試製局地戦闘機「春花」   日ノ本の宙に舞え

みにみ

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日本の技術と「死にかけの花」

死にかけの花に

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ネ10型エンジンの完成は広海軍工廠に一筋の光明をもたらした。
田中総士技術中佐率いるエンジン開発班の執念が実を結び
Jumo004の技術を基に、日本の加工技術と材料で実用可能な
ジェットエンジンが誕生したのだ。このエンジンの成功を受け、
広海軍工廠は、もはや躊躇することなく
次なる、しかしさらに野心的な計画に着手した。
それは、ドイツから供与されたHe280の機体に、
この国産のネ10型エンジンを搭載し、実戦に投入できる局地戦闘機を
開発するというものだった。後に「試製局地戦闘機」と呼称されることになる
日本のジェット戦闘機開発の幕開けである。

「ドイツで『死にかけの花』とされた
 He280に、我々の技術で新たな生命を吹き込むのだ!」

主任設計技師の吉川藤雄技術大佐は技術者たちを前に力強く宣言した。
彼の言葉には、He280がドイツで不採用となった
「失敗作」であるという事実を覆し、日本の技術でそれを
「成功作」へと昇華させるという、技術者としての揺るぎない誇りが込められていた。
同時に、迫りくるB-29の脅威から日本本土を守り抜くという
強い使命感がその瞳に宿っていた。
彼らは、もはや失うものは何もないという覚悟で
この未曾有の挑戦に挑もうとしていた。

しかし、その道は想像を絶する困難を極めるものだった。
ネ10型エンジンが完成したとはいえ、それをHe280の機体に組み込む作業は
一筋縄ではいかなかった。He280の機体は
ドイツの航空技術の粋を集めて設計されており
その構造は日本の機体とは根本的に異なっていた。
吉川たちは、まず機体全体の強度計算からやり直す必要があった。
ネ10型エンジンは、He280のオリジナルエンジンであるHeS 8よりも
高出力だったため、機体構造にかかる負荷も増大する。
高速飛行時の振動特性、エンジンの高熱による
機体への影響など、考慮すべき要素は山積していた。

エンジンの搭載位置も大きな課題だった。
He280は主翼下にエンジンを吊り下げるポッド式を採用していたが
ネ10型エンジンの寸法や重量は微妙に異なっていた。わずかな変更であっても
空気抵抗や重心位置に影響を与え、飛行性能を著しく低下させる可能性がある。
技術者たちは、風洞実験を繰り返し、最適な搭載位置と空力的な形状を模索した。
彼らの手元にあるのは、ドイツから送られたHe280の機体一機と、
設計資料だけ。試作と失敗を繰り返す余裕など、どこにもなかった。

最大の壁として立ちはだかったのは、やはり特殊合金の不足だった。
ジェットエンジンには、摂氏800度を超える高温に耐える
タービンブレードや燃焼室の材料、そして高速回転に耐えるベアリングなど、
極めて特殊な材料が不可欠だった。ドイツの資料には
これらの特殊合金の組成が詳細に記されていたが
戦争で物資が枯渇しきっていた当時の日本には、それらを潤沢に供給する能力はなかった。
ニッケル、コバルト、モリブデン…これらの希少金属は
すでに国家戦略物資として優先的に配給されていたが
ジェットエンジンに必要な量には到底及ばなかった。

「この配合では、エンジン寿命が極端に短くなる!」
「代替材料では、果たして必要な強度が保てるのか!?」

材料班の技術者たちは、頭を抱えた。彼らは、既存の日本の材料の中から
いかに特殊合金の性能に近いものを探し出すか、あるいは
鉄や炭素を主成分とする材料でいかに代替するか、昼夜を問わず研究と改良を重ねた
時には、工廠の敷地内にあったスクラップの中から
わずかな特殊金属の塊を見つけ出し、それを再利用するという
途方もない作業も行われた。彼らの手は、常に油と金属粉で汚れており
顔は煤で黒ずんでいた。

また、ジェット燃料の精製技術の未熟さも、大きな課題だった。
ジェットエンジンは、レシプロエンジンとは異なり、
高オクタン価のガソリンではなく、灯油に近い特性を持つ特殊な燃料を必要とした。
当時の日本には、そのような燃料を大量に精製する技術も設備も不足していた。
粗悪な燃料では、エンジンの性能が十分に発揮できないばかりか、
燃焼不良や煤の発生により、エンジンの故障や寿命の短縮に直結した。

吉川たちは、海軍燃料廠の技術者たちとも連携を取り、
ジェット燃料の品質向上に全力を注いだ。芋や松の根から油を抽出するなどの、
代替燃料の研究も行われたが、それは一時しのぎにしかならなかった。
彼らは、限られた資源の中で、いかに「最適解」を見つけ出すかという
まさに極限の知恵比べを強いられた。

設計、材料、加工、燃料…あらゆる面で問題が山積する中、
技術者たちは、もはや個人の生活を顧みることなく、作業に没頭していった。
彼らは、広海軍工廠の研究棟に寝泊まりし、与えられた弁当と簡単な仮眠で、
昼夜を問わず働き続けた。家族との時間など、もはや記憶の彼方だった。
自宅に帰るのは月に数回あるかないか。彼らの多くは、
栄養失調と過労で顔はやつれ、目には常に血がにじんでいた。
しかし、彼らの目には、決して消えることのない強い使命感の炎が燃え盛っていた。

「本土が焼かれているんだぞ!これ以上、国民を苦しめるわけにはいかない!」
「この機体が、この技術が、日本を救う唯一の道なんだ!」

彼らは、机上の理論と実践の狭間で、汗と油にまみれながらも、
日本の未来を切り開こうとする、熱き魂の戦いを続けていた。
彼らが扱う金属部品や図面の一つ一つが、日本の希望を乗せた
「試製局地戦闘機」へと繋がっていく。
それは、単なる機械の組み立て作業ではなく、
日本の技術者たちが、自らの命を削りながら、
祖国への最後の奉仕を捧げている姿だった。
ドイツで「死にかけの花」とされたHe280は、
今日本の技術者たちの手によって、日本の空に咲き誇る「希望の春花」となるべく
静かに、しかし力強く再生の道を歩み始めていた。
彼らの心には、何としてもこの機体を完成させ
日本の空を守るのだという、燃えるような決意が宿っていた。
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