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第四話 これは、臆病な恋の話

これは、臆病な恋の話(1)

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「次回は申し訳ないのですが、学会のため休講です」

 蓮は口元からマイクを離した。
 九十分間マイクに向かって話し続けたせいか、緊張と疲労に身体が火照っているのが分かる。

 椅子に置いていたペットボトルに口をつけて、それからゆっくりと離したのは唇の熱を意識してしまったからだ。どうしても思い起こしてしまうのだ。

 顔の横には梗一郎の力強い両の腕。
 胸にほどよい重みを感じたのは、体重をかけないように梗一郎が自身の腕で身体を支えてくれていたからだろう。

 目の前には端正な顔が迫り、薄茶色の眼差しに吸い込まれそうになったっけ。
 近付く唇を思い出せば、心臓が喉元にせり上がってくるようで。

「なんでだろう……?」

 なんで小野くんは自分なんかにキスをしたんだろうと、浮かぶのは疑問と戸惑いばかり。

「イケナイ、イケナイ」

 日本史BL検定対策講座講師・花咲蓮はぶんぶんと首を振った。

 ──俺は大人だぞ。あんなことで狼狽えてなるものか。チュウくらい経験があるんだからな。

 そう、たしか初めてのチュウは幼稚園のときだった。

 女の子に鞄と靴を奪われ、返してと追いかけたのだ。その子のスモックの裾をつまんだところで転んでしまって口と口が当たったんだっけ。
 ギャン泣きされ、先生と親からさんざん怒られた記憶が……。

 ──えっ、アレが初チュウ?

 自分の初めてが、思っていた以上に悲惨なものだったことを思い出して蓮は狼狽えた。
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