絶望ダンデリオン

小林ていじ

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第一章 闇に蠢くものたち

リリス

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 リリスは壁に取り付けられた姿見の前で体をクルリと回転させ、白レースのスカートをふわりとふくらませる。その上のブラウスは黒と白を基調にしており、衿には大きな黒いリボンをあしらっている。彼女のサラリとした長い黒髪は服の黒い部分と同化している。

 頬に手をあてて微笑み、次に悩ましげな表情を作った。表情と角度を次々と変えていった。姿見の中の自分の姿にうっとり見蕩れていた。

 その日届いたばかりのオーダーメイドの服。スカートの内側に特別な細工を施しており、裾を摘んで持ち上げるとカチャカチャと金属の触れ合う音がした。

 ベランダに出ると、眼下にタイの首都バンコクの夜景が広がっている。地上をすべて埋め尽くすかのような圧倒的な煌めき。そこに一本の黒い亀裂が走っている。バンコクを中心に流れるチャオプラヤ川である。

 ふいに左手首に巻いていた携帯電話が警告音を鳴らした。指先で触れると、空中に四角い光が浮かび上がる。そこに映されるのは部屋の前に設置していた監視カメラの映像。目出し帽で顔を覆い、拳銃をもった男たちが部屋のドアの前にいた。人数は七人。

「ククッ……」

 リリスは笑った。彼女ひとりを殺すために今回は随分と大勢で来たものだなと思った。

 室内に戻ると、ベッドの下から一体のマネキンを引っ張り出した。ピンクのネグリジェを着せ、頭には黒の長髪のカツラを被せている。それを入り口のドアに背を向けてベッドに寝かせ、肩の少し下あたりまで掛け布団をかけた。

 自分は寝室の隣のバスルームに身を隠した。スライド式のドアを少しだけ開け、その隙間から外を覗けるようにした。スカートの内側に隠していた全長二十センチほどのスモールマシンガンを右手に構え、じっとそのときを待った。

 ド―――ン!

 凄まじい爆発音とともに部屋全体がブルブルと振動した。入り口のドアが爆破されたようだ。部屋に入ってくる足音。銃の乱射される音。ドアの隙間からちらと覗いた。ベッドの上のマネキンに銃弾が何発も浴びせられていた。

 それがふいに止んだ。束の間の静寂。ひとりの男がマネキンにゆっくりと近づき、掛け布団を勢いよく捲った。

「違う!」

 リリスはバスルームの壁に設置されたボタンを押した。すると、寝室の天井の四隅から白い煙幕がプシュッと噴出される。

 彼女を殺したがっている人間は山ほどいた。いつか彼女の住居が割れ、襲撃されるであろうことは想定の範囲内だった。そのときの対策はしっかりと行っていた。

「げほっ、げほっ……」

 真っ白に覆われた空間の中に男たちの咳き込む声が響く。リリスはその中へ飛び出し、マシンガンを連射した。

 バババババババ!

 射撃音の中にときおりガラスの割れる音が交じる。

 引き金から指を離した。ベランダの窓を開けるとそこから煙幕が排出されていく。床に倒れる男たちの死体が徐々に見えてきた。その数を数えた。一、二、三、四、五、六……。

 ――ひとり足りない!

 携帯電話でマンションの通路に設置した監視カメラの映像を確認した。通路を走り去っていく男の後ろ姿が見えた。

 彼女の命を狙ってきた相手はひとりたりとも逃がすわけにはいかなかった。男を追って部屋を飛び出した。

 通路を走ってエレベーターホールに着いた。エレベーターはぜんぶで三基。彼女のいる二十六階から下に向かって動いているものはない。男はエレベーターを使わずに階段で下りていったようである。あれだけ慌てて出ていったのだから悠長にエレベーターが来るのを待ったりなどするはずもないだろうが。

 下に向かうボタンを押した。すぐにドアが開いた。白髪の老婆がひとり乗っていた。青ざめた顔をしている。

「ねえ、あなた聞こえたでしょ?」

 一階に向かって下りていくエレベーターの中で老婆が訊いた。

「なにがですか」
「爆発音よ。あなたが乗ってきた階あたりからよ」
「私はなにも聞こえませんでしたけど」
「きっとテロリストが攻めてきたんだわ。恐ろしい……」

 老婆はブルブルと体を小刻みに震わせる。その様子が可笑しくて、リリスは彼女に背を向けてククッと小さく笑った。

 一階に到着してドアが開いた。リリスはエレベーターを降りるとエントランスからマンションの外へ出た。エントランスの斜向かいに翼を生やした女神像があったので、その台座の裏側に身を隠すことにした。

 二十六階から階段でエレベーターより先に下りられるはずはない。マンションの出入り口はこのエントランス一ヶ所のみなので、ここで男が出てくるのを待ち構えていればいい。しかし、リリスは男の顔を知らなかった。もし彼が目出し帽を脱ぎ、服を着替えて出てきたらまったくわからなくなってしまう。

 ――まあ、そこまで頭がまわるわけないか……。

 携帯電話の着信音が鳴った。

「ハロー」

 リリスがそう言うだけで通話が繋がるようになっていた。

「私だ」
「誰だよ」
「チャイだよ」
「けっ、まだ生きてやがったのか」

 まだチャイがバンコクにいた頃、彼からは何度も仕事の依頼を受けていた。主に敵対する組織の人物の暗殺である。今はもう有島に拠点を移したと聞いていたが……。

「有島に来てくれないか」
「はあ?」
「我々は今、有島で非常に苦しい状況に立たされている。おまえの助けが必要なんだ」
「なんで私が……」

 リリスはチャイと電話で話しながらエントランスの自動ドアをじっと見張っていた。スカートの内側から拳銃を取り出して構えた。

「聞いているのか?」
「今、取り込み中なんだよ。そういう話はあとにしてくれ」

 しばらくして自動ドアが開いた。そこから出てきた男は黒のTシャツにブルージーンズという服装だった。目出し帽は被っていなかったが、それ以外は同じである。彼で間違いなかった。息を切らせて走り、リリスの隠れている女神像の前を通り過ぎた。

 リリスは女神像の後ろから体を出し、男に銃口を向けた。

「バイバーイ」

 後頭部に狙いを定めて引き金に指をかけた。が、思い直して拳銃を下ろした。もう少し遊びたくなったのである。

 拳銃をスカートの内側にしまい、代わりにハンティングナイフを取り出した。革鞘を抜き取ると黒光りする刀身が現れる。それを右手に構えて男を追った。

 男はマンションの敷地を出ると、チャオプラヤ川沿いに設けられた人気のない遊歩道を走った。川岸に等間隔で並ぶ外灯がモザイク模様の石畳を照らしている。向こう岸に並ぶ高層ビル群は真っ暗な川面にその光を映し込ませている。

 リリスは追跡に気付かれないように男とステップをそろえて走り、足音を重ね合わせた。男との距離は徐々に縮まっていった。

 彼の走る速度は徐々に落ちていき、やがて走るのをやめる。川岸の手すりの上に手を置いて肩で荒く呼吸した。きっと心の中でこう思っているはずだ。ここまで逃げればもう大丈夫だろう。しかし、後ろを振り返ると、そこにリリスが立っている。にたりと笑って言った。

「残念でした」

 地獄から生還したと思わせておいて再び地獄に突き落とす。男の顔は恐怖と絶望に歪む。その表情がリリスをゾクゾクと興奮させる。

 男の髪の毛を掴んで首にナイフを突き立てた。

 サクッ。

 まるでケーキを切るときのようにいとも簡単に刃が入っていく。頚動脈で止まるが、少し力を強めるだけで切断できた。そこからブシュッと勢いよく鮮血が噴き出し、リリスの服に赤い染みを作る。男の顔からは徐々に生気が失われていく。 

「ねえ、今どんな気持ち?」

 彼は酸欠の金魚のように口をパクパクと動かすだけだった。

 ぐったりと動かなったところで首を切断した。髪の毛を掴んで生首をぶら提げた。外灯の光に照らされて石畳の上に影ができている。影の生首と実物の生首からそれぞれ血がポタリと垂れ、石畳の上でひとつに結合する。

「リリス。いるか?」

 チャイの声が聞こえた。携帯電話の通話がまだ繋がっていたのである。

「なんだよ?」
「頼む。有島に来てくれないか」
「有島は楽しいのか?」
「楽しい?」
「たくさん人を殺せるのかってことだよ」
「ああ、もちろんだ」

 彼女の住処を知られてしまった以上、どこか別の場所に引っ越さなくてはならなかった。ならば、その引っ越し先を有島にするのも悪くないかもしれないが……。

 少し離れた大木の下に緑色の大きなゴミ箱が置かれていた。そのゴミ箱に向かって生首を投げ、入ったら有島行きを受諾、外れたら拒否することにした。

「それなりの報酬も約束する。どうだ?」
「ちょっと待て」

 生首をゴミ箱に向かって投げると、放物線を描いて飛んでいく。髪の毛を掴んで投げたのでコントロールが難しく、方向が少しズレてしまったように見えた。が、生首は大木の幹にぶつかって跳ね返り、ゴミ箱の中にスポリと落ちた。
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