絶望ダンデリオン

小林ていじ

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第一章 闇に蠢くものたち

ヨーヘーズ

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「じゃあ、始めるわね」

 悦子はテーブルの上に携帯電話を置いてから向かい合わせに座る沙耶に言った。これで会話の内容を録音するらしい。

「沙耶さんは年齢はいくつ?」
「あの……、その前にひとついいですか?」
「どうぞ」
「これはどういう趣旨の取材ですか?」
「彼からはなにも聞いてない? 有島で夢を追いかける若者たちを取材して記事にしているの」
「私、バンドをやっているんですけど、そのことについても記事で取り上げてもらうことはできますか?」
「もちろんよ。彼といっしょにやってるバンドよね?」
「彼……というのは健吾のことですか? 健吾は彼氏ではありません。とても大切な仲間ではありますけど」
「あら、そう」

 新加美町の雑居ビル二階にある喫茶店にいた。数日前、健吾と密会したのと同じ店。インタビューを行う場所として沙耶のほうでこの店を指定したのだ。

「質問を始めていい?」
「はい」
「年齢は?」
「二十四歳です」
「有島に来たのはいつ?」
「約二年前です」
「その前はなにをやっていたの?」
「大学を卒業してからちょっとだけ就職してましたけど、やっぱり音楽への道を諦めることができなくて。私、とにかく歌うのが好きなんです」
「今は生活費はどうしてる?」
「タイ料理レストランでバイトしてます」
「現在のあなたの生活について親御さんはなんて言ってる?」
「……え?」

 これは沙耶についての取材ということだったのにどうして急に親の話になるのだろうか。少し嫌な気持ちになったが、正直に答えることにした。

「親はいません。私が子供のときに二人とも亡くなってます」
「そう。ごめんなさい」
「学費などはぜんぶ親戚に出してもらいました。そこまでしてもらったのに会社を辞めて自分勝手な人生を送って本当に申し訳ないと思ってますけど……」

 そこからは沙耶の学生時代や会社員時代についての質問が続いた。悦子への不信感が湧いてきた。有島で夢を追いかける若者の取材ということだが、それは本当なのだろうか。悦子の沙耶に対する言葉にはただ冷たさしか感じることができなかった。

 高校卒業後の進路のことで担任の女教師である茂木と二者面談したときのことを思い出した。夕日の差し込む放課後の教室で沙耶は茂木に言った。

「私、大学には行きません。ストリート・ミュージシャンをやります」

 茂木は深くため息をついた。

「本気で言ってるの?」
「本気です」
「もう子供じゃないんだから、もっと真剣に自分の人生を考えないとダメよ」
「真剣に考えてます。私、歌うのが好きなんです」
「歌うのが好きならカラオケに行けばいいでしょ。とりあえず大学には行きなさい」
「いや、でも……」
「あなたの学力ならいいところに入れるんだから。わかったわね?」

 やがて沙耶は言い返すのを諦めた。きっとこの人にはなにを言っても自分の気持ちは理解してもらえないのだろう。そんな無力感に襲われていた。

 そのときと同じ感情を、沙耶は今、目の前に悦子に対して抱いていた。細くつりあがった目やその下のたるみなど容姿も少し似ているような気がした。

「会社ではどんな仕事をしていたの?」
「たいした仕事は任されてませんでした。電話をとったり、資料を作成したり……」
「でも、そういう仕事も大切なのよ」
「そうですね」

 ――さっきから本当につまんない話ばっかり……。

 いいかげんうんざりしてきた。が、自分たちのバンドを記事の中で宣伝してもらうという目的があったので、インタビューは続けてもらわなくてはならなかった。

 入り口の自動ドアが開いた。そして入ってきた男の姿にぎょっとなった。洋平だった。空いているテーブル席に着き、サングラスを外してTシャツのVネックにかける。店員を呼んでラテを注文した。

「どうしたの?」
「いえ、なんでも」

 沙耶は平静を装って答えた。悦子の位置からは洋平の姿は見えなかった。おそらく健吾が教えてしまったのだろうが、いったいなにしに来たのだろうか。

「有島に来てからのことを教えて」
「まずはバイトを探しました。貯金があまりなかったので……」

 沙耶は話しながら洋平のほうをちらちらとうかがった。腕組みをしたままじっと動かない。とりあえずインタビューに割り込んでくる気はなさそうである。

「バンドはいつから?」
「最初は私ひとりでフォークギターの弾き語りをしていて……」

 洋平との出会いについて話した。

 小雨の降る日だった。沙耶は新加美町の路上で傘も差さずにフォークギターの弾き語りをしていた。演奏していたのはエリック・クラプトンの「ティアーズ・イン・ヘブン」。そこへ傘を差した洋平が姿を現して言った。

「いつもカバーばっかやってんだな。オリジナル曲はやらないのか?」
「作曲できなくて……」
「じゃあ、俺の作った曲を歌えよ」

 洋平はそう言って沙耶に傘を差し出した。

「そしてバンドを結成?」
「そうです」
「なかなか良い出会いね。ちょっとキザ過ぎるけど。健吾君は?」
「洋平と健吾はもとから友達でした。バンドを組むためにヴォーカルとベースを探していたそうなんです」
「ベースは誰が?」
「私がベースも兼ねてます。高校の軽音楽部ではギターとベース両方やっていたので」
「バンド名はなんていうの?」

 沙耶がその質問に答えようとしたときだった。

 トントン。

 洋平がテーブルの上を叩いた。そして沙耶に一枚の紙を見せる。そこに黒のマジックで大きく書かれていたのは「ヨーヘーズ」という文字。沙耶は思わず噴き出しそうになったが、顔をうつむけて堪えた。

「……わ、私たちのバンド名はダンデリオンです」
「どういう意味?」
「たんぽぽという意味です。野に咲く一輪のたんぽぽのように人を和ませて、幸せにできるバンドになろうという願いを込めてます」
「曲作りはどうしてる?」
「洋平が作曲、健吾が作詞を担当しています。洋平ってふだんはただのバカなんですけど、すごく美しい曲を作るんです。それにロックへの情熱もすごい。バカなんですけど、人間としては本当に尊敬してます」

 洋平のカンペを無視したことを埋め合わせるための機嫌取りとしてそう言っているわけではなかった。本心からそう思っていた。洋平の顔をちらとうかがった。眉間に皺を寄せた憮然とした表情でラテを啜っていた。

 今後の目標などについて訊かれてインタビューは終わった。

「あ、あの……写真は撮らないんですか?」
「ああ、写真ね。そうね。一応、撮っておいたほうがいいかしら」

 当然、撮影もするものだと思っていたので、いつもより念入りに化粧していた。悦子は会話を録音していた携帯電話を手に取り、そのレンズを沙耶に向けた。

「じゃ、撮るわよ」
「ちょっと待ってください! それで撮るんですか?」
「なにか不服でも?」
「いえ……」

 ネット記事の撮影はこんな雑に済ませてしまうのが当たり前なのだろうか。それとも、舐められているのだろうか……。

「はい、チーズ」

 沙耶はそんな内心を押し隠してにこりと笑顔を作った。カシャ。シャッターが切られた。撮影は一回だけだった。

「他にも何人か取材をしたいのだけど、誰かいい人がいたら紹介してもらえないかしら」
「有島で夢を追いかけている若者ですよね」
「そうね」
「有島で取材しているのはそれだけですか?」
「……というと?」
「私のバイト仲間のタイ人が急にいなくなってしまったんですけど、そういうことを取材したりはしないんですか?」
「いなくなってどうしたの?」
「え? いなくなっただけですけど……」
「有島でタイ人がひとりいなくなったというだけでは記事にならないわね」
「そうですか……」

 沙耶は小さくため息をついた。洋平はいつの間にか姿を消していた。テーブルの上にはラテのマグカップだけが残されていた。
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