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しおりを挟むそれはめでたく楽の進学が決まり、二人で部屋探しの相談をしている頃だった。合格の報告を学校にしに行った後、不動産屋に行こうと約束したため、壱月もそれに付き合った。
「すぐ来るから、ここで待ってて」
玄関前で壱月にそう残して、楽は職員室へと駆けていった。壱月は、頷いてぼんやりと楽を待つことにする。
「澤下先輩、ですよね」
そんな壱月に声を掛けてきたのは、後輩とおぼしき女の子三人だった。面識もない後輩に呼ばれ、壱月は首を傾げながら頷いた。
「そう、だけど……」
答えると、やっぱりこの人だよ、と端の子が真ん中の長い髪の子に囁いた。
「何?」
壱月が問いかけると、長い髪の子は、あの、と言ったきり俯いてしまった。壱月は言葉の続きを辛抱強く待つ。どうせ楽を待っている間の時間なのだから、そのくらいの余裕はあった。彼女の両脇に立つ友人が交互に、ちゃんと言いなよ、と声を掛けている。けれど、ついに彼女は泣き出してしまい、壱月は慌ててポケットやらカバンやらを探った。やっと見つけ出したポケットティッシュを差し出すと、壱月の予想外に彼女はその手を叩いて払った。
「こんなもの要らない!」
顔を上げた彼女は泣きながら、そう言い放った。壱月は呆然とそれを見つめる。何が起
きたのかわからなかった。
「この子、楽先輩に捨てられたの……先輩のせいで」
しびれを切らした友人の一人が壱月を鋭く見上げそう言った。
「僕の、せい?」
「楽先輩に、この子と付き合うの辞めろって言ったんでしょ?」
もう一人も同じように壱月に言い放つ。壱月にはなんのことかわからなかった。
「そんなこと、言った覚えなんかないよ。第一、楽の恋愛に物言いなんか……」
一度だってしたことがない。さすがに受験前は「もう少し勉強に時間割いたほうがいいよ」くらいは言ったかもしれないが、見たこともない後輩と別れろなんて、いくら壱月が楽を好きでもそんなことは絶対に言わない。
「嘘! だって、先輩、壱月が辞めろって言ったからって……いっつも壱月壱月って、そんな話ばっかりで……なんで、楽先輩に纏わりついてるんですか? 私に返してください!」
返して、と泣きながら、彼女は友人に寄りかかった。体を支える友人が壱月を睨みながら、彼女の髪を優しく撫でている。
「返すって……だから、僕は何も言ってないし」
休み時間に入ったためか、周りには他にも生徒が増えていた。何事かと遠巻きに見ていく彼らがぼそぼそと噂を始める。
居たたまれなくて、壱月は唇を噛んだ。
「壱月、何してんの?」
そこへ、のんびりとした声が聞こえた。そこにいたほとんどの視線が彼に集中する。けれど声の主である楽はそれに構うことなく壱月に近づいた。
「楽……」
「どしたの? あれ? 舞ちゃん、久しぶり」
壱月と対峙していた女の子に楽は気軽に近づいた。そして、なんで泣いてるの? と本当に不思議そうに聞く。
「楽が、この子ふったからだろ! 僕がそうしろなんて、いつ言ったよ?」
「ああ……そうだっけ。ほら、受験前に壱月が時間作れって言っただろ。それで手っ取り早いのは、一人とお別れすることかなと思って舞ちゃんにお願いしたんだ」
にっこりと笑うその顔に罪悪感などひとつもない。恋愛を完全に遊びだと捉えているため、そこに気持ちが絡むことなど一切考えていないからだろう。
目の前で泣いている彼女の気持ちがわからないのだ。
「楽、お前……」
「で、その舞ちゃんが何? どうして壱月のところで泣いてるの? 壱月に何か言うつもりだった?」
笑顔のままで楽は三人の後輩に矢継ぎ早に聞く。押し黙る三人を前に、楽はそっと床に手を伸ばした。拾い上げたのはさっき払われたティッシュだ。
「あ、それ僕の」
壱月が言うと、楽は更に三人に向かって口を開いた。
「誰? 壱月がせっかく差し出してくれたもの、こんな風に落っことしたままにしたの」
「楽、もういいってば。行こう、もう。彼女たちの話も済んだんだから」
壱月は、ほら、と楽の腕を引いた。仕方なさそうに楽が、わかったよ、と頷く。
「卒業までの少しの間でいいから思い出をくださいって言ったの、君の方だよね? それでどうして壱月に当たるのか、俺にはわからないんだけど……どっちにせよ、親友傷つけるような子と別れて俺って正解選んだのかもな、舞ちゃん」
そのとげとげしい言葉に、更に彼女は泣き出してしまった。楽、と叱るように咎める壱月に、楽はふて腐れたように、はいはい、と返事をするだけで、とっとと玄関を出てしまった。
これが、及川の言う「ひと揉め」の全貌だった。その場面を見ていた生徒も多かったから、きっと噂になって及川にも届いていたのだろう。過去を思い出し壱月は、そんなこともあったな、と頷いた。
「まあ、そうやって壱月の言う通りにしてたから大学も受かったんだろうけど」
「そんなことないよ。楽は元々頭いいよ。やらないだけ」
「いや、そんな感じしないけどな」
及川は言うが、実際大学に入ってからも試験で単位を落としたことはなかった。出席が足りないという理由で落としたものはあったが、それでも留年もせずにここまできているのだからそれなりの実力はあるということだろう。
「遊びが派手だから、そう見えるんだよ」
「それはあるかも。大学入って実家出た今ならもっと派手なんだろうな」
「まあ……そうだね」
その話になると、壱月のトーンはがたりと落ちる。あれだけ派手に恋愛をしていたから、楽に不満はないのだと思っていた。自分の家なんだから、なんて言うほど、我慢しているなんて予想もしていなかった。
それを思い出すとやはり落ち込んでしまう。
「なんか、あった?」
壱月の様子に気付いた及川がそう聞く。壱月は苦く笑いながら頷いた。
「うん、ちょっとね……僕が楽のことをちゃんと理解してなかったせいで、ちょっとトラブっちゃって」
「壱月、ホント宮村に甘いよな」
まだ何があったかなんて話していないのに、及川はそう軽く返した。
「いや、でも多分、発端は僕だから」
「まさか、珍しく壱月が何かしたのか?」
何か、という具体的なことは壱月には見当がつかなかった。由梨乃を部屋に通したことなのか、亮平と学校を後にしたことなのか、もっと遡って無断外泊したことなのか……どれかなんてわからなかった。ただどれも、のような気もしていた。
「色々……ちょっとこのところ僕も自由にしすぎちゃったかもなって……」
「壱月は真面目過ぎるんだよ。宮村なんか少し放っておけよ」
「それが出来たら苦労しないんだけど……一緒に暮してるから」
無視するなんて出来ないし、かといって干渉もできない。どちらにも動けない今が辛かった。
「だったら同居解消すれば?」
「僕も考えたけど……家賃って高いんだね、この辺」
「あー、そうだな。壱月、彼女とかいないのか? その人のところに行くとか」
及川に言われ、壱月は亮平を思い出した。確か今は就活の真っただ中だ。邪魔するわけにはいかない。
「今は無理だよ」
「聞くだけ聞いてみれば? 完全に離れるんじゃなくて、少しだけ離れるって選択もありだと思うよ」
宮村に分からせたらいいよ、と言う及川に壱月は、そうかもね、と頷いた。
離れるか離れないかの二択しかないと思っていた壱月にとって、それは新しく見えた道だった。楽に自分の気持ちを分かってもらう――そんなこと、考えたこともなかった。
そのために距離を取る。また以前のように笑いあえる友達に戻るための時間だと思えば、少しくらい離れてもいいのかもしれない。
「うん……そうしてみようかな」
壱月が答えると、何か決まったら教えろよ、と及川が笑った。
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