鋼鉄海峡突破戦       ーホルムズ海峡ヲ突破セヨー

みにみ

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封じられた盾

ホルムズの影

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二〇三三年、三月。市ヶ谷の防衛省庁舎を包む空気は
例年になく刺すような冷たさを帯びていた。春の訪れを告げるはずの風は
ユーラシア大陸の深部から吹き付ける不穏な熱を帯びた情報を運んできたかのようであった。

海上幕僚監部、指揮通信室。そこは遮光カーテンによって外界から隔絶された
青白いモニターの光だけが支配する空間である。
中央のメインスクリーンには、ペルシャ湾からオマーン湾にかけての
衛星画像が映し出されていた。そこには、数年前までは存在しなかったはずの
規則的なコンクリートの構造物が並んでいる。

「これが、情報本部が三日前に掴んだ最新の『影』か」

背後から声をかけたのは、海上幕僚監部防衛部に席を置く館花研二海将補であった。
彼は五十代半ばという年齢以上に、その眼光に鋭い理知と
どこか厭世的な色を宿している。制服の肩に輝く星は
彼が背負う責任の重さを無言で証明していた。

「はい、館花将補。イラン南部のバンダレ・アッバース近郊
 およびゲシュム島、ララク島。これらの地点に新設された地下格納庫から
 既存のシルクワームとは明らかに異なる形状のキャニスターが確認されました。
 中露の技術供与、あるいは直接的な供与による新型超音速対艦ミサイル。
 コードネーム『レッド・トレント(紅い潮流)』。
 推定射程は四百キロメートルを超え
 終末誘導速度はマッハ三・五以上に達すると見られています」

説明を担当する若手の一等海尉の声は、かすかに震えていた。
その震えの理由は、館花には痛いほど理解できた。
マッハ三を超える超音速ミサイルが、世界で最も狭く
かつ重要な航路であるホルムズ海峡の全域を射程に収めた。
これは、シーレーン防衛という概念そのものが根底から覆されたことを意味する。

「マッハ三・五……。我々の護衛艦が搭載するイージス・システムであれば
 迎撃の可能性はあるが、問題は数だ。そして、何よりも政治的な制約だ」

館花は腕を組み、モニターに映るホルムズ海峡の隘路を見つめた。
「海峡の最狭部はわずか三十三キロメートル。
 大型タンカーが航行できる深水路は、その中でもさらに限定される。
 ここに超音速ミサイルが降り注げば、民間船には逃げ場などない。
 自衛隊が護衛艦を派遣したところで、今の法体系では『平時の警護』の域を出ない。
 ミサイルが発射され、着弾する数秒前の『正当防衛』の瞬間にしか
 我々は引き金を引けないのだ。これでは
 盾を持って立ち尽くす間に背後の商船が先に沈められることになる」

館花の声には、長年、現場と政治の狭間で苦悩してきた自衛官特有の渇きがあった。
日本という国は、その喉元を一本の細い「海上の道」に握られている。
エネルギー自給率の低さは、そのまま国家の生存権の脆弱さに直結する。
そして今、その細い首筋に、中露の研ぎ澄まされた刃が突きつけられたのだ。

その日の午後、館花は防衛省の地下にある士官食堂の片隅で、一人の男と向かい合っていた。
防衛部運用課の真壁一等海佐。館花とは防衛大学校時代からの同期であり
互いに「研二」「真壁」と呼び合える数少ない親友でもある。

「聞いたか、館花。さっきの報告会での防衛大臣の反応を。
 あの方は『遺憾の意を表明し、外交ルートを通じて自制を求める』と繰り返すばかりだ。
 ミサイルが音速を超えて飛んでくる時代に
 言葉の壁で防ごうなんて、正気の沙汰とは思えないな」
真壁は冷めたカレーをスプーンで弄びながら、皮肉げに笑った。

館花は湯気の立たないコーヒーを一口啜り
周囲に誰もいないことを確認してから、声を潜めた。
「真壁、お前に聞きたいことがある。もし今この瞬間に第六次中東戦争が勃発し
 ホルムズが封鎖されたら、我々海上自衛隊は何ができると思う」

真壁は顔を上げ、館花の目を真っ向から見据えた。
その瞳には、親友に対する信頼と、同時に軍事のプロとしての冷徹な諦念が混在していた。
「答えは分かっているだろう。何もできない。憲法九条、自衛隊法、PKO協力法。
 あらゆる法的縛りが、我々のスクリューを止める。
 護衛艦を出したとしても、それは『調査・研究』という名目の
 無害な観測船扱いでしかない。民間船が攻撃された瞬間、我々が反撃すれば
 それは即座に『武力行使』と見なされ、国内では憲法違反の合唱が始まる。
 内閣は総辞職、自衛隊は解体一歩手前まで追い込まれるだろう。
 政治家にとって、日本のエネルギー供給が止まることよりも
 自らの政治生命が絶たれることの方が恐怖なのだからな」

「ならば、発想を変えるしかない」
館花の声は、低く、重かった。
「自衛隊が守れないのであれば、商船そのものに
 せめて自分たちの身を守るだけの最低限の『術』を持たせるべきだ。
 それも、ただの延命措置ではない。敵が攻撃を躊躇するほどの、明確な拒否力だ」

真壁は絶句した。
「……民間船の武装化か。正気か、研二。そんなことをすれば
 かつての『徴用船』の再来だと、マスコミや野党が黙っていない。
 戦時中の悲劇を繰り返すのかという批判に、誰が耐えられる。
 第一、商船に武器を積んだところで、プロの軍隊相手に何ができるというんだ」

「だからこそ、我々の『お下がり』を使うのだ」
館花は懐から一冊の古いノートを取り出した。そこには
彼がここ数ヶ月、人知れず書き溜めてきた構想の断片が記されていた。
「真壁、今まさに退役が進んでいる『あぶくま型』護衛艦の装備はどうなっている。
 七十六ミリ速射砲、高性能二〇ミリ機関砲、それから対水上レーダー。
 これらは、最新鋭の護衛艦にとっては旧式かもしれないが
 民間船に襲いかかる高速戦闘艇や、低空を飛来するミサイルに対しては
 いまだに十分すぎるほどの性能を持っている。これらを廃棄処分にするのではなく
 民間の大型タンカーに『自衛用設備』として譲渡するのだ。
 名目は武装ではない。海賊対策、あるいは不審船からの防護用機器。
 あくまで船主が、自らの財産と船員の命を守るために自主的に装備するものとして整理する」

真壁は、館花のノートを食い入るように見つめた。
「七十六ミリ砲……。あぶくま型の装備なら
 操作系もシンプルで自動化が進んでいる。だが、誰がそれを扱う。
 素人の船員に扱える代物じゃない。火器管制システムはどうする。レーダーだって必要だ」

「退職自衛官、いわゆる即応予備自衛官や、再就職したOBを
 警備要員として甲信輸送のような歴史ある商船会社に送り込む。
 そして、火器管制システム(FCS)もろとも、タンカーのブリッジ裏に
 コンテナ化した状態で積み込むのだ。フェーズドアレイ・レーダーのOPS―二四Bも
 あぶくま型から取り外したものを改修すれば
 民間船の広大な甲板には十分に設置可能だ。これは『艦隊』ではない。
 あくまで、孤立無援の海を往く商船が持つ
 最後の抵抗手段としての『ハリネズミ』だ」

真壁は震える手でタバコを取り出そうとしたが
禁煙の食堂であることを思い出し、それを握りつぶした。
「研二、これは賭けではない。自爆テロだ。もしこれが露見すれば
 お前は間違いなく軍法会議……いや、今の日本にはないが
 確実に社会的に抹殺される。それどころか、海上自衛隊そのものの
 存続に関わる問題だぞ。政府の『武力行使の制約』を逆手に取るというが
 それは法の網の目を潜り抜けるという話だ。国民が納得するはずがない」

「国民が納得するのは、スーパーの棚から食料が消え
 ガソリンスタンドに長蛇の列ができ、電気代が
 十倍に跳ね上がった後だ。だが、それでは遅いのだ、真壁」
館花は立ち上がり、窓の外に広がる市ヶ谷の街並みを見下ろした。
「我々自衛官の給料は、国民の税金から出ている。
 その国民が飢えに苦しむことが分かっていて、法解釈の限界を言い訳に何もしないのは
 職務放棄だ。祖父は南方輸送の船乗りだった。丸腰の輸送船で
 潜水艦の魚雷一発に沈められた。その時の絶望を
 私は遺品の手紙から読み取った。現代の船乗りに、同じ絶望を味わわせてはならない」

館花の言葉には、単なる戦略論を超えた、血の通った執念が宿っていた。
彼はその足で、防衛省の廊下を歩き
内閣府直属の安全保障担当参事官室へと向かった。
そこには、数少ない理解者であり、同時に冷徹な現実主義者として知られる
政府高官が待ち構えているはずであった。
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