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3・偽りの学園生活
3-72・愛ゆえの衝動
しおりを挟むしっかりした子供だ。親の、こんな情けないところを見て、だけど献身的に気遣ってくれる。
「ぁっ……み、……――ミスティは」
一瞬。名前を呼ぶのを、躊躇った。否、名前が。口から、出て来なかった。
どうしてか。
それほどまでに昨夜の行為が自分に影響を及ぼしているのだろうか。わからない。わからないけれど、そんなことで彼の名を、呼べなくなるだなんて耐えられなかった。だからなんとか名を口にする。
たったそれだけのことに、ほんの少し安堵して。
そんなティアリィの様子に気付いているだろうにアーディは触れず、訊ねられたことにだけ応えてくれた。
「もう、執務室に。今日は多分、部屋から出て来ないんじゃないですか」
つまり、すでに仕事に取り掛かっているらしい。
「そうか……」
首肯して、だけど項垂れたままのティアリィを、アーディが気づかわしげに見つめ続ける。
力ない母親の姿に何を思ったのか、否、多分始めからこう告げるつもりだったのだろう、アーディは静かに口を開いた。
「距離を……取った方が、いいと思います。今度こそ。時間を。おそらくは、置いた方がいい」
それは今の両親の姿を見てのアーディからの提案だった。
「距離を……」
正直な所、そんなことまで何も考えられなくなっていたティアリィは呆然とアーディを見つめてしまう。
「父様にも同じことを言いました。勿論、母様次第です。でも僕は、しばらく距離を置いた方がいいと思う。二人とも、少し気持ちを落ち着けた方がいい。父様も母様も、今はどう考えても冷静じゃありません。このまま近いうちで共に過ごす時間を取っても、おそらくは昨夜の二の舞です。きっとまた同じことを繰り返す。それは母様にもわかっているんじゃないですか?」
アーディの眼差しは静かだった。ただ静かにティアリィを諭している。
「距離……時間。それは、どれぐらい」
いや、そんなことはアーディが決めることじゃない。言いかけて、思い直して首を横に振った。
それは勿論、決して、アーディからの提案をはねのけるつもりのそれではなくて。アーディもそれは伝わっている。
「母様は……どうして昨夜、父様があんな行動に出たのか。今も、わかっていらっしゃいませんよね?」
確かめられて、頷いた。
わからなかった。
今も、わからないまま。
だって突然だった。一昨日あった時はいつも通りだったのだ。いつも通り、ただ、早く帰ってくるようにとだけ懇願された。だけど、昨夜のあれは。
そんなものじゃない。そんなものじゃ、決して。
気遣いのない行為。我を忘れたミスティ。ぶると体が震える。怖いと思ってしまう。でも。あれはミスティの、悪意でも害意でもない、そのはずだ。愛ゆえの行為。ティアリィを、愛しているが故の衝動。その発露が、少しばかり、ティアリィを置いていくようなものになっただけ。
でも。昨夜の行為は、おそらく、ティアリィに寄りもミスティに与えた影響の方が大きいのではないかと思った。そしてそれはおそらくは間違っていないのだ。
同時に、ミスティがそんな衝動にかられた理由が、いまだにティアリィにはわからないのもまた、間違いようもない事実だった。
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