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ヒイヅル編

334.親ばか談義に

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 場所を集落に戻して、雪乃とノムルは獣人たちに囲まれていた。意外なことに、ノムルは狼獣人たちと打ち解けている。というより、

「うちのユキノちゃんのほうが、可愛いに決まってるだろ! 短い足で一生懸命に階段を上がる姿なんて、一日中でも見ていられるね」
「いいや、うちの子のほうが可愛い。耳を掻いているときの仕草なんて、うっかり溶けそうになる」
「いいや、うちの子だ!」
「俺の子だって!」

 親ばか談義に熱中していた。
 ノムルに対抗できる親ばかがこの世に存在するなどと夢にも思っていなかった雪乃は、狼獣人たちをまじまじと凝視して動けなくなったほどだ。
 ようやく意識を取り戻すと、

「ノムルさん、私の恥を大声で言いふらさないでください!」
「お父さん! そんな小さい時の話しないでよ!」
「とーちゃん、やめてっ!」

 と、獣人の子供たちと共に、親ばか談義に抗議する。
 そんな中、一人ひっそりと落ち込んでいる少年がいた。老若男女入り混じる中で、小さな子供を見つけては抱き上げて毛繕いしていたカイだ。
 恥と興奮で紅葉していた雪乃は、増殖した親ばかは止められないと理解し口葉を噛みしめて羞恥に耐えていたのだが、カイの様子に気付き、ぽてぽてと近付く。

「どうかしたのですか?」

 カイは力なく苦笑を浮かべるだけで、何も話さない。雪乃は心配そうに覗き込んだ。
 そんな雪乃に、カイの手が伸びる。気付けば膝の上に乗せられて、頭を撫でられていた。

「って、こら! なんでお前はいつもいつも、ユキノちゃんを抱っこして撫でるんだ?!」

 気付いたノムルが、親ばか談義を切り上げて声を荒げた。
 ノムルの声に獣人たちの視線がカイと雪乃へと向かうと、彼らは眉を跳ねた。

「へえ、珍しいな」
「樹人の子は平気なんだ」

 意外そうな声を上げる獣人たちを、ノムルと雪乃は不思議そうに見る。
 訳知り顔のシナノがくすくすと笑いながら、悪戯っぽい目をカイからノムルへと移した。

「狼獣人はね、子供を見ると毛繕いしたくなるのよ。でもカイはいつもすぐに逃げられて、毛繕いさせてもらえないのよね。雪乃ちゃんはおとなしいから、カイにとっては救いの女神よね」

 楽しげに笑うシナノを、カイはじとりと睨む。そんなカイに、無邪気な子供から一声が放たれる。

「カイ皇子、毛繕いが下手だから、いやー」

 心にダメージを負ったらしきカイの耳が、悲しげに垂れた。
 あわあわと、カイと子供を交互に見る雪乃の頭を、カイは休むことなく撫で続ける。

「お前、実はかわいそうなヤツだったんだな」

 ノムルの呟きが、カイに止めの一撃を与えたのだった。
 がっくり項垂れたカイの尻尾は、へたりと力なく地面に垂れていた。

 やいのやいのと話しているうちに、誰ともなく酒やつまみを持ち寄り始め、日が天頂に達する頃には茣蓙が敷かれて大皿に乗った料理まで並んでいた。
 完全に宴会である。
 滅多に酒を飲まないノムルも、ヒイヅル特有の白く甘みのある濁酒(どぶろく)は気に入ったようで、獣人たちとの飲み比べに興じている。

「甘くて飲みやすいけど、結構きついのよ? 気を付けたほうがいいわ」

 シナノが注意を促がしているが、ノムルは気にせず注がれた酒を次々と飲み干していく。

「たいしたもんだ。シナノよりウワバミじゃないのか?」

 笑い声に引き寄せられるように、雪乃も茣蓙のほうへと近付いていく。
 肉料理を中心に、木の実や山菜料理が並んでいた。煮物やお浸しなど、どこか懐かしさを覚える料理ばかりだ。
 ふいに、幾人かの獣人たちが席を立ち遠ざかっていった。不思議に思いながら目で追いかけた雪乃だったが、気にせず宴会に加わる。
 しばらくして新たな料理が運ばれてきた。残っていた獣人たちの口元に、にやりと意地悪げな笑みが浮かぶ。

「ヒイヅル名物のトーフだ。食べてみてくれ」

 ノムルの前に、藁に包まれたトーフと薬味が置かれる。

「へえ。これがトーフ? ユキノちゃんがお勧めしてたヤツだよね?」
「おそらくそうです。しっかりかき混ぜてください」
「かき混ぜるの? ユキノちゃんにお任せしていい?」
「お任せあれ」

 雪乃はトーフを一包取ると、開いて小鉢に中身を移した。ねっとりとした臭いが充満していく。
 予想通り、ヒイヅルでトーフと呼ばれる食品は、納豆だった。
 箸でぐるぐるとかき混ぜていき、白っぽいクリーム状になるまでひたすらかき混ぜた雪乃は、薬味と醤油ダレを掛けて更にかき混ぜる。

「ふっふんふんふーん」

 ご機嫌で箸を動かす雪乃と反比例するように、ノムルのテンションは下がっていき、表情が抜け落ちていく。

「ユキノちゃん、なんか凄いにおいなんだけど? というか、メマだよね? なんで茶色いの? なんでクリームみたいになってるの?」

 飲み食いも忘れて、雪乃の手元を呆然と凝視している。口角が引きつり、目が死んでいた。

「はい、オオメマですよ。なぜ茶色いんでしょうね? クリームに見えるのは糸がたくさん出ているからですね。ふわっとねっとりに仕上げています」

 ノムルはトーフから目が離せない。夢中になっているわけではなく、得体の知れなさに思考回路が迷路と化し、顔を逸らして逃げることさえできなくなっていた。
 しっかりとかき混ぜて、ふわふわになったところで、ようやく雪乃は手を止める。

「卵を加えたり、刻んでスーシーにするのがお勧めなんですけど、とりあえず、このままどうぞ」

 クリームの中に、茶色いオオメマが顔を覗かせている小鉢を、雪乃はノムルの前に差し出した。ノムルの目は彼の意思に関係なく小鉢を追う。
 いつもならば雪乃が手を加えた料理は喜んで飛びつくのだが、今日は珍しく手を出すことに躊躇っていた。

「ゆ、ユキノちゃんが作ってくれた料理だ」

 意を決して、ノムルは手を伸ばす。ごくりと咽を鳴らして、箸でつまみあげる。しかし丸いオオメマは、ぬるりと箸から逃げ出した。
 ノムルは空間魔法からスプーンを取り出し、トーフを掬う。

「う、臭いっ」

 トーフが顔に近付き、よりはっきりと臭いが鼻腔を覆う。ノムルは鼻を摘まんで顔を逸らした。
 そんな戸惑うノムルの姿を、雪乃も獣人たちも、笑顔を浮かべて見つめている。
 まるで監視する視線の中にいるようで、ノムルは軽い恐怖を感じながらスプーンを口へと運んだ。
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