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真相編
412.あの世界に
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伝わってくる緊張に、雪乃はふっと口元を緩めた。涙で視界がにじむ。
「あの世界に戻りたいです」
「この世界にはもう帰ってこられないんだよ? 家族にも、友達にも、もう会えなくなる」
日本に戻っても整っている顔立ちが、困惑に歪んだ。
まぶたを落とした雪乃は、記憶を辿る。
ノムルたちと過ごした異世界での日々。同じ屋根の下に暮らしながら、言葉を交わすこともない家族たち。
「私のおとーさんは、ノムル・クラウです」
迷いのない瞳でそう言ってのけた少女に、ムダイとナルツは目を瞠った。
あの変態――ではなく、ノムルを父と認める雪乃にも驚いたが、それ以上に実の家族を切り捨ててみせた少女に息を飲んだ。
「雪乃ちゃん、本当に分かっているの?」
「もちろんです」
「もう会えなくなるんだよ? ご両親が悲しむかもしれないよ?」
雪乃の胸が、つきりと痛んだ。とっくに断ち切っていたはずの感情は、まだ残っていたようだ。
「私がいなくなっても、私の家族は気にしません。私は、いらない子ですから。それなのに捨てることもできない、迷惑な存在ですから」
痛々しい笑みを浮かべようとする少女の目からは、光が消えている。
ムダイとナルツは絶句した。いつも呑気で楽しそうだったあの樹人の子供と、同じ存在とは思えなかった。
止まった時の中、雪乃が動き出す。食べかけのワッフルを一口サイズに切り分け、口へと運ぶ。濃厚なチョコレートソース。ふんわりとろける生クリーム。優しい味のバナナ。サクッとして卵の香りが溶け出すワッフル。
甘いチョコバナナワッフルを、雪乃は食べる。三口目からは、少ししょっぱかった。
ムダイもナルツも、それ以上は何も言えなかった。
目の前で美味しそうに食べている少女の瞳からは、涙がこぼれていた。
視線を交わした二人は、これ以上の確認は必要ないと目で頷きあう。ナルツはシャツの胸ポケットから白銀の組紐を取り出した。
「これを身に付けていて」
ナルツは雪乃の手を取り、手首に巻いた。
「これは?」
「ダルクの髪で編んだんだ。これを目印に、君の魂を俺たちの世界に連れ帰るらしい」
先代樹人の王であるダルクは、最初の残念な印象とは違い優秀だったようである。
「僕たちはあまり長くはいられないから今夜にも向こうに戻る予定だけど、雪乃ちゃんはいつ頃あちらに行けそう? あまり時間が経つと難しくなるらしいから、早いほうが良いんだけど」
「今すぐでも」
考えるより先に、声が出た。
ムダイとナルツは顔を歪める。家族と二度と会えなくなるというのに、雪乃は家族との最後の時を惜しまない。その異常さに、彼女の置かれている境遇が透けて見えてしまう。
「分かった。早めに迎えにきてもらう」
ナルツが請け負うと、ムダイが後を継ぐ。
「ゴーグルは持っているよね? 帰ったら『ファーストキッスはルモン味』にダイブしといて」
「あ」
『無題』のサービスが消えていることに意気消沈していた雪乃は、この世界とあの世界をつなぐ扉が、もう一つあったことを失念していたようだ。
雪乃の間抜け顔に、ムダイとナルツはくすりと笑った。
ムダイたちと別れた雪乃は、急いで家に帰る。音を殺して忍び込むように家に入り、部屋に戻ろうとしたところで父親と出くわした。
「今帰ったのか?」
こくりと、雪乃は頷く。
この人の声を聞いたのはいつ以来だろうかと、雪乃はぼんやりと記憶を探る。
単身赴任というわけではない。毎日家に帰ってきているが、母から家族との接触を禁じられていた雪乃が父と顔を合わすのは、月に一度か二度ほどだった。言葉を交わすことなど正月以外にあっただろうか?
雪乃が置かれている状況を、どう思っているのだろう? 少しは気に掛けてくれているのだろうか? そんな淡い期待が顔を出だしたところで、雪乃は思考を停止させた。
「何時だと思っているんだ? 陰気な上に不良か? そんなだから養子にも出せないんだ」
何の話だろうと目をさまよわせた雪乃は、すぐに思い出す。半年ほど前に父と母が話をしていたのを、トイレに行こうとした雪乃は耳にしてしまった。
「伯母さんが子供を欲しいと言っていたが、お前なんかをやったら苦情が来るのは目に見えている。この家くらいしかお前を受け入れてやるところはないんだ。家族で良かったな」
それだけ言うと、雪乃の父は居間の扉を開けて入っていった。
「そうですか。ありがとうございます。でももう、我慢しなくていいですから」
冷え切った声が、雪乃の口を突いて出た。ぱたりと閉じた扉の音に掻き消されたのか、父親は振り向きさえしなかった。
凍えた体は小さく震えていた。かじかむ手足を動かして自分の部屋に逃げ込むと、雪乃はゴーグルを被る。息を大きく吐き出し、不要な気持ちを切り捨てる。
「大丈夫。あの世界は、私を受け入れてくれる」
大きく波打つ心臓を押さえながら、『ファーストキッスはルモン味』を検索し登録すると、ゲームを開始した。
きらきらとしたエフェクトが舞い、ヒロインの紹介が始まる。男爵令嬢、雪乃。貴族達が通う学園で、見目麗しい攻略対象の男性達と愛情を深めていくという物語だ。
「えっと? これはプレイしたほうが良いのでしょうか?」
雪乃はぽてりと首を傾げた。
『無題』からあちらの世界に飛んだのは、ゲームをある程度進めてからだった。そう思い至った雪乃は、『ルモン味』の世界に入っていく。
まず初めに、自分の分身体となるアバターを作る。初期設定のアバターはユリアの外見そのものだった。
あちらの世界でユリアを知っている雪乃にはさすがに抵抗があったので、無料のパーツを使って新しく作ることにした。
出来上がったのは、常盤緑の髪を持つ樹人の王バージョンの雪乃だ。まったく同じとは言えないが、なぜかよく似た姿のアバターを作ることに成功した。
物語は平民として暮らしていた雪乃が、男爵家に引き取られたところから始まる。
雪乃は庶子だったが第二皇子たちと同い年のため、有力貴族との縁をつなげるかもしれないと男爵家が引き取ったのだ。
チュートリアルで貴族としての礼儀作法を学んでから、十五歳から十八歳の貴族の子供達が通う学園に雪乃は放り込まれる。
『五分後に入学式が始まります。急いで会場に向かいましょう』
開始と共に、指令と地図が表示された。
「あの世界に戻りたいです」
「この世界にはもう帰ってこられないんだよ? 家族にも、友達にも、もう会えなくなる」
日本に戻っても整っている顔立ちが、困惑に歪んだ。
まぶたを落とした雪乃は、記憶を辿る。
ノムルたちと過ごした異世界での日々。同じ屋根の下に暮らしながら、言葉を交わすこともない家族たち。
「私のおとーさんは、ノムル・クラウです」
迷いのない瞳でそう言ってのけた少女に、ムダイとナルツは目を瞠った。
あの変態――ではなく、ノムルを父と認める雪乃にも驚いたが、それ以上に実の家族を切り捨ててみせた少女に息を飲んだ。
「雪乃ちゃん、本当に分かっているの?」
「もちろんです」
「もう会えなくなるんだよ? ご両親が悲しむかもしれないよ?」
雪乃の胸が、つきりと痛んだ。とっくに断ち切っていたはずの感情は、まだ残っていたようだ。
「私がいなくなっても、私の家族は気にしません。私は、いらない子ですから。それなのに捨てることもできない、迷惑な存在ですから」
痛々しい笑みを浮かべようとする少女の目からは、光が消えている。
ムダイとナルツは絶句した。いつも呑気で楽しそうだったあの樹人の子供と、同じ存在とは思えなかった。
止まった時の中、雪乃が動き出す。食べかけのワッフルを一口サイズに切り分け、口へと運ぶ。濃厚なチョコレートソース。ふんわりとろける生クリーム。優しい味のバナナ。サクッとして卵の香りが溶け出すワッフル。
甘いチョコバナナワッフルを、雪乃は食べる。三口目からは、少ししょっぱかった。
ムダイもナルツも、それ以上は何も言えなかった。
目の前で美味しそうに食べている少女の瞳からは、涙がこぼれていた。
視線を交わした二人は、これ以上の確認は必要ないと目で頷きあう。ナルツはシャツの胸ポケットから白銀の組紐を取り出した。
「これを身に付けていて」
ナルツは雪乃の手を取り、手首に巻いた。
「これは?」
「ダルクの髪で編んだんだ。これを目印に、君の魂を俺たちの世界に連れ帰るらしい」
先代樹人の王であるダルクは、最初の残念な印象とは違い優秀だったようである。
「僕たちはあまり長くはいられないから今夜にも向こうに戻る予定だけど、雪乃ちゃんはいつ頃あちらに行けそう? あまり時間が経つと難しくなるらしいから、早いほうが良いんだけど」
「今すぐでも」
考えるより先に、声が出た。
ムダイとナルツは顔を歪める。家族と二度と会えなくなるというのに、雪乃は家族との最後の時を惜しまない。その異常さに、彼女の置かれている境遇が透けて見えてしまう。
「分かった。早めに迎えにきてもらう」
ナルツが請け負うと、ムダイが後を継ぐ。
「ゴーグルは持っているよね? 帰ったら『ファーストキッスはルモン味』にダイブしといて」
「あ」
『無題』のサービスが消えていることに意気消沈していた雪乃は、この世界とあの世界をつなぐ扉が、もう一つあったことを失念していたようだ。
雪乃の間抜け顔に、ムダイとナルツはくすりと笑った。
ムダイたちと別れた雪乃は、急いで家に帰る。音を殺して忍び込むように家に入り、部屋に戻ろうとしたところで父親と出くわした。
「今帰ったのか?」
こくりと、雪乃は頷く。
この人の声を聞いたのはいつ以来だろうかと、雪乃はぼんやりと記憶を探る。
単身赴任というわけではない。毎日家に帰ってきているが、母から家族との接触を禁じられていた雪乃が父と顔を合わすのは、月に一度か二度ほどだった。言葉を交わすことなど正月以外にあっただろうか?
雪乃が置かれている状況を、どう思っているのだろう? 少しは気に掛けてくれているのだろうか? そんな淡い期待が顔を出だしたところで、雪乃は思考を停止させた。
「何時だと思っているんだ? 陰気な上に不良か? そんなだから養子にも出せないんだ」
何の話だろうと目をさまよわせた雪乃は、すぐに思い出す。半年ほど前に父と母が話をしていたのを、トイレに行こうとした雪乃は耳にしてしまった。
「伯母さんが子供を欲しいと言っていたが、お前なんかをやったら苦情が来るのは目に見えている。この家くらいしかお前を受け入れてやるところはないんだ。家族で良かったな」
それだけ言うと、雪乃の父は居間の扉を開けて入っていった。
「そうですか。ありがとうございます。でももう、我慢しなくていいですから」
冷え切った声が、雪乃の口を突いて出た。ぱたりと閉じた扉の音に掻き消されたのか、父親は振り向きさえしなかった。
凍えた体は小さく震えていた。かじかむ手足を動かして自分の部屋に逃げ込むと、雪乃はゴーグルを被る。息を大きく吐き出し、不要な気持ちを切り捨てる。
「大丈夫。あの世界は、私を受け入れてくれる」
大きく波打つ心臓を押さえながら、『ファーストキッスはルモン味』を検索し登録すると、ゲームを開始した。
きらきらとしたエフェクトが舞い、ヒロインの紹介が始まる。男爵令嬢、雪乃。貴族達が通う学園で、見目麗しい攻略対象の男性達と愛情を深めていくという物語だ。
「えっと? これはプレイしたほうが良いのでしょうか?」
雪乃はぽてりと首を傾げた。
『無題』からあちらの世界に飛んだのは、ゲームをある程度進めてからだった。そう思い至った雪乃は、『ルモン味』の世界に入っていく。
まず初めに、自分の分身体となるアバターを作る。初期設定のアバターはユリアの外見そのものだった。
あちらの世界でユリアを知っている雪乃にはさすがに抵抗があったので、無料のパーツを使って新しく作ることにした。
出来上がったのは、常盤緑の髪を持つ樹人の王バージョンの雪乃だ。まったく同じとは言えないが、なぜかよく似た姿のアバターを作ることに成功した。
物語は平民として暮らしていた雪乃が、男爵家に引き取られたところから始まる。
雪乃は庶子だったが第二皇子たちと同い年のため、有力貴族との縁をつなげるかもしれないと男爵家が引き取ったのだ。
チュートリアルで貴族としての礼儀作法を学んでから、十五歳から十八歳の貴族の子供達が通う学園に雪乃は放り込まれる。
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