貴方を救いたい、ただそれだけ。

天之奏詩(そらのかなた)

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ニ、認識不可性人格障害

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 神社の裏側にある縁側、本当は踏み入ってはいけない場所だが、俺達は日陰に導かれるようにしてさり気なくその場に居座り、話をしていた。まず、彼女の方から口を開いた。
「私、これから大分おかしなことを言います。それでも、貴方は信じてくれますか」
 彼女は不安そうに、何かに怯えるように尋ねてくる。サラサラと吹いた風が彼女の言葉を運び去っていくから、それを聞き漏らさないように集中して、
「…ああ、これでも、もう信じられないことは体験しているんでな。今なら何でも、受け入れられる気がするよ」
 そう述べて、彼女が話し始めるのを待った。それから彼女が唾を飲み込んで、ピクリと喉がうねる。少女とは清く美しいものだとばかり思っていたが、こういったあたりを見ると、なんだか生物らしさというか、特に悪い意味ではないが肉らしさを感じた。まあ、これが本来の生き物の感じ方なのだろうが。
「貴方は、独りぼっちの世界、って、どう思いますか」
 途切れ度切れにきちんと言葉を伝えてくるその様子は、本当に心に訴えかけてきているみたいで何とも複雑な心境になった。
 その言葉だけ聞いて、やはり友達がいないだとかそういった悩みかと思う。にしても、最近よく聞いた言葉に、一瞬呼吸が上ずった。それを隠すかのように俺は、素っ気なくだが丁寧に返答する。
「いいんじゃねえの、自由じゃん。誰かに気を使われることがないから、こっちも気が楽ってもんじゃね?」
 そう言ってから、
「…ま、こっちは気を使わなきゃいけない場面も多くあるだろうがな。でも、それでもやっぱり、独りってのは無意識にも望んじまうもんだよな」
 はあ、と一つ溜息をついて彼女をみた。彼女は俺に目を合わせることもなく足元に視線を向けていて、俺の話を頭の中で復唱しているようにこくこくと小さく頷いていた。
 そしてそのまま、彼女は口を開く。
「…そうですか。でも『独り』と『独りぼっちの世界』はまた別じゃないですか」
 言ってから一度空を仰いだ彼女は、その目を俺の方に向けた。しっかりと俺の目の奥を見据えるそれはまるで深い深い闇を彷彿とさせて、俺はそれに吸い込まれそうな目眩を覚えた。そんな俺の事はさておいて、彼女は話を続ける。
「実は私…本当に信じてもらえないかもしれないですが……」
 消え入りそうになっては力強く、言葉に極端な抑揚をつけながらそう言う。それから、少しの間沈黙が生まれた。近くの車道を車が走り去っていく音とか、虫がジリジリと電子音みたいな音で鳴く声が嫌に二人を包み込んだ。そんな環境音のせいで、恐らく本当は短い沈黙のはずなのに物凄く長いように思えて、永遠に続くように、とまで言うと盛り過ぎな気もするが、とにかく彼女の声が待ち遠しかった。
 そうして、彼女は自分のスカートを握りしめた。力弱そうな、そんな小さな拳だった。
「例えば、例えばですよ。周りに家族も、知人も、ちゃんといる。だけど何故か、みんな私の存在に気付いてくれなくなった。なんの冗談でもない。みんな真剣に、ある日突然、私に気づかなくなった」
 そこまで述べて、一つ呼吸を置いてから彼女は続けた。
「…そんなことって、あると思いますか」
 吐き出すように喉から閉め出された声は物凄く辛そうで、そんなので悪夢のような話をしてくる。
 目に見えているのに、手も声も届かない。果たして、そんな状況が実際にあるのだろうか。仮にあったとして、それは一体どんな世界なのだろうか。
 辛いのか、楽なのか。
 姉は楽な世界を想像していたが、どうも彼女の見てきたそれは辛そうだった。
「…にわかには信じがたい話だけどさ」
 …でも。
「そう尋ねるあたり、お前がそうなんだろ。なら、俺はそんな状況があるってこと、否定はしないよ」
 そして、
「で、なんでお前はこんな所に来て、なんで俺はお前に気づけた。それが、今俺がお前の話を聞いて一番気になっていることだ」
「……認識不可性人格障害。沢山ある病名を基に、私が名付けた自称病です」
 サラサラと吹いた風が、日陰にいる俺達に生温い風を運んできた。
「認識不可性人格障害?」
 彼女の口から告げられた自称病名を、思わず尋ねてしまう。まさにオウム返しであった。彼女はもう既に、説明への覚悟が出来ていた。
「はい、その名のとおり通りです。さっき、その症状の事は話しましたよね、つまりそういうことです」
「誰もがお前を認識出来なくなる、認識不可…」
「はい、つまりそういうことです」
 彼女は苦笑しながら言った。その様子はまるで自嘲しているかのように見えて、俺は少しばかり哀しい気持ちになった。
「…いや、でもちょっと待ってくれ。そもそもお前のそれは精神的苦痛からの症状なのか?」
 ふと疑問をぶつける。すると彼女は、なんのことか分からないとばかりに口を開いた。
「…と言うと?」
「ああそうだな、そもそも人格障害ってのは、大多数の人とは違う反応や行動をすることで本人が苦しんでいたり、周りが困っているケースに診断される精神疾患のはずなんだ」
 姉が入院していたせいか、そういった事に対しての理解を求めるポスターを何度か見かけたことがあった。至るところに貼り付けられたそれは何度も人の目に映っているはずなのに、まるでそれが目に止まっているようには思えなかった。それだけ、人は大切なことに目を向けられない生き物なのだろう。そんな大人にはなりたくないななんて思いながら、姉に対する想いを落ち着けるために何度も何度も同じポスターの文字をなぞったものだ。
「で、お前のそれはそうなのか」
「やけに詳しいですね…さあ、あまり確かとは言えませんが、まあ、そうですね、他人からすればそうでなくても、私からすれば日常…いいえ、何でもありません。そう言われれば、そんな気もしますね」
 彼女は自らの生活を見直すようにしてそう言った。中には意味深な発言も含まれていた為、勿論俺はそこに突っ込まない訳がなかった。
「おいおい、一体どんな生活送ってきたんだよお前…」
 とは言ったが、思い直す。
「まあ、他人の家庭事情に一方的に入り込んで話をするってのはまた違うから俺は何とも言えねえけどよ。知ってるか、物心つくまでの環境でその後の精神状態が大きく変わってくるって話。つまりまあ、そういう言い方をするあたりお前のそれ、本当に精神状態が関わってんのかもしれねえな」
 と一気に言ってから一度浅く呼吸をして、その細い息を吐き出すように力を抜きながら、
「…いい名前付けたな、自分の症状に」
 そう言った。
「何を褒められてるのでしょうか私は」
 彼女は苦笑しながらそう言って、そのまま視線を足元へと向けた。
 またもや沈黙が降りる。重たい沈黙ではなかったが、少なくとも心地良いものではなかった。またさっきと変わらない音が聞こえてきて、俺達はなんだか、周りの人間とは違う音を聞いている、そんな特別な存在のように思えた。なんとも子供っぽい発想である。
「…にしても、どうして私を認識できたんですか」
 彼女が沈黙を破る。
「発症した事に気づいて以来、一度だって周囲に認識してもらえたことなんてなかったのに」
 それに俺は答えた。まあ、なんの説得力もない話だったが。
「さあな、きっと何かの気まぐれじゃねえの?だってほらここ、神社だし。奇跡の一つや二つ、神様が起こしてくれるんじゃね」
「そんなもんなんですかね」
「そんなもんなんだよきっと」
 再開された話も直ぐに終わって、また沈黙が降りる。ふと辺りに視線を飛ばして、やはり時期と景色が比例していないことに嫌悪感を抱く。時期的には桜とかがまだ咲いていてもいい。残った桜を堪能してやろうじゃないかと思うが、生憎、早くも桜は全て花びらを落とした。気温的には蝉なんかが鳴いていても違和感はない。むしろ鳴いていないことが不思議なくらいなのに、そんな声すらも聞こえてこない。五月という中途半端な時間に取り残された我々は、その波に呑まれるようにして気持ちもなんだか堕落する。それを人々は『五月病』なんて呼ぶらしい。俺達はそんな五月病にかかったように気怠げにこんな日陰で熱に打たれているのである。
「あっつい…何か風呂入りたくなってきたな…」
 ポツポツと足元に染みををつくる汗に負けた俺は情けなくも声に出す。すると彼女も感化されたように口を開いた。
「そうですね。今夜はどこの温泉行こうかな、近くにあれば助かるけど…」
 ぼんやりと吐き出された音はすぐに空気に融けて消えそうだった。
 にしても、今夜は温泉に行くのだそうだ。そうだな、俺も久しぶりに温泉なんてのも悪くないかもしれない。
 …ん、温泉に行くのだそうだ?
「なあ、俺の聞き間違えじゃなければ今お前は温泉に行くと聞こえたのだが」
「はい、行きますよ温泉」
「自首しようか」
「何でですか!?だ、だって、帰る家がないんですよ!?お風呂くらい自由に入れさせてくれても良いじゃないですか!!」
「無償で風呂を借りて…お前の良心は傷まないのか」
「そんな事言ってる場合じゃありませんよ。そもそも私、お金持ってませんし」
「…え、お金無いのにそんな病気患っちゃったの」
「そうですよ全く」
 なんて事だ、流石に可哀想だぞ。
「…それに帰る家もないって…お前寝泊まりはどうしてたの。まさか他人の家に不法侵入を」
「してませんしてませんちゃんと公園で寝てました!!人聞き悪いこと言わないでくださいよ!!」
「悪い悪い、ちょっとからかっただけだ。にしても…寝る家がないとなれば困るんじゃないか」
「そりゃあまあ。でも仕方ないじゃないですか、誰にも認識されない私には何も成す術がありませんし。全く、言葉が届かないことにこれだけ屈したことは人生で初めてですよ」
 中々大変そうである。
 例の病気を患っているとはいえ、年頃の少女が公園で寝泊まりをしているのだという。何もできないというのは余りにも心苦しくはないだろうか。
「…んじゃあさ、っ……」
 言いかけて、止める。
 今名案を思いついたのだが、果たしてこれは口にしてしまっても良いのだろうか。罪に問われたりはしないだろうか。うむ、悩みようである。いや、別にやましいこととかではないのだが常識的にどうだろうという話である。いやほんとに下心とか微塵もないのだけれども。
「何ですか、もしかして衣食住の提供でもしてくれるんですか」
「君のような感のいいガキは嫌いだよ」
 少しばかり感が良すぎではないだろうかこの少女。
 そうして、俺は案を述べることになった。
 本来ならば警察なんかに届けを出すべきなのだろうか、認識されない彼女である。恐らく警察だって例外ではないだろう。そして、
「いやさ、ついこの間まで姉が借りてたアパートの一室がまだ解約予定になってないから、当分はそこで面倒見てやれるぞって話を思いついたんだが」
「住みます」
「……え?」
 彼女が説明を遮る。
「今なんて」
「住みます…!!」
「いやいやいやいやちょっと待った。気持ちはわかるけどもよく考えろ。初対面の男が紹介した部屋にこう安々と住まおうってのは余りにも不用心すぎやしないか?」
「…下心、あるんですか」
 まるで虫の死骸でも見るかのような軽蔑の目を向けてくる彼女。
 だから言いたくなかったんだとばかりに唸ってから、俺は冷静に話を続けた。
「あるわけねぇだろうが。生憎幼女体型に性的好意はねえんだよ」
 言われればそれなりの事を言い返すまでだ。
「何です、喧嘩売ってるんですか」
「ただ下心が無いことを説明したかっただけだよ。でどうなんだ」
 尋ねると、彼女は不満げに顔をしかめながらも、
「全く納得行きませんがね。…我儘を言わせてもらうと、住まわせて頂けると助かります」
 そう言った。
「そうかそうか、なら親に交渉してみるよ」
 言って、立ち上がる。まだ高い陽がジリジリと肌を焼いた。そんな俺につられるようにして彼女も立ち上がって、それから二人で駅を目指した。その間は彼女が俺と出会うまでの他愛のない出来事を聞いたりして会話をつなげて、そうしてやがて、見慣れた街についた。
 あとは姉の部屋を貸してもらえるように親に話を通すだけだ。
 ただし、ここで問題発生である。
 彼女は俺以外誰にも認識されたことがないという。つまりだ。
 …親になんて言って姉の部屋を借り出そう。
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