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序章
燻る火種
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史実とは異なり、1930年代から1940年代前半の世界は、
その表面上において「戦争」という二文字からは遠く離れた、
緩やかな平和の息吹に包まれていた。世界恐慌の爪痕は依然として残るものの、
国際連盟は辛うじてその機能を保ち、
大国間の露骨な軍事衝突は回避され続けていた。
経済的ブロック化の傾向は強まりつつあったが、
それはあくまで関税障壁や通貨圏といった経済圏の形成に留まり、
武力をもって他国を侵略するという選択肢は、
主要国の間では「非現実的」とみなされていた。
しかし、この平和は決して盤石なものではなかった。
水面下では、各国が異なる思惑を抱えながら、
虎視眈々と軍事技術の開発を進めていたのだ。特に、
歴史の舞台で再び主役を演じようとする、あるいは新たな秩序の確立を目指す国家群、
すなわちドイツ、日本、そしてイタリアは、密かに軍事同盟を強化し、
来るべき「何か」に備えていた。彼らは、単なる兵器の改良に留まらず、
戦争の概念そのものを変革するような、
革新的な技術の共有と共同開発を推し進めていたのである。
ヴェルサイユ条約の桎梏は、表向きにはドイツを縛り付けていた。
しかし、その内側では、かつての栄光を取り戻さんとする国家の意思が、
静かに、そして着実に再軍備の道を歩んでいた。表向きの軍事力は
抑制されているものの、裏では国家予算の多くが研究開発費に充てられ、
来るべき時代のための「隠された技術」の追求に邁進していたのである。
ドイツの科学者たちは、その優秀な頭脳を結集させ、
当時としては驚異的なペースで航空技術とロケット技術の革新を推進していた。
彼らの焦点は、従来のレシプロエンジンに代わる全く新しい推進方式、
すなわちジェットエンジン技術の開発にあった。
フランク・ホイットル卿がイギリスでターボジェットエンジンの基礎を
築いていたのと同時期に、ドイツのハンス・フォン・オハインは
独自のターボジェットエンジンの研究を進め、その成果は史実よりも早く、
実用化の目途が立つところまで来ていた。秘密裏に建設されたテスト施設では、
轟音と共に燃焼ガスを噴射する試作エンジンが幾度となく試験され、
そのたびに技術者たちは未来の航空機が持つであろう可能性に胸を躍らせた。
航空機の分野では、既にメッサーシュミット Me 262の原型となる機体が
秘密工場で製造され、テスト飛行を繰り返していた。その流線型の機体は、
レシプロ機とは一線を画する未来的なシルエットを持ち、
試験飛行のたびに当時の戦闘機をはるかに凌駕する速度を叩き出していた。
さらに、より大型のジェット爆撃機である
Ar 234「ブリッツ」の開発も順調に進んでいた。
これは偵察機型だけでなく、高速爆撃機としての潜在能力も秘めており、
その速度は敵の迎撃機を寄せ付けないものになると確信されていた。
これらの機体は、量産体制への移行を視野に入れつつ、
秘密裏に生産ラインが整備されていた。
ロケット技術に関しても、ドイツは世界の最先端を走っていた。
ペーネミュンデのロケット基地では、ヘルマン・オーベルトや
ヴェルナー・フォン・ブラウンといった天才的な科学者たちが、
液体燃料ロケットの開発に没頭していた。彼らの手によって、
後のV2ロケットへと繋がる技術は、史実よりもさらに洗練され、
改良型が開発されていた。この改良型V2は、より精密な誘導システムと、
ペイロードの増加を見込んで設計されており、
将来的に戦略的な兵器として活用される可能性が示唆されていた。
このロケットは、単なる爆弾運搬手段としてだけでなく、
将来的な宇宙開発への足がかりとなることも、一部の識者には予見されていた。
また、電子工学の分野でも、ドイツは目覚ましい進歩を遂げていた。
初期のレーダー技術は、船舶や航空機の探知能力を飛躍的に向上させ、
暗視装置や赤外線探知技術の研究も進められていた。
特に、暗号機「エニグマ」の改良は、秘密通信のセキュリティを強化する上で
不可欠とされ、その複雑性は連合国の情報機関を悩ませるほどに高度化されていた。
これらの技術は、将来の戦争において、情報収集、目標探知
そして通信の優位性を確立する上で不可欠な要素となると認識されていた。
極東の島国、日本もまた、欧米列強との直接的な摩擦を避けつつ
独自の路線で軍事技術を磨いていた。国際社会の表舞台では
日中戦争のような大規模な衝突は回避されており
日本はあくまで東アジアの安定に寄与する国という体裁を保っていた。
しかし、その裏では、欧米列強への潜在的な脅威に対抗し、
自国の安全保障を確立するための「決戦兵器」の模索が続いていた。
日本の技術者たちは、限られた資源の中で、
航空技術、潜水艦技術、そして光学・電子技術の分野で独自の発展を遂げていた。
航空技術においては、ドイツのジェットエンジンの情報も参考にしつつ、
独自の軸流式ジェットエンジン「ネ-20」の開発に成功していた。
これを搭載する形で、ジェット推進式の特攻機として計画された橘花は、
この平和な世界線においては、より汎用性の高い
ジェット推進式艦上攻撃機へと発展を遂げていた。その高速性は、
当時の艦載機としては前例のないものであり、
日本の航空母艦部隊に圧倒的な攻撃力を与えるものと期待されていた。
さらに、プロペラ推進を持つ震電のような
ユニークな機体の開発も進められていた。これらの機体は
単に敵機を撃墜するだけでなく、高速で敵の防衛線を突破し
重要目標を攻撃する「戦略的航空戦力」としての役割も期待されていた
日本の航空技術者たちは、軽量化と高出力を両立させるための素材研究や
空気抵抗を極限まで減らすための流体力学の研究にも余念がなかった。
潜水艦技術においては、伊四百型潜水艦の建造が極秘に進められていた。
史実と同様に、複数の攻撃機
(この世界線では小型ジェット攻撃機「晴嵐」の改良型)を搭載し、
長距離航行が可能なこの巨大潜水艦は、敵国本土への奇襲攻撃という、
これまでにない戦略的可能性を秘めていた。その隠密性と攻撃力は、
日本の戦略家たちに新たな戦術の選択肢を与えた。
さらに、人間魚雷回天の原型となる遠隔操作式の無人魚雷の研究も進んでおり、
これは将来的な誘導兵器の基礎となる可能性も秘めていた。
光学・電子技術もまた、日本の得意分野であった。
高品質なレンズ技術は、偵察機のカメラや精密な照準器に応用され、
その性能は他国を凌駕するものであった。また、初期のレーダー技術は、
船舶や航空機の探知だけでなく、砲弾の着弾観測や爆撃機の照準精度向上にも
活用され始めていた。さらに、無線通信の傍受と解析、
そして自国の通信を守るための暗号技術も高度化しており、
情報戦の重要性を認識していた日本の軍部は、これらの技術を厳重に秘匿していた。
地中海の覇権を夢見るイタリアもまた、
この隠された軍拡競争に加わっていた。
彼らはドイツの強力な技術支援を受けつつも、
独自の道を模索し、航空機と潜水艦の強化に力を入れていた。
イタリアの航空機産業は、ドイツからジェットエンジンの情報や
製造技術の供与を受け、その開発を加速させていた。レシプロ機においては、
既に高性能な戦闘機や爆撃機を保有していたが、ドイツの技術を導入することで、
ジェット時代への移行をスムーズに進めようとしていた。
Re.2007のようなジェット戦闘機計画が、史実よりも早く実現に向けて動き出しており、
試作機がテスト飛行を繰り返していた。
また、P.108B爆撃機のような大型機も、その搭載能力と航続距離の面で
改良が加えられ、ドイツ軍との連携を視野に入れた戦略爆撃任務への投入が検討されていた。
潜水艦の分野でも、イタリアはドイツからUボート技術の供与を受けつつ、
地中海の特殊な環境に適応した独自の設計を追求していた。
小型で機動性に優れ、かつ隠密性の高い潜水艦の開発に重点が置かれ、
ドイツのXXI型Uボートの技術を参考にしながら、
より地中海での運用に適した改良が加えられていた。
これらは、将来的に連合国の海上交通路を妨害する上で
重要な役割を果たすと考えられていた。
しかし、イタリアは枢軸国の中で最も資源に乏しく、
その工業力もドイツや日本には及ばなかった。
そのため、彼らの技術革新は、ドイツからの技術供与に
大きく依存せざるを得ない側面を持っていた。それでも、
彼らはその限られたリソースの中で、
自国の軍事力を最大限に引き上げるための努力を続けていた。
一方、アメリカ、イギリス、フランスを中心とする連合国は、
緩やかな平和慣例が続く中で、旧来の兵器体系を維持しつつ、
比較的緩やかに技術革新を進めていた。
彼らは、枢軸国のような隠された軍事技術開発には、そこまで注力していなかった。
アメリカは、広大な国土と豊かな資源を背景に、
強大な工業生産力を誇っていた。しかし、彼らの軍事戦略は、
依然として航空母艦と戦艦を中核とする旧来の海上戦力に重点が置かれていた。
航空母艦の重要性は認識しており、エセックス級航空母艦の建造は進んでいたものの、
その思想はあくまで艦載機による制空権の確保と艦隊決戦支援に留まっていた。
戦艦も依然として主力の位置付けであり、
アイオワ級戦艦のような巨大な戦艦が建造され、
その火砲と装甲は世界最強と謳われていた。ジェット機の開発は、
ベルP-59エアコメットやロッキードP-80シューティングスターといった
試作機が開発されていたが、その実用化は後回しにされており、
大規模な量産体制は整っていなかった。電子技術に関しても、
レーダーは既に実用化されていたが、
その性能や用途はドイツや日本に比べて限定的であり、
戦略的な重要性はまだ十分に認識されていなかった。
イギリスは、伝統的な海軍国であり、その防衛戦略は強力な海軍と
制空権の維持に重点を置いていた。第二次世界大戦が勃発しなかったため、
航空機の開発は緩やかで、主力はスピットファイアやハリケーンといった
レシプロ戦闘機の改良型であった。ジェット機開発は、
グロスター ミーティアが開発されていたものの、実用化と量産化はまだ先の段階であった。
レーダー技術は発達していたが、その運用は主に
本土防衛のための早期警戒システムに限定されており、
積極的な電子戦への応用は模索されていなかった。
フランスは、第一次世界大戦の甚大な被害から立ち直りつつあったが、
国家としての軍事力は、イギリスやアメリカに比べて劣っていた。
彼らは、マジノ線のような強固な要塞線を構築することに重点を置いており、
航空機や戦車の開発は、その要塞線を支援する形で進められていた。
ジェット機の開発は、ドイツやイギリスに比べて大幅に遅れており、
その航空戦力は旧式のレシプロ機が主体であった。
その表面上において「戦争」という二文字からは遠く離れた、
緩やかな平和の息吹に包まれていた。世界恐慌の爪痕は依然として残るものの、
国際連盟は辛うじてその機能を保ち、
大国間の露骨な軍事衝突は回避され続けていた。
経済的ブロック化の傾向は強まりつつあったが、
それはあくまで関税障壁や通貨圏といった経済圏の形成に留まり、
武力をもって他国を侵略するという選択肢は、
主要国の間では「非現実的」とみなされていた。
しかし、この平和は決して盤石なものではなかった。
水面下では、各国が異なる思惑を抱えながら、
虎視眈々と軍事技術の開発を進めていたのだ。特に、
歴史の舞台で再び主役を演じようとする、あるいは新たな秩序の確立を目指す国家群、
すなわちドイツ、日本、そしてイタリアは、密かに軍事同盟を強化し、
来るべき「何か」に備えていた。彼らは、単なる兵器の改良に留まらず、
戦争の概念そのものを変革するような、
革新的な技術の共有と共同開発を推し進めていたのである。
ヴェルサイユ条約の桎梏は、表向きにはドイツを縛り付けていた。
しかし、その内側では、かつての栄光を取り戻さんとする国家の意思が、
静かに、そして着実に再軍備の道を歩んでいた。表向きの軍事力は
抑制されているものの、裏では国家予算の多くが研究開発費に充てられ、
来るべき時代のための「隠された技術」の追求に邁進していたのである。
ドイツの科学者たちは、その優秀な頭脳を結集させ、
当時としては驚異的なペースで航空技術とロケット技術の革新を推進していた。
彼らの焦点は、従来のレシプロエンジンに代わる全く新しい推進方式、
すなわちジェットエンジン技術の開発にあった。
フランク・ホイットル卿がイギリスでターボジェットエンジンの基礎を
築いていたのと同時期に、ドイツのハンス・フォン・オハインは
独自のターボジェットエンジンの研究を進め、その成果は史実よりも早く、
実用化の目途が立つところまで来ていた。秘密裏に建設されたテスト施設では、
轟音と共に燃焼ガスを噴射する試作エンジンが幾度となく試験され、
そのたびに技術者たちは未来の航空機が持つであろう可能性に胸を躍らせた。
航空機の分野では、既にメッサーシュミット Me 262の原型となる機体が
秘密工場で製造され、テスト飛行を繰り返していた。その流線型の機体は、
レシプロ機とは一線を画する未来的なシルエットを持ち、
試験飛行のたびに当時の戦闘機をはるかに凌駕する速度を叩き出していた。
さらに、より大型のジェット爆撃機である
Ar 234「ブリッツ」の開発も順調に進んでいた。
これは偵察機型だけでなく、高速爆撃機としての潜在能力も秘めており、
その速度は敵の迎撃機を寄せ付けないものになると確信されていた。
これらの機体は、量産体制への移行を視野に入れつつ、
秘密裏に生産ラインが整備されていた。
ロケット技術に関しても、ドイツは世界の最先端を走っていた。
ペーネミュンデのロケット基地では、ヘルマン・オーベルトや
ヴェルナー・フォン・ブラウンといった天才的な科学者たちが、
液体燃料ロケットの開発に没頭していた。彼らの手によって、
後のV2ロケットへと繋がる技術は、史実よりもさらに洗練され、
改良型が開発されていた。この改良型V2は、より精密な誘導システムと、
ペイロードの増加を見込んで設計されており、
将来的に戦略的な兵器として活用される可能性が示唆されていた。
このロケットは、単なる爆弾運搬手段としてだけでなく、
将来的な宇宙開発への足がかりとなることも、一部の識者には予見されていた。
また、電子工学の分野でも、ドイツは目覚ましい進歩を遂げていた。
初期のレーダー技術は、船舶や航空機の探知能力を飛躍的に向上させ、
暗視装置や赤外線探知技術の研究も進められていた。
特に、暗号機「エニグマ」の改良は、秘密通信のセキュリティを強化する上で
不可欠とされ、その複雑性は連合国の情報機関を悩ませるほどに高度化されていた。
これらの技術は、将来の戦争において、情報収集、目標探知
そして通信の優位性を確立する上で不可欠な要素となると認識されていた。
極東の島国、日本もまた、欧米列強との直接的な摩擦を避けつつ
独自の路線で軍事技術を磨いていた。国際社会の表舞台では
日中戦争のような大規模な衝突は回避されており
日本はあくまで東アジアの安定に寄与する国という体裁を保っていた。
しかし、その裏では、欧米列強への潜在的な脅威に対抗し、
自国の安全保障を確立するための「決戦兵器」の模索が続いていた。
日本の技術者たちは、限られた資源の中で、
航空技術、潜水艦技術、そして光学・電子技術の分野で独自の発展を遂げていた。
航空技術においては、ドイツのジェットエンジンの情報も参考にしつつ、
独自の軸流式ジェットエンジン「ネ-20」の開発に成功していた。
これを搭載する形で、ジェット推進式の特攻機として計画された橘花は、
この平和な世界線においては、より汎用性の高い
ジェット推進式艦上攻撃機へと発展を遂げていた。その高速性は、
当時の艦載機としては前例のないものであり、
日本の航空母艦部隊に圧倒的な攻撃力を与えるものと期待されていた。
さらに、プロペラ推進を持つ震電のような
ユニークな機体の開発も進められていた。これらの機体は
単に敵機を撃墜するだけでなく、高速で敵の防衛線を突破し
重要目標を攻撃する「戦略的航空戦力」としての役割も期待されていた
日本の航空技術者たちは、軽量化と高出力を両立させるための素材研究や
空気抵抗を極限まで減らすための流体力学の研究にも余念がなかった。
潜水艦技術においては、伊四百型潜水艦の建造が極秘に進められていた。
史実と同様に、複数の攻撃機
(この世界線では小型ジェット攻撃機「晴嵐」の改良型)を搭載し、
長距離航行が可能なこの巨大潜水艦は、敵国本土への奇襲攻撃という、
これまでにない戦略的可能性を秘めていた。その隠密性と攻撃力は、
日本の戦略家たちに新たな戦術の選択肢を与えた。
さらに、人間魚雷回天の原型となる遠隔操作式の無人魚雷の研究も進んでおり、
これは将来的な誘導兵器の基礎となる可能性も秘めていた。
光学・電子技術もまた、日本の得意分野であった。
高品質なレンズ技術は、偵察機のカメラや精密な照準器に応用され、
その性能は他国を凌駕するものであった。また、初期のレーダー技術は、
船舶や航空機の探知だけでなく、砲弾の着弾観測や爆撃機の照準精度向上にも
活用され始めていた。さらに、無線通信の傍受と解析、
そして自国の通信を守るための暗号技術も高度化しており、
情報戦の重要性を認識していた日本の軍部は、これらの技術を厳重に秘匿していた。
地中海の覇権を夢見るイタリアもまた、
この隠された軍拡競争に加わっていた。
彼らはドイツの強力な技術支援を受けつつも、
独自の道を模索し、航空機と潜水艦の強化に力を入れていた。
イタリアの航空機産業は、ドイツからジェットエンジンの情報や
製造技術の供与を受け、その開発を加速させていた。レシプロ機においては、
既に高性能な戦闘機や爆撃機を保有していたが、ドイツの技術を導入することで、
ジェット時代への移行をスムーズに進めようとしていた。
Re.2007のようなジェット戦闘機計画が、史実よりも早く実現に向けて動き出しており、
試作機がテスト飛行を繰り返していた。
また、P.108B爆撃機のような大型機も、その搭載能力と航続距離の面で
改良が加えられ、ドイツ軍との連携を視野に入れた戦略爆撃任務への投入が検討されていた。
潜水艦の分野でも、イタリアはドイツからUボート技術の供与を受けつつ、
地中海の特殊な環境に適応した独自の設計を追求していた。
小型で機動性に優れ、かつ隠密性の高い潜水艦の開発に重点が置かれ、
ドイツのXXI型Uボートの技術を参考にしながら、
より地中海での運用に適した改良が加えられていた。
これらは、将来的に連合国の海上交通路を妨害する上で
重要な役割を果たすと考えられていた。
しかし、イタリアは枢軸国の中で最も資源に乏しく、
その工業力もドイツや日本には及ばなかった。
そのため、彼らの技術革新は、ドイツからの技術供与に
大きく依存せざるを得ない側面を持っていた。それでも、
彼らはその限られたリソースの中で、
自国の軍事力を最大限に引き上げるための努力を続けていた。
一方、アメリカ、イギリス、フランスを中心とする連合国は、
緩やかな平和慣例が続く中で、旧来の兵器体系を維持しつつ、
比較的緩やかに技術革新を進めていた。
彼らは、枢軸国のような隠された軍事技術開発には、そこまで注力していなかった。
アメリカは、広大な国土と豊かな資源を背景に、
強大な工業生産力を誇っていた。しかし、彼らの軍事戦略は、
依然として航空母艦と戦艦を中核とする旧来の海上戦力に重点が置かれていた。
航空母艦の重要性は認識しており、エセックス級航空母艦の建造は進んでいたものの、
その思想はあくまで艦載機による制空権の確保と艦隊決戦支援に留まっていた。
戦艦も依然として主力の位置付けであり、
アイオワ級戦艦のような巨大な戦艦が建造され、
その火砲と装甲は世界最強と謳われていた。ジェット機の開発は、
ベルP-59エアコメットやロッキードP-80シューティングスターといった
試作機が開発されていたが、その実用化は後回しにされており、
大規模な量産体制は整っていなかった。電子技術に関しても、
レーダーは既に実用化されていたが、
その性能や用途はドイツや日本に比べて限定的であり、
戦略的な重要性はまだ十分に認識されていなかった。
イギリスは、伝統的な海軍国であり、その防衛戦略は強力な海軍と
制空権の維持に重点を置いていた。第二次世界大戦が勃発しなかったため、
航空機の開発は緩やかで、主力はスピットファイアやハリケーンといった
レシプロ戦闘機の改良型であった。ジェット機開発は、
グロスター ミーティアが開発されていたものの、実用化と量産化はまだ先の段階であった。
レーダー技術は発達していたが、その運用は主に
本土防衛のための早期警戒システムに限定されており、
積極的な電子戦への応用は模索されていなかった。
フランスは、第一次世界大戦の甚大な被害から立ち直りつつあったが、
国家としての軍事力は、イギリスやアメリカに比べて劣っていた。
彼らは、マジノ線のような強固な要塞線を構築することに重点を置いており、
航空機や戦車の開発は、その要塞線を支援する形で進められていた。
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