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しおりを挟む大量の缶チューハイが、自分めがけてゴロゴロと坂を転がり落ちてくる。それから逃げようと走りたくても走れなくて、その缶たちに飲み込まれると思った瞬間、朱莉はぱちりと目を開けた。
「……夢、か……」
きっと昨夜買い占める勢いで缶チューハイを買ったくせにほとんど飲まなかったせいで見たのかもしれない。
朱莉はとりあえず缶チューハイに呑まれなくてほっとして、それから辺りを見渡した。
見覚えのない天井に、自分のものではないベッド。記憶は、昨夜秋生と話していたところで途切れている。
秋生に呆れられて放置された挙句、誰かに持ち帰られたか、と最悪な事を想像して朱莉は体を起こした。上着は脱いでいるものの、ベルトもしっかりしたままで、自身の服に乱れはない。寝ている間に誰かにいいようにされたというわけではないらしい。
朱莉のいる部屋にはベッドと小さなサイドボードがあるだけで、他に大きな家具はなかった。ここがどこなのか、まだ分からない。
朱莉はベッドを出て、ゆっくりと部屋の引き戸を開けた。
「あ、おはよう、朱莉くん。今起こしに行こうと思ってたんだ」
引き戸の向こうはリビングダイニングになっていて、小さなダイニングテーブルの前に立ってこちらに笑顔を向けているのは秋生だった。どうやらここは秋生の家らしい。
「お、はよう、ございます……あの、昨日……」
「うん。あのまま朱莉くん寝ちゃったから、うちに連れてきてしまったよ。あ、上着は脱がせたけど、やましいことは何もしてないから」
秋生が話しながら、ダイニングテーブルに茶碗を並べる。それから朱莉に近づいた。
「とりあえず、ご飯食べよう。お腹が満たされると嫌な気持ちはその分減るんだよ」
秋生が朱莉の手を取り、ダイニングへと導く。テーブルの上には、白いご飯と味噌汁、卵焼きにウインナーとサラダが並べられていた。シンプルだけど美味しそうだ。
「ありがとうございます、いただきます」
椅子に腰かけた朱莉が手を合わせると、テーブルを挟んで向かいの席についた秋生が微笑んで頷いた。
「朱莉くん、今日仕事は?」
秋生が食事を始めながらこちらに伺うように視線を向ける。昨日が金曜だったから、今日は土曜で休みだ。朱莉は、ないです、と答えた。
「僕、今日当番医なんだよね。先に家出るけど、朱莉くんはゆっくりしていっていいから」
秋生は手早く食事を済ませると、すぐに立ち上がり食器を片づけ始めた。朱莉はそれを見ながら、当番医? と聞き返す。
「あ、僕、小児科医なんだよね。朱莉くんが昨日飲んだくれてた近くの病院で働いてます」
秋生がリビングの隅に置いていたリュックの中から名刺を取り出し、朱莉に手渡した。それを見てから朱莉が顔を上げる。
「お医者さんだったんですね……だから、ぼくの体のこと、気にしてくれたんだ」
「まあ職業病みたいなところもあるけど、普通の人よりは人工子宮の知識もあるから、話を聞いてしまったら放っておけなくて」
患者さんにも人工子宮で産まれた子がいるから、と秋生に言われ、朱莉は自身の腹に視線を向けた。ここに命が宿る予定などないのに、朱莉は毎日安定剤を飲み続けている。これは朱莉の体が人工子宮を異物として認識しないようにする意味もあるのでどうしても飲み続けなくてはいけない。一度やけになってしばらく薬を飲まなかったのだが、拒絶反応が酷くて苦しかったので、以来仕方なく真面目に飲み続けている。
「……本当はすぐにでも取り出してしまいたいんですけどね」
「何を言ってるの。朱莉くんは未来を育めるんだよ。今は虚しさを感じるかもしれないけど、いつか絶対にこれでよかったって思える日が来るから」
秋生が朱莉の髪を優しく撫でる。子どもにするようなそれは少し照れ臭かったけれど、秋生の優しくて大きな手はとても心地よかった。
「あ、ごめん。つい、子どもたちにするようにしてしまって……」
「い、いえ……ありがとうございます」
朱莉が微笑むと、秋生はそれに穏やかに頷いてから、視線を朱莉の向こうに逸らし、大変、と慌てたように動き出した。
「朱莉くん、僕もう出掛けるね。うち、オートロックだから勝手に出ていって大丈夫だから。家にあるものは好きに使って」
じゃあね、と秋生がリュックを持ち上げる。四次元ポケットは今日も重そうだ。
「はい。いってらっしゃい、秋生さん。気を付けて」
玄関まで慌てて歩き、靴を引っかけた秋生に、朱莉が立ち上がり声をかける。それに気づいた秋生が一瞬驚いた顔で振り返り、それからすぐに笑顔を向けた。
「……うん。ありがとう」
秋生が答え、すぐに部屋を出ていく。その後ろ姿を見送ってから、朱莉は椅子に座り直し、ふう、と息を吐いた。
「……確かに少し嫌な気持ちが減ってるかも……」
秋生が用意してくれた温かな食事で胃を満たしたら、昨日の沼の底のような気持ちは少し薄れた気がする。秋生の言うことは本当だったようだ。
それにしても昨日会ったばかりの訳の分からない男を家に置いて出掛けるなんて、無防備もいいところだ。それだけ秋生がいい人なのかもしれない。
「ちゃんとお礼しなきゃな」
温かくなった体の代わりに空になった茶碗や皿を見つめ、朱莉はぽつりと呟いた。
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