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第五章
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陛下との謁見を終えて用意された王宮の一室に戻っても、まだ頭の中は混乱していた。
陛下を前にしてはきはきと物を言い、エプロンを着けて平民の服を着て子どもたちの世話をするクリスティアーヌなど知らない。
デビューの日。うつむき加減で自信なさげに立っていたクリスティアーヌ。
一番輝いている筈の自身の結婚式で怯えた目をしていたクリスティアーヌ。
初夜の床で震えて、涙して眠っていたクリスティアーヌ。
そんなクリスティアーヌしか知らなかった彼には到底信じられない話だった。
「いや……」
先日王都で出会ったクリスティアーヌなら……
変装していた自分にぶつかって一生懸命にクリームを拭い、顔に付いたクリームに頬を赤らめ、慌ててハンカチを買いに走ってきた。
侯爵の妻という立場でなぜ診療所の手伝いに出ようとしたのか、彼女の行動がまったく読めない。
ダレクやマリアンナに黙って通っているとは思えない。なぜ彼らはそれを許したのか。
働いてはいけないとは言っていない。働きたいと思っていたとは思いもよらなかった。
不自由な思いはさせないとは思っていたが、侯爵邸での生活に不満があるのか。
彼女の望みがわからない。
仕事では常に上司の期待に応える自信がある。
王国の臣として国のため尽くす覚悟はできている。そのために何をすべきかどうあるべきかは弁えて理解しているつもりだ。
なのに彼女がどんなことで喜び、どんなことを望んでいるのか、まったく想像がつかない。
一人の人間に対してこんな思いを抱くことはこれまでなかった。
「妻……だからか?」
『妻』という言葉に特別な感情を持っているからなのか、だからこうも気になるのか。
ダレクたちのことも大事に思っている。常に自分のため、侯爵家の存続のために身を粉にして働いてくれている彼らのことも気にかけてはいるが、彼らが何を望んでいるかなど気にしたことはなかった。
明日、もう一度街へ行き、彼女を探して見よう。
もう一度会えばこの気持ちが何なのかわかるかもしれない。
そう思いながらその夜眠りについた。
街に出てこの前出会った街角でルーティアスとして立ってから、今日はもしかしたらここを通る日ではないかもしれないと思い至った。
毎日診療所に通うとは限らない。自分は彼女の行動の何一つ知らない。
「調子が狂う……」
仕事ではこんなことあり得ない。思い付きで行動するなどこれまでなかった。
念のため正午過ぎまで待つことにした。
待ちながらもし会ったら何て声をかけようかと思い悩む。わざとぶつかる?いや、前回は偶然とは言え同じことはできない。
こんな時何て声をかければ自然なのか。
夜会で貴族の令嬢方は向こうから近寄ってきた。
彼女たちが話すことをただ聞き合間に相づちをうっていた。彼女たちはどんな話をしていた?
誰が誰とどうした。今どんな出し物が流行っているか。どこそこのサロンが人気がある。
クリスティアーヌはそんなことに興味はないのだろうか。
結婚前の彼女の生活ぶりから察すると、話に出てきたような演劇やサロンなど行ったこともないだろう。
正午の鐘が鳴り響き、物思いを打ち破った。
その時広場で号外を告げる新聞売りの声が聞こえてきた。
どうやら戦争の終結が公式に発表されたらしい。
広場が途端に騒然としたのがわかりそちらへ足を運ぶ。
王都に戦火の影響は及ばなかったが、それでも戦争という言葉は人々の生活に確実に影を落としていた。
それが無くなり人々の顔に広がる明るい笑顔を見ると、この笑顔を護るためにこれからも頑張ろうという気持ちが湧く。
ふと見ると人混みに紛れてこちらを歩いてくるクリスティアーヌを見つけた。
手には号外を握りしめている。
でも、顔はどこか浮かない様子だ。
あれは戦争が終わったことを書いた号外。なぜ彼女は周りの人たちのように喜んでいないのか。
さっきまで考えていたあれこれなど吹き飛び、彼女に声をかけた。
何が彼女の顔を曇らせているのか。
戦争が終わったことを彼女と話し合う。
夫が戦地へ行っていると告げるが、自分が結婚していることを周りから聞いて知っているだけなのだ。
彼女にとってはルーティアスとの会話の方が現実。彼女の記憶に自分の姿がどこにもない事実をどう受け止めるべきか。
思わず甘いものを食べようと誘った。
自分はいったい何をしたいのだろう。
陛下を前にしてはきはきと物を言い、エプロンを着けて平民の服を着て子どもたちの世話をするクリスティアーヌなど知らない。
デビューの日。うつむき加減で自信なさげに立っていたクリスティアーヌ。
一番輝いている筈の自身の結婚式で怯えた目をしていたクリスティアーヌ。
初夜の床で震えて、涙して眠っていたクリスティアーヌ。
そんなクリスティアーヌしか知らなかった彼には到底信じられない話だった。
「いや……」
先日王都で出会ったクリスティアーヌなら……
変装していた自分にぶつかって一生懸命にクリームを拭い、顔に付いたクリームに頬を赤らめ、慌ててハンカチを買いに走ってきた。
侯爵の妻という立場でなぜ診療所の手伝いに出ようとしたのか、彼女の行動がまったく読めない。
ダレクやマリアンナに黙って通っているとは思えない。なぜ彼らはそれを許したのか。
働いてはいけないとは言っていない。働きたいと思っていたとは思いもよらなかった。
不自由な思いはさせないとは思っていたが、侯爵邸での生活に不満があるのか。
彼女の望みがわからない。
仕事では常に上司の期待に応える自信がある。
王国の臣として国のため尽くす覚悟はできている。そのために何をすべきかどうあるべきかは弁えて理解しているつもりだ。
なのに彼女がどんなことで喜び、どんなことを望んでいるのか、まったく想像がつかない。
一人の人間に対してこんな思いを抱くことはこれまでなかった。
「妻……だからか?」
『妻』という言葉に特別な感情を持っているからなのか、だからこうも気になるのか。
ダレクたちのことも大事に思っている。常に自分のため、侯爵家の存続のために身を粉にして働いてくれている彼らのことも気にかけてはいるが、彼らが何を望んでいるかなど気にしたことはなかった。
明日、もう一度街へ行き、彼女を探して見よう。
もう一度会えばこの気持ちが何なのかわかるかもしれない。
そう思いながらその夜眠りについた。
街に出てこの前出会った街角でルーティアスとして立ってから、今日はもしかしたらここを通る日ではないかもしれないと思い至った。
毎日診療所に通うとは限らない。自分は彼女の行動の何一つ知らない。
「調子が狂う……」
仕事ではこんなことあり得ない。思い付きで行動するなどこれまでなかった。
念のため正午過ぎまで待つことにした。
待ちながらもし会ったら何て声をかけようかと思い悩む。わざとぶつかる?いや、前回は偶然とは言え同じことはできない。
こんな時何て声をかければ自然なのか。
夜会で貴族の令嬢方は向こうから近寄ってきた。
彼女たちが話すことをただ聞き合間に相づちをうっていた。彼女たちはどんな話をしていた?
誰が誰とどうした。今どんな出し物が流行っているか。どこそこのサロンが人気がある。
クリスティアーヌはそんなことに興味はないのだろうか。
結婚前の彼女の生活ぶりから察すると、話に出てきたような演劇やサロンなど行ったこともないだろう。
正午の鐘が鳴り響き、物思いを打ち破った。
その時広場で号外を告げる新聞売りの声が聞こえてきた。
どうやら戦争の終結が公式に発表されたらしい。
広場が途端に騒然としたのがわかりそちらへ足を運ぶ。
王都に戦火の影響は及ばなかったが、それでも戦争という言葉は人々の生活に確実に影を落としていた。
それが無くなり人々の顔に広がる明るい笑顔を見ると、この笑顔を護るためにこれからも頑張ろうという気持ちが湧く。
ふと見ると人混みに紛れてこちらを歩いてくるクリスティアーヌを見つけた。
手には号外を握りしめている。
でも、顔はどこか浮かない様子だ。
あれは戦争が終わったことを書いた号外。なぜ彼女は周りの人たちのように喜んでいないのか。
さっきまで考えていたあれこれなど吹き飛び、彼女に声をかけた。
何が彼女の顔を曇らせているのか。
戦争が終わったことを彼女と話し合う。
夫が戦地へ行っていると告げるが、自分が結婚していることを周りから聞いて知っているだけなのだ。
彼女にとってはルーティアスとの会話の方が現実。彼女の記憶に自分の姿がどこにもない事実をどう受け止めるべきか。
思わず甘いものを食べようと誘った。
自分はいったい何をしたいのだろう。
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