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第十章
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その日もルイスレーンは夜中過ぎまで帰ってこなかった。
お茶を飲むと一度は眠りにつくが、また夢を見た。母と二人で別宅に移り住む頃の夢を。この前陛下から返していただいた手紙のせいかもしれない。
父が亡くなってから古参の使用人たちは次々と暇を出された。それは叔父のやり方に意見したこともある。中には退職金さえもらえなかった人もいた。
「奥様、お嬢さま、お名残おしゅうございますが、お元気で」
「ミラも……何も出来なくてごめんなさい」
彼女はカディルフ伯爵家……母の実家が没落した時に雇い入れた使用人で私には祖母のような人だった。
「行くあてはあるの?」
「はい。息子が……カディルフ伯爵家の領地だった村で鍛治屋をやっております。最近三人目の孫が生まれましたから、一緒に住んで世話をしてくれと言っております」
「それを聞いていくらか安心したわ……これ、大したものではないけど」
母は小さな革袋を渡した。
「お、奥様……これは」
「私が持っていても仕方ないものだから」
「い、頂けません……」
「お願い、そんなことを言わずに……」
中を見て彼女は驚いた。何が入っているのかわからなかったが、その表情からそれが母の大事なものだとわかる。何度かやりとりをして最後にはミラが折れた。
「わかりました。これはお預かりします。奥様もお嬢さまもお達者で」
そうしてミラは子爵邸を後にした。
彼女が暇を出されてから暫くして、私も母とともに叔父の奥さんになる人が用意した別宅へ引っ越した。
平民出身の彼女が生まれも育ちも貴族の母と色々と比べられるのを嫌がったからだ。
持ち物は僅かな衣服と身の回りの品だけ。
はっと目が覚めて、日が登りかける頃だった。起き上がって慌てて扉を開けると、丁度階下で「いってらっしゃいませ」と見送る声が聞こえた。今日は間に合わなかったようだ。
その日の午後、、私はカレンデュラ侯爵家へ向かった。
カレンデュラ侯爵夫人の茶会は質素とは無縁の豪華なものだった。
王宮の茶会はシンプルだが品の良さが際立っていたが、やはりそこは取り仕切る人のセンスなのだろう。
「お招きありがとうございます」
侯爵家の使用人に案内されたサロンでは、すでにマリアーサ様とフランチェスカ様がいらっしゃった。
「遅れて申し訳ございません」
筆頭侯爵家の二人を待たせてしまったことに驚いて謝った。指定された時刻よりは早いが、もっと早く来るべきだった。
「大丈夫。私が早く来すぎただけだから」
フランチェスカ様が気にしないでと言う。
「そうよぉ、クリスティアーヌちゃん、この人毎朝鍛練で朝が早いの。いっつも早く来すぎるから、出迎えもしないの」
「クリスティアーヌ……ちゃん?」
気さくな方とは聞いていたが、二回目で「ちゃん」呼びに驚いた。
「ごめんなさい。人妻に失礼だったかしら、でも私の妹みたいなお年だし……」
「いえ、お好きに呼んでください」
「じゃあ、クリスティアーヌちゃんで……私のことはマリアーサお姉さまと呼んでちょうだい」
「なら私もクリスティアーヌちゃんで……私のこともフランチェスカお姉さまと呼んで下さい。男兄弟ばかりで妹が欲しかったんだ。義理の妹はお妃だし、呼べないだろう」
「さすがにそれは……」
色っぽいマリアーサ様、さばさばしたフランチェスカ様お二人をお姉さま呼びなんて、どこかの扉を開けてしまいそうになる。
「いきなりは無理かしらね……残念だけど今日は無理にとは言わないけど、次に会うときまで練習しておいて」
「私たちをそう呼べば、夜会でもいくらか牽制になるから、慣れておいた方がいい」
フランチェスカ様の言葉に、そう言う意味もあるんだと気遣ってくれていることに胸が熱くなった。
「さあ、こっちに来て座って。今日は堅苦しいことはなし、楽しくおしゃべりしましょう」
マリアーサ様が自分の隣に手招きしてくれ、戸惑いながら近づき腰かけた。
「その後侯爵はどうされているの?」
フランチェスカ様に訊ねられる。
「ここ二日ほどは朝早くに出て帰宅は夜中というのが続いています」
「まあ、そうなの……仕事熱心なのはいいけど、やっと帰ってきたのに根を詰めすぎではなくて?」
「でもお仕事なので…仕事のことで口を出されるのを好まない方も多いですから」
「そういう人もいるのは確かだ。夜会でも言ったが、理解あるようにしていると男性はそれでいいんだと思ってしまう。嫌なら嫌と言った方がいい」
フランチェスカ様の言葉にマリアーサ様も頷く。
「そうね、こういうのは初めが肝心。罪滅ぼしに何か買って貰いなさい」
「でも、ドレスも宝飾品も十分ありますし、特に欲しいものは……」
「そんなのは分かっているわ。本当に欲しいものというのではなく、要は気持ちよ。記念に買って貰えばいいの」
「でも、物を買えばいつでも何でも許して貰えると思わせたらだめだ。時にはお仕置きも必要だ」
「お、お仕置き?」
お茶を飲むと一度は眠りにつくが、また夢を見た。母と二人で別宅に移り住む頃の夢を。この前陛下から返していただいた手紙のせいかもしれない。
父が亡くなってから古参の使用人たちは次々と暇を出された。それは叔父のやり方に意見したこともある。中には退職金さえもらえなかった人もいた。
「奥様、お嬢さま、お名残おしゅうございますが、お元気で」
「ミラも……何も出来なくてごめんなさい」
彼女はカディルフ伯爵家……母の実家が没落した時に雇い入れた使用人で私には祖母のような人だった。
「行くあてはあるの?」
「はい。息子が……カディルフ伯爵家の領地だった村で鍛治屋をやっております。最近三人目の孫が生まれましたから、一緒に住んで世話をしてくれと言っております」
「それを聞いていくらか安心したわ……これ、大したものではないけど」
母は小さな革袋を渡した。
「お、奥様……これは」
「私が持っていても仕方ないものだから」
「い、頂けません……」
「お願い、そんなことを言わずに……」
中を見て彼女は驚いた。何が入っているのかわからなかったが、その表情からそれが母の大事なものだとわかる。何度かやりとりをして最後にはミラが折れた。
「わかりました。これはお預かりします。奥様もお嬢さまもお達者で」
そうしてミラは子爵邸を後にした。
彼女が暇を出されてから暫くして、私も母とともに叔父の奥さんになる人が用意した別宅へ引っ越した。
平民出身の彼女が生まれも育ちも貴族の母と色々と比べられるのを嫌がったからだ。
持ち物は僅かな衣服と身の回りの品だけ。
はっと目が覚めて、日が登りかける頃だった。起き上がって慌てて扉を開けると、丁度階下で「いってらっしゃいませ」と見送る声が聞こえた。今日は間に合わなかったようだ。
その日の午後、、私はカレンデュラ侯爵家へ向かった。
カレンデュラ侯爵夫人の茶会は質素とは無縁の豪華なものだった。
王宮の茶会はシンプルだが品の良さが際立っていたが、やはりそこは取り仕切る人のセンスなのだろう。
「お招きありがとうございます」
侯爵家の使用人に案内されたサロンでは、すでにマリアーサ様とフランチェスカ様がいらっしゃった。
「遅れて申し訳ございません」
筆頭侯爵家の二人を待たせてしまったことに驚いて謝った。指定された時刻よりは早いが、もっと早く来るべきだった。
「大丈夫。私が早く来すぎただけだから」
フランチェスカ様が気にしないでと言う。
「そうよぉ、クリスティアーヌちゃん、この人毎朝鍛練で朝が早いの。いっつも早く来すぎるから、出迎えもしないの」
「クリスティアーヌ……ちゃん?」
気さくな方とは聞いていたが、二回目で「ちゃん」呼びに驚いた。
「ごめんなさい。人妻に失礼だったかしら、でも私の妹みたいなお年だし……」
「いえ、お好きに呼んでください」
「じゃあ、クリスティアーヌちゃんで……私のことはマリアーサお姉さまと呼んでちょうだい」
「なら私もクリスティアーヌちゃんで……私のこともフランチェスカお姉さまと呼んで下さい。男兄弟ばかりで妹が欲しかったんだ。義理の妹はお妃だし、呼べないだろう」
「さすがにそれは……」
色っぽいマリアーサ様、さばさばしたフランチェスカ様お二人をお姉さま呼びなんて、どこかの扉を開けてしまいそうになる。
「いきなりは無理かしらね……残念だけど今日は無理にとは言わないけど、次に会うときまで練習しておいて」
「私たちをそう呼べば、夜会でもいくらか牽制になるから、慣れておいた方がいい」
フランチェスカ様の言葉に、そう言う意味もあるんだと気遣ってくれていることに胸が熱くなった。
「さあ、こっちに来て座って。今日は堅苦しいことはなし、楽しくおしゃべりしましょう」
マリアーサ様が自分の隣に手招きしてくれ、戸惑いながら近づき腰かけた。
「その後侯爵はどうされているの?」
フランチェスカ様に訊ねられる。
「ここ二日ほどは朝早くに出て帰宅は夜中というのが続いています」
「まあ、そうなの……仕事熱心なのはいいけど、やっと帰ってきたのに根を詰めすぎではなくて?」
「でもお仕事なので…仕事のことで口を出されるのを好まない方も多いですから」
「そういう人もいるのは確かだ。夜会でも言ったが、理解あるようにしていると男性はそれでいいんだと思ってしまう。嫌なら嫌と言った方がいい」
フランチェスカ様の言葉にマリアーサ様も頷く。
「そうね、こういうのは初めが肝心。罪滅ぼしに何か買って貰いなさい」
「でも、ドレスも宝飾品も十分ありますし、特に欲しいものは……」
「そんなのは分かっているわ。本当に欲しいものというのではなく、要は気持ちよ。記念に買って貰えばいいの」
「でも、物を買えばいつでも何でも許して貰えると思わせたらだめだ。時にはお仕置きも必要だ」
「お、お仕置き?」
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