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「ユズハ様は小さい頃、アサギ様の匂いが分かる、とおっしゃってましたよね」
 その言葉にユズハは頷いた。今でもアサギがこの部屋に近づくとはっきりと分かる。強いアルファだから、きっとフェロモンも濃いのだろうと思っていたが、ナギサの言い方だと少し違うようだ。
「普通、アルファだからといって、自分からフェロモンを出そうとしない限り、オメガでも香りは感じません。でも、運命の番だけは、お互いに感じ取れるそうですよ。アサギ様とユズハ様は互いにそれを感じ取られていたので、やはり、と思ったのです」
「アサギも、すぐにユズハの居場所を突き止めていたからな。まあ、あれは少し執着もあったのだろうが」
 アサギも自分の香りを小さい頃から感じていたと聞いて、なんだか少し納得した。だからいつも自分が遊んでいるところにアサギが現れたのだろう。広い宮廷のどこに居ても、アサギは必ず会いに来た。偶然だと思っていたことは、そうではなかったのだ。
「それ……本当だといいな」
 ユズハが長い髪を手で束ね、ナギサに項を晒す。後ろでナギサの、え、という声が聞こえ、ユズハは小さく笑った。
「番になったか……アサギと」
 ギンシュの言葉に髪を戻したユズハが頷く。
「それに……子どももいます」
 ユズハが自分の腹にそっと触れる。ナギサが更に驚いて、少し泣きそうな表情でこちらを見つめた。
「……無理矢理ではないのですね? ヒートのせいで、とかそんなものではないんですね?」
 やはり心配なのはそこらしい。ユズハは深く頷いた。それから口を開く。
「でも……本当にこのままでいいのか、不安なんだ。アサギと家族になるのは嬉しい。でも、王妃とか考えられないし、あの場所に戻るのは怖い。この子を産むことも……おれのようにしてしまうなら、いっそ産まない方がとも、考えるんだ」
 宮廷の中は、この娼館のようにどこか浮世離れしていた。外では段々とオメガ差別も減ってきてはいると聞くけれど、きっとあの中は何も変わっていないだろう。アルファがベータを使役し、オメガは汚物扱いのあの場所が変わっているとは思えない。
「お気持ちは分かります。あの場所はまだ、全てが平等ではありません。でも、アサギ様なら、ユズハ様を幸せにしてくださると思いますよ」
「ユズハが怖いというのも仕方ない事だろう。今でも、王族の中には選民思想を持つ者もいる。でも、アサギの兄として、ユズハに頼みたい。どうか、弟の傍にいてやってくれないだろうか」
 ナギサに続けて言葉にしたギンシュが頭を下げる。ユズハは慌てて、顔を上げてください、とギンシュににじり寄った。
「傍には居たいんです。でも……」
 いっそ、ギンシュとナギサのように逃げてしまえたら、とは思う。けれど、アサギにそのつもりはないのだろう。そう考えると、ユズハの思考はいつも袋小路の中へと入ってしまう。
 その時、背後から、いいな、という小さな声が聞こえた。ユズハが振り返ると、ナギサが切ない表情でこちらを見ていた。
「正直、ユズハ様が羨ましいです。私はベータです。ギンシュ様を愛しても、どんなに愛されても、その証が私に宿ることはないのです。だからこそ、こうしてギンシュ様を玉座から下ろさせてしまった……後悔はしていませんが、やはり、もしオメガなら、と考えてしまいます」
 私にはできないことだから、とナギサが弱く微笑む。そんなナギサを見て、ギンシュが、おいで、とナギサを呼ぶ。ナギサは素直に立ち上がり、ギンシュの傍に寄った。ギンシュがナギサを抱き寄せる。
「私にとって、お前が唯一で最優先なのだよ。お前の傍に居られるなら、国王などならずともよい」
「ギンシュ様」
 こちらまで熱くなってしまいそうな、濃厚な告白と抱擁を見ていたユズハは、二人の世界に入ってしまったな、とちょっと冷静に思いながらも、頭のどこかでアサギを思い出していた。
 アサギに会いたい――そう思ってしまうのは、きっとユズハの気持ちが既にアサギのものだからだろう。
「ねえ、ナギサもギンシュさまも、仲がいいのは分かったから、もう行った方がいいよ。長居はまずいんじゃない?」
 逃避行中なんでしょ、とユズハが笑う。すると、すぐそこにユズハがいることを思い出したらしいナギサが慌ててギンシュから離れた。ギンシュが名残惜しそうにナギサを見上げる。
「そうですね、そうしましょう、ギンシュ様。ユズハ様……落ち着いたら、必ずまたご連絡します。確かに辛いことも戸惑うこともあると思います。でもきっとアサギ様が幸せにしてくださいますから、どうか、元気なお子様を産んでくださいね」
 ナギサがこちらに両腕を伸ばす。ユズハはそれに掴まって立ち上がり、ナギサの優しい胸の中に収まった。
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