義弟と下僕

歩夢さん

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義姉

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私には過保護な義弟がいる。

15歳の時、3つ離れた弟が突然現れ、養父母に世話を命じられた。
私が義弟に与えたものはただ一つ。私と同じ漢字を持つ名前だけ。

気づけば4年。
立場はすっかり逆転し、義弟は私のありとあらゆる世話をやく。私は見事なダメ女になってしまった。

私と義弟は同じ組織に所属している。
同じ仕事も多いから、出勤から帰宅まで全く同じ日も多い。
風呂の準備から洗濯、料理、掃除、朝私を起こすことも、すべて義弟がやっている。我ながらやばいと思う。

基本義弟は忠実だ。
私の言動全てに肯定し、命令には即時に応え、私の手を煩わせることも不快にさせることもない。
そんな義弟がただ一つ、私に意見することがある。

「あいつと関係持つのをもうやめてほしい。」

今日も私が寝転がるソファの前に正座して真剣な顔でそう言ってきた。

あいつ、と言うのは私と義弟の上官にあたる50手前のおっさん。
私と義弟は汚れ仕事や誰も引き受けない危険な仕事を引き受ける最底辺の組織に属している。
上司命令は絶対の体育会系組織のため、義弟が私に従順であるように、私も上司たちには従順である。
まあこの件に関しては別の理由で従順になっていたりもするのだが。

「そうは言ってもね、」

無理だよ、と続けるつもりが止まってしまった。
ソファに仰向けになる私に、義弟が覆いかぶさるようにして近づいてきた。
ソファの背に片手を置き、もう片手は私の顔のすぐ横。鼻同士がつきそうな距離に義弟の顔がある。

「姉さんが『殺せ』って言ってくれたら、俺は今すぐにでも殺せる。事故に見せかけてもいいし、自殺に見せてもいい。」

私たちの生業は現代社会の手を汚すようなことを代行すること。
義弟が言うようなことは日常的な業務であり、言って終えば「朝飯前」のこと。

でも仲間同士での殺しが発覚すれば当人は私刑不可避。最大のタブーだ。

それを義弟は今すぐでも犯すと言っている。

「近い。どいて。」

義弟は素直にどいて、またさっきの正座に戻る。
私は隙を見せたのが悪いな、と反省して起き上がり向かい合う形でソファに座る。

「この体一つで組織の平和が保たれるのなら安いもんでしょ。」

「姉さんの体を汚してまですることじゃない。」

いつも同じやりとり。
もう飽きた。

「じゃあもし私があの人のことが好きで、今の関係を望んでいたら?」

意地悪な質問だろうか。

「それなら俺は何も言わない。でもそうじゃないだろ。あいつは姉さんを性奴隷だって言ってたんだ。」

感情の動きに乏しい義弟が、珍しく感情的になっている。

確かに自分のことだからあまり気にしていなかったが、自分が慕う姉をそう侮辱されたら腹が立つのかもしれない。

もういいかな、義弟も子どもじゃないし。
私が上司の、上司たちの言いなりで所謂「性奴隷」をしていた理由は、義弟を人質に取られていたも同然だったから。
義弟ももう一人前だ。古狸に背後から刺されるような弱っちい男に育てた覚えもない。

「わかった。じゃあ『殺す』こと『この事実をバラす』こと以外なら好きにしていいよ。」

流石に2年も「マテ」をしているのはかわいそうだし。
そろそろ私も疲れてきていたのかもしれない。


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翌日は上司からのセクハラ命令もなく、普通に1日が終わった。
呼び出しがない日の方が多いし特別何か思うわけでもなく、前日義弟に言ったことはすっかり忘れていた。

そして3日後、義弟との2泊3日の出張任務が入った。

「護衛かあ、苦手なんだけどな。」

車で10時間の場所で用心警護の依頼だった。
義弟と車の運転を交代しながら、深夜の高速をひたすら走る。

「この前の話なんだけど。」

高速を降りて目的地まで30分くらいのところで、唐突に義弟が口を開いた。

「この前の話?」

「戸塚のこと。」

戸塚とはセクハラ上司の名前である。
何日か前に「好きにしていい」と言ったことを思い出す。

「何?」

「多分もう、姉さんには何もしてこなくなると思う。」

「何したの?」

義弟だって普通に忙しかったはずだ。普通に私の世話と任務をこなしていたように見えていたのだが。

「殺してないし、あの事も誰にも言ってない。ただ、もういられなくなるようにした。」

「え、怖。」

素直な感想が口から漏れる。
なまじ仕事ができる男だ。何をしたのか想像もつかない。

「姉さんは無関係だから安心して。俺も悪いことはしていないし。」

「そう、あなたが処分されたりしないならいいけど。」

組織には多数の規律がある。違反があれば厳しい処分が下される。
それに触れることだけはしてほしくなかった。


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任務が終わった。

夕方には発てるはずが深夜まで延長となってしまい、義弟が本部と連絡してホテルを手配してもらうことになった。
生憎連休真っ只中で、観光地という事もあってホテルはかなり埋まっているらしい。

ようやく取れたというホテルは、ビジネスホテルのセミダブルの部屋だった。

運転も含めて丸3日以上まともに寝ていない。
セミダブルだろうがなんだろうが今ならどこでも眠れる気がした。

ついて早々シャワーを浴び、バスローブ姿で義弟がシャワーを浴びている間ベッドに寝転がっていた。
警戒心の強い方ではあるため知らない場所で眠ることも、義弟以外が近くにいる状況で眠ることもないのだが、今日は流石に限界が来ていた。
寝落ちそうになっていたところ、義弟がシャワーから戻ってくる。

なぜか腰回りにタオルを巻いただけの上裸。
2年前までは同じ部屋で生活していたから見慣れていたが、2年ぶりの成人男性と同じ規格に成長した姿は目に毒な気がした。

「髪乾かしなよ。」

「服着ろよ。」

お互いにくだらない文句をつけた結果、義弟はバスローブを着て私は義弟に髪を乾かされる絵面が完成した。

髪も乾き、再びベッドに転がる。

「姉さん、本当は戸塚以外とも色々あったでしょ。」

寝転がっている私に背を向ける形で、ベッドの淵に義弟が座る。
なんて鋭い子なんだろうか。恐ろしい。

「ビッチって言いたいの?」

「違う。姉さんが断れないことなんてよくわかってるし。」

義弟に私はどのように映っているのだろうか。
推しに弱い性格?上司の言いなりで頼りない性格?義弟からどう見られているかなんて考えた事もなかった。

「俺も姉さんに手を出したら、あいつらと一緒かな。」

独り言のような義弟の言葉。表情は見えない。

「あなたは弟でしょ。あなたが弟になりたいって言ったんでしょ。」

「弟にならなければよかった?」

「そしたら同じ部屋で生活することも、こうして過ごす事も許してない。」

ああ、胸が痛い。
今までの忠義の裏に私に対する異性としての感情があることはわかっていた。見ないふりをしてきた。
なぜなら義弟の中で線引きがあることもわかっていたから。

義弟は私の許可なく絶対に体に触れない。
触れるとしても髪を乾かすくらいのもの。
私は義弟に対しては隙を見せていると思うし、義弟もそれをわかっていながら最後の一線を絶対に超えてこない。
それは「弟」という立場に自分を縛り付けているから。

「マテ、なんて言ってないけどね。」

義弟が突然振り向いた。
私と目があったまま沈黙が流れる。

「弟やめてもいい?」

「弟じゃなくなったら何になるの?」

「下僕でも何でも、一生姉さんの近くに置いてもらえるなら何にでもなる。」

「そう。変わらず私の世話はしてくれる?」

「当たり前でしょ。」

「ならいいや。私もあなたが何者でも、別にいいよ。」

「じゃあ今、弟やめた。」

それなら。

私は起き上がって義弟、否、元義弟と唇を重ねた。

よほど驚いたのか、目を見開いて固まっている。

「流石に弟は抱けないよね。」

そういい終わるや否や、押し倒されて口を塞がれた。
何だか危険な爆弾の導火線に火をつけてしまったようだ。






体力おばけの筋肉馬鹿が我慢をやめたわけだ。

翌日声も出なければ腰も立たなかったのは言うまでもない。



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任務から帰還した翌日、組織の施設の掲示板にある通達の資料が貼り出された。
人だかりができていたので思わず立ち止まって見てみれば、

〈選抜部隊 副隊長 戸塚拓 規律4つの重大違反のため除籍処分とする〉

と書かれていた。
他にも見覚えのある名前と除籍処分の文字。

隣を歩いていた元義弟は涼しい顔で眺めている。

いつの間にこんなことをしていたのか。
ずっと一緒にいたはずなのに。随分と恐ろしい子に育ってしまった。

「ところで、あなたは私の何になったの?」

パートナーとか相棒?彼氏とか言いそうなタイプでもないし。

「下僕。」

「…馬鹿なの?」

まあ、本人が満足しているならそれでいいんだけど。
私もこいつには甘いのだ。


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