ラムダラムダ

きもとまさひこ

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第二章

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 裏インターネットというのが、ある。

 元は九十年代のQ2とかを使ったアダルトサイトが繁栄した時代に、客に提供するためのモロ出しフラクタル画像を交換するために作られた独自のバックボーンが原型になっている。

 その後ダイアルアップがほとんど使われなくなってペイしなくなり、廃棄されかかっていたのを、とある会社がまるごと買い取って再構築した。今は専用線やVPNが混じり合ったつぎはぎな実装になっているが、表のインターネットからは独立した存在のままだ。一部MPLSに紛れてJGNや、流行の10Gのインフラを拝借しているという噂もあるにはある。

 噂でしかないのは、この裏インターネットの全貌を誰も知らないからだ。

 接続する方法は難しくない。秘密の電話番号にダイアルアップすればいいだけだ。問題はそこから先である。TTLが途中でシェイプされているらしく、一定ホップ以上先のノードに到達できないのだ。じゃあどうするのかというと、裏インターネットには巨大なCDNができていて、みんなそこからデータを貰ってくる。データを流す場合も同じだ。だから全体像が見えなくても、誰も困らない。

 なんていう仕組みの話は、別にどうでも良くってさ。

 要するに、アングラ情報の吹きだまりってのが存在して、そこには金目のネタが眠っているってことだ。

 今のトレンドは個人情報だ。いや今に始まったことではないのだが、昔は私立探偵がこそこそと集めていた個人情報が、ここでは簡単に手に入る。例えばカルテなんてのは、最高の個人情報だ。考えてみろ。ある会社の社長が人間ドッグに行って、生命に関わる病気が見つかったとしたら? その会社の株価に影響するのは自明だな。カルテはかなりの高値で取引されている。少なくとも、俺が胃洗浄を受けてもいいって思うくらいの金額だ。

 そんな訳で俺は、龍見さんに指示された通りにカルテを集めて来て、それを今、裏インターネットに注ぎ込んでいる。

 その片手間に、大学のレポートをやる。

 いやいや、正確には俺の本業は大学生だ。本業の本分を忘れてはいけないな。

 レポートには、書き方というものがある。俺の場合は、こうだ。まず教授から与えられたテーマから、関連するキーワードを連想ゲーム的に選び出し、これらについての過去の論文をかき集める。もちろん、裏のネットで、だ。集めた論文の概要を流し読みしたら、俺なりのロジックを組み立てて、こいつを独自の記述言語で書き下す。更にキーワードをベースに参考文献になる論文をかき集め、集めた全ての論文のロジックを解析させて、俺のロジックに沿うようにあっちこっちを切り貼りする。最後に文体を整えて、一丁上がりだ。

 楽をしているって? まあ確かにな。自力で書いたら、多分四時間くらいかかるレポートだが、この方式だと三時間でできる。一時間のお得だ。楽と言えば楽だが、決して手抜きじゃあない。

 まず、俺は、つーか俺様は、自力でもこの程度のレポートなら苦もなく仕上げる能力がある。その点を誤解してもらっちゃあ困る。次に、最終的にできたレポートの内容を、俺は完全に理解している。そこらの丸写し野郎と一緒にして欲しくない。

 てな感じで、できたレポートを提出し、同時にネットに流す。ギブアンドテイク。生産と消費。ネットの情報は相互協力で成立している。俺が参考にした論文に対してはわずかながらだが金を払っているし、誰かが俺のレポートを参考にしたら、チャリンと小銭が入ってくる。重要なのは金額じゃあない。モチベーションだ。裏ネットは皆様の自由意志で成り立っていますってね。

 おっと、カルテデータの転送も終わったようだ。



 携帯電話が鳴った。見慣れない番号だったので、さくっと調べたが、ブラックリストには載っていないようだ。

「はい広野」

「あ、あの。私、友田です」

 明美だ。パソコン渡しただけじゃあ、何か言ってくるかとは思ったが。

「いんたーねっとができないの」

 そうきたか。

「方角も角度も色も良いものにしたし、星の位置も悪くないはずなのに」

「待て。カード入れてブートするだけ。なはずだが」

「ラムダラ様は、このお仕事は良くないって言っているのかしら」

「違う」

 うん、それは違う。違うんだが、こういう時に素人にあれをやれこれを押せとか指示を出しても、大抵は埒が明かないものだ。

「直しに来てくれない?」

 そう、それが一番早い。……そうきましたか、お嬢さん。いま、あんたの家、一人暮らしでしょうが。そんなにホイホイと若い男を、

「オッケ。待ってろ」

 俺はベッドの上でぐったりしていたバッグを手に取った。

 明美の家は、都内のくせに普通の一戸建てで、相続したのか父親がローンに魂を売ったのか知らないが、幸せな家庭の入れ物のように見えた。親父の魂はローンの苦しみのない天国に行ってしまったというのに。

 チャイムを押してしばらく待つと、小さな足音に続いてドアの鍵が開いた。

「入って。お客様は大事にするのが、星と方角を見る人には大事なことだから」

 家の中はちゃんと片付いていて、花瓶の花とか小さな額縁の絵とか、俺の部屋には絶対ないようなものがきちんと飾られていた。その下に日付、というか期間が書いた紙が貼ってあるのが気になるが、その期間だけ飾っておく決まりなのだろう。そうすると良いことがあるに違いない。うん。

「こっちよ」

 居間の窓際には、俺の渡したノートパソコンと並んで、崩した繁体字が書かれた方位磁石やら怪しげなカードやらが置かれていて、彼女なりに調べる努力をしたのだということが伺えた。

 でも無駄な努力は、所詮無駄。

 居間の中に構築された空間の意味と効果についてつらつらと説明を始めた明美を放っておいて、俺はノートPCを開いた。カードが刺さっていることを確認して電源を入れブートさせる。

「ブートローダ、カーネル、デバドラ、ファイルシステム。問題ないな。自動ログイン。接続……しない。ランプもつきやしない。止めるか。起動スクリプトで接続するようにしたはず。……なってない。手動に変わってる。直すか。……これで再起動、したくないけど再起動」

 俺が明美を手招きすると、彼女はちょうど窓際に水が八分目に注がれたコップを三つ並べていた。コップの縁をきゅるると撫でて、満足した顔をして俺の隣にならんだ。

「やっぱりね。水星の位置と水の属性との関係だったのね」

「いやブートスクリプト。直したから。これで勝手に上がって勝手に繋がる。説明は画面に書いてあるのを順番に読んで」

 と、ここまで言って、そもそもどういう仕事をするのかを説明していないことを思い出した。ていうか、どうして明美は一番大事なことを質問しないのだろうか。

 明美に斡旋した仕事は、簡単に言えば出会い系のサクラだ。パソコンの前にいれば良い仕事だから、家でもできるし、実のところ本物の女でなくても構わない。表のネットにもあるが、裏にもある。需要があるところに供給がある。客から聞き集めた情報がそのまま金になるぶん、裏のほうが性質は悪いかもしれない。

 こういう業界は、裏とか表とかに関わらず、割と高度な技術が投入されている。初心者でも仕事を始めやすいような、練習ソフトはもちろんのこと、客の割り当てなんかも綿密なスケジューリングとプロファイリングが行われている。だから明美はただ画面の指示にしたがってキーをタイプして、世間話を続けていればいい。

「わかった?」

 明美はうなずいた。じゃあ、まあ、ぼちぼちと始めてもらおうか。働かざるもの食うべからずって言ってな。親がああいうことになってんだ。自分の飯代くらい自分で稼ごうぜ。



 明美の仕事の記録は、俺を経由して龍見さんに報告していたから、彼女の仕事っぷりは完全に把握できた。

 明美は寝る時間以外のほとんどを、パソコンに向かって使っていた。この様子だと、食事も仕事をしながらなのだろう。

 給料は一日単位で支払われる。最初の日はタイピングがおぼつかないこともあって、それほどの数の客をさばけなかった。しかし日がたつにつれ、その数は増えていき、固定客もつくようになった。

 正直俺は、あの明美の言動はこの仕事には向いていないかもしれないと思っていた。でも蓋を開けてみたらなんの問題もない。この業界は、奇妙な発言をする子や精神的にヤバそうな子が、逆に受けることがある。不思議ちゃんとかメンヘルっ娘という奴だ。今回のも、それだろう。

 俺は試しに龍見さんに電話してみた。

「明美、どう?」

「良い感じですね。お客さんの評判も上々です。もしかすると、彼女は化けるかもしれません」

 ふーん、そんなものかね。

 ただ一つ気掛かりなのは、仕事を始めてから、おそらく明美は病院の母親の見舞いに行っていないだろうってことだ。

 半月ほどたった時、俺は明美を呼び出した。

 仕事は軌道に乗っていて、今のペースならサラリーマンの給料くらいは稼げるだろう。とりあえずお祝いってことだ。

 俺は超奮発して、超高級な、超ファミレスへと明美を誘った。

 恥ずかしながら、超ドキドキだ。女の子と食事をしたことなんか、これまで一度もないのだから、無理もないだろう。

「禁煙席ですか? 喫煙席ですか?」

「超、禁煙」

「あ、それから、今夜は土星と獅子座の位置が良いから、東の窓側にして」

 不思議そうに首をひねるウェイトレスは、それでも店長に方角を確認してから、東側の席に俺達を案内してくれた。

 メニューを広げるが、まあ超ファミレスの超ありがちなメニューだった。いいかげん「超」を付けるのも飽きて来たくらいだ。

 明美はしばらくメニューを行き来してから、

「サラダバーとドリンクバーとライスのセット」

 いやそんなセットはありません。

「あんた、金あるんだろ」

 ないことはないと明美は答えたが、まあ入院費やら借金返済やらの彼女の状況を考えれば、無駄な出費をしたくないだろうとは思う。俺と飯を食うのが無駄かどうかは考えないことにして。

「奢る。気にするな」

「だけどラムダラ様のお許しのない施しを受けることはできないわ」

「じゃ、聞いてみろ」

 そのラムダラ様とやらに。

 明美は両手を組んでしばらくぶつぶつつぶやいて、ぱっと顔を上げた。

「いいって」

 はいはい、そうでしょうね。

 結局俺はエビドリアのセット、明美はチーズハンバーグのセットを注文した。

「仕事、どう?」

「うーん。うん。楽しいわよ。あのね、お客さんがみんなとってもいい人なの。なんか、どの人も苦しんでいるの。苦しんで苦しんで、話す相手が欲しくって、私を見つけだすみたい。私は星と方角を見る人だから、苦しまないの。だって、色々なことが見えているから。色々なことを教えて貰っているから。だから私は話してあげるの。私が見えている色々なことを。どうしてみんなは知らないのかしらね」

「それ、出会い系じゃない。人生相談」

「ん?」

 まあ言っても無駄だろうとは分かっているけどさ。

「それで、お金も貰えるんだから、素敵よね。金星が回ってきたのかしら」

「金」

「ん?」

「やっぱ、金、いるんだ」

「それは……あったほうが、いいわよね。私のお客さんの中にも、お金に困っている人がいるみたい。お金は、本当に、色々大変だからね」

 とは言っても出会い系に繋げるくらいなんだから、本当に困っている訳ではなさそうなんだが、明美は本気で心配しているみたいだったので、適当に相槌を打っておいた。

「本当によかった。広野さんにこの仕事を紹介して貰えて」

「そう」

 そう言ってくれるんなら、有り難く感謝されておくさ。その方が、飯もうまい。

 運ばれたメニューを軽くたいらげて、俺達は店を出た。

 国道は休む事なく車が走っていて、街灯とヘッドライトが合わさって、夜だというのに全然暗くない。

 先を歩いていた明美が急に立ち止まり、夜空を見上げた。そこには月もいて、星もいた。明美の道しるべたちだ。

 明美は両手を上げて、月を、星を、空を掴むように頭の上に伸ばす。

「すごいね」

 回り出した。くるりくるり。

「すごいよねえ」

「なにが?」

「いんたーねっと。私をこんなに幸せにしてくれるんだもん」

 くるりくるり。

 インターネットじゃない、表とは繋がっていないと、説明するのも馬鹿らしい。どうだっていいことだ。そのくらい、明美は幸せな顔をして笑っていた。それはそれは、なんて言うんだこういうの——神懸かり? なんか違うな。

「本当に、私、幸せ。広野さんのおかげで、ものすごく幸せ。すごいよねえ」

「そうか? そう……か」

「ラムダラ様、広野さん、ありがとう」

 俺のおかげだって?

 俺はいつからそんなに偉くなったのだろうな。俺はいつから褒められるような人間になったのだろうな。

 そんなすごいことは、何もしていないはずなんだけど。

 ……。

 エンジンのノイズを浴びながら、歩道をくるくる歩く。

 明美は本当に幸せそうで。

 そういう幸せは、俺みたいなヒネたガキにはきっと一生縁がないもので。

 だけどもし、その幸せに俺も一枚噛めるなら、ちょっとだけ裾を掴ませてもらっても、許されるのだろうか。

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