絶望ダンデリオン

小林ていじ

文字の大きさ
65 / 69
第四章 最後の戦い

ミルク

しおりを挟む
「洋平。洋平……」

 リリスはそう呟きながら二階の通路を歩いていた。その名前を聞いたのはたしか沙耶からである。洋平のことを好きだと言っていた。あの男がその洋平なのか……。

 機関銃を構えて警戒しながら壁の穴から客席に入った。床に転がる特殊治安部隊と暁明の死体。そして床に広がる血溜まり。生命の気配がなくなってしんと静まり返っている。四方に目をやって洋平の姿を探した。

 パラ……。

 少し離れたところで微かに音が聞こえた。ホールの柱に取り付けられたアリー像から破片が零れ落ちる音だった。銃弾を浴びてひび入っており、今にも崩れ落ちそうになっていた。

 客席のいちばん下まで下りてフェンス越しにホールを眺めた。彼女の奪われたナイフが落ちていた。アリー像のちょうど真下にである。

 まさか洋平はあのナイフでおびき寄せてそこにアリー像を落下させようとしているのか。そんな幼稚な作戦が通用すると本気で思っているのか……。

 ――どうしようもないアホだな……。

 ならばあえてその罠にかかってやろうと思った。そして寸前のところで落下してくるアリー像をかわし、洋平が絶望の表情を浮かべたところでじっくりと殺してやるのだ。

 フェンスを飛び越えようとその上に手をかけた。

 ――ダメ……。

 そのとき、リリスの殺意の衝動を食い止めようとする声が再び響いた。心を覆っていた闇の内側から光が突き破って飛び出し、闇ともつれ合い、ねずみ花火のように火花を散らしながらグルグルと回転する。

「があああ……!」

 暁明の死体に機関銃を向けて乱射した。体に穴が開くがそこからはもう一滴の血も流れ出ない。しかし、それによって彼女の心は少しだけ落ち着きを取り戻した。

 フェンスを飛び越えてホールに着地した。そして床に落ちているナイフに近づいていく。その途中、ちらとアリー像を見上げた。気配を感じる。あの背後に洋平は隠れているのは間違いない。ゆっくりと腰を屈めてナイフを拾った。

 ――さあ、拾ったぞ……。

 束の間の静寂。

 パラリと破片が落ちてきた。顔を上げた。片翼を失ったアリー像が真っ逆さまに落ちてきていた。

「くくッ……」

 これをよけることなど造作もない……はずだった。が、後ろに跳ぶために足を動かそうとしたその瞬間、膝がガクリと落ちる。

「な……!」

 暁明から食らったボディブローがこのタイミングで足にきていたのだ。その間にもアリー像はぐんぐんと彼女に迫ってきていた。

「ちょっと待てよ! 足が動かないんだよ!」

 叫んだ。

 アリー像がふっと消えた。

 次の瞬間、彼女は真っ白な空間にいた。周囲をグルリと見まわした。白いシーツに落ちた一滴の墨のように遠くのほうに小さな黒い点が見えた。それが少しずつ大きくなっていく。

「嘘……」

 徐々に露になっていくその姿にリリスは愕然となった。手に構えていた機関銃をポトリと床に落とした。パタパタと四肢を動かして彼女に向かって走ってきていたのは、彼女が子供の頃に飼っていた猫のミルクだった。

 ――なんでこんなところに……?

 頭は混乱していたが、それでも体は勝手に動いていた。両膝を床につけて両腕を開いた。そこへぴょんと飛び込んできたミルクをぎゅっと強く抱きしめる。

 ミルクは小さな舌で彼女の頬をペロリと舐めた。ザラついた紙やすりのような感触。心を覆っていた闇がぬぐい去られて魂が剥き出しになる。

「ふあああああッ!」

 リリスは泣き崩れた。本当は戦いたくなんてなかった。本当はただこの温もりに触れていたいだけだった。ただそれだけだったのに……。

「ひどいよ。ひどいよ……」
「……ごめんね」

 腕の中のミルクが彼女を見上げて喋った。いや、実際に声を出して喋ったわけではないのだが、その思いが直に彼女の心へ伝わってきていた。

「寂しかった。ずっと寂しかった!」
「もう戦わなくていいよ。いっしょに帰ろう」
「帰るってどこへ?」
「みんなのいるところへ」
「え……?」

 ミルクが真上に顔を上げた。リリスも顔を真上に上げると、すぐ目の前に鬼のような形相のアリー像があった。鋭い牙を剥きだして彼女に食らいつくかのように落下した。

 グシャリ。

 リリスの骨が砕け、肉が潰れる音。アリー像は床に突き刺さるかのように垂直に立っている。少ししてそれがぐらりと揺れて床に倒れ、残っていた片翼がゴトンと音を立てて折れた。

 その下からリリスの姿が現れた。内臓と血の飛び散るあまりに無残な姿に成り果てていたが、その口元は穏やかに微笑んでいるかのように見えた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

サイレント・サブマリン ―虚構の海―

来栖とむ
SF
彼女が追った真実は、国家が仕組んだ最大の嘘だった。 科学技術雑誌の記者・前田香里奈は、謎の科学者失踪事件を追っていた。 電磁推進システムの研究者・水嶋総。彼の技術は、完全無音で航行できる革命的な潜水艦を可能にする。 小与島の秘密施設、広島の地下工事、呉の巨大な格納庫—— 断片的な情報を繋ぎ合わせ、前田は確信する。 「日本政府は、秘密裏に新型潜水艦を開発している」 しかし、その真実を暴こうとする前田に、次々と圧力がかかる。 謎の男・安藤。突然現れた協力者・森川。 彼らは敵か、味方か—— そして8月の夜、前田は目撃する。 海に下ろされる巨大な「何か」を。 記者が追った真実は、国家が仕組んだ壮大な虚構だった。 疑念こそが武器となり、嘘が現実を変える—— これは、情報戦の時代に問う、現代SF政治サスペンス。 【全17話完結】

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

春の雨はあたたかいー家出JKがオッサンの嫁になって女子大生になるまでのお話

登夢
恋愛
春の雨の夜に出会った訳あり家出JKと真面目な独身サラリーマンの1年間の同居生活を綴ったラブストーリーです。私は家出JKで春の雨の日の夜に駅前にいたところオッサンに拾われて家に連れ帰ってもらった。家出の訳を聞いたオッサンは、自分と同じに境遇に同情して私を同居させてくれた。同居の代わりに私は家事を引き受けることにしたが、真面目なオッサンは私を抱こうとしなかった。18歳になったときオッサンにプロポーズされる。

ビキニに恋した男

廣瀬純七
SF
ビキニを着たい男がビキニが似合う女性の体になる話

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

むっつり金持ち高校生、巨乳美少女たちに囲まれて学園ハーレム

ピコサイクス
青春
顔は普通、性格も地味。 けれど実は金持ちな高校一年生――俺、朝倉健斗。 学校では埋もれキャラのはずなのに、なぜか周りは巨乳美女ばかり!? 大学生の家庭教師、年上メイド、同級生ギャルに清楚系美少女……。 真面目な御曹司を演じつつ、内心はむっつりスケベ。

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

【アラウコの叫び 】第3巻/16世紀の南米史

ヘロヘロデス
歴史・時代
【毎週月曜07:20投稿】 3巻からは戦争編になります。 戦物語に関心のある方は、ここから読み始めるのも良いかもしれません。 ※1、2巻は序章的な物語、伝承、風土や生活等事を扱っています。 1500年以降から300年に渡り繰り広げられた「アラウコ戦争」を題材にした物語です。 マプチェ族とスペイン勢力との激突だけでなく、 スペイン勢力内部での覇権争い、 そしてインカ帝国と複雑に様々な勢力が絡み合っていきます。 ※ 現地の友人からの情報や様々な文献を元に史実に基づいて描かれている部分もあれば、 フィクションも混在しています。 動画制作などを視野に入れてる為、脚本として使いやすい様に、基本は会話形式で書いています。 HPでは人物紹介や年表等、最新話を先行公開しています。 公式HP:アラウコの叫び youtubeチャンネル名:ヘロヘロデス insta:herohero_agency tiktok:herohero_agency

処理中です...