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二章
63.神官の帰還
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階段を、慌ただしく駆け上る音がする。
「駄目だよ、ウィル。古い家なんだから、壊れてしまう」
館の主は笑顔を浮かべて、少年を咎めた。
「すみません。でも、陛下からです」
両手で恭しくかがげる書簡を、シドは受け取った。
「あの、なんと?」
書簡に目を通すシドを、不安と期待の入り交じる瞳でウィルはうかがう。
「王都に戻って来るようにってさ」
「おめでとうございます、シド神官」
気色をあらわにして、自分のことのように祝ってくれる。王都から離れた辺鄙な田舎から、ようやく開放されるのだ。
だが当事者であるはずのシドは、どこか浮かない顔だった。
「嬉しくないんですか?」
ウィルは首を傾げて聞いた。
「親友に久しぶりに会えるのは、嬉しいよ。最先端の呪具や理論に触れるのもね」
「そうですね。シド様は神官のいなかったこの村を、一から開拓されたのですから。思い入れは強いですよね」
しんみりとするウィルに、国王からの書簡を渡すと、シドは階段を下りていく。
「どちらに?」
「散歩。すまないけど、荷物をまとめといてくれるかい?」
階段を下り扉から出て行くシドを、ウィルは静かに見守った。
国王からの勅令が届いたのだ。明日にはこの村を立たなければならない。
ウィルは物置から大きな鞄を取り出すと、シドの荷物を詰め込み始めた。
「やあ、久しぶりだね」
足元には白い骨が転がっていた。獣の骨ではない。
シドはあえて、それらをそのままにしていた。
「僕は王都に戻るよ。ここは誰も立ち入れないようにしておく。だから何も心配せず、ゆっくりとお休み」
しばらく風に吹かれていたが、踵を返す。結界を張り直すと、自分の邸に戻って行った。
「ああ、ウィル、本は良いよ。残していくから」
部屋に溢れる書籍と格闘していたウィルは、複雑な顔でシドを見上げた。
「先に言ってください」
「すまない。誰かが訪れて、読むかもしれないからね」
苦笑をこぼしながら、一冊の本を手に取る。
『神官様』
振り向くと、一人の少女が嬉しそうに、床に座って本を読んでいた。ここにいるはずのない、かつて出会った少女。
王子の不興を買い、信仰心も教養も低い辺境の地へと飛ばされた。
興味本位の輩は来ても、教義や学問に興味を持つ者はいない。そのうち野次馬さえも来なくなり、孤独と絶望が顔を出した。
初めて訪れた時、その少女は扉を開け、おそるおそる顔を覗かせた。
「あのう」
「やあ、何か用かい?」
温和な表情を作り、少女に応対する。うつむいた少女は、耳まで真っ赤にして、言葉を探していた。
「神官様は、色々なことを御存知なのですよね?」
「まあ、何でもというわけにはいかないけど、それなりにはね」
「私に教えてくれませんか? 私、学校も行ってなくて。でも、もっと色々と知りたいんです」
少女は真摯な瞳で、シドを見つめる。
「やっぱり、駄目、ですか?」
怯えるように瞳を震わせると、再び下を向いた。
「良いよ。何が知りたい?」
輝く瞳を向けられて、シドはたじろいだ。今までに、これほどシドを必要としてくれた者がいただろうか。
それから少女は、毎日訪れてはシドに教えを請い、自ら本を手に取るようになった。
シドが自分の力で見つけた、最初の信奉者だった。
「いつでも来ると良い、シャル」
シドは扉を閉めたが、鍵は掛けなかった。
きっともう、ここへ戻って来ることはないだろう。王都へと、シドは旅立った。
※
果樹園に、見知らぬ男がいた。
身形は神官のそれに近いが、生地の質は良いとは言えず、着古した外套には継ぎ接ぎさえあった。国軍の将軍の敷地を散歩するには、場違いな姿だ。
ハンスは気配を断ち、様子を伺った。
声を掛けても良いが、関わりたくないのが本音だ。
しょせん、ハンスはこの果樹園の庭師に過ぎない。それも果樹に詳しい者がいなかったために世話を任されているだけで、本来の身分は雑用係りだ。この館の中では、最も低い身分に分類される。
身分の低い者が、身分の高い者に声を掛けることは、礼儀に反する。身分差が大きければ、犯罪に等しい。
故にハンスが声を掛けることは、罰を与えられる危険が高かった。下手をすれば、命さえ危ういだろう。
だが神官らしき男は、柘榴に向かって進んでいる。ゼノが唯一愛して止まない、シャルという名の柘榴に。
これ以上進めば、柘榴の姿を見られてしまう。
ハンスは先回りすると、さりげなく樹木の影から現れた。
「あのう、失礼ですが、ここは将軍様の敷地内なのですが」
恐縮した風な姿勢で、痩せこけた庭師は声を掛ける。男が足を止めて庭師に視線を向けると、庭師は体をさらに硬くして頭を下げた。
「気にしなくて良い。散歩をしているだけですから」
男はハンスをただの庭師と見て、そのまま進む。
「あ、あのう、どうか、戻ってくれませんでしょうか? 将軍様に叱られてしまいます」
庭師は心底、この果樹園の主を恐れているようだった。
気の毒に思ったのか、男は足を止めると、庭師に向き直る。その行動に、庭師は更に頭を下げた。
「困りましたね」
そう言って男が笑みを浮かべた途端、庭師は目眩を覚えた。顔を上げた時には、男の姿はどこにもなかった。
「ちっ」
舌打ちをすると、庭師――ハンスは駆けた。
どのような能力かは分からないが、ハンスは男の能力により、男を見失ってしまった。
ようやく見つけたとき、男はすでに柘榴の前にいた。膝を折り、柘榴の幹に紐らしき物を結び付けようとしている。何かの呪具だろうか?
考えている暇などなかった。ハンスは懐から小刀を取り出すと、男の首筋に添える。
「何をしている?」
男の体は一度、小さく震えた。その反応に、ハンスは違和感を覚える。
訓練された兵ならば、この程度のことでは驚かない。
男はハンスが要求してもいないのに、両手を上げ、降参の姿勢を取った。
「可愛い木なので、お洒落をさせてあげようかと」
平静を装う男の声は、わずかに震えている。演技ではない、本当に素人なのだ。
ハンスは混乱した。男の目的が読めない。
「名前と身分をお伺いしても?」
男は黙した。
「侵入者と認識させて頂きますが、良ろしいですね?」
確認するハンスに、男は慌てる。その言葉の真意が、「始末して良いか?」という意味だと気付いたからだ。
「困ったな。誰にも言わないでおくれよ?」
男は立ち上がると、ハンスに向き直った。
「シド・シングだ。はじめまして、ハンス」
「駄目だよ、ウィル。古い家なんだから、壊れてしまう」
館の主は笑顔を浮かべて、少年を咎めた。
「すみません。でも、陛下からです」
両手で恭しくかがげる書簡を、シドは受け取った。
「あの、なんと?」
書簡に目を通すシドを、不安と期待の入り交じる瞳でウィルはうかがう。
「王都に戻って来るようにってさ」
「おめでとうございます、シド神官」
気色をあらわにして、自分のことのように祝ってくれる。王都から離れた辺鄙な田舎から、ようやく開放されるのだ。
だが当事者であるはずのシドは、どこか浮かない顔だった。
「嬉しくないんですか?」
ウィルは首を傾げて聞いた。
「親友に久しぶりに会えるのは、嬉しいよ。最先端の呪具や理論に触れるのもね」
「そうですね。シド様は神官のいなかったこの村を、一から開拓されたのですから。思い入れは強いですよね」
しんみりとするウィルに、国王からの書簡を渡すと、シドは階段を下りていく。
「どちらに?」
「散歩。すまないけど、荷物をまとめといてくれるかい?」
階段を下り扉から出て行くシドを、ウィルは静かに見守った。
国王からの勅令が届いたのだ。明日にはこの村を立たなければならない。
ウィルは物置から大きな鞄を取り出すと、シドの荷物を詰め込み始めた。
「やあ、久しぶりだね」
足元には白い骨が転がっていた。獣の骨ではない。
シドはあえて、それらをそのままにしていた。
「僕は王都に戻るよ。ここは誰も立ち入れないようにしておく。だから何も心配せず、ゆっくりとお休み」
しばらく風に吹かれていたが、踵を返す。結界を張り直すと、自分の邸に戻って行った。
「ああ、ウィル、本は良いよ。残していくから」
部屋に溢れる書籍と格闘していたウィルは、複雑な顔でシドを見上げた。
「先に言ってください」
「すまない。誰かが訪れて、読むかもしれないからね」
苦笑をこぼしながら、一冊の本を手に取る。
『神官様』
振り向くと、一人の少女が嬉しそうに、床に座って本を読んでいた。ここにいるはずのない、かつて出会った少女。
王子の不興を買い、信仰心も教養も低い辺境の地へと飛ばされた。
興味本位の輩は来ても、教義や学問に興味を持つ者はいない。そのうち野次馬さえも来なくなり、孤独と絶望が顔を出した。
初めて訪れた時、その少女は扉を開け、おそるおそる顔を覗かせた。
「あのう」
「やあ、何か用かい?」
温和な表情を作り、少女に応対する。うつむいた少女は、耳まで真っ赤にして、言葉を探していた。
「神官様は、色々なことを御存知なのですよね?」
「まあ、何でもというわけにはいかないけど、それなりにはね」
「私に教えてくれませんか? 私、学校も行ってなくて。でも、もっと色々と知りたいんです」
少女は真摯な瞳で、シドを見つめる。
「やっぱり、駄目、ですか?」
怯えるように瞳を震わせると、再び下を向いた。
「良いよ。何が知りたい?」
輝く瞳を向けられて、シドはたじろいだ。今までに、これほどシドを必要としてくれた者がいただろうか。
それから少女は、毎日訪れてはシドに教えを請い、自ら本を手に取るようになった。
シドが自分の力で見つけた、最初の信奉者だった。
「いつでも来ると良い、シャル」
シドは扉を閉めたが、鍵は掛けなかった。
きっともう、ここへ戻って来ることはないだろう。王都へと、シドは旅立った。
※
果樹園に、見知らぬ男がいた。
身形は神官のそれに近いが、生地の質は良いとは言えず、着古した外套には継ぎ接ぎさえあった。国軍の将軍の敷地を散歩するには、場違いな姿だ。
ハンスは気配を断ち、様子を伺った。
声を掛けても良いが、関わりたくないのが本音だ。
しょせん、ハンスはこの果樹園の庭師に過ぎない。それも果樹に詳しい者がいなかったために世話を任されているだけで、本来の身分は雑用係りだ。この館の中では、最も低い身分に分類される。
身分の低い者が、身分の高い者に声を掛けることは、礼儀に反する。身分差が大きければ、犯罪に等しい。
故にハンスが声を掛けることは、罰を与えられる危険が高かった。下手をすれば、命さえ危ういだろう。
だが神官らしき男は、柘榴に向かって進んでいる。ゼノが唯一愛して止まない、シャルという名の柘榴に。
これ以上進めば、柘榴の姿を見られてしまう。
ハンスは先回りすると、さりげなく樹木の影から現れた。
「あのう、失礼ですが、ここは将軍様の敷地内なのですが」
恐縮した風な姿勢で、痩せこけた庭師は声を掛ける。男が足を止めて庭師に視線を向けると、庭師は体をさらに硬くして頭を下げた。
「気にしなくて良い。散歩をしているだけですから」
男はハンスをただの庭師と見て、そのまま進む。
「あ、あのう、どうか、戻ってくれませんでしょうか? 将軍様に叱られてしまいます」
庭師は心底、この果樹園の主を恐れているようだった。
気の毒に思ったのか、男は足を止めると、庭師に向き直る。その行動に、庭師は更に頭を下げた。
「困りましたね」
そう言って男が笑みを浮かべた途端、庭師は目眩を覚えた。顔を上げた時には、男の姿はどこにもなかった。
「ちっ」
舌打ちをすると、庭師――ハンスは駆けた。
どのような能力かは分からないが、ハンスは男の能力により、男を見失ってしまった。
ようやく見つけたとき、男はすでに柘榴の前にいた。膝を折り、柘榴の幹に紐らしき物を結び付けようとしている。何かの呪具だろうか?
考えている暇などなかった。ハンスは懐から小刀を取り出すと、男の首筋に添える。
「何をしている?」
男の体は一度、小さく震えた。その反応に、ハンスは違和感を覚える。
訓練された兵ならば、この程度のことでは驚かない。
男はハンスが要求してもいないのに、両手を上げ、降参の姿勢を取った。
「可愛い木なので、お洒落をさせてあげようかと」
平静を装う男の声は、わずかに震えている。演技ではない、本当に素人なのだ。
ハンスは混乱した。男の目的が読めない。
「名前と身分をお伺いしても?」
男は黙した。
「侵入者と認識させて頂きますが、良ろしいですね?」
確認するハンスに、男は慌てる。その言葉の真意が、「始末して良いか?」という意味だと気付いたからだ。
「困ったな。誰にも言わないでおくれよ?」
男は立ち上がると、ハンスに向き直った。
「シド・シングだ。はじめまして、ハンス」
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