絶望ダンデリオン

小林ていじ

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第ニ章 俺たちの夢

飲酒検問

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 暁明の運転するクルマが十字路の赤信号で停まったとき、助手席に放り投げていた携帯電話が鳴った。

「ウェイ?」

 そう言うだけで自動で通話が繋がる。外灯の光だけがわずかに差し込む薄暗い車内に地の底から響いてくるかのようなドスのきいた声が響く。

「ボス。俺です。杰勇です」
「どうした?」
「あの女を捕まえました」
「あの女?」
「カジノを襲撃したタイ人の女です」
「なに……?」

 にわかには信じられない話だった。暁明をあそこまで追い詰めた相手を杰勇如きが簡単に捕まえられるわけがなかった。

「今そこにいるのか?」
「はい」
「見せてみろ」

 携帯電話からホログラムの映像が展開される。浅黒い肌の黒髪の女が目を閉じて横になっている。服装は白のシャツに紺のロングスカートである。

「これがあの女だというのか?」
「そうです」
「なぜそう思った?」
「タイ人ですし、服装がボスが言っていたのと同じです」
「それだけか?」
「え?」
「おまえはただそれだけのことでこの女がカジノを襲撃した女だと判断したのか?」
「え、ええ、まあ……」

 ――バカか、こいつ……!

 暁明は怒鳴りたくなるのを堪えてハンドルを拳で叩いた。杰勇はいつも後先考えずに思いつきや目先の利益だけで行動し、組織に迷惑をかけていた。いいかげん破門も視野に入れて処分を考えようとしていたところだった。

 しかし、どうせ女はカジノを襲撃した女とは関係のない赤の他人だろうが、現場には赴く必要があると思った。放っておいたら杰勇が女にいったいどんなことをしでかすかわかったものではないからである。

 後方からプッとクラクションが鳴らされた。信号が青に変わっていた。暁明はチッと舌打ちをしてアクセルを踏んだ。

「これから事務所まで連れていきますよ。ですので、ボス自身の目で確認してください」
「俺は今事務所にいない。おまえはどこにいる?」
「現在地を送ります」

 携帯電話から放たれるホログラムの映像が平面の有島全体の地図に切り替わる。そこに杰勇と暁明の現在地がそれぞれ矢印で示される。杰勇がいるのは西の海岸近く。クルマなら十五分程度で着きそうな距離だった。

「よし、そこからあまり動くな。俺のほうからそっちに行く」
「わかりました」

 通話を終えても地図は表示させたままクルマを運転した。暁明の現在地を示す矢印が杰勇の矢印に徐々に接近していく。

 やがて立方体の巨大な建物が見えてきた。星ひとつ見えない夜の中で窓全体の半分ほどをまばらに灯らせて鎮座するその姿はまるで宇宙空間に浮かぶ巨大戦艦のように見えた。その後方には高層ビル群の光が地平線上に長く広がっている。

 ふいに前のクルマが停まった。飲酒検問らしく、青の制服と白のヘルメットを着用した警官が前のクルマの運転手と話している。そのクルマが走り去ると、次に暁明のところにやってきて言った。

「飲酒検問です。これに息を吹きかけてください」

 暁明は目の前に差し出されたスティックにふうっと息を吹きかける。警官はそのスティックを見つめ、暁明の顔をちらと一瞥し、またスティックに目をやる。暁明はその日一滴も酒を口にしていない。陽性反応など出るはずもないのだが……。

「中国人ですか?」

 警官が訊いた。

「そうだ。それがどうした?」
「免許証とパスポートを見せてください」
「免許証はあるがパスポートはない。そんなもん普段持ち歩かないだろう」
「それなら一度クルマを降りてください」
「どうしてだ?」
「いいから降りてください」
「ふざけんなよ。これは飲酒検問だろ。どうしてクルマを降りる必要がある? 陽性反応は出たのか、出なかったのか。それを答えろ」
「出ていません」
「それならもういいだろ」

 暁明は警官を振り切るようにしてアクセルを踏んだ。道路に並んだ三角コーンと赤色灯を点灯させたパトカーを横目に見ながら走り抜けた。

 少し走ったところで後方からバイクの音が近づいてくるのが聞こえた。バックミラーに映されていたのはバイクで追いかけてくる特殊治安部隊の隊員。前部に取り付けられた赤色灯が点滅してバイクとパワードスーツの黒に艶を与えている。

「そこのクルマ停まりなさい」
「まったく、なんだってんだ……」

 日本の警察とはあまり揉め事を大きくしたくなかった。観念してブレーキを踏もうとした。しかし、そのとき、バックミラーに映る隊員が右手に拳銃を構えるのが見えた。

「おい、冗談だろ……」

 その銃口が暁明に向けられた。暁明はハンドルを握ったまま上半身を屈めた。次の瞬間、弾丸が発射される。リアガラス、椅子、フロントガラスを貫通し、ガラスに開いた穴を中心に蜘蛛の巣のようなひびを作る。

 暁明はアクセルを強く踏み込んだ。が、それでもバックミラーの中の隊員はぐいぐいとさらに距離を縮めてくる。

 道路は緩やかな上り坂になり、高架道路へと切り替わる。二発目の銃弾は来なかった。暁明の前を走っていたクルマとの車間距離が縮まっていた。そこに流れ弾が行かないように配慮しているのだろう。

 暁明はハンドルを左右に切って先行車の隙間を縫うようにして走った。が、小回りの良さではバイクにとても敵わない。気が付くと、助手席側の窓の外に隊員の姿があった。銃口を暁明に向けて二発目の銃弾を発射しようとしていた。

 選択肢はひとつしかなかった。ハンドルを思い切り左に切って隊員をバイクごと跳ね飛ばした。自身のクルマも空中へと放り出された。

 無重力状態の車内。

 暁明は運転席のドアを開けて外に飛び出し、草むらの上をゴロゴロと転がった。次の瞬間、クルマとバイクが立て続けに落下し、その轟音で大地がビリビリと振動した。

「うぐうッ……!」

 暁明の全身に鈍痛が走る。タイ人の女から受けた傷はまだあまり回復していない。本来であればまだ病院で安静にしていなければならない状態だった。

 隊員の姿を探した。クルマやバイクよりも軽い分、より遠くまで飛んだらしく、少し離れた草むらの中で横になっていた。左の肘関節はあらぬ方向に曲がっている。マスクで顔を覆われているため、どんな苦悶の表情で死んでいったのかはわからない。黒のシールドに月明かりを鈍く反射させているだけだった。

 警察が有島のマフィア壊滅作戦に乗り出していることは知っていた。が、犯行現場を取り押さえられたわけでもないのにまさか発砲してくるとは思いもよらぬことだった。彼らは本気で自分たちを殺しにかかってきている。

 タバコを取り出そうとジャケットの内ポケットに手を入れた。そのときだった。突然、隊員がガバッと上半身を起こし、地面に転がっていた拳銃を取ってその銃口を暁明に向けた。

 ――バカな……!

 暁明は回し蹴りでその拳銃を跳ね飛ばした。そしてジャケットの内ポケットからタバコの代わりに拳銃を取り出し、隊員に向けて何発も連射する。が、パワードスーツの分厚い装甲にすべて弾き返される。

 隊員はゆっくりと立ち上がり、左の肘から先をブラブラと振り子のように揺らし、右手を前に突き出して暁明に向かっていった。まるでゾンビのようなその異様な姿に暁明は今までに味わったことのない種類の恐怖を覚えた。

 隊員は暁明の胸倉を掴むと、右腕だけで彼の体を軽々と持ち上げる。そして思い切り地面に叩きつける。内臓が潰れそうになるほどの衝撃。

 暁明が地面に倒れたところに隊員のパンチが振り下ろされた。暁明はそれをかわすと、隊員に下から抱きつく格好になった。そして相手の頭頂部と顎を両手で掴んで思い切り捻った。ゴキッと音が鳴り、隊員はパタリと力尽きた。

 暁明は立ち上がり、隊員の体を見下ろしてふうっと大きく息を吐いた。首の骨をへし折ってやったのだ。今度こそ確実に仕留めただろう。

 ――しかし、これからどうしたものか……?

 いろいろなことが重なって少しだけ頭が混乱していた。とりあえず目の前のやるべきことから処理していくことにした。

 前部のグシャリと潰れたクルマのドアを開けると、薄暗い車内で携帯電話が相変わらず地図を表示させ続けている。それを手にとって杰勇に電話をかけた。

「どうしました?」
「ちょっとトラブルに巻き込まれてな、そっちに行くのが少し遅くなる」
「どれくらいですか?」
「一時間くらいだ」
「わかりました。待ってます」

 暁明はタバコに火をつけ、くわえタバコで高層ビル群の光のほうに向かって歩き始めた。頭上の高架道路からはクルマの行き交う音、周囲の草むらからは虫の音が響いている。

 腹部がズキリと痛んだ。さきほど地面に叩きつけられたときにタイ人の女に刺された傷が開いてしまったらしく、白いシャツが少しだけ赤く滲んでいた。
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