1 / 45
1-1
しおりを挟むその日、澤下壱月は王子様に恋をした。
高校三年の春、始業式の日だというのに、その日の壱月は朝からついてなかった。スマホのアラームのセットを忘れて寝坊したせいでコンタクトを入れる暇もなく、飛び乗ったバスは環状逆周り。なんとか学校まで着いたはいいけれど、遅刻寸前。しかも家にあった度の合わない眼鏡では視界はぼやけていて、走っていた廊下で同級生の背中に追突して転倒――かっこ悪いにも程がある。
「いってぇ……」
勢いよく走っていたせいで多分今、自分は確実に一回転はした、と思いながら壁にぶつけた頭を抱える。子どもみたいに激しく転んだ壱月の姿に、周りからは嘲笑が聞こえていた。何あれ、すごい音したけど、と笑われているのが分かり、壱月は恥ずかしさで起き上がることが出来なかった。
壱月は普段こんなふうに誰かから注目を浴びるような生徒ではない。誰かに見られているというだけでも緊張するのに、それがこんな失態のせいだなんて、余計に動くことができなかった。
このまま死にたい、と思っていると、頭上から、ねえ、と声が聞こえた。
「だいじょぶ? お前。怪我ない?」
優しい声に誘われ、倒れこんだ廊下から見上げると窓からの光のせいか、とても眩しくて、壱月は思わず目を細めた。
けれど眩しいのは太陽なんかではなくて、王子様だった。長身で、間近で見る顔はぼやける視界でも整っていると分かる。彼の周りからは、目を眇めたくなるほどの光が溢れているように見えた。
キラキラのその光に惹かれるように、壱月は廊下についていた手を差し出した。力強い手に引き起こされ壱月は立ち上がる。そこで初めて、彼は王子様ではなくて、今背中に思い切りぶつかってしまった同級生だと気づいた。
「しっかし派手にこけたな。眼鏡、あっち飛んでった」
彼は笑って遠くを指差す。確かに遠くに自分のダサい黒ぶち眼鏡が転がっている。
「ごめん……君は、怪我してない?」
「俺は別に。それより自分の心配しろよ」
「あ、うん……ホント、平気だから……」
ありがとう、と壱月が眼鏡を拾うと彼は、そう? と歩き出した。そして立ち止まって振り返り、笑顔を向ける。
「お前、眼鏡ない方が可愛いと思うよ」
――落ちた、と思った。
心臓がばくばくと激しく音を立てて、視線は彼の背中から離れようとしない。壱月は、この時初めて一目惚れというものに遭遇したのだった。
その恋が、地獄の入り口だとは、この時の壱月は知りもしなかった。
「ただいま……って、今日もか……」
壱月が恋に落ちたあの日から四年の月日が経っていた。
大学、自宅、バイトの往復にも大分慣れた、大学三年の秋のある日、壱月はいつものように自宅アパートの鍵を開けた。
開いたドアの向こうのタタキに、脱ぎ散らかされたブーツと、揃えられたパンプスが見える。壱月はそれにため息を吐きながらブーツを揃え、自分も靴を脱いだ。
今、壱月はあの日恋をした王子――宮村楽とルームシェアをしている。
あえてもう一度言うが、これはルームシェアであり、同棲ではない。つまり、壱月の恋は、一方通行、それも限りなく報われないもののままだ。
玄関からは短い廊下が続いている。その突き当たりにあるリビングに向かいながら、廊下にあるひとつのドアを三回ノックした。反応がないのは分かっている。
その部屋は楽の自室で、今は彼女と甘い時間を過ごしているのだろう。楽が、恋人なのか遊びなのかわからないが、こうして女の子を連れ込むのは日常だった。
こうやって「ただいま」の合図をするのも、数え切れない。その度に鈍い痛みが壱月を襲うのも数える気にもならなかった。
自分でもバカだと思う。こんなに長い間彼を想い続けるなんて、どこか頭のネジが飛んでいるのかもしれない。
壱月は持ち帰った弁当をレンジで温めながらスマホを操作し、音楽を再生する。ヘッドフォンから流れ出す音楽が、静寂の向こうから聞こえる楽しそうな声から壱月を庇ってくれるように耳元で鳴り響きだした。どんなに回数を重ねたって、楽が誰かと特別な時間を過ごしているという音だけは聞きたくなくて、壱月はいつもこうしていた。
26
あなたにおすすめの小説
なぜかピアス男子に溺愛される話
光野凜
BL
夏希はある夜、ピアスバチバチのダウナー系、零と出会うが、翌日クラスに転校してきたのはピアスを外した優しい彼――なんと同一人物だった!
「夏希、俺のこと好きになってよ――」
突然のキスと真剣な告白に、夏希の胸は熱く乱れる。けれど、素直になれない自分に戸惑い、零のギャップに振り回される日々。
ピュア×ギャップにきゅんが止まらない、ドキドキ青春BL!
完結|好きから一番遠いはずだった
七角@書籍化進行中!
BL
大学生の石田陽は、石ころみたいな自分に自信がない。酒の力を借りて恋愛のきっかけをつかもうと意気込む。
しかしサークル歴代最高イケメン・星川叶斗が邪魔してくる。恋愛なんて簡単そうなこの後輩、ずるいし、好きじゃない。
なのにあれこれ世話を焼かれる。いや利用されてるだけだ。恋愛相手として最も遠い後輩に、勘違いしない。
…はずだった。
【完結】腹黒王子と俺が″偽装カップル″を演じることになりました。
Y(ワイ)
BL
「起こされて、食べさせられて、整えられて……恋人ごっこって、どこまでが″ごっこ″ですか?」
***
地味で平凡な高校生、生徒会副会長の根津美咲は、影で学園にいるカップルを記録して同人のネタにするのが生き甲斐な″腐男子″だった。
とある誤解から、学園の王子、天瀬晴人と“偽装カップル”を組むことに。
料理、洗濯、朝の目覚まし、スキンケアまで——
同室になった晴人は、すべてを優しく整えてくれる。
「え、これって同居ラブコメ?」
……そう思ったのは、最初の数日だけだった。
◆
触れられるたびに、息が詰まる。
優しい声が、だんだん逃げ道を塞いでいく。
——これ、本当に“偽装”のままで済むの?
そんな疑問が芽生えたときにはもう、
美咲の日常は、晴人の手のひらの中だった。
笑顔でじわじわ支配する、“囁き系”執着攻め×庶民系腐男子の
恋と恐怖の境界線ラブストーリー。
【青春BLカップ投稿作品】
うまく笑えない君へと捧ぐ
西友
BL
本編+おまけ話、完結です。
ありがとうございました!
中学二年の夏、彰太(しょうた)は恋愛を諦めた。でも、一人でも恋は出来るから。そんな想いを秘めたまま、彰太は一翔(かずと)に片想いをする。やがて、ハグから始まった二人の恋愛は、三年で幕を閉じることになる。
一翔の左手の薬指には、微かに光る指輪がある。綺麗な奥さんと、一歳になる娘がいるという一翔。あの三年間は、幻だった。一翔はそんな風に思っているかもしれない。
──でも。おれにとっては、確かに現実だったよ。
もう二度と交差することのない想いを秘め、彰太は遠い場所で笑う一翔に背を向けた。
俺が王太子殿下の専属護衛騎士になるまでの話。
黒茶
BL
超鈍感すぎる真面目男子×謎多き親友の異世界ファンタジーBL。
※このお話だけでも読める内容ですが、
同じくアルファポリスさんで公開しております
「乙女ゲームの難関攻略対象をたぶらかしてみた結果。」
と合わせて読んでいただけると、
10倍くらい楽しんでいただけると思います。
同じ世界のお話で、登場人物も一部再登場したりします。
魔法と剣で戦う世界のお話。
幼い頃から王太子殿下の専属護衛騎士になるのが夢のラルフだが、
魔法の名門の家系でありながら魔法の才能がイマイチで、
家族にはバカにされるのがイヤで夢のことを言いだせずにいた。
魔法騎士になるために魔法騎士学院に入学して出会ったエルに、
「魔法より剣のほうが才能あるんじゃない?」と言われ、
二人で剣の特訓を始めたが、
その頃から自分の身体(主に心臓あたり)に異変が現れ始め・・・
これは病気か!?
持病があっても騎士団に入団できるのか!?
と不安になるラルフ。
ラルフは無事に専属護衛騎士になれるのか!?
ツッコミどころの多い攻めと、
謎が多いながらもそんなラルフと一緒にいてくれる頼りになる受けの
異世界ラブコメBLです。
健全な全年齢です。笑
マンガに換算したら全一巻くらいの短めのお話なのでさくっと読めると思います。
よろしくお願いします!
諦めた初恋と新しい恋の辿り着く先~両片思いは交差する~【全年齢版】
カヅキハルカ
BL
片岡智明は高校生の頃、幼馴染みであり同性の町田和志を、好きになってしまった。
逃げるように地元を離れ、大学に進学して二年。
幼馴染みを忘れようと様々な出会いを求めた結果、ここ最近は女性からのストーカー行為に悩まされていた。
友人の話をきっかけに、智明はストーカー対策として「レンタル彼氏」に恋人役を依頼することにする。
まだ幼馴染みへの恋心を忘れられずにいる智明の前に、和志にそっくりな顔をしたシマと名乗る「レンタル彼氏」が現れた。
恋人役を依頼した智明にシマは快諾し、プロの彼氏として完璧に甘やかしてくれる。
ストーカーに見せつけるという名目の元で親密度が増し、戸惑いながらも次第にシマに惹かれていく智明。
だがシマとは契約で繋がっているだけであり、新たな恋に踏み出すことは出来ないと自身を律していた、ある日のこと。
煽られたストーカーが、とうとう動き出して――――。
レンタル彼氏×幼馴染を忘れられない大学生
両片思いBL
《pixiv開催》KADOKAWA×pixivノベル大賞2024【タテスクコミック賞】受賞作
※商業化予定なし(出版権は作者に帰属)
この作品は『KADOKAWA×pixiv ノベル大賞2024』の「BL部門」お題イラストから着想し、創作したものです。
https://www.pixiv.net/novel/contest/kadokawapixivnovel24
殿堂入りした愛なのに
たっぷりチョコ
BL
全寮の中高一貫校に通う、鈴村駆(すずむらかける)
今日からはれて高等部に進学する。
入学式最中、眠い目をこすりながら壇上に上がる特待生を見るなり衝撃が走る。
一生想い続ける。自分に誓った小学校の頃の初恋が今、目の前にーーー。
両片思いの一途すぎる話。BLです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる