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第三章 追う者と追われる者
将棋
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田島隆文は駒の配置された将棋盤に銀をピシャリと指した。その音は風流な日本庭園に設けられた鹿威しのように静寂に満ちた室内に響き渡る。
有島警察署の署長室。西日のたっぷり差し込む大きな窓を背にしてデスクが置かれ、木目調の壁には「質実剛健」と書かれた書と山水画が飾られている。紺の制服に身を包んだこの部屋の主である田島は部屋の中央に設置された応接ソファセットで詰将棋をしていた。
仕事の空き時間はひとりで将棋に触れていることが多かった。本当は誰かと対局をしたかった。しかし、署内には田島の相手になってくれるものは誰もおらず、相手の顔の見えないオンライン対局にはあまり食指が動かなかった。
田島はM字型に禿げ上がった額に手をあて、将棋盤の駒をじっと睨みつける。次の一手を熟考していた。
しばらくして部屋のドアがノックされ、その向こう側から声が聞こえた。
「有島区長の瀬良様がお見えです」
「どうぞ」
田島が答えるとドアが開く。若い警官の隣に瀬良健一が立っていた。グレースーツを纏い、白く染まった髪の毛を短く刈り込んでいる。レスラーのような大きな体躯の割りに目が小さくおどおどとしており、その姿はどこか気の弱い象を思わせた。
「どうぞお掛けになってください」
瀬良は田島の真向かいのソファに腰を下ろす。
「すっかり寒くなってきましたが、お体は大丈夫ですか?」
「ええ、私はなんとも……」
「こう寒くなってくるとお鍋が恋しくなってきますな」
「はあ……」
田島は世間話を振るが、瀬良はそれにまったく乗ってこようとしない。若い警官がテーブルにお茶を置いて部屋を出ていくと、瀬良はテーブルに身を乗り出して話を切り出した。
「有島浄化作戦のことについてですが……」
「そのことでしたらなんの心配もいりません。すでに有島のマフィアの八割を壊滅に追い込んでいます。残す大物は中国マフィアのボスの張暁明のみですが、こいつを討ち取るのももはや時間の問題です」
「しかし、あなたは少しやり過ぎている」
「……私のやり方が気に入らないと?」
「明らかに人間としての道を踏み外しています」
「瀬良さん。あなたも私たちのやり方には同意しているはずですが……」
「しかし……」
瀬良は眉間に皺を寄せて苦々しい表情を浮かべる。
「いいですか。これは将棋と同じなんです。取った相手の駒を自分の駒として再利用する」
田島は将棋盤の上の銀を動かして桂馬を取る。そしてその桂馬の向きを逆にして再び盤の上に置いて言葉を続けた。
「それによって戦力をさらに拡大することができ、もともとの自分の駒を無駄に減らすこともなくなる。これ以上合理的なやり方はないと思いませんか?」
「……人間は将棋の駒なんかじゃない」
瀬良は顔をうつむけて蚊の鳴くような声で言った。
「なんですと?」
「ヤクザにも協力を仰いでいるそうですね」
「ああ、そのことですか。これが意外と役立っていましてね。我々警察でもまったく知りえなかったようなマフィアのアジトの場所を次々と密告してくれる。奴らの情報収集能力は本当に大したものです」
「ヤクザに協力してもらっているのはそれだけではないでしょう?」
「なんのことです?」
「私は知っているんですよ」
瀬良は小さな目を細めて睨みつけるようにして言った。
しかし、田島は少しも動じることはなかった。瀬良がなにをどこまで知っていようと告発などできるはずはない。彼も有島浄化作戦の方針についておおもとでは同意している。告発をすれば自分自身の立場をも危うくすることになる。
「瀬良さんはこの有島に平和を取り戻したくないんですか?」
「取り戻したいに決まっています。ですが……」
「でしたら、私のやり方に口を挟まないでいただきたい。理想の実現のために多少の犠牲は付き物です」
瀬良は頭を抱えてううッと小さく唸る。田島はそんな彼を蔑んだ目で見つめる。
――黙って見ておけ、この木偶の坊め……。
室内に静寂が流れる。田島は将棋の駒をいくつか手に取り、ジャラジャラと手の中で転がしながら言った。
「ところで、どうです? せっかくいらしたんですから、一局指していきませんか?」
瀬良はなにも答えなかった。まだ一口も口を付けられていない二杯のお茶から仄かに湯気が上がっていた。
有島警察署の署長室。西日のたっぷり差し込む大きな窓を背にしてデスクが置かれ、木目調の壁には「質実剛健」と書かれた書と山水画が飾られている。紺の制服に身を包んだこの部屋の主である田島は部屋の中央に設置された応接ソファセットで詰将棋をしていた。
仕事の空き時間はひとりで将棋に触れていることが多かった。本当は誰かと対局をしたかった。しかし、署内には田島の相手になってくれるものは誰もおらず、相手の顔の見えないオンライン対局にはあまり食指が動かなかった。
田島はM字型に禿げ上がった額に手をあて、将棋盤の駒をじっと睨みつける。次の一手を熟考していた。
しばらくして部屋のドアがノックされ、その向こう側から声が聞こえた。
「有島区長の瀬良様がお見えです」
「どうぞ」
田島が答えるとドアが開く。若い警官の隣に瀬良健一が立っていた。グレースーツを纏い、白く染まった髪の毛を短く刈り込んでいる。レスラーのような大きな体躯の割りに目が小さくおどおどとしており、その姿はどこか気の弱い象を思わせた。
「どうぞお掛けになってください」
瀬良は田島の真向かいのソファに腰を下ろす。
「すっかり寒くなってきましたが、お体は大丈夫ですか?」
「ええ、私はなんとも……」
「こう寒くなってくるとお鍋が恋しくなってきますな」
「はあ……」
田島は世間話を振るが、瀬良はそれにまったく乗ってこようとしない。若い警官がテーブルにお茶を置いて部屋を出ていくと、瀬良はテーブルに身を乗り出して話を切り出した。
「有島浄化作戦のことについてですが……」
「そのことでしたらなんの心配もいりません。すでに有島のマフィアの八割を壊滅に追い込んでいます。残す大物は中国マフィアのボスの張暁明のみですが、こいつを討ち取るのももはや時間の問題です」
「しかし、あなたは少しやり過ぎている」
「……私のやり方が気に入らないと?」
「明らかに人間としての道を踏み外しています」
「瀬良さん。あなたも私たちのやり方には同意しているはずですが……」
「しかし……」
瀬良は眉間に皺を寄せて苦々しい表情を浮かべる。
「いいですか。これは将棋と同じなんです。取った相手の駒を自分の駒として再利用する」
田島は将棋盤の上の銀を動かして桂馬を取る。そしてその桂馬の向きを逆にして再び盤の上に置いて言葉を続けた。
「それによって戦力をさらに拡大することができ、もともとの自分の駒を無駄に減らすこともなくなる。これ以上合理的なやり方はないと思いませんか?」
「……人間は将棋の駒なんかじゃない」
瀬良は顔をうつむけて蚊の鳴くような声で言った。
「なんですと?」
「ヤクザにも協力を仰いでいるそうですね」
「ああ、そのことですか。これが意外と役立っていましてね。我々警察でもまったく知りえなかったようなマフィアのアジトの場所を次々と密告してくれる。奴らの情報収集能力は本当に大したものです」
「ヤクザに協力してもらっているのはそれだけではないでしょう?」
「なんのことです?」
「私は知っているんですよ」
瀬良は小さな目を細めて睨みつけるようにして言った。
しかし、田島は少しも動じることはなかった。瀬良がなにをどこまで知っていようと告発などできるはずはない。彼も有島浄化作戦の方針についておおもとでは同意している。告発をすれば自分自身の立場をも危うくすることになる。
「瀬良さんはこの有島に平和を取り戻したくないんですか?」
「取り戻したいに決まっています。ですが……」
「でしたら、私のやり方に口を挟まないでいただきたい。理想の実現のために多少の犠牲は付き物です」
瀬良は頭を抱えてううッと小さく唸る。田島はそんな彼を蔑んだ目で見つめる。
――黙って見ておけ、この木偶の坊め……。
室内に静寂が流れる。田島は将棋の駒をいくつか手に取り、ジャラジャラと手の中で転がしながら言った。
「ところで、どうです? せっかくいらしたんですから、一局指していきませんか?」
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