鋼鉄海峡突破戦       ーホルムズ海峡ヲ突破セヨー

みにみ

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封じられた盾

突きつける矛

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参事官室の重厚な扉が開くと、そこにはタバコの煙に巻かれた
一人の初老の男がいた。内閣官房参与であり、国防問題のフィクサーとも噂される
室井隆一である。彼は館花が差し出した極秘計画書――
「民間商船自衛能力強化に関する試行計画」を、眼鏡越しに無表情で眺めた。

「将補。君の言いたいことは分かった。だが、これはあまりに毒が強すぎる。
 七十六ミリ速射砲をタンカーに載せる? これは冗談か。
 戦時中の『特設巡洋艦』の夢でも見ているのかね」
室井は計画書を机に放り投げた。

「室井参与、これは夢ではなく、現実的な生存戦略です。
 イランの超音速ミサイルが実戦配備された今、ホルムズ海峡の安全保障は

 既存の枠組みでは維持できません。アメリカ軍ですら
 この海域への空母打撃群の投入には慎重になっています。
 彼らは、中露との全面衝突を恐れている。しかし
 日本は油が止まれば一ヶ月で国家が機能不全に陥ります。
 我々には、待っている余裕はないのです」

館花は一歩も引かず、室井の目を射抜くように見つめた。
「この計画の肝は、あくまで『民間の自発的な防衛』という形式にあります。
 政府が直接手を下すのではなく、民間の商船会社が、海外の危険地帯を
 航行するために自費で警備要員を雇い、装備を調達する。
 防衛省はその『調達先』であり、『退職自衛官の再就職支援』という名目で
 ノウハウを提供するだけです。これならば、現行の自衛隊法の枠外で動けます。
 憲法九条が禁じているのは国家による武力行使であって
 民間人による正当防衛を禁じているわけではありません」

室井は椅子に深く背をもたれ、天井を見上げた。
「詭弁だな。だが、質の高い詭弁だ。今の総理は
 決断を迫られることを何よりも嫌う。だが、自分の手が汚れないのであれば
 黙認する可能性はある。しかし、条件があるぞ。この計画を担う商船会社は
 一社に限定しろ。それも、どれだけ叩かれても潰れない、愛国心と泥を被る覚悟を持った企業だ」

「甲信輸送株式会社。彼らしかいません」
館花は即答した。
「彼らには、先の大戦から続く『輸送の誇り』があります。
 そして、現社長の甲信正蔵氏は、私の父の代からの知己です。
 彼は、今の日本の現状を誰よりも危惧しています。彼ならば、私の提案に乗るでしょう」

室井は、しばらくの間、無言で館花の顔を見つめていた。
その時間は、館花にとって永遠のようにも感じられた。やがて
室井は短く息を吐き、机の上の計画書を再び手に取った。

「分かった。この件、内閣総理大臣には私から話を通しておく。
 ただし、公式な議事録には残さない。全ては『口頭での内諾』だ。
 いいか、館花。もし事が露見し、世論が燃え上がれば、政府は君を切り捨てる。
 私も君を知らないと言う。君は、自衛隊の歴史に
 泥を塗った狂信的な軍人として、全ての汚名を背負うことになるだろう。その覚悟はあるか」

「覚悟がなければ、ここには来ません」
館花は短く、力強く答えた。
「私は、日本の海を守るためにこの服を着ました。
 その海が死の海に変わるのを、黙って見ていることはできません。
 たとえ、この制服を脱ぎ、人々に石を投げられることになっても」

二〇三三年三月末。市ヶ谷の桜が満開を迎えようとしていた頃
極秘裏に「計画」は始動した。防衛省の装備管理局からは、廃棄予定だった
「あぶくま型」の装備品が、書類上は「研究用スクラップ」として処理され
民間輸送会社の倉庫へと運び出されていった。

館花は、深夜の自衛隊宿舎で、一人海図を広げていた。
彼の指先が、ホルムズ海峡の最も狭い部分をなぞる。
「高雄丸、妙高丸、時雨丸、初霜丸、北上丸……」
まだ武装も施されていない、五隻のタンカーの名を、彼は祈るように呟いた。
これらの船が、いつか「日本の命」を運ぶために
炎の海へと飛び込む日が来ることを、彼は確信していた。
そしてその時、自分はその甲板の上に立っているだろうことも。

館花の孤独な戦いは、まだ始まったばかりだった。
背後には、彼を疑いの目で見る政治家とマスコミの群れ。
前方には、超音速ミサイルという名の死神を抱えた敵国家。
その狭間で、一人の男が「盾」を鍛え始めたのだ。

これが、三年後に世界を震撼させる「ホルムズ脱出劇」の、知られざる幕開けであった。

翌朝、館花はいつものように制服に身を包み
市ヶ谷の正門をくぐった。彼の歩みは
以前よりもどこか重くしかし揺るぎない確信に満ちていた。
廊下ですれ違う部下たちは、その将補の表情に、微かな変化を感じ取っていた。
まるで、戦場へ向かう前の、静かな闘志が宿っているかのような。

館花の執務室のデスクには、甲信輸送から一通の親展封筒が届いていた。
中には、社長の甲信正蔵による、直筆の返信が入っていた。
「館花殿。貴殿の提案、正に我が社の魂に触れるものであった。
 我ら甲信輸送は、国難に際して逃げることはしない。
 船も、人も、貴殿に預けよう。日本の灯火を絶やさぬために」

館花はその手紙を丁寧に畳み、金庫の奥深くに仕舞った。
「これで、賽は投げられた」
彼は窓の外、遠く広がる太平洋の方向を見つめた。
その先にあるのは、灼熱の砂漠と、黒い黄金を湛えたペルシャ湾。
そして、血と硝煙の匂いが立ち込める、三年前の「未来」であった。

その頃、ワシントンや北京、そしてテヘランでも
それぞれの思惑が複雑に絡み合い、歯車が回り始めていた。
日本という国が、自らの殻を破り
禁断の「牙」を持とうとしていることに、まだ世界は気づいていない。

館花研二という男の物語は、ここから加速していく。
それは、名誉を捨て、伝統を守ろうとした一人の軍人と
それに命を託した船乗りたちの、魂の記録である。
第一章第一話、市ヶ谷の影の中から、鋼鉄の潮流が動き出そうとしていた。

館花は深く息を吐き、次の会議のための資料を手に取った。
「さて、まずは『あぶくま』の解体スケジュールを、少しばかり操作させてもらうか」
彼の口元に、微かな、しかし峻烈な笑みが浮かんだ。
その笑みは、後の世に「不沈の盾」と称えられる男の、最初の反撃の兆しであった。

会議室へと向かう館花の背中は、かつてないほど大きく、そして孤独に見えた。
彼は知っていた。これから歩む道が、いかに険しく
泥に塗れたものであるかを。それでも、彼は歩みを止めない。
海を守る。その一点において、彼は既に、一人の自衛官である以上に、一人の「海の男」であったのだ。

市ヶ谷の空は、どこまでも高く、青く澄み渡っていた。
しかし、その青さの先には、既に黒雲が立ち込め始めていることを、館花だけが予見していた。
戦いは、もう始まっているのだ。

館花は会議室のドアを開けた。そこには、何も知らない幕僚たちが
平和な平時の論理で議論を戦わせている光景があった。
彼はその中に、静かに、しかし決定的な「楔」を打ち込むべく、第一歩を記した。
「諸君、シーレーン防衛の概念について、少しばかり新しい提案がある」

彼の声は、静まり返った会議室に、低く、力強く響き渡った。
それは、新しい時代の、そして新しい戦いの、号砲であった。
館花の胸中には、既に五隻のタンカーが、炎を突っ切って進む姿が鮮明に描かれていた。
そのビジョンこそが、彼を支える唯一の光であり、同時に彼を追い詰める呪縛でもあった。
だが、彼はそれを甘んじて受け入れ、前へと進む。
日本の命運を、その双肩に担って。

物語は、まだ始まったばかり。
激動の二〇三三年。館花研二の「極秘起案」が、歴史の歯車を狂おしく回し始める
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