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36 絶対零度の声音

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「城咲さん、娘さんを連れてきました」

大平が先に入って中にいる父に声をかけた。

「和音、和音、大丈夫だったか」

和音の前には大平と高野がいるため、父の姿はすぐには見えなかったが、バタバタと走ってくる音がした。

「和音」

大平達が動いて目の前に父の姿が現われる。
この前会った時より目がギラギラして何かに取り憑かれているような、そんな感じだった。
その異様さに和音の体が思わず後ろに下がった。

「和音」

和音に駆け寄りかけて、父はそのすぐ後ろにいる燕の姿を目にし立ち止まった。

「お前か、和音を騙しているのは」

顔が見る間に真っ赤になり、射殺さんばかりに燕を睨み付けた。

「城咲さん、落ち着いて。最初からそんな風にけんか腰では話になりませんよ」

大平が和音と父の間に立ち、穏やかに諭した。

「そっちこそ話が違うじゃないか、和音だけが来ると思っていたのに、なぜこんなやつがいるんだ」

背の高い燕は大平が立っても父から顔が見えるため、父が彼の頭越しに燕を指差した。

「そう仰っていましたが、約束した覚えはありません」
「騙したのか」
「それはあなたが一方的に思い込んでいただけです」
「何だと!?」
「やめましょう、城崎さん、ここで揉めても話は前に進みません」

いきり立った父の尊に高野が取りなす。父は不服そうだったがが、その場は一旦口を閉じた。
会議室はロの字型に机が並べられていた。奥の窓際に父が、その対面に和音と燕が座り、その間に高野と大平、そして父の相手をしていた男性、鈴木が並んで座った。

「和音、今までどこにいたんだ」

先に父が口を開いた。

「えっと、外国・・です」

バミューダ海域の島にいたとは言いづらく、言葉を濁した。

「海外? 海外のどこだ」
「それはどうでもいいことでしょう?」
「お前に訊いていない! 俺は娘に訊いているんだ」

燕が口を挟むと父が唾を飛ばして遮った。
礼儀を欠いた父の態度に和音は燕に申し訳なく思った。

「お前もお前だ、何だこの男は! 母親が死んでまだ日も浅いのに、男と海外だと、一体何を考えているんだ」

母の死を父が口にする。母の死と海外は関係ないのに。

「ちゃんとお母さんの遺骨も持って行っているわ。どこにいたって私の側には今もお母さんがいてくれる」

遺骨も位牌も持って行っていると和音が言うと、父はぐうの音も出ないようだった。

「私はもう子供じゃない。ちゃんと自分の意志で生きてる。騙されてもいない」

妊娠に至る経緯は騙された感はあるが、母が和音のことを思って決めてくれたことだ。それに燕と一緒に暮らし始めてまだ一ヶ月程度だが、和音はこの暮らしが気に入っている。

「いっぱしの口をきくな。体ばかり大きくなっただけでお前はまたまだ子供だ」
「城咲さん、法律的にも今は十八歳で成人とみなされます。子供だという主張は」
「法律的にそうでも、世間知らずなのは嘘じゃないだろ、あんた達は子供がいないから勝手なことを言ってるが、親にとっては子供はいつまでたっても子供なんだ」

ちゃんと愛情があるならそれももっともな言い分だが、父の言葉の裏には欲が透けて見える。少しも和音の心に訴えてこない上滑りな正義感に、胸がムカムカして吐き気が込みあげてきた。

「子供・・ね。普通はそうですが、あなたと娘さんは彼女が小学校二年生の時に前の奥さんの和美さんと離婚され、その後は殆ど会っていないと聞いています。しかも約束した養育費も殆ど滞納されたとか」
「そ、それは・・私の給料では二つの家計を維持するのが大変で」

大平に指摘されて父が言い訳する。

「そうですか? しかし同僚の方の話によると、毎週食事に行かれたり、記念日には宝石やブランド物のバッグなどを贈ったり、車も頻繁に乗り換えたりととても切り詰めた生活をされていたようには思えませんが」

警察の話を聞いて和音は驚いた。それが本当なら、和音の養育費を父は出し渋っていたことになる。

「それは、同僚に見栄を張っていただけで、実際には・・クソ、誰だそんなことチクったのは・・そんなこと調べてくれなんて言ったのか!」

都合が悪くなり父の攻撃が和音に向いた。

「わ、私は何も・・」
「娘さんはそんなことしていません。今回のことを収めるために、少しあなたと娘さんの関係について確認したくて我々が少し調べただけです」
「何だと、それは職権濫用じゃないのか、警察だからって何をやってもいいわけじゃないぞ」
「勘違いされているようですが、最初に捜索願を出したのはあなたです。あなたが何もしなければ我々も介入することはなかった。寝た子を起こしたのはあなたです」
「だ、だからといって、オレと和音が親子なのには変わりない。離婚の際和美が和音の親権をほしがったからオレは泣く泣く譲ったんだ」

次から次へと嘘を塗り重ねる父の言動は、こちらが恥ずかしくなるほどだった。
警察がどこまで調べているかわからないが、すべてその場しのぎのでまかせだとわかっている言葉を、和音はこれ以上聞いていられなかった。
込みあげる吐き気に和音が耐えていると、燕が膝の上に置いた彼女の手に指を絡めてきた。

「それ以上何も言わない方がいいと思いますよ。恥をかくのはあなたの方です」
「何だと?」

声を荒げる父とは逆に、燕の声音は静かだったが、その口調には絶対零度より低い冷気が感じられた。
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