絶望ダンデリオン

小林ていじ

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第四章 最後の戦い

さらに戦う者たち

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 洋平はアリー像といっしょに落下した。ズシン! とクルマに撥ね飛ばされたかのような衝撃とともに床に放り出される。

 よろよろと立ち上がり、砕けたアリー像の向こう側に目をやった。血溜まりの中に人としての原型をほとんど留めていない肉塊があった。

「お、お、おええッ……」

 床の上にびちゃびちゃと吐瀉物を吐き散らした。口の中にわずかに酸っぱい味が残った。

 ――これを俺がやったのか……?

 頭を抱えて蹲った。暁明に助けを求めようとした。が、彼がもう殺されていることを思い出してさらに深い絶望へと落ちていった。

 ――沙耶は……?

 浩宇と行動を共にしているはずだが無事だろうか。すぐに彼女のもとへ駆けつけたかった。腰を上げて一階通路に通じる扉に向かって歩いた。そして脱力した。開け放たれた扉の中で人影がゆらりと揺れたのである。

「畜生。もういいかげんにしてくれよ……」

 ひとりだけどこかに潜んでいたのか、それとも電気弾による麻痺から回復したのだろうか。そこに立っていたのは特殊治安部隊の隊員だった。武器などいくらでもあろうはずなのに素手の拳を前に構え、洋平に向かって駆けてくる。

 ガツン!

 黒い皮手袋をはめた拳が洋平の顔面にヒットした。派手に後方に吹き飛ぶが、当たった瞬間に上体を仰け反らせていたのでダメージは見た目ほど大きくはなかった。

「なんでだよ……」

 鼻血を手の甲で拭いながら言った。

「なんで俺たちを狙うんだよ! 俺たちがなにをしたっていうんだ!」

 隊員は問答無用とばかりに拳を大きく振りかぶり、立ち上がった洋平に次のパンチを繰り出す。洋平はそれを左手で捌いてミドルキックを放った。

「ぐ……」

 硬い装甲で守られて隊員はビクともしない。ダメージを受けたのは洋平の脛のほうだった。

 バックステップで距離をとった。打撃は効かない。ならば寝技で攻めるしかない。暁明からは打撃だけでなく寝技も少し習っていた。

 隊員にじりじりと間合いを詰められて洋平は後退する。マスクで顔が覆われていて相手の表情をまったく読み取れないことに重圧を感じていた。

 しばらくしてまた隊員から攻めてくる。左のジャブ二発。ブロックした洋平の両腕がビリビリと痺れた。

 右を大きく振りかぶった。洋平はそれを横にかわす。頬すれすれのところでブン! と唸るような音が鳴る。洋平は隊員のその右腕を掴み、さらに相手の脇に自分の腕を差し込んで首の後ろを掴んだ。そして両足でぴょんと跳ねる。二人の体が床に転がった。

 隊員の腕が横に真っ直ぐに伸びていた。洋平の腕ひしぎ十字固めが極まっていた。

 しかし、ここからどうすればいいのかわからなかった。もしこれが試合なら相手がタップすればそこで試合終了となる。が、これは試合ではなく実戦である。しかも相手を倒さなければ自分が殺されるリスクも孕んでいる。それならば骨を折るしかないではないか。相手の右手首を掴んだ両手にさらに力を込めて肘関節に圧力をかけた。

 ミシミシ……。

 隊員は苦悶の声ひとつ漏らさないが、このままいけばあともう少しで確実に骨は折れる。

 ――ダメだ……

 洋平は力を緩めてしまった。隊員はその一瞬の隙を見逃さなかった。自分の右腕を素早く引き抜いて立ち上がり、洋平から距離をとった。

 何度か肘の屈伸をし、それからシュッと素早くパンチを試し打ちする。どの程度のダメージになったのかわからないが、少なくともその動きにはなにも不具合が見られなかった。

 二人は再び拳を構えて向かい合った。洋平は相手の攻撃をうまく捌きはするが、一発も打ち返さない。防戦一方になっていた。打撃は効かない。寝技を極めても相手の骨を折る覚悟がない。為す術がなかった。

 やがて隊員のパンチが洋平の顔面にクリーンヒットした。壁まで吹き飛ばされて床にドスンと尻餅をついた。そこへ隊員がゆっくりと歩み寄ってくる。マスクのシールドが天井の照明の光を反射させて光る。洋平の前に仁王立ちした。

 洋平は気付いた。きっと自分に足りないものは覚悟なのだろう。相手を殺す覚悟。そして自分も殺されるかもしれないという覚悟……。

 立ち上がって拳を構えた。洋平が壁を背にしたため隊員は大振りのパンチを打たずにジャブを連打してくる。そのうちの一発が洋平の顔面を弾いた。続けざまに強烈な前蹴りが洋平の腹部に突き刺さる。

「うぐッ。おえええッ……」

 胃が刺激されて吐き気が込み上げる。が、胃の中はすでに空になっており、吐瀉物はもう少しも出てこない。背中を壁にずるずると擦りながら腰を落とした。

 ただ平穏に生きのびたいという欲求を捨てて命のやり取りの中に飛び込んでいかなければ勝てない。暁明はずっとそんな世界の中で生きてきたのだろうが、自分にはとてもそんな真似はできそうになかった。

 次第に意識が遠のいていく。

 ――沙耶……。

 ギリッと歯を食いしばって顔を上げた。隊員の顎がガラ空きになっていた。左足でドスンと床を踏みしめ、膝のバネを伸ばすのと同時に右の拳を突き上げた。

 ゴッ!

 渾身のアッパーカットが炸裂した。隊員は空中に吹き飛び、そして床に倒れる。マスクが脱げてコロコロと床に転がった。

「ふうう……」

 洋平は倒れている隊員を睨みつけて荒く息を吐いた。暁明のような獣にはなれない。が、それでも自分の命を懸けて守らなければならないものがあった。

 やがて隊員はゆっくりと体を起こす。

「な、なんで……」

 そして洋平を再び絶望の底に突き落とした。

「なんでだよ! ふざけんな! 畜生―――ッ!」

 マスクが脱げて露になった隊員の素顔。それは紛れもなく今までずっと行方不明になっていた健吾だった。

「どういうことだ!」

 洋平の必死の叫びなどお構いなしに健吾はパンチを繰り出してくる。洋平の顔面にヒットし、床に片膝をついた。

 ――そういうことか……。

 今まで謎だったことの一つひとつが一本の線で繋がっていった。アルンが失踪した。その後も有島の若者が次々と行方不明になっているという噂は耳にしていた。ただの偶然だろうとさほど気にしていなかったのだが、ついに健吾までいなくなってしまった。彼らはみな拉致され、肉体改造と洗脳を施されて特殊治安部隊にされていたのである。

 片膝をついている洋平に健吾がフックを放ってくる。洋平はそれをブロックしてから健吾の体に抱きついて耳元で叫んだ。

「健吾! 頼むからもうやめてくれ! 目を覚ましてくれ!」

 それでも健吾は攻撃の手を止めない。洋平の腹部に何発ものパンチを見舞ってくる。洋平はズシン、ズシンと内臓にまで響くその痛みに耐えながら懇願を続ける。

「俺がわからないのか! 洋平だよ!」

 健吾は洋平の首に両手をまわして腹部に膝を突き刺す。洋平は健吾から両手を離して崩れ落ちた。そこへ追い討ちの顔面への蹴り。両腕でブロックするが体ごと弾き飛ばされる。

 すぐに起き上がって拳を前に構えた。

 ――洗脳を解くには……。

 健吾の猛攻を捌きながらその方法を考えた。しかし、彼の目をじっと見つめているうちにはっきりと気付かされることがあった。

 健吾の右ストレートにカウンターで左フックを合わせた。こみかみに直撃して今度は健吾のほうが床に片膝をつく。

「ふざけんなよ……」

 洋平は健吾を見下ろして言った。

「おまえ、洗脳なんかされてないじゃねえかよ。もう洗脳解けてるじゃねえかよ!」

 どう見ても健吾の目付きは洗脳されているものではなかった。洋平のことをはっきりと認識し、自分の意思で攻撃していた。

「説明しろ、健吾!」

 健吾はその問いかけに言葉ではなく拳を返してくる。洋平の顔面を弾いた。

 ――沙耶のことか……。

 そのことについて言い訳をするつもりは微塵もなかった。が、かといって、ただ一方的に殴られるつもりもなかった。

「うおおッ!」

 健吾の顔面を殴り返した。

 お互いにまったく防御などせずに一発殴られては一発殴り返す。お互いの顔面が交互に弾け飛び、徐々に腫れあがっていく。

 洋平は殴り合いながら過去を回想した。平坦な道のりではなかった。悔し涙を流したことは数知れなかった。応援してくれる人、理解してくれる人なんてひとりもいなかった。おまえがそんな夢を叶えるのはとても無理。世間からのそんな嘲笑を感じるだけだった。

 おまえには無理。おまえには無理。おまえには無理。おまえには無理。おまえには無理。おまえには無理。おまえには無理……。

 そんなときに健吾と出会った。そして洋平に言った。

「俺たちならきっとできるよ」

 メジャーデビューをしていつか有島ホールでライブをしようと約束をした。そして今、その約束の場所で二人は壮絶な殴り合いを繰り広げていた。

 十発以上の健吾の拳を顔面に受けて洋平の膝がガクリと折れた。かろうじて持ちこたえた。健吾の膝もブルブルと震えている。限界が近いのは二人とも同じのようだった。

 洋平は腫れあがっている健吾の右目にさらに拳を叩き込む。健吾は尻から崩れ落ちる。これ以上ダメージを与えるのは危険に思えた。が、勢いづいている洋平の攻撃の手は止まらない。腰のひねりも加えた拳で健吾の顔面を狙った。

 その瞬間だった。健吾の顔からふいに怒りが消えて優しい表情になった。声を発することなく目だけで伝えてきた。

 ――ありがとう……。

 そこへ洋平の拳がめり込んでいく。グシャリ。そして吹き飛ぶ。床に仰向けに倒れてピクリとも動かなくなる。

 静寂。

「健吾……。健吾――ッ!」

 洋平の悲痛な叫び声。駆け寄って健吾の上半身を抱き起こした。パワードスーツの装甲は硬くて冷たいが、顔は温かい。しかし、おそるおそる口元に手をもっていってみると、すでに息をしていなかった。
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