百合原くんは本気の『好き』を捧げたい

藤吉めぐみ

文字の大きさ
7 / 55

3-4

しおりを挟む

 大量の缶チューハイが、自分めがけてゴロゴロと坂を転がり落ちてくる。それから逃げようと走りたくても走れなくて、その缶たちに飲み込まれると思った瞬間、朱莉はぱちりと目を開けた。
「……夢、か……」
 きっと昨夜買い占める勢いで缶チューハイを買ったくせにほとんど飲まなかったせいで見たのかもしれない。
 朱莉はとりあえず缶チューハイに呑まれなくてほっとして、それから辺りを見渡した。
 見覚えのない天井に、自分のものではないベッド。記憶は、昨夜秋生と話していたところで途切れている。
 秋生に呆れられて放置された挙句、誰かに持ち帰られたか、と最悪な事を想像して朱莉は体を起こした。上着は脱いでいるものの、ベルトもしっかりしたままで、自身の服に乱れはない。寝ている間に誰かにいいようにされたというわけではないらしい。
 朱莉のいる部屋にはベッドと小さなサイドボードがあるだけで、他に大きな家具はなかった。ここがどこなのか、まだ分からない。
 朱莉はベッドを出て、ゆっくりと部屋の引き戸を開けた。
「あ、おはよう、朱莉くん。今起こしに行こうと思ってたんだ」
 引き戸の向こうはリビングダイニングになっていて、小さなダイニングテーブルの前に立ってこちらに笑顔を向けているのは秋生だった。どうやらここは秋生の家らしい。
「お、はよう、ございます……あの、昨日……」
「うん。あのまま朱莉くん寝ちゃったから、うちに連れてきてしまったよ。あ、上着は脱がせたけど、やましいことは何もしてないから」
 秋生が話しながら、ダイニングテーブルに茶碗を並べる。それから朱莉に近づいた。
「とりあえず、ご飯食べよう。お腹が満たされると嫌な気持ちはその分減るんだよ」
 秋生が朱莉の手を取り、ダイニングへと導く。テーブルの上には、白いご飯と味噌汁、卵焼きにウインナーとサラダが並べられていた。シンプルだけど美味しそうだ。
「ありがとうございます、いただきます」
 椅子に腰かけた朱莉が手を合わせると、テーブルを挟んで向かいの席についた秋生が微笑んで頷いた。
「朱莉くん、今日仕事は?」
 秋生が食事を始めながらこちらに伺うように視線を向ける。昨日が金曜だったから、今日は土曜で休みだ。朱莉は、ないです、と答えた。
「僕、今日当番医なんだよね。先に家出るけど、朱莉くんはゆっくりしていっていいから」
 秋生は手早く食事を済ませると、すぐに立ち上がり食器を片づけ始めた。朱莉はそれを見ながら、当番医? と聞き返す。
「あ、僕、小児科医なんだよね。朱莉くんが昨日飲んだくれてた近くの病院で働いてます」
 秋生がリビングの隅に置いていたリュックの中から名刺を取り出し、朱莉に手渡した。それを見てから朱莉が顔を上げる。
「お医者さんだったんですね……だから、ぼくの体のこと、気にしてくれたんだ」
「まあ職業病みたいなところもあるけど、普通の人よりは人工子宮の知識もあるから、話を聞いてしまったら放っておけなくて」
 患者さんにも人工子宮で産まれた子がいるから、と秋生に言われ、朱莉は自身の腹に視線を向けた。ここに命が宿る予定などないのに、朱莉は毎日安定剤を飲み続けている。これは朱莉の体が人工子宮を異物として認識しないようにする意味もあるのでどうしても飲み続けなくてはいけない。一度やけになってしばらく薬を飲まなかったのだが、拒絶反応が酷くて苦しかったので、以来仕方なく真面目に飲み続けている。
「……本当はすぐにでも取り出してしまいたいんですけどね」
「何を言ってるの。朱莉くんは未来を育めるんだよ。今は虚しさを感じるかもしれないけど、いつか絶対にこれでよかったって思える日が来るから」
 秋生が朱莉の髪を優しく撫でる。子どもにするようなそれは少し照れ臭かったけれど、秋生の優しくて大きな手はとても心地よかった。
「あ、ごめん。つい、子どもたちにするようにしてしまって……」
「い、いえ……ありがとうございます」
 朱莉が微笑むと、秋生はそれに穏やかに頷いてから、視線を朱莉の向こうに逸らし、大変、と慌てたように動き出した。
「朱莉くん、僕もう出掛けるね。うち、オートロックだから勝手に出ていって大丈夫だから。家にあるものは好きに使って」
 じゃあね、と秋生がリュックを持ち上げる。四次元ポケットは今日も重そうだ。
「はい。いってらっしゃい、秋生さん。気を付けて」
 玄関まで慌てて歩き、靴を引っかけた秋生に、朱莉が立ち上がり声をかける。それに気づいた秋生が一瞬驚いた顔で振り返り、それからすぐに笑顔を向けた。
「……うん。ありがとう」
 秋生が答え、すぐに部屋を出ていく。その後ろ姿を見送ってから、朱莉は椅子に座り直し、ふう、と息を吐いた。
「……確かに少し嫌な気持ちが減ってるかも……」
 秋生が用意してくれた温かな食事で胃を満たしたら、昨日の沼の底のような気持ちは少し薄れた気がする。秋生の言うことは本当だったようだ。
 それにしても昨日会ったばかりの訳の分からない男を家に置いて出掛けるなんて、無防備もいいところだ。それだけ秋生がいい人なのかもしれない。
「ちゃんとお礼しなきゃな」
 温かくなった体の代わりに空になった茶碗や皿を見つめ、朱莉はぽつりと呟いた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

やっと退場できるはずだったβの悪役令息。ワンナイトしたらΩになりました。

毒島醜女
BL
目が覚めると、妻であるヒロインを虐げた挙句に彼女の運命の番である皇帝に断罪される最低最低なモラハラDV常習犯の悪役夫、イライ・ロザリンドに転生した。 そんな最期は絶対に避けたいイライはヒーローとヒロインの仲を結ばせつつ、ヒロインと円満に別れる為に策を練った。 彼の努力は実り、主人公たちは結ばれ、イライはお役御免となった。 「これでやっと安心して退場できる」 これまでの自分の努力を労うように酒場で飲んでいたイライは、いい薫りを漂わせる男と意気投合し、彼と一夜を共にしてしまう。 目が覚めると罪悪感に襲われ、すぐさま宿を去っていく。 「これじゃあ原作のイライと変わらないじゃん!」 その後体調不良を訴え、医師に診てもらうととんでもない事を言われたのだった。 「あなた……Ωになっていますよ」 「へ?」 そしてワンナイトをした男がまさかの国の英雄で、まさかまさか求愛し公開プロポーズまでして来て―― オメガバースの世界で運命に導かれる、強引な俺様α×頑張り屋な元悪役令息の元βのΩのラブストーリー。

【完結】愛されたかった僕の人生

Kanade
BL
✯オメガバース 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 お見合いから一年半の交際を経て、結婚(番婚)をして3年。 今日も《夫》は帰らない。 《夫》には僕以外の『番』がいる。 ねぇ、どうしてなの? 一目惚れだって言ったじゃない。 愛してるって言ってくれたじゃないか。 ねぇ、僕はもう要らないの…? 独りで過ごす『発情期』は辛いよ…。

完結|好きから一番遠いはずだった

七角@書籍化進行中!
BL
大学生の石田陽は、石ころみたいな自分に自信がない。酒の力を借りて恋愛のきっかけをつかもうと意気込む。 しかしサークル歴代最高イケメン・星川叶斗が邪魔してくる。恋愛なんて簡単そうなこの後輩、ずるいし、好きじゃない。 なのにあれこれ世話を焼かれる。いや利用されてるだけだ。恋愛相手として最も遠い後輩に、勘違いしない。 …はずだった。

聖獣は黒髪の青年に愛を誓う

午後野つばな
BL
稀覯本店で働くセスは、孤独な日々を送っていた。 ある日、鳥に襲われていた仔犬を助け、アシュリーと名づける。 だが、アシュリーただの犬ではなく、稀少とされる獣人の子どもだった。 全身で自分への愛情を表現するアシュリーとの日々は、灰色だったセスの日々を変える。 やがてトーマスと名乗る旅人の出現をきっかけに、アシュリーは美しい青年の姿へと変化するが……。

【完結】名前のない皇后 −記憶を失ったSubオメガはもう一度愛を知る−

社菘
BL
息子を産んで3年。 瀕死の状態で見つかったエリアスは、それ以前の記憶をすっかり失っていた。 自分の名前も覚えていなかったが唯一所持品のハンカチに刺繍されていた名前を名乗り、森の中にひっそりと存在する地図上から消された村で医師として働く人間と竜の混血種。 ある日、診療所に運ばれてきた重病人との出会いがエリアスの止まっていた時を動かすことになる。 「――お前が俺の元から逃げたからだ、エリアス!」 「本当に、本当になにも覚えていないんだっ!」 「ととさま、かかさまをいじめちゃメッ!」 破滅を歩む純白竜の皇帝《Domアルファ》× 記憶がない混血竜《Subオメガ》 「俺の皇后……」 ――前の俺?それとも、今の俺? 俺は一体、何者なのだろうか? ※オメガバース、ドムサブユニバース特殊設定あり(かなり好き勝手に詳細設定をしています) ※本作では第二性→オメガバース、第三性(稀)→ドムサブユニバース、二つをまとめてSubオメガ、などの総称にしています ※作中のセリフで「〈〉」この中のセリフはコマンドになります。読みやすいよう、コマンドは英語表記ではなく、本作では言葉として表記しています ※性的な描写がある話数に*をつけています ✧毎日7時40分+17時40分に更新予定✧ ✧お気に入り登録・各話♡・エール📣作者大歓喜します✧

優しい檻に囚われて ―俺のことを好きすぎる彼らから逃げられません―

無玄々
BL
「俺たちから、逃げられると思う?」 卑屈な少年・織理は、三人の男から同時に告白されてしまう。 一人は必死で熱く重い男、一人は常に包んでくれる優しい先輩、一人は「嫌い」と言いながら離れない奇妙な奴。 選べない織理に押し付けられる彼らの恋情――それは優しくも逃げられない檻のようで。 本作は織理と三人の関係性を描いた短編集です。 愛か、束縛か――その境界線の上で揺れる、執着ハーレムBL。 ※この作品は『記憶を失うほどに【https://www.alphapolis.co.jp/novel/364672311/155993505】』のハーレムパロディです。本編未読でも雰囲気は伝わりますが、キャラクターの背景は本編を読むとさらに楽しめます。 ※本作は織理受けのハーレム形式です。 ※一部描写にてそれ以外のカプとも取れるような関係性・心理描写がありますが、明確なカップリング意図はありません。が、ご注意ください

運命の相手 〜 確率は100 if story 〜

春夏
BL
【完結しました】 『確率は100』の if story です。 本編は現代日本で知り合った2人が異世界でイチャラブする話ですが、こちらは2人が異世界に行かなかったら…の話です。Rには※つけます(5章以降)。「確率」とは違う2人の関係をお楽しみいただけたら嬉しいです。

僕の恋人は、超イケメン!!

BL
僕は、普通の高校2年生。そんな僕にある日恋人ができた!それは超イケメンのモテモテ男子、あまりにもモテるため女の子に嫌気をさして、偽者の恋人同士になってほしいとお願いされる。最初は、嘘から始まった恋人ごっこがだんだん本気になっていく。お互いに本気になっていくが・・・二人とも、どうすれば良いのかわからない。この後、僕たちはどうなって行くのかな?

処理中です...