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11・よかった

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 ある時、だ。
 このようなことがあった。
 やはり通りすがりに、

「ああ、俺の婚約者がいっそ、君であればよかったのに」

 などと言う言葉が聞こえてきたのである。
 キューミオ殿下の声だった。

(婚約者……)

 キューミオ殿下の婚約者、と言えば、他国の王女だったと記憶している。
 当然、いらっしゃるのはご自身の国であり、我が国にいるわけもなければ、キューミオ殿下の故国にもいらっしゃらないと聞いていた。
 しかし、それにしても。
 いくらこの学園に、キューミオ殿下の婚約者様がいらっしゃらないからと言って、あのようなことを口にするだなんて。

(キューミオ殿下の婚約者様の国からの留学生は、我が学園にも何名かいらっしゃるのだけれど……)

 そういった所から婚約者様のお耳に入ったら、などと言うことは考えないのだろうか。
 ご自身のお立場から、問題ないとでも思っておられるのか。
 むしろだからこそよくないとはお考えになられないか。否。

(お考えにならないから、あのようなことを口に出されるのよね……)

 ルーミス殿下はお近くにはいらっしゃらないようだった。
 彼らがいるのは中庭の一角で、皆が彼らを遠巻きにしていた。
 それでいてきっと、耳を澄ませていることだろう。
 反して私がいたのは後者の中、渡り廊下を通っている所。
 もちろん、1人ではなく、数名の友人たちと共に、である。
 キューミオ殿下と、彼の女性との声は大きくて、誰かをはばかるというような様子がなくて。だから風に乗って耳に届いたのだった。
 当然、私の友人も同じ言葉を耳にしている。

「なんて目に余るっ……」

 憤りも露わな友人の言葉に、私はなんと返せばいいのかわからなかった。
 なお、いつもの、キューミオ殿下にべったりと張り付いた女生徒は変わらず、

「やだぁ、キューミオ様ったらぁ! だったら本当に、私を婚約者にして下さればいいんですよぉ!」

 なんて不敬極まりないことを言っていて、キューミオ殿下は嬉しそうに笑って。

「ははは! そうだなぁ、本当にそうなればいいんだが……」

 などと満更でもない様子。

「キューミオ様の婚約者の人はここにはいないんですかぁ?」
「そうだね、自分の国にいるからね」
「ええ? どうして? キューミオ様がこちらにいらっしゃるのに一緒にいらっしゃらないなんて! なんてひどい方なんでしょう!」
「そうだなぁ、もし一緒にいたなら、婚約破棄を突きつけてやれたなぁ」

 なんて言いながら笑い合っている。
 目に余る。
 まさしく、私も眉を潜めそうな有様だった。
 なんて勝手な言い草だろうと怒りさえ覚える。だけど。

「……あの方も、一国の王子殿下でいらっしゃいますから」

 下手に注意することも出来ない。
 何より私を含めて周囲の誰も、そのような権利を持たなかった。
 唯一苦言を呈せるとしたら、同じ立場とも言えるルーミス殿下ぐらいだが、今殿下はあちらにもこちらにもいらっしゃらず、また見ている限り殿下は、充分に、いろいろと厳しいお言葉を、キューミオ殿下に向けて投げかけられているように見受けられた。
 なのにキューミオ殿下はそういったお言葉の全てを、一切気にせず受け流しておられるばかりなのだ。
 だから、多分、言っても無駄なのだろうな、とも思う。

「口が過ぎました……」

 私の窘めに、友人は少しばかり気まずそうな顔をする。
 私は微笑んだまま、小さく首を横に振った。
 だって目に余る、そう思ったのは私も同じだったから。ただ。

「あの方の婚約者様が、こちらに共にいらっしゃらなくてよかったと、そう思ってしまうわね」

 もう一度彼らの方へと一瞬だけ視線をやって、私は小さくそう呟いた。
 周囲の友人たちは皆、ただ、静かに頷くばかり。
 彼らの周囲の雰囲気などものともしない笑い声だけが、中庭から私達のいる渡り廊下まで、嫌に明るく響き渡っていた。
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