絶望ダンデリオン

小林ていじ

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第四章 最後の戦い

鼻血

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 まるで赤色のペンキが溢されたかのようにリリスの履いているエナメルパンプスの周囲に血が広がっていく。暁明の胸板に深く突き刺さったナイフをぬるりと引き抜くと、その刃にも血がたっぷりと付着していた。

 ――さてと……。

 リリスは生気を失った彼の体から腰を上げると、客席のフェンスから下のホールを見下ろした。暁明は洋平という名前を叫んでいた。おそらく彼の部下。もう逃げ出しているだろうが、もしまだこの有島ホールに残っているならいっしょに始末しておこうと思った。

 フェンスをひょいと飛び越えてホールに着地すると、カツンと乾いた音が周囲に響く。ステージの向かい側の壁に設けられた扉から通路に出た。

 二階まで吹き抜けになった通路の片側は全面ガラス張りになっている。そこから差し込む外灯の光で窓枠の影が床に長く伸びている。リリスの影も長く伸びており、それが足音を立てながら窓枠の影をいくつも跨いでいく。

 やがて広々としたロビーに出た。受付のカウンターがあり、天井からは大きな帆立貝のような傘を取り付けられた電球が幾重にも連なって吊り下げられている。入り口のガラス戸は砕かれ、その破片が周辺に散らばっていた。おそらく洋平はもうここから逃げ出しているだろう。

 リリスもそのガラス戸から外に出ようとしたときだった。背後から殺気を感じた。床に手を突いて横に転がると、その脇を一発の銃弾が掠めた。

 振り向いた。二階に通じる階段のいちばん上に人影があった。そこに機関銃の銃口を向けるとその人影はフッと消えた。

「くくくッ」

 洋平である。いくらでも逃げ出すことはできたはずなのにいったいなぜ残ったのか。ボスの敵討ちのつもりだろうか。

 ――ま、せいぜい楽しませてくれよ……。

 彼女は右手にナイフ、左手に機関銃を構え、階段を一段ずつゆっくりと上がっていった。その途中、ナイフの先端から血の雫がポタリと垂れた。

 二階の通路に上がると、そこに特殊治安部隊が何人も倒れていた。しかし、血を流しているのはリリスに襲われた少数の者だけであり、他の者はまったく血を流していない。暁明と洋平の二人はいったいどうやって血を流させずに彼らを倒したのか。疑問に感じたが、今はそんなことはどうでもよかった。

 男子トイレと女子トイレが並んでいた。男子トイレのほうのドアを開けて入り、ドアの横にあった電気のスイッチを入れた。五台の小便器と三つの大便器の個室が蛍光灯に照らされた。

「はあ……」

 リリスは落胆のため息をついた。個室のドアはすべて開け放たれている。が、いちばん手前の個室から洋平の気を感じることができた。その開け放たれたドアの裏側に彼が隠れているのは明らかだった。なんという稚拙さだろうか。もう少し遊べると期待していたのだが……。

 わざと足音を大きく立ててその個室に近づいた。このドアの裏側で洋平はいったいどんな恐怖の表情を浮かべているだろうか。見ることができないのが残念だった。

 ――これで終わりだ……。

 ドアに向かってナイフを勢いよく振り下ろした。が、その切っ先はドアにほんの数ミリ食い込んだだけで止まった。

 次の瞬間、ドアがバンと音を立てて閉じられた。リリスはそれに鼻頭を打ちつけ、その拍子にナイフを床に落としてしまった。

 再び個室のドアが開き、中から洋平が姿を現す。拳銃をリリスに向けた。が、その引き金が引かれる前に彼女はその手を両手で掴んだ。

 二人とも床に倒れてのもつれ合いになった。拳銃が床に転がった。洋平がそれに手を伸ばそうとしたところにリリスの蹴りが腹部に入る。洋平は床の上を転がり、そしてそのままの勢いでトイレから出ていった。

 彼の走る足音が次第に遠ざかっていった。

「クソが……」

 リリスは小さく舌打ちした。ドアに向けてナイフを振り下ろす瞬間、わずかに躊躇いが生じてしまった。彼を殺してはいけないような気がしたのである。

 床に落としたナイフを探した。が、見つからない。どうやらさっきのもつれ合いのときに洋平に奪われてしまったらしい。

 タイルの床に血がポタリと垂れた。リリス自身の鼻血。それは彼女の着ているメイド服も少しだけ赤く染めた。
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