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ルモン大帝国編
62.マッチョじゃないけど筋肉ムキムキ
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「……」
無言でフレックを見下ろす、小さな子供。
剣士と魔法使いは、やはり助からないのだと、唇を噛み、睫を振るわせる。
その二人を、ちらりと見た雪乃の頭は、瞬時に適正を判断する。
魔法使いは、もしかしたら治癒魔法も使えるかもしれない。一方の剣士は……。
(うん、マッチョじゃないけど筋肉ムキムキ)
ということで、役割分担は一瞬で決まった。
ただし、この世界の人間の中には、地球に比べて力が強すぎる人がいることを忘れてはいけない。
心臓マッサージのつもりが、うっかり骨も内臓も潰しかねない人間も存在する。
「この部分に心臓が有ります。これを自分の鼓動より少し早い速度で、ぐっぐと押してください。胸が五センチほど凹むくらいの加減でできますか?」
「え?」
剣士も魔法使いも、口を半開きにした真顔で雪乃を凝視する。
「まだ生きる力が残っていれば、それで脈が戻ります。急いでください。長く心臓が止まっていると、返って来なくなりますよ?」
剣士は慌ててフレックの胸部に手を当て、リズム良く押し始めた。その様子を確認しながら、雪乃は枝先に集めた魔力を、フレックと呼ばれている冒険者に流していく。
「……っ!」
ノムルを相手に練習した時よりも、ずっと重い抵抗を感じる。けれど負けるわけにはいかない。
光属性の魔力を必死に流し込み、脳と臓器を中心に修復していく。葉裏がじっとりと湿り気を帯び、胃酸がこみ上げてくるような不快感が襲うが、それをぐっと飲み込んだ。
(ノムルさんのスパルタ訓練を受けておいて良かった)
毎晩のように血塗れた悪夢にうなされたが、お蔭で治癒魔法の腕は上がっている。外傷や病気は薬草で対応できるが、臓器の損傷は、治癒魔法でなければ対処が難しいのだ。
苦しげに魔力を注ぎ続けながら、雪乃は魔法使いへと意識を移す。
恐慌状態に陥っていた魔法使いも、雪乃の話を聞いていた間に落ち着きを取り戻していた。
「治癒魔法は使えますか?」
「基本くらいは」
「でしたら、私が指示したら呼気に治癒魔法を混ぜて、彼の口から注いでください」
「え?」
魔法使いは絶句した。何かの聞き間違いかと、雪乃をひたすら見つめる。
自分の吐き出す息に、治癒魔法を混ぜるという方法も始めて耳にしたが、それ以上の疑問が浮かぶ。
「えっと、それは、つまり、その……」
「質問なら早く言ってください。命が掛かっているんですよ?」
見た目とは異なる、厳しい叱責に、魔法使いは思わず背筋を伸ばす。
子供相手に口にして良い言葉とは思えないが、言わなければフレックを救う手段は潰えるのだろう。
「それはつまり、口付けをしろということか?」
「正確には、口移しで空気と治癒魔法を注ぎ込んでもらいます。自発的に呼吸ができない状態ですので、無理にでも空気を送り込みます」
「そんなことが……?」
迷いは消えたわけではない。理由があろうと、やはり男同士では抵抗がある。いや、女性でも相手の承諾を得ずにするには、抵抗があっただろうが。
しかし、目の前で一度は命尽きた友を、救えるかもしれないとこの子供は言うのだ。
剣士も二人の会話に目を丸くした。フレックに体重をかけながら魔法使いを凝視すると、雪乃へと顔を向ける。
「それは、魔法使いじゃないと駄目なのか?」
「いいえ。治癒魔法が使えれば、相乗効果を狙えると判断しただけです。空気を送り込むだけでも、蘇生措置は可能です」
「分かった。マグレーン、代われ!」
剣士は未だ決心の着かない魔法使い、マグレーンに怒鳴りつけた。彷徨っていたマグレーンの瞳が、剣士へと向かう。
「フレックは俺の親友だ。黄泉の国からだろうと、呼び戻す!」
「あ……」
強い決意の篭る剣士の眼光に、わずかに身を引いたマグレーンは、息を飲み込み、その光を自らの瞳にも灯した。
「いや、大丈夫だ。俺がやる」
今度こそ、マグレーンは迷うことなくフレックの枕元に座り、まぶたを閉じて気持ちを落ち着けると、光属性の魔力を口中に集めた。
雪乃は剣士に手を止めるように指示すると、治療を一旦中断し、再度フレックの顎を上向けてしっかりと気道を確保する。その口に、マグレーンによって酸素と魔力が注ぎ込まれていく。
肺が充分に膨れると、顔を赤くしたマグレーンが口を離した。もう一度大きく息を吸い込み始めたが、すでに心臓マッサージを停止して八秒が経過している。
雪乃はマグレーンを制して、ちらとフレックの様子をうかがった。
呼吸も脈も、まだ戻っていないことを確認すると、剣士に指示を出す。
「再開してください」
「分かった」
剣士が心臓マッサージを開始する。
雪乃は治癒魔法を再開しながら、魔法使いにも次の治癒魔法の準備を頼む。そして他の怪我人に視線を走らせた。
一人の重症者だけにこだわり続けて、他の怪我人を死なせてはならない。すぐに治療を必要としている冒険者は、他にもいるのだ。
どこかで彼のことは諦めなければならないかもしれないと、雪乃は胸中で覚悟を決める。
「止めてください。空気と治癒魔法を」
雪乃の指示に、剣士は動きを止め、マグレーンは治癒魔法を込めた呼気を注入した。けれど、フレックに変化は見られない。
心臓マッサージは続く。
雪乃がフレックの傷を癒し終えても、彼の心肺機能は戻っていなかった。
周囲を見回せば、黒髪の槍使いが動かなくなっていることに気付く。
そろそろ決断の時だろうと、雪乃は視界を閉じた。
「……。他にも治療を必要としている人がいます。彼のことは諦めましょう」
呻くように、その言葉を告げる。
心臓マッサージを再開していた剣士も、呼吸を整え魔力を集めていたマグレーンも、目を剥いて雪乃を見据えた。
「それは、もうコイツの魂が、戻れない所に行ってしまったということか?」
「そうだ」と答えれば、彼らの苦しみは軽くなるだろうか? 友人を見捨てる苦痛など、負わせる必要は無い。
けれど、雪乃は正直に答えた。
「分かりません。続ければ戻ってくる可能性は、低いかもしれませんがあると思います。けれど、その低い可能性のために、他の人達の命まで危険に晒すわけにはいかないでしょう?」
彼らはこれからも、同じような状況に出くわすのだろう。ならばその時、彼ら自身が判断できるように、救える命を救えるように、雪乃はそう答えた。
剣士とマグレーンは雪乃を睨んでいたが、他の仲間たちの話題が出たとたん、はっとして周囲を見回した。
仲間の三人は大地に倒れ、呻き声を上げている。この子供の言うとおり、手当てを必要としているのはフレックだけではないのだ。
唇を噛みしめた剣士は、手を止めることなく天を仰いだ。
魔法使いも唇を噛み、ぐっと拳を握り締める。そしてもう一度、仲間たちを見回し、剣士を目に捉え、雪乃に向き直った。
「仲間の手当てを手伝ってほしい。俺が二人受け持つから、一人を任せたい。どうせナルツにまともな治療はできない。こいつにはこのまま、フレックの蘇生術を続けさせてほしい」
剣士――ナルツは見開いた目でマグレーンを見ると、雪乃を痛いほど見つめた。その返答を、雪乃が逡巡したのは一瞬だった。
「分かりました。変化が起ったら、声を掛けてください」
ナルツとマグレーンは、隠すことなく喜色を浮かべる。
まだフレックが戻ってきたわけではない。それにこの判断により、更なる苦しみを味わうことになるかもしれないというのに。
けれど雪乃は、その事を指摘しなかった。
選ぶのは、彼ら自身だ。そして雪乃もまた、望んでいるのだから。
無言でフレックを見下ろす、小さな子供。
剣士と魔法使いは、やはり助からないのだと、唇を噛み、睫を振るわせる。
その二人を、ちらりと見た雪乃の頭は、瞬時に適正を判断する。
魔法使いは、もしかしたら治癒魔法も使えるかもしれない。一方の剣士は……。
(うん、マッチョじゃないけど筋肉ムキムキ)
ということで、役割分担は一瞬で決まった。
ただし、この世界の人間の中には、地球に比べて力が強すぎる人がいることを忘れてはいけない。
心臓マッサージのつもりが、うっかり骨も内臓も潰しかねない人間も存在する。
「この部分に心臓が有ります。これを自分の鼓動より少し早い速度で、ぐっぐと押してください。胸が五センチほど凹むくらいの加減でできますか?」
「え?」
剣士も魔法使いも、口を半開きにした真顔で雪乃を凝視する。
「まだ生きる力が残っていれば、それで脈が戻ります。急いでください。長く心臓が止まっていると、返って来なくなりますよ?」
剣士は慌ててフレックの胸部に手を当て、リズム良く押し始めた。その様子を確認しながら、雪乃は枝先に集めた魔力を、フレックと呼ばれている冒険者に流していく。
「……っ!」
ノムルを相手に練習した時よりも、ずっと重い抵抗を感じる。けれど負けるわけにはいかない。
光属性の魔力を必死に流し込み、脳と臓器を中心に修復していく。葉裏がじっとりと湿り気を帯び、胃酸がこみ上げてくるような不快感が襲うが、それをぐっと飲み込んだ。
(ノムルさんのスパルタ訓練を受けておいて良かった)
毎晩のように血塗れた悪夢にうなされたが、お蔭で治癒魔法の腕は上がっている。外傷や病気は薬草で対応できるが、臓器の損傷は、治癒魔法でなければ対処が難しいのだ。
苦しげに魔力を注ぎ続けながら、雪乃は魔法使いへと意識を移す。
恐慌状態に陥っていた魔法使いも、雪乃の話を聞いていた間に落ち着きを取り戻していた。
「治癒魔法は使えますか?」
「基本くらいは」
「でしたら、私が指示したら呼気に治癒魔法を混ぜて、彼の口から注いでください」
「え?」
魔法使いは絶句した。何かの聞き間違いかと、雪乃をひたすら見つめる。
自分の吐き出す息に、治癒魔法を混ぜるという方法も始めて耳にしたが、それ以上の疑問が浮かぶ。
「えっと、それは、つまり、その……」
「質問なら早く言ってください。命が掛かっているんですよ?」
見た目とは異なる、厳しい叱責に、魔法使いは思わず背筋を伸ばす。
子供相手に口にして良い言葉とは思えないが、言わなければフレックを救う手段は潰えるのだろう。
「それはつまり、口付けをしろということか?」
「正確には、口移しで空気と治癒魔法を注ぎ込んでもらいます。自発的に呼吸ができない状態ですので、無理にでも空気を送り込みます」
「そんなことが……?」
迷いは消えたわけではない。理由があろうと、やはり男同士では抵抗がある。いや、女性でも相手の承諾を得ずにするには、抵抗があっただろうが。
しかし、目の前で一度は命尽きた友を、救えるかもしれないとこの子供は言うのだ。
剣士も二人の会話に目を丸くした。フレックに体重をかけながら魔法使いを凝視すると、雪乃へと顔を向ける。
「それは、魔法使いじゃないと駄目なのか?」
「いいえ。治癒魔法が使えれば、相乗効果を狙えると判断しただけです。空気を送り込むだけでも、蘇生措置は可能です」
「分かった。マグレーン、代われ!」
剣士は未だ決心の着かない魔法使い、マグレーンに怒鳴りつけた。彷徨っていたマグレーンの瞳が、剣士へと向かう。
「フレックは俺の親友だ。黄泉の国からだろうと、呼び戻す!」
「あ……」
強い決意の篭る剣士の眼光に、わずかに身を引いたマグレーンは、息を飲み込み、その光を自らの瞳にも灯した。
「いや、大丈夫だ。俺がやる」
今度こそ、マグレーンは迷うことなくフレックの枕元に座り、まぶたを閉じて気持ちを落ち着けると、光属性の魔力を口中に集めた。
雪乃は剣士に手を止めるように指示すると、治療を一旦中断し、再度フレックの顎を上向けてしっかりと気道を確保する。その口に、マグレーンによって酸素と魔力が注ぎ込まれていく。
肺が充分に膨れると、顔を赤くしたマグレーンが口を離した。もう一度大きく息を吸い込み始めたが、すでに心臓マッサージを停止して八秒が経過している。
雪乃はマグレーンを制して、ちらとフレックの様子をうかがった。
呼吸も脈も、まだ戻っていないことを確認すると、剣士に指示を出す。
「再開してください」
「分かった」
剣士が心臓マッサージを開始する。
雪乃は治癒魔法を再開しながら、魔法使いにも次の治癒魔法の準備を頼む。そして他の怪我人に視線を走らせた。
一人の重症者だけにこだわり続けて、他の怪我人を死なせてはならない。すぐに治療を必要としている冒険者は、他にもいるのだ。
どこかで彼のことは諦めなければならないかもしれないと、雪乃は胸中で覚悟を決める。
「止めてください。空気と治癒魔法を」
雪乃の指示に、剣士は動きを止め、マグレーンは治癒魔法を込めた呼気を注入した。けれど、フレックに変化は見られない。
心臓マッサージは続く。
雪乃がフレックの傷を癒し終えても、彼の心肺機能は戻っていなかった。
周囲を見回せば、黒髪の槍使いが動かなくなっていることに気付く。
そろそろ決断の時だろうと、雪乃は視界を閉じた。
「……。他にも治療を必要としている人がいます。彼のことは諦めましょう」
呻くように、その言葉を告げる。
心臓マッサージを再開していた剣士も、呼吸を整え魔力を集めていたマグレーンも、目を剥いて雪乃を見据えた。
「それは、もうコイツの魂が、戻れない所に行ってしまったということか?」
「そうだ」と答えれば、彼らの苦しみは軽くなるだろうか? 友人を見捨てる苦痛など、負わせる必要は無い。
けれど、雪乃は正直に答えた。
「分かりません。続ければ戻ってくる可能性は、低いかもしれませんがあると思います。けれど、その低い可能性のために、他の人達の命まで危険に晒すわけにはいかないでしょう?」
彼らはこれからも、同じような状況に出くわすのだろう。ならばその時、彼ら自身が判断できるように、救える命を救えるように、雪乃はそう答えた。
剣士とマグレーンは雪乃を睨んでいたが、他の仲間たちの話題が出たとたん、はっとして周囲を見回した。
仲間の三人は大地に倒れ、呻き声を上げている。この子供の言うとおり、手当てを必要としているのはフレックだけではないのだ。
唇を噛みしめた剣士は、手を止めることなく天を仰いだ。
魔法使いも唇を噛み、ぐっと拳を握り締める。そしてもう一度、仲間たちを見回し、剣士を目に捉え、雪乃に向き直った。
「仲間の手当てを手伝ってほしい。俺が二人受け持つから、一人を任せたい。どうせナルツにまともな治療はできない。こいつにはこのまま、フレックの蘇生術を続けさせてほしい」
剣士――ナルツは見開いた目でマグレーンを見ると、雪乃を痛いほど見つめた。その返答を、雪乃が逡巡したのは一瞬だった。
「分かりました。変化が起ったら、声を掛けてください」
ナルツとマグレーンは、隠すことなく喜色を浮かべる。
まだフレックが戻ってきたわけではない。それにこの判断により、更なる苦しみを味わうことになるかもしれないというのに。
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