後悔の一球

周良メイ

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第三話『対左利き、負けない理由』

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 翌日の朝。玄関を出たところで、見知った顔の女子生徒が爽やかな声音で挨拶をしてきた。
「おはようー、紘無」
「ああ、おはよう」
 軽く手を挙げて答える。その相手とは、言わずもがな森沢泉なのだが、いつにも増してやけに機嫌がいいのはどうしてだろう?
「お前は、……朝早くから元気だな」
 殆ど悪態のつもりで言った言葉を、けれど、
「そうかな? いつも通りだと思うけど」 
 と、本当にいつもと変わらない様子で隣を歩きながら答える。
「そう言えばさあ、紘無は聞いた?」
「――聞いてないな」
 泉が何を? と訊いてくれるのを期待していたように思えたので、俺は意地悪でそう答えた。
 すると泉は、ぷくっと頬を膨らませ、こちらを睨んでくる。
「なんか今日の紘無、結構意地悪じゃない? いつもはそこまで酷く無いのに」
「そうか?」 
「うん。絶対そうだよ!」
 なるほど、と。俺は心中で納得した。つまり泉は初めから気づいていたのだ。俺が最初に悪態をついたところから既に。
「まあ、それはともかくとして。それで一体何の話だ?」
 話を先に進めてもらうように促す。
 けれど、昨日今日で話題に上がる可能性のある話とは、恐らく昨日の夕方に山吹が言っていた、コート割り当てのトラブルについてだろうと予想がつく。他に女子生徒間であった話なら予想のつけようもないが。 
「昨日、硬式と軟式テニスの間で部活中にトラブルがあったらしいの」
「ああ、そんなことがあったらしいな」
「……え?」
「ん?」
 泉が目を瞬かせ立ち止まってから、少し遅れて俺も立ち止まる。
「もしかして、知ってたの?」
「ああ、知ってたな。というよりかは、その渦中にいる部員から聞いた」
「それって、れんれん?」
「ああ」
 それ以外にもしかしたら俺の知っている人が部内にいるかもしれないが、山吹から聞いたかもしれないと思うのが、入学してまだ間もないこの段階では妥当なところだろう。
「私は詳しく聞いた訳じゃないんだけど、紘無はどこまで知ってるの?」
「どこまでも何も、コートの割り当てに関して部長同士が揉めて、そのまま部活が中止になったんじゃないのか?」
 山吹から話を聞いた限りでも、それ以上何も無かったように思えるのだが。
 泉は首を横に振ってから答えた。
「それが部活を中断して部員を帰らせた後、部長と顧問を交えて話し合いをしたらしくてね。試合をして勝率の高い順にコートの使用時間と日数が増えるらしいの」
「それは、また……」
 面倒なことになったな、と。山吹のついでとして問題の渦中にいながらも、俺は他人事のように心の中で呟いた。
 けれど、泉は瞳を一際キラキラと輝かせ、グッと両手で拳をつくると、
「すっごい、楽しそうじゃん!」
 渦中にいる山吹の災難を心配した様子もなく、この状況になったことを心の底から楽しんでいるようだった。
 でも、受験勉強が忙しくてテニスをあまりしていなかったのに加え、今現在テニスをしていないことを考えると、今まで試合をしたことのなかった相手と試合ができる機会とあっては、泉自身楽しみで仕方ないのだろう。中学の時から試合に飢えていたのは、実のところ泉だったのだから。
「それなら、試合に出たらどうだ? もちろん女子ソフトテニス部に入るという条件がつくだろうが、それならお前も試合できるし、部員も喜ぶだろ」
 今度は少し困った表情になる。
「う~ん……私としては、別にそれでもいいんだけど…………」
 チラチラ、と。二度こちらの様子を伺うように泉が目配せしてくる。
 彼女がソフトテニス部に入りたくても入ろうとしないのは、こいつが気づかれていないと思っているだけで、十中八九俺に理由があることをわかっていた。
 だからこの際、しっかりと言ったほうがいいのかもしれない。でなければ泉に、貴重な高校3年間を何もないまま過ごさせてしまうことになってしまう。俺のせいで他人にそんな思いをさせるのは、正直に言って嫌だった。
「なあ、泉」
「ん、何? 紘無も久しぶりの試合ということもあって、やる気になってきた?」
「いや、そうじゃなくてだな。お前には、無理して俺に合わせようとしてほしくない。だから、お前は自分の入りたい部活に入って、自分の高校生活を謳歌しろ」
 選手としての光を失っていない泉には、まだまだ先に進むだけの力がある。
 だから、ここで立ち止まってはいけない。
 森沢泉というソフトテニスプレイヤーが成長するのは、まだまだこれからなのだから――。
 暫く頭の中で考えを巡らせていたのか、泉は黙り込んだ後、琥珀色の瞳で真っ直ぐこちらを見据えてきた。
「……それが紘無の望みってことで、いいんだよね? 私は私自身の高校生活を謳歌してほしいってことが」
「ああ、そういうことになる」
 頷いた瞬間、泉は顔を綻ばせ、ニンマリと笑みを浮かべた。
「ふふん! それなら紘無も一緒だね!」
「――いや、何故そうなる。言っている意味がわからないんだが……」
 自分の高校生活を謳歌しろと言っているのに、どうしてそこで俺が出てくるのかと突っ込みたい気分になった。けれど俺は、言いたいのをグッと堪える。
 そんな俺を見る泉は腕組みし、はあっと、ため息を吐いて呆れているようだった。
「もうさぁ、そこまで鈍いと紘無が私と同じ種族なのか、わからなくなっちゃうよ。本当に人間だよね?」
 どうしてそんな、自分の存在そのものを否定されるようなことを言われているのか、俺にはわからない。別にそこまで言わなくてもいいと思うのだが……それに、地味に傷つく。
「人間じゃなかったら、俺は一体何に見えてるんだ?」
「う~ん……」
 アゴに手を当て、考えるポーズになった泉は、やがて、
「…………鈍感星人だね!」
 ピンと右手の人差し指を立てて得意げに言った。
 いや、随分と考え込んだ割には全く捻りのないネーミングが出てきて俺は驚いてしまう。きっと、途中で考えるのに飽きてしまったのだろう。
 でも一方で俺自身、あまり鈍感だとは思っていないのだが……どうなのだろうか?
「それで、ちなみにどんなところが鈍感星人なのか、それは教えてもらえるのか?」
「それがわからないところが、鈍感星人なんだよ」
 目を細めてズバッと言い切り、泉は学校への道を再び歩き始めた。
 結局、俺には理由を教えてくれないということなのだろうか。

 徒歩20分の距離を歩き辿り着いた、結構膨大な敷地面積を誇る俺たちの通う御幸高校。ここは私立高校なだけあって、生徒数もかなりなものである。
 門の前にある歩道で、既に生徒たちが溢れ返るほどの人波ができていた。その流れに身を任せるようにして、俺と泉の2人は歩いている。
 この人波は、登校時刻ギリギリであるのなら、それなりに空いているのだが、今は一番ラッシュの時間帯らしく気を抜いたら流されそうだ。
「ほんと人多いんだな。この時間帯は」
「そうだね。いつもはギリギリだから、これは私も予想外だよ。まあ、紘無が早く家を出るって言ったことも、私からしたら予想外だったんだけど」
「……」
 泉がこちらに視線を向けているような気がしたが、俺は真っ直ぐと進行方向を向いたまま沈黙する。
 だが、恐らく言葉にしないだけで、何故今日は早く登校することにしたのか、それには泉も予想が付いているはず。
「この時間帯だと、やっぱり立っていないんだね」
 やがて校門を抜けたところで、泉がそう声を掛けてきた。流石にそこまでわかっているのなら、口を噤む理由もない。
「そうだな。あの先生と顔を合わせなければ、今日一日の学校生活は平穏であること間違いなしだからな」
「あははっ、やっぱりそっか。毎日、勧誘して来てたもんね」
「……いや、人ごとじゃないだろ? お前こそ、同じように待ち伏せされていただろうが」
 登校時間終了間近になると、生徒指導部の先生たちが出てきて、校門に立つように御幸高校では決まっているらしい。その中にソフトテニス部の男女両方の顧問がいて、毎日のように指導という名目で、俺と泉の2人は勧誘を受けていた。
「おっ、朝練やっているみたいだよ」
 すると、校門から生徒玄関に続く道の途中で、迷惑になることも構わず立ち止まった泉は、校庭にあるフェンスで囲まれたテニスコートへと視線を向けていた。
 少し行き過ぎたところで俺も立ち止まり、後ろを振り返って泉に声を掛ける。
「見ていくのなら、俺は先に行ってるぞ」
「はいはい。先に行かせないよー」
「おい、離せ!」
 踵を返し歩き出そうとする俺を、けれど泉は強引に腕を取り、引きずるようにして歩き出した。二の腕に胸が当たっているというのに、それにすら気づいた様子もなく。
「大丈夫だよ、すぐに終わるから。五分だけだって」
「いや、そういうこと言ってるんじゃねえよ。てか、見るなら1人で行け」
「はいはい」
 駄々をこねる子供をあやすように相槌を打つ泉。
 俺が口にする一切の言葉を受け流し、やがてコートのフェンス前まで強引に連れて来られた。
「あっ、ほら、れんれん打ってるよ」
「そうだな」
「やっぱり上手いね~」
「そうだな」
「少し見ない間にまた上手になったと思わない?」
「そうだな」
「……」
 フェス越しに練習を覗き始めてから、ただひたすら相槌しか打たない俺をようやく不満に思ったのか、泉は口を噤んで睨みつけるような視線で俺を見る。
 疑いようもない、拗ねた表情になっていた。
「確かにさあ、私も無理やり連れて来たのは悪いと思ってるよ?」
 自覚はあったのか……。
「でも、やっぱり人がテニスしてると、やりたい! って、思うじゃん⁉︎ だからどう? やりたいって思ったでしょ? ――あそこにいる奴ら全員、完膚なきまでに叩き潰したいって思ったんじゃない?」
「おい、馬鹿! 流石に言い過ぎだ……!」
 少し小声で、泉の口を手で強引に閉ざしながら泉を嗜める。
 チラッとコートの方に視線を向けると、さっきまでの言葉……主に最後に泉が言った言葉が聞こえていたのだろう。朝練中の部員たちが練習を中断し、こちらに視線を送ってきていた。
「むご、むごっ、んんっー!」
 何かを言いたいらしいが、俺の手で口を押さえているため言葉になっていない。
 とりあえずここは、この場から逃げたほうがいいかもしれないな。
 そう思った時には既に手遅れで。
 キーっと蝶番が音を鳴らし、コートを覆っている緑色のフェンスがゆっくりと開いた。
 自ずと俺と泉は、そちらに視線を向ける。
 そしてフェンスを開けた先から現れたのは、黒の練習着を着た、短髪の男子部員が1人のみ。鋭い目つきで、明らかにこちらを敵視しているように思える。さっきの泉の言葉を聞いていたのなら、それも当然ではあるのだが……。
「すいません。こいつ口が悪くて。すぐにここから去りますので」
 そう言って、泉の口を押さえながらコートに背を向け、立ち去ろうとする。もう1人コートの中から近づいてくる足音が聞こえたが、突如俺たちの前に現れた男子部員は冷静に口を開いた。
「お前は、成上中の中村だろ? 何故、お前みたいなやつがうちに来た?」
 少し怒気を孕んだような声。
 俺のことを知っているようだが、明らかに敵視しているのはどうしてだろうと思いながらも、どうしてか? という問いに、肩越しに振り返りながら応える。
「徒歩通学が可能な距離にある高校が、ここだけだったからです」
 それだけなら失礼します、と言って、再び歩き始める。けれどその間に、俺の腕から逃れた泉が声をあげて叫んだ。
「先輩! ……ですか? よかったら紘無と試合しませんか? もちろん、ハンデマッチなので安心してください!」
「――⁉︎ おい、馬鹿! 早く行くぞ!」
「彼は、成上中の中村紘無! 福井県でソフトテニスをしているなら……いや、日本でソフトテニスをしてる学生である先輩なら、彼のことを当然知っていますよね? だったら試合を――」
 続きの言葉を紡ごうとする泉を、ガシャンとフェンスを叩く音によってかき消した。
 それは俺たちの目の前にいる、男子部員によるものだったらしい。左手(・・)でフェンスを触れていた。そして、いつの間にか山吹もコートから外に出てきていた。
「いい加減にしろ。たったの1試合でテニスから逃げ出すような負け犬のことを俺は知らない。どうやらお前は、人違いで俺の知らない人物みたいだ」
 歯ぎしりとともに怒りの形相となっていた男子部員は、それだけを言って、後ろにいた山吹の横を通り、コートの中へと戻って行った。
 入れ替わるように山吹が近づいてくる。他にも遅れて、男女1人ずつが俺たちのもとに近づいてきた。
「すまないな、中村くん。矢内は最近、不調続きでカリカリしているから……」
 そう言ってきたのは、男子ソフトテニス部の部員で俺も面識のある人だった。
 御幸高校男子ソフトテニス部の部長を務める、荒川晴久。と、散々勧誘されたので流石に覚えている。
「いえ、こちらこそ、すいませんでした。泉が余計なことを言ってしまって……」
「ふふっ、それは気にしなくていいわよ。それが君に対する泉の思いなんでしょうから」
「ちょっ、先輩……!」
 女性部員に言われたことにより、泉は顔を赤らめ狼狽えていた。
「でも、本当にあんたは、怖い者知らずよねえ~」
「……?」
 言われた言葉の意味が理解できず、泉はキョトンと首を傾げる。
 女子部員の先輩は、はあっとため息を吐きながら言葉を続けた。
「確かにうちは強豪校ではないけども、それでも彼は3年生なのよ? 力負けする……とは思えない?」
 それでも泉はキョトンと首を傾げながら驚いた様子もなく平然と答える。
「確かに高校生なら紘無といい試合する人はいるかもしれません。現に、紘無が高校生に負けた試合は直接では無いですけど何度も見たことありますし」
「でしょ? なら――」
「それでも矢内さんは、紘無には勝てないと言い切れますよ」
 絶対の自信を持って言い切る泉。
 その根拠がわからず2人の上級生は瞬きを繰り返し固まっているが、俺も山吹も泉が絶対に勝てないと言い切る根拠が何なのかを、確かにわかっていた。
「それは一体、どうしてだ? 試合なんだからやってみないとわからないんじゃないか? 彼はこの部でも、唯一左利きで一番の実力者だぞ?」
 荒川さんがたった今言った通りなら、確かに泉が断言する理由にも納得がいく。
 そして泉は、そのことを得意気に口にした。

「それは、矢内さんが左利きだからですよ」

 刹那、上級生2人して、えっ? と声を漏らす。当然と言えば当然だが……。
「でも、左利きよ? スポーツにとって左利きは少ないから他よりもアドバンテージを得られることは確かだわ」
「いえ、確かに左利きなら有利だと思いますよ。でもそれは、むしろ右利きである紘無には、逆効果なんです」
 ますますわからないという表情になる上級生2人。
 そう、俺は右利きで左利きが相手なら普通は不利になる。けれど俺の場合、意識的なものからかもしれないが、そうはならなかった。
「対戦相手を見る時、必ず自分は鏡を見るように映りますよね? 左利きの人が鏡の前で素振りをすると、鏡に写る自分は右利きで素振りをしているように映ります。そして、右利きの人が鏡の前で素振りをすると、」
「鏡に写る自分は、左利きで素振りをしているように写る……」
「はい、その通りです。だから常に素振りをする時、左利きである自分を想定して紘無は素振りをする……って言ってたよね?」
 そんなことわざわざ説明しなくてもいいと。呆れながらも、ああ、と相槌を打って、更に泉は説明を続けた。
「だから、紘無と同等以上のソフトテニスプレイヤーで無ければ、左利きの人では紘無に勝つことはできない。ということになります」
 泉の説明が終わるも、あまり納得できていないという表情であることは変わらなかった。
 なので俺は、足りない部分の説明を自ら補足する。
「鏡越しに写る自分……その想定で、つまりは左利きの自分と試合をしているイメージで何千回、何万回も素振りをしてきました。だから、素振りでは実戦の練習にはならないと思っているかもしれませんが、実戦で尋常じゃない球を打つ人は上にゴロゴロといたので、特にその辺は問題なかったんです。ただ左利きの自分と試合をしている……という、そのイメージだけがあれば」
 仮にもし泉の言うように、左利きで自分よりも強い相手なら負けていたかもしれない。そういう意味では残念であるかもしれないが、今更戻るつもりもない俺には、それこそどうでもいい話だった。――それにもう泉の知らないところで、結果は変わっている。
 説明が終わるとそこで丁度チャイムが鳴った。これは朝練の終了を知らせるチャイムだったらしく、そのタイミングで他のテニス部員たちもコートから出てきて部室に向かって行く。その中には先ほど俺たちの前に現れた、矢内? という先輩もいたが、俺をひと睨みした後、すぐに視線を逸らし部室棟へと向かっていく。
「すまんな。それじゃあ俺たちも朝練終わりだから、|《また後でな》」
 そう言って、山吹を含む3人は俺と泉の前から去って行った。
 また後でな、と言った言葉に疑問を覚えながらも、俺と泉の2人は教室へと向かうことにし
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