紫電改345

みにみ

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内地への帰還

土浦海軍飛行場

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1944年3月。短い春の休暇を終えた黒田光正大尉は
再び軍服に身を包み、土浦海軍飛行場へと戻った。
彼の新たな任務は、予科練出身の若き搭乗員たちに
南方の「生きた戦訓」を叩き込む、後期教育の教官であった。

土浦は、訓練基地としての静かな活気に満ちていたが
黒田の目に映る光景は、ラバウルの地獄とはあまりにもかけ離れていた。
若者たちの目は、まだ希望に満ちており
彼らの胸には「零戦こそ世界最強」という、古き良き神話が健在だった。
黒田は、この無邪気な熱意が
やがて来る戦場で彼らの命取りになることを知っていた。

教官としての初日。教室に入ると、予科練出身の若者たちが
憧れのまなざしで彼を見つめていた。黒田は、ラバウルからの生還者であり
十三粍機銃でヘルキャットを屠ったエースとして、彼らの間で既に伝説となっていたからだ。

彼らの期待を打ち砕くように、黒田は挨拶もなしに、教壇に立った。

「私は、黒田光正大尉だ。今日から、お前たちの教官を務める」

冷たく、しかし芯の通った声が教室に響いた。

「お前たちは、私をラバウル帰りのエースだと思って
 尊敬しているかもしれない。だが、その幻想は今すぐ捨てろ」

彼はチョークを手に取り、黒板に大きく三文字を書き記した。「生還」

「お前たちに、私は教科書通りの格闘戦は教えない。
日本海軍が誇る零戦の格闘戦能力を信じるという美談は
既に南方の空で何百という命と引き換えに、破綻している」

教官室に戻った黒田は、上官である指導教官の野村少佐と激しく意見を戦わせた。
野村少佐は、あくまで「精神論」と
「零戦の優位性」を重視する、旧来の指導方針の支持者だった。

「黒田大尉。あなたの指導は、若者たちの士気を削ぐ。
 彼らには、必勝の信念が必要なのだ。
 零戦の機動性は、米軍機に勝っている。それを活かせば……」

黒田は冷静に反論した。
「少佐。勝つのは『信念』ではありません。機体性能の差と
 合理的な戦術です。F6Fの急降下速度、防御力、そして火力の前に
 零戦が格闘戦に持ち込めば、それは死を意味します。
 私は、彼らに死ぬための美談ではなく、生き残るための現実を教えます」

野村少佐は眉をひそめたが、黒田が方面艦隊の特別命令で教官となったこと
そして彼が持参した大量の米軍機の性能データと
戦訓報告の山を前に、彼の指導に口を出すことはできなかった。


黒田の指導は、徹底的な「現実の分析」から始まった。

座学の教室には、戦闘機の「カタログスペック」ではなく
ラバウルで米軍機を相手に戦って得られた、生々しいデータが貼り出された。

「よく見ろ。これが、お前たちがこれから相対する敵機の性能だ」

黒田は、黒板にF6Fヘルキャット
F4Uコルセアの諸元を書き出し、その横に零戦の諸元を並べた。

「零戦の利点は、旋回性能ただ一つ。しかし
 敵は、防御力、速度、そして決定的な
 大馬力エンジンによる急降下性能で、我々を圧倒している」

黒田は、特にF6Fの防御力に焦点を当てて説明した。

「敵機は、我々の七・七粍機銃の掃射など、痛痒ともしない。
 二〇粍機銃でも、確実に致命傷を与えるには一点に集中した連続射撃が必要だ。
 つまり、従来の零戦の火力では、敵機を落とす前に
 敵の六門のブローニング一二・七粍機銃に蜂の巣にされる」

そして、彼の指導の核心を突く言葉を吐き出した。

「『格闘戦は死を意味する』。敵の土俵で相撲を取るな。
 敵は、我々が格闘戦を挑むのを待っている。なぜなら
 その方が確実に我々を落とせるからだ。零戦の優位性を信じる戦い方は
 敵を利する『死の戦術』に他ならない」

訓練生たちの中には、海軍の誇りである
零戦を否定されたと感じ、不満の声を上げる者もいた。

「大尉!ならば、我々は何もできないということですか!?」

黒田は彼を鋭い目で見据えた。
「何もできないのではない。戦い方を変えるのだ」

「対抗策はただ一つ。一撃離脱戦法と、徹底した編隊連携だ。
 常に高空から、速度を乗せて飛び込み、確実に一機を仕留めたら
 深追いせずに離脱しろ。これが、この戦局における
 我々の『堅実』であり、『生還』するための唯一の道だ」

彼の座学は、熱い論理と冷徹な現実に満ちており、若者たちの心を深く揺さぶった。


黒田の指導の真価は、座学の後に行われる模擬空戦で発揮された。

訓練生たちは、自身の愛機である零戦二二型や五二型に乗り込んだ。
一方、黒田は、あえて零戦に比べ遥かに格闘戦能力に劣る
局地戦闘機「雷電」を乗機に選んだ。彼は、雷電の大馬力エンジンと速度
そして劣悪な視界とピーキーな操縦特性こそが
彼がラバウルで感じた米軍機との性能差を再現するのに最も適していると考えたのだ。

「いいか、お前たちは零戦の機動性を過信するな。
 私が、F6Fヘルキャットだと思え!」

模擬空戦開始。訓練生たちは、零戦の旋回性能を活かし
雷電を格闘戦に引きずり込もうと試みた。
彼らが教わってきた、「零戦の伝統的な戦い方」だ。

しかし、黒田は雷電の操縦桿を激しく握り込んだ。
彼は、徹底的に格闘戦を避け、機体性能を活かす。
訓練生たちが低速で旋回を始めた瞬間
黒田は雷電の優れた加速性能を使い、急角度で編隊の上空へ離脱。

「訓練生、速度を落とすな!敵は逃げるぞ!」

若者たちは、黒田の雷電が格闘戦を拒否したことに安堵し
優位に立っていると錯覚した。
彼らが再び低速で雷電を追い始めた、その油断した一瞬。

「今だ!」

黒田は、雷電の機首を鋭角に下げ、一気に急降下を開始した。
彼は、ラバウルでヘルキャットが仕掛けてきた
最も致命的な攻撃パターンを再現したのだ。
雷電の機体は轟音を上げ、一瞬で訓練生たちの編隊を追い抜いた。
照準器に数秒ずつ捉え
黒田は、彼らが体勢を立て直す隙を与えず、一撃離脱で編隊の三機をまとめて仮想撃墜した。

「勝負あり!」

無線が鳴り響き、黒田の勝利が告げられた。
訓練生たちは、呆然としていた。零戦に乗っている自分が
機動性の劣る雷電に、一方的に叩き潰されたのだ。

地上に戻った訓練生たちは、怒りと悔しさで黒田に詰め寄った。

「大尉!それは卑怯です!格闘戦を避けて
 速度だけで逃げ回っただけではないですか!」

黒田は、静かに雷電のコックピットから降り、彼らの目を見て言った。

「戦場に『卑怯』という言葉はない。あれが、現実だ。
 お前たちが低速でグルグル回っている間、私は高度と速度という
 『命綱』を確保していた。F6Fは、まさにああやってお前たちを狩る。
 お前たちは、敵の思う壺にはまったのだ」

この模擬空戦は、彼らにとって、零戦神話の完全な崩壊を意味した。


模擬空戦の敗北後、訓練生たちの士気は一時的に低下した。
彼らは、従来の戦術が通用しないという現実に直面し、戦う意味を見失いかけていた。

その日の講義の終わり。一人の訓練生が、抑えきれない反発心を露わにした。

「大尉。あなたの戦術は、確かに生き残るでしょう。
 しかし、我々は軍人です!戦果を挙げてこそ軍人ではないですか!
 生還ばかりを優先して、何が日本の防空に繋がるというのですか!」

教室全体が静まり返った。

黒田は、教壇から降り、その訓練生の目の前まで歩み寄った。
彼は、感情を押し殺した、しかし熱を帯びた声で語り始めた。

「森田一飛曹という男を知っているか」

突然、黒田はラバウルで深追いの末に散った部下の名を口にした。

「彼は、私の分隊の部下だった。私と同じように、戦果を焦り
 私の制止を振り切って、F6Fに食らいついた。そして、帰ってこなかった」

黒田は、そこで言葉を区切った。彼の声は、苦痛に歪んでいた。

「私は、彼を助けられなかった。彼が、『生きて帰るプロ』になることを
 教えられなかったからだ。彼の命と、彼の零戦を整備した整備員の苦労が
 一機のF6Fの片隅にも及ばなかった。私は、その罪悪感を、今も背負っている」

黒田は、教室全体を見渡した。

「いいか。お前たちの命は、戦果の数よりも、未来の空を守るために重い。
 戦果を挙げても、死んでしまえば、その戦訓は誰にも伝えられない。
 お前たちが一人でも多く生き残り、この『生きた戦術』を継承していくことが
 日本海軍が次に作るであろう新型機を活かすための布石となる」

彼の瞳は、熱い情熱に満ちていた。

「生きて帰ることが、散った仲間の無念を晴らす唯一の道だ。
 お前たちが明日も明後日も飛び続けなければ、誰が本土の空を守る?
 誰が、我々の愛する家族を守る?私の『堅実』は、未来への責任だ」

黒田の指導は、単なる技術論ではなかった。それは
地獄を生き抜いた者の魂の叫びであり、死に瀕した日本海軍航空隊が
未来へ命を繋ぐための唯一の道標であった。

この日から、訓練生たちの眼差しは変わった。
彼らは、黒田の指導を単なる教官の技術ではなく、「生還」という名の
最も重い使命として受け止めるようになった。彼の「堅実」の哲学は
土浦の訓練生たちの心に、深く、そして熱く浸透していった。
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