うちの鬼上司が僕だけに甘い理由(わけ)2

藤吉めぐみ

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『マンション前に着いたから出ておいで』というメッセージは克彦からのものだった。匠がそれを見て立ち上がる。
「明彦、克彦来てくれたみたい」
 もう行くね、と言いながら匠は持っていたカップを明彦に差し出す。明彦はそれを受け取ってテーブルに置いてから立ち上がり、頷いた。
「早く来てくれて良かったね」
 明彦の言葉に匠が大きく頷く。それから玄関に向かい、靴を履くと、そのままドアを開けた。
「じゃあ、ありがと、明彦」
「うん。今度は普通に遊びに来て」
「あはは、ごめん。今度はちゃんと手土産持って来るよ」
 匠はそう答え、玄関ドアを閉めた。短い廊下を歩き、階段を降りようとしたその時だった。こちらに上がってくる人影を見て、匠は思わず、あ、と声を出してしまう。
「え……あれ? 子猫ちゃん」
 匠の声で顔を上げたその人は伊賀だった。いつもの笑顔で伊賀が、偶然だね、と言う。
「ここに住んでたりするの?」
「いえ、友達の家があって……」
 匠がそう答えると、後ろから足音が聞こえた。それに気づいて匠が振り返る。駆け寄ってきたのは明彦だった。
「匠くん、ごめん。服、渡すの忘れてた」
 紙袋に入った匠の服を差し出し、明彦が、ごめん、ともう一度言う。匠はそれに首を振った。
「いや、こっちこそ、洗濯までさせちゃってごめん」
 匠が服を受け取ると、それまで見ているだけだった伊賀が、へえ、と口の端を引き上げた。
「服汚して脱ぐような相手居るんだ」
「え、あ、いや、明彦は友達です。服は汚したわけではなくて……」
「いや、そんな否定しなくても。子猫ちゃんだって、ホントは子猫じゃないもんね。そういう『友達』がいても不思議じゃないよ」
「いや、ですから違うんです!」
 匠が真っ赤になって否定するが、伊賀は、大丈夫、とだけ言って微笑んだ。
「オレ、ここに住んでるんだ。また会えるかもね」
 じゃあね、と伊賀は階段を上がっていった。その後ろ姿を見送ってから、匠がため息を吐く。
「……なんか、めちゃくちゃな誤解された……」
「うん、そうみたい……でも、男同士とか偏見ないっていうか……むしろ、自分もそっち、みたいな感じだったね」
 知り合い? と明彦に聞かれ、匠が頷く。
「今担当してる現場の大工さんで……俺のこと、全然名前で呼んでくれないんだよ」
 あんなあだ名嫌なのに、と言うと明彦は、それは、と急に真剣な顔をする。
「気を付けた方がいいよ」
「うん、そうだね」
 匠が頷くと明彦は、兄さん待ってるよ、と優しい表情になった。
「うん。じゃあ、ホントに今度は手土産持って来るから!」
 匠がそう言って階段を降り始める。明彦はそれに笑って、美味しい酒がいいな、と匠に手を振った。
 そんな言葉に見送られ、エントランスまで降りてきた匠は、その目の前に止まっている克彦の車を見つけ、駆け寄った。滑り込むように助手席に乗り込むと、克彦が、おかえり、と微笑む。
「遠いコンビニだったな」
「うん……まさか香月さんに会うなんて……」
「私も予想外だった」
 そう言いながら克彦が車を走らせる。その隣で匠が不機嫌な表情で、でもさ、と口を開いた。
「ちょっと、克彦に会いに来すぎじゃない? この間の資料も今日も、全部オンラインで済むことなのに、わざわざ家まで来て……もしかして、香月さん……」
 匠が言うと、克彦は困った様に眉を下げた。
「確かに匠の言う通りだ。ちょっと同僚という間柄であんなに家を訪ねられても困る。でも、例え香月がまだ私に気持ちを残しているとしても、私の気持ちは匠が一番よく知ってるだろう?」
 克彦がちらりとこちらに視線を向ける。匠はその目に少し照れて頷いた。
「……克彦は世界一俺の事が好きだもんね」
「正解だ」
 花丸をやろう、と克彦が笑う。匠も同じように笑うことで、ふわりと温かい気持ちになった。
「でも、こう頻繁に来られると、正直怖い。俺の逃げ場も限られてるし……ってか、明彦のところもあまり来れなくなりそうなんだよ」
 匠が言うと克彦が、え、と驚く。
「明彦にも彼女が出来たか?」
「あ、いや。そうじゃないみたいなんだけど……この間会った、伊賀さんがあそこに住んでるみたいで。あんまりエンカウントしたくないなって……」
 匠が言うと、克彦の表情が険しくなる。あんな出会い方をしたから、克彦の伊賀への感情はあまりいいものではない。
 逆の立場だったら、匠だっていい印象は持たないだろう。
「それは、確かに。万が一捕まって、部屋に引きずり込まれたら困るしな。もしも明彦のところへ行く事があったら駅まで迎えに来てもらうといい。それか私が一緒に行こう」
 それがいい、と克彦が一人で頷く。それを聞いて匠は、くすりと笑った。
「過保護だよ。子どもじゃないんだから」
「そうは言っても心配だからな。いっそのこと、香月に匠との関係を話すか」
「それは……待とうよ」
 どうしても匠には最悪の展開しか想像できないのだ。よほど不安な顔をしてしまったのだろう。横から克彦の手が伸びて、そっと匠の頭を撫でていく。
「何度でも言うよ。私が一番大事にしているのは匠だ。他に何を失っても、匠が傍に居るならそれで幸せなんだ」
 覚えておいて、と言われ、匠が頷く。
 克彦の言葉が嬉しくて泣きそうになるのに、やはり心のどこかでは不安が渦を巻いていた。
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