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第五章

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自分の顔から血の気が失せ、背中を冷たいものが走った。

名を呼んでも彼女は全く反応しない。

何が起こったのか真っ白になった頭の中が、すぐに回りで騒ぐダレクやマリアンナたちの声が耳に入り動き出す。

華奢で柔らかいクリスティアーヌの体を起こし、その顔を覗き込む。

青白く血の気が失せたその顔を見て、心が恐怖で埋め尽くされる。

今ここで彼女を失うのか。

そう考えると手足の先から一気に冷たくなり、心臓からどくどくと血が流れ出るような胸苦しさが襲った。

スベン医師を呼べ!いや、自分が連れていくと叫ぶのをダレクたちに諌められ、とりあえず部屋へ運ぶと言うことになり、彼女の膝下に腕を入れて横抱きに抱き上げた。

玄関をくぐり抜け階段下まで辿り着くと、力なく垂れ下がっていた彼女の腕が持ち上がり思い切り胸を強打した。

再び瞼が開かれ輝きを取り戻した彼女の瞳が自分を見上げ、心の中で神に感謝した。

降ろして欲しいと懇願する彼女の言葉をはね除けて予定どおり部屋まで運ぶと主張する。

どんなに抗議されても、気絶して一言も発しない彼女よりは遥かに良い。

重いからと遠慮するが、彼女の倍は重い怪我をした部下を運んだり、訓練で重い荷物を背負こんで何十キロも歩いたことを思えば少しも苦にならない。

だがさすがに彼女の嫌がることをやり通すのもどうかと思い昇りきったところで降ろした。

聞けば着付けたコルセットのせいで呼吸困難になったと言う。

そう言って深呼吸して呼吸を整えようとした仕草で、やたらと胸が大きく上下して嫌でもそこに目が行った。

脳裏に浮かぶのはあの日の夜着からこぼれ落ちた彼女の白い胸。

戦地にいる間、禁欲生活を送っていた身には拷問のようなものだ。

マリアンナと彼女が互いに自分が悪いと主張し合い、平行線のやり取りに仲裁に入り、また倒れられてはと急いで着替えに行かせた。

夕食の時間を訊ねられ、いつもの時間を告げればそれでは遅いと言われて時間を早めた。

何故だかわからないが彼女が信じられないとばかりにこちらを見る。

彼女に合わせたつもりだったが、何か失敗したのだろうか。

軍で慣れているため、いくらでも早く支度はできるが、女性の支度には時間がかかるらしいので、それでは足りないかと思い一時間後の約束で互いの部屋へと入りかけたが、彼女が呼び止めるので部屋の入り口で振り返った。

もう少し夕食の時間を遅らせて欲しいとでも言うかと思い、少し遅くしてもいいと言いかけて振り向いた。

「お帰りなさいませ。お勤めご苦労様でした。ご無事で何よりです」

膝を軽く曲げ微笑んでそう彼女に言われて、今度は自分が卒倒するのではと思った。

確かにここは自分の先祖が代々住んできた邸だ。
自分はここで生まれ、ここで育った。
実際には生まれたのは領地にある邸だったが、間違いなくここは我が家だ。

帰宅すれば使用人たちがお帰りなさいませ、旦那様と出迎えてくれる。

しかし、今彼女に言われた「お帰りなさい」は、見慣れた我が家をこれまでになく特別なものに変貌させた。

彼女が住んで、彼女が出迎えてくれる家。

もう一度頭を下げて彼女が扉の向こうに消えても、暫くその扉を見続けてダレクに声をかけられるまで呆然と立ち尽くしていた。

自室に入ると、部屋の中央に置かれた机の上の白い花がひときわ目についた。

「奥様が今朝摘まれた花です」

ダレクが何も聞いていないのに説明する。

今朝から飾られているため、締めきった部屋の中に芳しい香りが充満している。

目に見えないのに確かに存在する香りにも似た自分の心にある思い。

服を脱いで用意された風呂桶に体を沈めて水面に映る自分の顔を眺めながら、認めざるを得なかった。

自分が彼女に抱いた感情の正体。

殿下の言ったことは確かに的を得ている。

不幸な境遇だとか陛下が持ちかけたからとか、そんな理屈は関係ない。

私は彼女に惚れている。恐らく初めて彼女を見かけた時から気になってはいた。
彼女のことを知れば知るほどに惹かれていった。
彼女が欲しい。彼女の全てが。
そして望むなら、彼女にも同じように思われたい。
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