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28 卵と鶏
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くううう
静かな部屋の中で、和音のお腹が鳴った。
「は、あの、これは…」
真面目な話をしているのに、和音の体は空気を読んでくれなかった。
「気にしないで、たとえゲップもおならも、和音のなら全部可愛いと思う」
「そ、そそそれは、そんなことないから」
出物腫れ物所嫌わずだから、もちろんゲップもおならも、くしゃみだって出ることはある。
くしゃみはまだしも、お腹が鳴るのとそれはレベルが違う。
「和音のお腹の中には子供がいる。普段よりお腹が空くのは仕方がない」
「気を使ってくれてありがとう」
妊娠は初めての和音でも、まだそこまで大きくなっていないのに、子供がいるからお腹が空くという段階ではないのはわかる。
今の言葉は燕の優しさだ。
「夕食を早くしてもらおう」
燕の屋敷での初めての夕食は、海の見えるテラスで、沈む夕日を眺めながらというものだった。
屋敷の周囲は木々の生い茂る森が広がっているが、少し高い場所にあるため、窓からは海が見える。
沈む夕陽が海を真っ赤に染めていく中、爽やかな風に吹かれながら和音は燕と向かい合って、座っていた。
夕食のメニューはシーフード。
シュリンプカクテルに白身魚のフライ、そして茹でたロブスターなどがテーブルに並ぶ。
「ほら、和音、これもどうぞ」
テレビなどで小さなハンマーでロブスターの殻を叩き、豪快に手で食べるのを見たことがある。
それを今、目の前で燕がやっている。
ただし、ハンマーではなく、自らの手で。
そして殻を割って取り出した中身を、あ~んと和音の口へと運ぶ。
親鳥が雛に餌を運ぶように。
「あ、ありがとう」
最初遠慮していた和音だったが、誰も見ていないと言われ、抵抗虚しく今は素直に口を開く。
「美味しい」
口にした途端、和音はぱっと目を見開いて、呟いた。シンプルな調理法なので、素材の新鮮さと旨味がすごくよくわかる。
「ほらこっちも」
今度は揚げてサクサクとした衣を纏った魚のフライを口に放り込む。
口の中でそれはホロリと崩れるくらいに柔らかく、軽い口当たりの衣の食感も素晴らしかった。
「美味しいか?」
「はい、とっても」
「そう、良かった」
美味しそうに何でも食べる和音を見て、燕は満足して微笑む。
緩く弧を描く唇に目が行き、和音はごくりと口の中のものを飲み込んだ。
(さっき、あの唇にキスされたんだ)
景色も素晴らしい。食事も美味しい。なのに和音の目はどうしても燕へと向き、彼を意識してしまう。
そして、油断するとさっきのキスを思い出している。
和音のことをとても大事にしてくれるのは、彼女が彼の子供を身籠っているから。
それは間違いない。
だけど、和音の涙を見て心を痛め、物騒な提案をしたのは。そして自分が持っているもの全てを放り投げても、和音の過去の悲しみを拭い去ろうと言ってくれたのは、子供のためだけだろうか。
もちろん、母体の健康や精神の安定が大事なのはわかる。
でも、それだけであそこまで言ってくれるものだろうか。
かつて父親(すでに和音の中ではあの人と呼ぶ他人同然の人)に求めて得られなかった愛情。
そして唯一の肉親として最も和音の側にいた母を失い、それを埋めるように現れた燕。
和音を気遣い励まし、大切にしてくれる。
それは和音だからなのか。
それとも和音が彼の子供を妊娠しているからなのか。
卵が先か鶏が先か、みたいなものだろうか。
「燕は、どうしてこんなことまでしてくれるの?」
「こんなこと?」
「えっと…親鳥みたいに食べさせてくれること。私、燕にいっぱい色々としてもらってるけど、何も返せていない。第一、私が燕にしてあげられることなんてなくて…妊娠だって、私から進んでやったわけじゃないし」
「和音。それは」
「あ、別に最初はなんでって思ったけど、子供はいつか持ちたいとは思っていたし、ちゃんと妊娠は受け入れているわ。まだはっきり実感はないけど」
それは本当だ。子供はほしいと思っていた。いつか誰かと結婚して、その人と子供をつくり、家族を増やす。
ただ、男性を信用できず、その「誰か」と一緒になるのが怖かった。
父と母のようになるのを恐れていたからだ。
かと言って子供を作るのにも一人では無理で、相手がいる。
「そこは申し訳ない。地球とトゥールラーク人の妊娠や結婚に対する認識が異なるからだろう。それに、トゥールラーク人の習性というものも、和音が考えるものとは違うからだ」
そう言いつつ、燕はまた和音の口元にロブスターを運ぶ。それがあまりに自然な仕草だったため、和音も条件反射で口を開けてしまった。
口をあんぐり開けて、燕の手からロブスターを頬張る和音を、燕は愛おしげに見つめ、またもや和音の頬は赤く染まった。
「だって、美味しいから…」
静かな部屋の中で、和音のお腹が鳴った。
「は、あの、これは…」
真面目な話をしているのに、和音の体は空気を読んでくれなかった。
「気にしないで、たとえゲップもおならも、和音のなら全部可愛いと思う」
「そ、そそそれは、そんなことないから」
出物腫れ物所嫌わずだから、もちろんゲップもおならも、くしゃみだって出ることはある。
くしゃみはまだしも、お腹が鳴るのとそれはレベルが違う。
「和音のお腹の中には子供がいる。普段よりお腹が空くのは仕方がない」
「気を使ってくれてありがとう」
妊娠は初めての和音でも、まだそこまで大きくなっていないのに、子供がいるからお腹が空くという段階ではないのはわかる。
今の言葉は燕の優しさだ。
「夕食を早くしてもらおう」
燕の屋敷での初めての夕食は、海の見えるテラスで、沈む夕日を眺めながらというものだった。
屋敷の周囲は木々の生い茂る森が広がっているが、少し高い場所にあるため、窓からは海が見える。
沈む夕陽が海を真っ赤に染めていく中、爽やかな風に吹かれながら和音は燕と向かい合って、座っていた。
夕食のメニューはシーフード。
シュリンプカクテルに白身魚のフライ、そして茹でたロブスターなどがテーブルに並ぶ。
「ほら、和音、これもどうぞ」
テレビなどで小さなハンマーでロブスターの殻を叩き、豪快に手で食べるのを見たことがある。
それを今、目の前で燕がやっている。
ただし、ハンマーではなく、自らの手で。
そして殻を割って取り出した中身を、あ~んと和音の口へと運ぶ。
親鳥が雛に餌を運ぶように。
「あ、ありがとう」
最初遠慮していた和音だったが、誰も見ていないと言われ、抵抗虚しく今は素直に口を開く。
「美味しい」
口にした途端、和音はぱっと目を見開いて、呟いた。シンプルな調理法なので、素材の新鮮さと旨味がすごくよくわかる。
「ほらこっちも」
今度は揚げてサクサクとした衣を纏った魚のフライを口に放り込む。
口の中でそれはホロリと崩れるくらいに柔らかく、軽い口当たりの衣の食感も素晴らしかった。
「美味しいか?」
「はい、とっても」
「そう、良かった」
美味しそうに何でも食べる和音を見て、燕は満足して微笑む。
緩く弧を描く唇に目が行き、和音はごくりと口の中のものを飲み込んだ。
(さっき、あの唇にキスされたんだ)
景色も素晴らしい。食事も美味しい。なのに和音の目はどうしても燕へと向き、彼を意識してしまう。
そして、油断するとさっきのキスを思い出している。
和音のことをとても大事にしてくれるのは、彼女が彼の子供を身籠っているから。
それは間違いない。
だけど、和音の涙を見て心を痛め、物騒な提案をしたのは。そして自分が持っているもの全てを放り投げても、和音の過去の悲しみを拭い去ろうと言ってくれたのは、子供のためだけだろうか。
もちろん、母体の健康や精神の安定が大事なのはわかる。
でも、それだけであそこまで言ってくれるものだろうか。
かつて父親(すでに和音の中ではあの人と呼ぶ他人同然の人)に求めて得られなかった愛情。
そして唯一の肉親として最も和音の側にいた母を失い、それを埋めるように現れた燕。
和音を気遣い励まし、大切にしてくれる。
それは和音だからなのか。
それとも和音が彼の子供を妊娠しているからなのか。
卵が先か鶏が先か、みたいなものだろうか。
「燕は、どうしてこんなことまでしてくれるの?」
「こんなこと?」
「えっと…親鳥みたいに食べさせてくれること。私、燕にいっぱい色々としてもらってるけど、何も返せていない。第一、私が燕にしてあげられることなんてなくて…妊娠だって、私から進んでやったわけじゃないし」
「和音。それは」
「あ、別に最初はなんでって思ったけど、子供はいつか持ちたいとは思っていたし、ちゃんと妊娠は受け入れているわ。まだはっきり実感はないけど」
それは本当だ。子供はほしいと思っていた。いつか誰かと結婚して、その人と子供をつくり、家族を増やす。
ただ、男性を信用できず、その「誰か」と一緒になるのが怖かった。
父と母のようになるのを恐れていたからだ。
かと言って子供を作るのにも一人では無理で、相手がいる。
「そこは申し訳ない。地球とトゥールラーク人の妊娠や結婚に対する認識が異なるからだろう。それに、トゥールラーク人の習性というものも、和音が考えるものとは違うからだ」
そう言いつつ、燕はまた和音の口元にロブスターを運ぶ。それがあまりに自然な仕草だったため、和音も条件反射で口を開けてしまった。
口をあんぐり開けて、燕の手からロブスターを頬張る和音を、燕は愛おしげに見つめ、またもや和音の頬は赤く染まった。
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