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1.始まりは夢色
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しろとあおの―――蝶々が出会って一緒に宙を舞う。ひらひら、ひらりひらり。
可憐でいて力強いその羽ばたきは、しろとあおの美しい飛跡が描く、夢色の世界。
白と青、黄色に緑、橙橙と桜色も。くっついたり離れたり、まるで彩雲のように色煙みたいに……ふわり、ゆらり。漂って揺らめいては、海に浮かぶように、風に吹かれるみたいに。
そう、私は夢で……いろいろな『色』をいつも見ていた―――。
部屋の窓から射し込む朝光が、まだ夢の中にいる私の瞼の裏をすうっと照らす。夢色は朝を感じると何処か遠くの方へ流れていってしまって……それが目覚めの合図。ゆっくり目を開けて瞬きをすれば、ベットの真上の白い天井が映る。
一日の始まりにするのは……
天井を白いキャンバスに見立てて絵を描く想像をすること。漢字の練習する空書きの真似をして私があみ出した天描き。
今日は何を描こうかな?
覚醒した私の脳はもう早く絵を想像したくて仕方がない。下絵を書く時はいつも青線で。
サッ、シュッ、ササッ。トン、スーゥッ。
直線と曲線と幾つも繋ぎ合わせれば、白い平面に輪郭が浮き上がってきて、徐々に立体へと形作る。
現れたのは、「モンシロチョウ」
……パタパタパタ、ふらりふらり。
青白く美しい飛跡に魅せられ……何か……頭の奥の方で燦めくような、予感がした。
しろとあおの―――?
温かくて切くて……
掌で包みたいのに消えてしまう……
真白いクオリアを……
アオのしろいクオリアを、もう一度―――。
☆☆☆
「真白! 空! 行くぞー」
「はーい」
「ちょっと待ってぇ」
父の声で朝の家が騒がしくなる。見送る母は介護士の仕事をしていて、今日は夜勤だから弟にあれこれ小言が多い。
毎朝父が通勤がてら車で私達を送ってくれる。隣町の田原小中学校に到着すると、助手席の空が「行ってきまぁす!」と元気に飛び出して行った。小学5年生になった弟は身長154cm、ついに追い付かれてしまった。
父の運転は更に15分かけて田原駅へ。
私達が暮らすのは大原山の麓にある大井町で、お隣が学校のある田原町。家の名字も地名からついたと教わったし、本家や分家と同じ名字の家がたくさん。山に近いので自然が豊かで長閑な田舎だ。バス停も駅も遠いしお洒落な店もないけれど、ずっとここで17年育った……私はとても気に入っている。
新緑の暦月へと移りゆく頃。朝の陽射しは増々強くなって、若葉があちらこちらで元気に育っている。景色を眺めていると車窓から入る風がいたずらに髪で遊ぶ。鬱陶しくなった前髪を横に流して、鎖骨辺りまで伸びた毛先を押さえる。今度母に頼んで美容室に車で連れて行って貰わなくては。
駅前に車が着くと私は「行ってきます」を言いながらすぐ降車して、「気をつけて」と車の中から私に声をかけ仕事先へ出発した父を見送る。
父の車のバックライト横には青色のステッカー。白の四葉マークが描かれた身体障害者の標識が付いている。
父は左足が麻痺して動かない。私が小学生になってすぐ、仕事中機械に足を挟まれ大怪我を負った。長期入院の後に障害者雇用で今の仕事に就いたのだ。
父はその足を見せようとはしない。私の記憶にある父の足はとても痛々しく肌の色を失っている。忘れられない悲しい色が足に刻印されているんだ。
今日も無事に会社に着きますように……。
父の車が遠くなって見えなくなるまで祈る。それからいつも駅の階段を上がり電車に乗るのだけれど、今日は珍しくキャリーを抱えたお姉さん達とすれ違う。
「うわっ、超ど田舎!」
「ええ~!? コンビニないよ!?」
そうなんです。
初めて訪れる人は皆ビックリしてます。
お姉さん達の悲鳴のような嘆きに、これまで何度聞いた事かと笑いを堪えながら上りホームに向かった。3両編成の大原鉄道で私は東川高校へ通学している。大原鉄道は終点の大原山駅から大井駅、私がいつも利用する田原駅、そして原川と東川の駅を通って東川高校前駅へ。
同級生10人のうち半分は中学卒業とともに地元を離れた。寮のある高校や都市部に住む兄姉親戚を頼っての進学。居残り組は揃って東川高校に入学した。
電車は出発すると原川の橋を渡り、東川も越えて高校駅まで揺られること20分。カタンカタンと自然の中に消えてゆく電車の音色も、川が爽々と流れる風景も、何処までも続く緑の景色も、私は大好きなのだけれど。
今年は3年生。受験もあって別れの時がやがて待っていると思うと……寂しさもあって最近は一層大切な光景に思える。
東川高校駅前にはコンビニと小さな定食屋さんがある。あと3駅進むと起点のJR駅なので、次の西堀駅とその先の北野駅はもっと町が栄えていると聞く。私は通学する以外にはめったに電車は乗らないので土地勘がないけれど。
東川高校の生徒大半は上り方面から通学してくるので、私と同じ田原中の同級生が5人、原川中と東川中出身を合わせても下り方面の生徒は少ない方だ。
駅から徒歩15分で校門をくぐると花壇を見渡し観賞してから3年2組の教室へ。小中から仲良しの若菜と柚子の登校を待つ。
平凡で平穏な高校生活だと思う。授業が楽しい訳でもなく親友といる時間が大事。
主な学校での目的は部活動。放課後、別校舎の作業棟へ。そこは築50年以上の立派な総檜造りで、中の美術室は私のもう一つの大切なもの。
残念ながら一人の部活動で美術の専任もいない。でも趣のある教室も画材も独占出来て、絵の為に学校に行くのを楽しみにしているような……不順な生徒だ、私は。
美術室の入口まで来ると足が急停止。扉が開けっ放しになっている。昨日退室する時にはきちんと閉めたはずなのに。不思議に思いながらゆっくり足を教室に踏み入れて、探り探り……突然視界に動くものが飛び込んでくる。
「ひっ!? ……あぁ」
モンシロチョウ。
ひらひらと開いた窓から迷い込んできた。今日は4月の終わりにしては特別暑いから、強い陽射しから逃げてきたんだろう。蝶はアップダウンを繰り返しふらふらしているようにも思える。
窓枠の中は日光がいっぱいだけれど教室の窓際は日陰でコントラストが強く、白い羽ばたきは青くも見えてなんとも……儚げな美しさを感じてうっとりと見惚れ―――!?
何か、ある。
テーブルが3列ずつ9台とそれぞれに椅子が4脚。作業台が美術室に並んでいるのだが。……2列目の窓際の席。私がいつも絵を描く場所に、見覚えのない茶色の長ソファが置いてある。
モンシロチョウはそのソファの上を暫く舞って窓から出ていった。
……予感。いる、そこに感じる。
私は背負ったリュックの肩掛けを両手で握り締め、恐る恐る足音を立てないように近づく。ソファの背もたれでその奥が見えない。近寄る程に高鳴る胸の音は、そこに横たわった人影を見つけて全身を震え上がらせた。
「わっ!?」
咄嗟に口を両手で塞いだけれど驚いた声と心音は元に戻らない。同時に見開いた両目は、その人物像の青色に一瞬で釘付けになった。
綺麗な髪色……
青い髪なんて初めて見る……
ソファに仰向けで寝ている男子。その人の頭が私側に向いていたので青髪がすぐ目についた。髪を部分的に青色のメッシュにしている。
青……紺……違う。
……紫っぽい濃い青色。
そう、瑠璃だ。例えるなら瑠璃色。
静かで落ち着いた感じ、それでいて燦びやかな発色で艶もある。
息を潜めてそおっと近付いて見る。
つい物珍しくその美しい青色に魅入ってしまう。塞いだ両手から感嘆の声がもれそう。
ちょっと惹き込まれすぎた、かもしれない。
その知らない男子の頭に覆い被さるように眺めていたら、瞼にかかっていた長めの瑠璃髪の間から突然白眼がパッと開く。
「きゃっ!?」「なっ!?」
瞳も青っ―――ゴチンッ!!
次の瞬間には鈍い音がして頭に響き渡った。
覗き込んでいた私のおでこと咄嗟に起き上がった男子のおでこがぶつかったのだ。
「ったぁーっ」男子のうめき声を耳にした時、ぎゅっとした目の奥では火花が散っていた。急いでおでこを擦って痛みを逃す。
「い"て~。誰? あぁ、美術部……」
私がチカチカした目で男子を見ると、同じようにおでこを擦ってソファに大股開きで座りしかめっ面で見られていた。
「びっくりしたぁ。襲われるのかと思った」
「ち、違っ! か、髪の色が綺麗だなって……」
男子の仰天発言にこっちがびっくりして目が飛び出るかと思った。
「あ、これ? カラーモデルってやつ。
いつも世話になってる美容師がやってくれたの。ブルーのカラコンも入れてカッコつけて写真撮ってもらった。今、青いのが流行ってるんだって」
「へぇ……」
瑠璃色の髪にブルーの瞳、顔面蒼白気味。白のYシャツの下にはインディコブルーのTシャツが見え、うちの制服紺青色のズボン。
彼の纏う青色が全て調和している……まるで夏の真っ青な空のような感じ。
「でも、青色ってすぐとれちゃうらしい。
日本人の髪質だと染まり難いんだって。
今日シャンプーしたら色落ちするから、綺麗な青も今だけ」
私は彼の青色の解説に何度も頷いて納得していた。『一瞬の輝き』『儚い美しさ』だからこそ『綺麗』と感動するし強く惹かれるものだ。それはめったにない奇跡かもしれないから。その瞬間を目に焼き付け、描いて残したいと思うしそうしてきた。
今だけと言う彼の瑠璃色をまた私は目を凝らして見つめてしまっていた。
「あのさぁ、
夢中になると周り見えなくなるタイプ?」
「へ?」
彼が少し顔を上げると、またグルンと澄んだ青色の瞳がすぐそこにあった。
「っ……!」
勢いよく体をのけ反ると揺れた私の毛先が彼の頬をかすめる。擽ったそうに両目を閉じて、蒼白だった彼の頬が桜色に染まった。
ドクン。
私の体は大きく波打って足がもたつき……
後ろによろける―――!?
目の前から伸びてきた手に手首を掴まれ引っ張られる。反動を利用した彼の力に誘導されて、私はソファにお尻からストンと落ちて少しポヨンと弾む。
同時に私の心に星屑が落っこちてきて、キランッと跳ねた感じがした。
……なんだか急に恥ずかしい!
それにドキドキして落ち着かない!
なのに隣に座る彼は、平然とポケットからスマホを取り出して触りながら喋り出す。
「いいとこ独り占めしてんね。
イイでしょ? このソファ?
隣の物置から引きずってきたの。あーやべ、寝すぎたなぁ。
これから部活? 絵、描くの?」
私の方を見るのでコクンと返事した。
「描いた絵が全部入賞するんだって? 独学で凄いよね」
スマホを離すと背もたれに肘をつき片膝を座面に乗せて彼はこちらを向いた。
さっきから私を知ってる風に話すけれど、私は彼をちっとも知らない。上履きの色からして同学年らしいが理系の1組か大学志望のA組?
今更顔と名前が一致しない同級生とか珍しい。段々私の首は傾き眉間が狭まると察した彼が回答をくれた。
「純平に聞いたんだよ。
部活紹介で壇上に出たろ? ぼっちの部活ってウケてたら、純平が名字同じで近所って」
純平は幼馴染でお調子者だからベラベラ話したんだろうと推測した。ずっと同中は皆一緒のクラスだったけど、純平だけ3年時に受験科目の都合で理系に移ったのだ。
ついでにこの彼も理系1組の在席だと回答に含まれていた。
「それで名字が大井タハラじゃなくてタワラだってね。別に大井町と田原町があって大原山もあるんでしょ? この辺の地名も名字もめちゃややこしいな。……で下の名前なんだっけ?」
「……真白」
「大井田原まひろ、な。覚えたっ」
彼は満足気に頬を上げた。
しっかり目を見て話をする人。私をその青髪の奥から直視で捕まえている。浴びる視線がくすぐったいけれど……負けじと私も観察して彼を脳裏にスケッチしてみる。
二重で睫毛は長く涙袋に薄っすらクマ。鼻筋は通っていて顎のラインは角々しくなくて滑らか。首は細めで華奢だけれど、喉元に鎖骨そして大きな手は骨張って男子らしく……髪もキメているから非常に整ったモデル像だ。
「じゃあ俺行くわ。一応登校したから出席交渉すっかな」
目先の美術モデルは床に置いてあったリュックを掴むとスタスタ去ろうとする。
「え? ちょ、このソファは!?」
「置いといて。いつも応接室で寝てたんだけど校長にバレちゃって。また寝に来るから」
いろいろ問題点が気になるけど、肝心な回答をまだ得ていない。
「あの、名前!」
「……3年1組、神崎 葵」
「アオイ!?」
最後に見せた振り向きざまの不敵な笑みは、ちょっぴり眩しくて私は何度も目をパチパチさせる。静かになった美術室に私の心臓の音だけが響いて、弾んだ振動がなかなか静まらない。
いつもと違う、新しい感覚が駆け巡って……ムズムズする手はその日絵を描くことができなかった。
可憐でいて力強いその羽ばたきは、しろとあおの美しい飛跡が描く、夢色の世界。
白と青、黄色に緑、橙橙と桜色も。くっついたり離れたり、まるで彩雲のように色煙みたいに……ふわり、ゆらり。漂って揺らめいては、海に浮かぶように、風に吹かれるみたいに。
そう、私は夢で……いろいろな『色』をいつも見ていた―――。
部屋の窓から射し込む朝光が、まだ夢の中にいる私の瞼の裏をすうっと照らす。夢色は朝を感じると何処か遠くの方へ流れていってしまって……それが目覚めの合図。ゆっくり目を開けて瞬きをすれば、ベットの真上の白い天井が映る。
一日の始まりにするのは……
天井を白いキャンバスに見立てて絵を描く想像をすること。漢字の練習する空書きの真似をして私があみ出した天描き。
今日は何を描こうかな?
覚醒した私の脳はもう早く絵を想像したくて仕方がない。下絵を書く時はいつも青線で。
サッ、シュッ、ササッ。トン、スーゥッ。
直線と曲線と幾つも繋ぎ合わせれば、白い平面に輪郭が浮き上がってきて、徐々に立体へと形作る。
現れたのは、「モンシロチョウ」
……パタパタパタ、ふらりふらり。
青白く美しい飛跡に魅せられ……何か……頭の奥の方で燦めくような、予感がした。
しろとあおの―――?
温かくて切くて……
掌で包みたいのに消えてしまう……
真白いクオリアを……
アオのしろいクオリアを、もう一度―――。
☆☆☆
「真白! 空! 行くぞー」
「はーい」
「ちょっと待ってぇ」
父の声で朝の家が騒がしくなる。見送る母は介護士の仕事をしていて、今日は夜勤だから弟にあれこれ小言が多い。
毎朝父が通勤がてら車で私達を送ってくれる。隣町の田原小中学校に到着すると、助手席の空が「行ってきまぁす!」と元気に飛び出して行った。小学5年生になった弟は身長154cm、ついに追い付かれてしまった。
父の運転は更に15分かけて田原駅へ。
私達が暮らすのは大原山の麓にある大井町で、お隣が学校のある田原町。家の名字も地名からついたと教わったし、本家や分家と同じ名字の家がたくさん。山に近いので自然が豊かで長閑な田舎だ。バス停も駅も遠いしお洒落な店もないけれど、ずっとここで17年育った……私はとても気に入っている。
新緑の暦月へと移りゆく頃。朝の陽射しは増々強くなって、若葉があちらこちらで元気に育っている。景色を眺めていると車窓から入る風がいたずらに髪で遊ぶ。鬱陶しくなった前髪を横に流して、鎖骨辺りまで伸びた毛先を押さえる。今度母に頼んで美容室に車で連れて行って貰わなくては。
駅前に車が着くと私は「行ってきます」を言いながらすぐ降車して、「気をつけて」と車の中から私に声をかけ仕事先へ出発した父を見送る。
父の車のバックライト横には青色のステッカー。白の四葉マークが描かれた身体障害者の標識が付いている。
父は左足が麻痺して動かない。私が小学生になってすぐ、仕事中機械に足を挟まれ大怪我を負った。長期入院の後に障害者雇用で今の仕事に就いたのだ。
父はその足を見せようとはしない。私の記憶にある父の足はとても痛々しく肌の色を失っている。忘れられない悲しい色が足に刻印されているんだ。
今日も無事に会社に着きますように……。
父の車が遠くなって見えなくなるまで祈る。それからいつも駅の階段を上がり電車に乗るのだけれど、今日は珍しくキャリーを抱えたお姉さん達とすれ違う。
「うわっ、超ど田舎!」
「ええ~!? コンビニないよ!?」
そうなんです。
初めて訪れる人は皆ビックリしてます。
お姉さん達の悲鳴のような嘆きに、これまで何度聞いた事かと笑いを堪えながら上りホームに向かった。3両編成の大原鉄道で私は東川高校へ通学している。大原鉄道は終点の大原山駅から大井駅、私がいつも利用する田原駅、そして原川と東川の駅を通って東川高校前駅へ。
同級生10人のうち半分は中学卒業とともに地元を離れた。寮のある高校や都市部に住む兄姉親戚を頼っての進学。居残り組は揃って東川高校に入学した。
電車は出発すると原川の橋を渡り、東川も越えて高校駅まで揺られること20分。カタンカタンと自然の中に消えてゆく電車の音色も、川が爽々と流れる風景も、何処までも続く緑の景色も、私は大好きなのだけれど。
今年は3年生。受験もあって別れの時がやがて待っていると思うと……寂しさもあって最近は一層大切な光景に思える。
東川高校駅前にはコンビニと小さな定食屋さんがある。あと3駅進むと起点のJR駅なので、次の西堀駅とその先の北野駅はもっと町が栄えていると聞く。私は通学する以外にはめったに電車は乗らないので土地勘がないけれど。
東川高校の生徒大半は上り方面から通学してくるので、私と同じ田原中の同級生が5人、原川中と東川中出身を合わせても下り方面の生徒は少ない方だ。
駅から徒歩15分で校門をくぐると花壇を見渡し観賞してから3年2組の教室へ。小中から仲良しの若菜と柚子の登校を待つ。
平凡で平穏な高校生活だと思う。授業が楽しい訳でもなく親友といる時間が大事。
主な学校での目的は部活動。放課後、別校舎の作業棟へ。そこは築50年以上の立派な総檜造りで、中の美術室は私のもう一つの大切なもの。
残念ながら一人の部活動で美術の専任もいない。でも趣のある教室も画材も独占出来て、絵の為に学校に行くのを楽しみにしているような……不順な生徒だ、私は。
美術室の入口まで来ると足が急停止。扉が開けっ放しになっている。昨日退室する時にはきちんと閉めたはずなのに。不思議に思いながらゆっくり足を教室に踏み入れて、探り探り……突然視界に動くものが飛び込んでくる。
「ひっ!? ……あぁ」
モンシロチョウ。
ひらひらと開いた窓から迷い込んできた。今日は4月の終わりにしては特別暑いから、強い陽射しから逃げてきたんだろう。蝶はアップダウンを繰り返しふらふらしているようにも思える。
窓枠の中は日光がいっぱいだけれど教室の窓際は日陰でコントラストが強く、白い羽ばたきは青くも見えてなんとも……儚げな美しさを感じてうっとりと見惚れ―――!?
何か、ある。
テーブルが3列ずつ9台とそれぞれに椅子が4脚。作業台が美術室に並んでいるのだが。……2列目の窓際の席。私がいつも絵を描く場所に、見覚えのない茶色の長ソファが置いてある。
モンシロチョウはそのソファの上を暫く舞って窓から出ていった。
……予感。いる、そこに感じる。
私は背負ったリュックの肩掛けを両手で握り締め、恐る恐る足音を立てないように近づく。ソファの背もたれでその奥が見えない。近寄る程に高鳴る胸の音は、そこに横たわった人影を見つけて全身を震え上がらせた。
「わっ!?」
咄嗟に口を両手で塞いだけれど驚いた声と心音は元に戻らない。同時に見開いた両目は、その人物像の青色に一瞬で釘付けになった。
綺麗な髪色……
青い髪なんて初めて見る……
ソファに仰向けで寝ている男子。その人の頭が私側に向いていたので青髪がすぐ目についた。髪を部分的に青色のメッシュにしている。
青……紺……違う。
……紫っぽい濃い青色。
そう、瑠璃だ。例えるなら瑠璃色。
静かで落ち着いた感じ、それでいて燦びやかな発色で艶もある。
息を潜めてそおっと近付いて見る。
つい物珍しくその美しい青色に魅入ってしまう。塞いだ両手から感嘆の声がもれそう。
ちょっと惹き込まれすぎた、かもしれない。
その知らない男子の頭に覆い被さるように眺めていたら、瞼にかかっていた長めの瑠璃髪の間から突然白眼がパッと開く。
「きゃっ!?」「なっ!?」
瞳も青っ―――ゴチンッ!!
次の瞬間には鈍い音がして頭に響き渡った。
覗き込んでいた私のおでこと咄嗟に起き上がった男子のおでこがぶつかったのだ。
「ったぁーっ」男子のうめき声を耳にした時、ぎゅっとした目の奥では火花が散っていた。急いでおでこを擦って痛みを逃す。
「い"て~。誰? あぁ、美術部……」
私がチカチカした目で男子を見ると、同じようにおでこを擦ってソファに大股開きで座りしかめっ面で見られていた。
「びっくりしたぁ。襲われるのかと思った」
「ち、違っ! か、髪の色が綺麗だなって……」
男子の仰天発言にこっちがびっくりして目が飛び出るかと思った。
「あ、これ? カラーモデルってやつ。
いつも世話になってる美容師がやってくれたの。ブルーのカラコンも入れてカッコつけて写真撮ってもらった。今、青いのが流行ってるんだって」
「へぇ……」
瑠璃色の髪にブルーの瞳、顔面蒼白気味。白のYシャツの下にはインディコブルーのTシャツが見え、うちの制服紺青色のズボン。
彼の纏う青色が全て調和している……まるで夏の真っ青な空のような感じ。
「でも、青色ってすぐとれちゃうらしい。
日本人の髪質だと染まり難いんだって。
今日シャンプーしたら色落ちするから、綺麗な青も今だけ」
私は彼の青色の解説に何度も頷いて納得していた。『一瞬の輝き』『儚い美しさ』だからこそ『綺麗』と感動するし強く惹かれるものだ。それはめったにない奇跡かもしれないから。その瞬間を目に焼き付け、描いて残したいと思うしそうしてきた。
今だけと言う彼の瑠璃色をまた私は目を凝らして見つめてしまっていた。
「あのさぁ、
夢中になると周り見えなくなるタイプ?」
「へ?」
彼が少し顔を上げると、またグルンと澄んだ青色の瞳がすぐそこにあった。
「っ……!」
勢いよく体をのけ反ると揺れた私の毛先が彼の頬をかすめる。擽ったそうに両目を閉じて、蒼白だった彼の頬が桜色に染まった。
ドクン。
私の体は大きく波打って足がもたつき……
後ろによろける―――!?
目の前から伸びてきた手に手首を掴まれ引っ張られる。反動を利用した彼の力に誘導されて、私はソファにお尻からストンと落ちて少しポヨンと弾む。
同時に私の心に星屑が落っこちてきて、キランッと跳ねた感じがした。
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それにドキドキして落ち着かない!
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「いいとこ独り占めしてんね。
イイでしょ? このソファ?
隣の物置から引きずってきたの。あーやべ、寝すぎたなぁ。
これから部活? 絵、描くの?」
私の方を見るのでコクンと返事した。
「描いた絵が全部入賞するんだって? 独学で凄いよね」
スマホを離すと背もたれに肘をつき片膝を座面に乗せて彼はこちらを向いた。
さっきから私を知ってる風に話すけれど、私は彼をちっとも知らない。上履きの色からして同学年らしいが理系の1組か大学志望のA組?
今更顔と名前が一致しない同級生とか珍しい。段々私の首は傾き眉間が狭まると察した彼が回答をくれた。
「純平に聞いたんだよ。
部活紹介で壇上に出たろ? ぼっちの部活ってウケてたら、純平が名字同じで近所って」
純平は幼馴染でお調子者だからベラベラ話したんだろうと推測した。ずっと同中は皆一緒のクラスだったけど、純平だけ3年時に受験科目の都合で理系に移ったのだ。
ついでにこの彼も理系1組の在席だと回答に含まれていた。
「それで名字が大井タハラじゃなくてタワラだってね。別に大井町と田原町があって大原山もあるんでしょ? この辺の地名も名字もめちゃややこしいな。……で下の名前なんだっけ?」
「……真白」
「大井田原まひろ、な。覚えたっ」
彼は満足気に頬を上げた。
しっかり目を見て話をする人。私をその青髪の奥から直視で捕まえている。浴びる視線がくすぐったいけれど……負けじと私も観察して彼を脳裏にスケッチしてみる。
二重で睫毛は長く涙袋に薄っすらクマ。鼻筋は通っていて顎のラインは角々しくなくて滑らか。首は細めで華奢だけれど、喉元に鎖骨そして大きな手は骨張って男子らしく……髪もキメているから非常に整ったモデル像だ。
「じゃあ俺行くわ。一応登校したから出席交渉すっかな」
目先の美術モデルは床に置いてあったリュックを掴むとスタスタ去ろうとする。
「え? ちょ、このソファは!?」
「置いといて。いつも応接室で寝てたんだけど校長にバレちゃって。また寝に来るから」
いろいろ問題点が気になるけど、肝心な回答をまだ得ていない。
「あの、名前!」
「……3年1組、神崎 葵」
「アオイ!?」
最後に見せた振り向きざまの不敵な笑みは、ちょっぴり眩しくて私は何度も目をパチパチさせる。静かになった美術室に私の心臓の音だけが響いて、弾んだ振動がなかなか静まらない。
いつもと違う、新しい感覚が駆け巡って……ムズムズする手はその日絵を描くことができなかった。
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「かわいい、ちとせ」
溺れる日はすぐそこかもしれない
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