をひどく断片的に走馬灯のように走り抜けていく。

「……大丈夫か?」

 気が付いたときには組織のボスであるチャイの顔が目の前にあった。生きてアジトに戻ってくることができた。その安堵感から思わず泣き出しそうになった。

「いったいなにがあった?」
「撃たれた! あのクソ野郎、ボンを撃ちやがった!」
「誰に撃たれた?」
「特殊治安部隊のクソ野郎です!」
「……そうか」

 チャイはラットにハンドタオルを投げてからソファにどかりと腰を下ろした。

 窓の外は土砂降りになっていた。ラットも全身びしょ濡れになっており、前髪の先から水滴がポタリと垂れた。ハンドタオルで自分の体を拭きながら言った。

「もうダメかもしれません。特殊治安部隊にまで狙われるようになったらいったいどうやってこの島で生き残ればいいんですか」
「これまでは薬くらいで射殺されるなんてことはなかったんだが……」

 チャイは口元に手をあてて考え込む仕草を見せる。彼はスキンヘッドで、七十歳に近い高齢のせいもあるだろうが、マフィアにしては珍しいほど柔和な目をしていた。じっと考えているときの姿は高尚な僧侶のようでさえあった。

「バンコクからあいつを呼び寄せるしかないか」

 長い沈黙の末、口元に手をあてたままそう呟いた。

「あいつ……とはいったい誰です?」

 チャイはその質問にはなにも答えなかった。窓の外の灰色の雨雲に一本の稲妻が走った。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

サイレント・サブマリン ―虚構の海―

来栖とむ
SF
彼女が追った真実は、国家が仕組んだ最大の嘘だった。 科学技術雑誌の記者・前田香里奈は、謎の科学者失踪事件を追っていた。 電磁推進システムの研究者・水嶋総。彼の技術は、完全無音で航行できる革命的な潜水艦を可能にする。 小与島の秘密施設、広島の地下工事、呉の巨大な格納庫—— 断片的な情報を繋ぎ合わせ、前田は確信する。 「日本政府は、秘密裏に新型潜水艦を開発している」 しかし、その真実を暴こうとする前田に、次々と圧力がかかる。 謎の男・安藤。突然現れた協力者・森川。 彼らは敵か、味方か—— そして8月の夜、前田は目撃する。 海に下ろされる巨大な「何か」を。 記者が追った真実は、国家が仕組んだ壮大な虚構だった。 疑念こそが武器となり、嘘が現実を変える—— これは、情報戦の時代に問う、現代SF政治サスペンス。 【全17話完結】

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

春の雨はあたたかいー家出JKがオッサンの嫁になって女子大生になるまでのお話

登夢
恋愛
春の雨の夜に出会った訳あり家出JKと真面目な独身サラリーマンの1年間の同居生活を綴ったラブストーリーです。私は家出JKで春の雨の日の夜に駅前にいたところオッサンに拾われて家に連れ帰ってもらった。家出の訳を聞いたオッサンは、自分と同じに境遇に同情して私を同居させてくれた。同居の代わりに私は家事を引き受けることにしたが、真面目なオッサンは私を抱こうとしなかった。18歳になったときオッサンにプロポーズされる。

ビキニに恋した男

廣瀬純七
SF
ビキニを着たい男がビキニが似合う女性の体になる話

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

むっつり金持ち高校生、巨乳美少女たちに囲まれて学園ハーレム

ピコサイクス
青春
顔は普通、性格も地味。 けれど実は金持ちな高校一年生――俺、朝倉健斗。 学校では埋もれキャラのはずなのに、なぜか周りは巨乳美女ばかり!? 大学生の家庭教師、年上メイド、同級生ギャルに清楚系美少女……。 真面目な御曹司を演じつつ、内心はむっつりスケベ。

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

【アラウコの叫び 】第3巻/16世紀の南米史

ヘロヘロデス
歴史・時代
【毎週月曜07:20投稿】 3巻からは戦争編になります。 戦物語に関心のある方は、ここから読み始めるのも良いかもしれません。 ※1、2巻は序章的な物語、伝承、風土や生活等事を扱っています。 1500年以降から300年に渡り繰り広げられた「アラウコ戦争」を題材にした物語です。 マプチェ族とスペイン勢力との激突だけでなく、 スペイン勢力内部での覇権争い、 そしてインカ帝国と複雑に様々な勢力が絡み合っていきます。 ※ 現地の友人からの情報や様々な文献を元に史実に基づいて描かれている部分もあれば、 フィクションも混在しています。 動画制作などを視野に入れてる為、脚本として使いやすい様に、基本は会話形式で書いています。 HPでは人物紹介や年表等、最新話を先行公開しています。 公式HP:アラウコの叫び youtubeチャンネル名:ヘロヘロデス insta:herohero_agency tiktok:herohero_agency

処理中です...